しるもの時代 / 木村衣有子

味噌汁、スープ、シチュー、カレー。さまざまな形で私たちの食卓に登場する「しるもの」。脇役として主菜の引き立て役に甘んじることもあれば、弱っている時には、心や体を救ってくれることもある。とても身近で、そして変幻自在な「しるもの」にまつわるテキストを通して、食卓の<記憶>を描き出す。
著者が2020年に発行し、現在完売しているリトルプレス『しるもの時代』の続編が、短編小説+エッセイで登場!

キャンベルスープ缶

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短編小説:クリームチキン味

 とある晩、古本をまとめて売りに行くというヒノを、車で迎えに行った。ヒノは、本を詰めた紙袋を両手に持ち、両肩にもずだ袋をかけて、さらにリュックまで背負って、そのいでたちにしてはすいっすいっと素早く、アパートの2階の部屋から出てきてドアを閉め、外階段をおりてきた。車中からヒノの身のこなしを眺めていたぼくの頭の中に、夜逃げ、というイメージが浮かんだ。ヒノのアパートの渡り廊下の照明の頼りない光量のせいでもあるかもしれない。
 古本屋の前までヒノを送り届けてから、自分の用事を済ませて帰ってきたのち、後部座席に紙袋がひとつ残されているのに気付いた。底の一角がよれて破れかけている。中を覗いてみると、古雑誌がぎゅうぎゅうに詰め込まれていた。
 ヒノに電話をかける。
 ヒノ曰く、抱えきれなかったからいったん戻るねっ、そう伝えようと思ってたけどあまりにも重たかったもんで忘れてた、ていうかむしろ忘れたかったのかもしれない、などと、ちゃらんぽらんなことを言う。急ぎの品ではないそうなので、次に会うときに返す約束をした。
 電話を切る間際、ヒノは、気が向いたらぱらぱら見てみていいよ、そうも言っていた。

 ぼくが、めくってみようかな、という気をようやく起こしたのはヒノとの約束の前日になってから、だった。紙袋には、ぼくが雑誌を買う習慣があった頃の、見覚えがあるものも入っていた。そう、往年の生活系雑誌『クウネル』の沖縄特集号も。背表紙には「沖縄のリズム。」との文言がある、2008年の夏の号で、表紙に「やちむん」の器を3つ並べた写真が載っている。やきもの、を沖縄で言い表すとそういう柔らかな言葉になると、ぼくはこの雑誌をリアルタイムで手にしていた頃にはすでに知っていただろうか、もうわからなくなっている。この表紙はあまり古めかしくはみえない。やちむんそのものを、当時も今も、いろいろなところで目にしているせいもあるかもしれない。
 「やちむんは街中にあふれているっ」
 ヒノだったらこう言うかなあ、と、ぼくは口真似をしてみた。ひとりの部屋で、実際に声に出してそう言ってみると、無性に寂しくなった。明日、ヒノと会うことが約束されているのにも関わらず。
 目次をみると、読んだ記憶のある記事はなかった。じゃあ、どこかで表紙をじっくりと見る機会を得ていただけなんだろうか。十数年前のことって、いやにはっきりおぼえていることもあれば、誰か一緒にいた知り合いにあのときはこうだったって説明されても他人事みたいにしか響かないこともあるもんなあ。そもそも沖縄にぼくは行ったことないんだからなあ。ヒノもぼくも北国の出ゆえに南国への憧憬は大きいのだけれど。
 トロピカルなカラフルさをあえて避けて通るような渋めの写真で紹介される、沖縄の風習。沖縄の家庭料理。めくっていって、ふと手を止めたのは、薄黄色でとろっとしたスープの写真が載っているページだった。
 「クリームチキン味の濃縮スープ缶で作る「キャンベルソーメン」」とある。
 目を凝らすと、スープの真ん中に浮かんでいるのは確かに麺だった。那覇の、とあるお宅の家庭料理だとある。あたかも、とうもろこしの黄色のようにみえたが、コーンポタージュ味ではなくて、クリームチキン味、とは。たべたことはない、というよりむしろ、その存在を今知った。
 茹でた素麺をキャンベルスープに入れてたべるのは、うちだけの味、だというふうにその家の人は語っていた。無性に、いいなあ、と思う。たべたことのないクリームチキン味について空想するには、ぼくの頭の中には、鶏がらスープ、牛乳、それ以上の材料がないのはほんとうだが、それでもやけに惹かれたのだった。

