スノードーム / 香山哲

ある雑貨店の片隅に、古いスノードームが佇んでいる。 その中に住む者たちは、不安に駆られ、終末についての噂を交わしていた。 天空に、ある不穏な兆しがあらわれたのだ。 果たして「その時」は本当にやってくるのか? それはどんな風にやってくるのか?  小さな小さな世界の中で、静かに近づいてくる終末の記録。

(最終回)空

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 おそらく自分は今、モップに拭き取られた液体として、カウンターから店内を眺めている。「おそらく」というのは、やっぱり確信が持てないからだ。


 ついさっきスノードームが落ちて壊れるまで、自分はスノードームの中の岩のオブジェクトだと思っていた。しかし本当は違って、自分は今までもずっと、あのスノードームの中を満たしていた液体だったのかもしれない。別々の存在だと思っていたけれど、シフトやマーズやカルラや岩も、全て1つの存在だった、ということはないだろうか。色々な角度からの考えや声が、同時だったり、ずれたタイミングだったりしながら、「ああかもしれない」「いや、それは考え過ぎだ」と、1つの自分の中で起こっていただけなのだとしたら? 実際に今も自分の中で、「本当にそんな事あるのかな?」「変な考え方だ」と留まろうとする声も同時に起こり、漂っている。


 ちょうどそんな思考の様子というのは、牛とか羊とか馬みたいな動物の群れに似ている。例えば30頭ぐらいの群れで、3つのグループA、B、Cからなる。先頭のAには3頭ほどがいて、その3頭は、ある地点を目指している時もあるし、方角だけを決めて進んでいる時もあるし、とりあえず進みながら様子を見ている時もある。その3頭に続くBは、20頭ほどだ。この20頭は比較的まとまっていて、一番先頭のAについていくのが得意だ。Aが止まればすぐに止まるし、曲がったり引き返したりすればすぐに同じように動く。そしてその横や後ろには、Cの7頭ほどがバラバラに歩いている。7頭それぞれは群れから離脱するほどではないが、微妙に離れた位置や固有の方向に進む。このような30頭は、時に輪郭を崩しながらも、散らずに群れとして移動し続ける。



 自分の思考や意識は、そんな群れのように動いているのを感じる。例えば何かを見たりして思考が起こる。それを進めたり深めたりする考えが続いて起こる。そして、様々な反論や脱線も起こって、思考は全体としてどこかにたどり着いたりする。


 スノードームの中にいた時の自分たちは、この30頭の群れの例えで言うと、1つの群れが4分割されているような形だったのではないだろうか。もちろん、証拠も無いし、実際にそういうことがあるのかどうかもわからない。スノードームの時の自分には戻れないだろうから、考えても仕方ない部分もある。そして、思考が動物の群れのようなものだとして、なぜそれが分かれたり合わさったりするのかも、よくわからない。



 よくわからないが、「よくわからない」という感覚が得られたのは収穫だ。今日、急に自分の状況が変わってしまったけれど、色々考えたり想像したりして、行き着くところまで行き着き、結局「なんだか、よくわからない」という壁まで一旦は到達した。今持っている情報や証拠でやれることは十分やったんだ、という落ち着いた気持ちになることができた。



 スノードームが壊れる前も、自分たちは落ち着くための思考をしていた気がする。ガラスの傷を見つけ、「スノードームが崩壊するかもしれない」ということになった時だって、「考える手がかりが少なかろうが、考えられることは考えておきたい」という気持ちが強かった。最終的に何が起こっても、それを