 妙に印象に残るよね、キャンベルソーメン。次の日、ヒノはそう言った。
 雑誌が発売された当時、キャンベルスープ缶のクリームチキン味は、当時の南国からはるか離れたこの街では見つけられずにいたそうだ。
 折しも、ヒノの男友達が沖縄に旅すると聞いて、お土産によろしく、と、ヒノはたのんだのだという。ぼくは会ったことのない彼の名は、仮に、太郎、としておく。太郎の恋人が、単身、生業上の目的を持って沖縄に引っ越すことになり、その手伝いに行くのだということだった。
 太郎は、ヒノの願いどおり缶詰を買ってきてくれた。そして沖縄に暮らす恋人の友人知人に聞いた話として、クリームチキン味は、沖縄では定番の味だと教えてくれた。ごはんにかけてたべる人も少なくない、とも。だったら、その延長線上で素麺を入れたってきっと不思議じゃない。
 「そうなんだねえ」
 ぼくは感慨深く頷いた。
 ヒノは、まあ、そこで終わっていればきれいな話だよ、と言う。
 クリームチキン味の話をきっかけに、太郎とヒノは一緒に料理をする仲になっていったそうだ。そして太郎は、沖縄に引っ越した恋人とお別れし、ヒノと付き合うことになったのだと。
 「えっ!」
 ぼくはそれなりに、ヒノのこれまでの身の上話はあれやこれや聞いてきたつもりだったけれど、太郎との付き合いは、初耳だった。
 いやいや、そんなにびっくりしなくとも、この先たいした盛り上がりもない話だから大丈夫、と、ヒノはにっこりして言った。大丈夫、って便利な言葉だなあ、ぼくはそんなことを思った。

 太郎とヒノとの付き合いは長くは続かなかったという。どうして別れたかというと、音楽性の違いみたいなもの、ふふっ、と、ヒノはごまかすのだった。太郎とは友人にも戻れないまま、キャンベルスープ缶をみるとその前で立ち止まる、という癖がヒノにはついてしまった。癖って、傷なのだろうか。
 ヒノの検索によると、キャンベルスープには、主に沖縄にて流通している5種類の味があるという。クリームチキンに加え、「クリームマッシュルーム」「ベジタリアンベジタブル」「チキンヌードル」「ニューイングランドクラムチャウダー」。どれも、表ラベルにはアルファベットしか記されていない。
 かなり時間が経ってから、とある輸入食料品店の棚の一角にさりげなくクリームチキン味の缶が並んでいる光景を目にしたときには、たいそう感慨深かったそうだ。ここにあったんだ! やっと会えたね! って感極まりすぎて、踊りたいような気持ちになってそのまま店を出ちゃったんだよね、と、ヒノは言って、少し間を置いて付け加えた。今もきっと売ってるかもしれないから、気になるなら行ってみたら。
 「えー」
 おどろいたのは、その店を手ぶらで出たところで、太郎にもばったり出会でくわしたことだね。
 「えっ?」
 太郎とヒノはそれを機に幾度か会ったそうだ。聞いていると、再会はごく最近の出来事なのではとも思えた。少なくとも1年以上は経ってはいないのでは。
 しかし、またしても不協和音が鳴り響き、ヒノは太郎の連絡先を忘れることにしたというか、消去したのだという。どっとはらい。
 それくらい昔の雑誌だってこと。ヒノは『クウネル』を手に取ってめくりつつ、視線は誌面に落とさず、ぼくのほうに向けたまま、言った。いろいろあったり、忘れたり、再燃したりするくらいの時間が経ってるってことっ。

 「結局どんな味なの?」という肝心なことを訊きそびれたまま帰宅したぼくは、その日の夜更け、寝床に入り枕に伏しながら、キャンベルソーメンの話を反芻していた。まあ、どんなにおいしそうだと想像されても、あくまでも他者の思い出の味、であって、思い出がない者にとっては肩透かしの味なのかもしれない、ということにしておけばいい。
 ぼくは、寝床の隅に丸まっていたアクリル毛布を引き寄せ、両足のあいだに挟んだ。こうすると、よく眠れる。
 (了)

参考文献
『クウネル 32号』(2008)マガジンハウス


エッセイ:アンディ・ウォーホルを知った頃

 キャンベルスープ、といえば、アンディ・ウォーホル。
 十代の終わり頃、印刷物の上で、ウォーホルがえがいたキャンベルスープ缶の絵をはじめて観た。わあ、かっこいい、と、わくわくした。そのとき、まだ味も知らず、実物の缶さえ目にしていなかった。だから、缶そのもののデザインのよさに感じ入ったのか、キャンベルスープ缶をそのまま写したウォーホルの作品にぐっときたのか、正直言ってわからない。
 1962(昭和37)年、アメリカはロサンゼルスのギャラリーに、当時発売されていた32種類のスープの缶の絵は展示された。それ以前から長いこと、アメリカでは広く安価に売られていた日常の味のパッケージなのだから、アメリカに暮らす人がウォーホルの作品を観ての第一印象は、私が抱いたものより弾んでいないかもしれない。なんじゃこりゃ、というような感想が引き出されても不思議でない。とまれ、その展示から、ウォーホルが、ポップ・アートを体現する存在になっていったのはほんとうだ。
 缶のおもては1898(明治31)年から赤色と白色が基調となるデザインになったのだという。そんなに長いこと売られ、広く馴染みのあるしるもののパッケージは、日本には存在しない。発売当初からいろいろな味のバリエーションがあり、そのひとつがトマトスープであった。パッケージの赤色はその色を映したよう、と、解釈してしまいがちだけれど、当時、アメリカンフットボールの試合を観戦したキャンベル社のスタッフが、出場していたコーネル大学のユニフォームに惹かれてそこから着想したのだそうだ。
 ウォーホルはその缶を正面からえがいている。目にした、そのままなのだろうと捉えていたけれど、実際の缶ではなくてキャンベル社のカタログを写し取ったらしい。スープの色とかとろみとか具については、彼の作品から知ることはできないのはそのせいもあるのかしらん。
 なぜ、キャンベルスープ缶を題材にしたのかについては、子供の頃から馴染んでいたたべものだからという話も聞くし、知人の助言を50ドルで買い取ってえがいたともある。
 私が商品としてのキャンベルスープ缶を手に取ったのは1990年代末、京都は河原町三条にある輸入食料品店『明治屋』の棚にて。そのとき、缶は私にとってウォーホルの作品そのものだった。わあ! と、はしゃいで、買って帰ってしばらくは部屋に飾っておいたものだった。
 それから四半世紀以上経って、今も、うちの保存食置き場にキャンベル缶は幾つか置いてあるけれど、飾る、という気持ちはもうそこにはまとわりついていない。キャンベルスープ缶が、日常的なしるものになったせいもある。たいていのスーパーマーケットには並べられているようになったから。たべものとしてのキャンベルスープ缶を展示ならず常備するようになったのはそれからのこと。
 うちの定番としているのは「コーンポタージュ」味。開封した牛乳を使いきれないまま消費期限を迎えてしまったときに思い出される存在となっている。
 そういえばキャンベルスープ缶を部屋に飾っていた頃は、ウォーホルの言葉やルックスそのものにも惹かれていた。とりわけ髪型。つんつんと立った銀髪。ああいうふうにしたいなと、いっとき周りに言い散らしていたものの、とりあえず中途半端にブリーチしてみたりと、再現には程遠いまま、自分の中でのブームは終わった。ヘアカラーの技術革新が今現在のレベルまで達していたならば、やれていたかも。
 ウォーホルのその髪型はかつらだったと知って、拍子抜けしたのは、ずいぶん時間が経ってからのこと。鬘をかぶる必要が生じても、今となっては別の髪型を選ぶだろう、私。  

*本連載は、初回と最新2回分のみ閲覧できます。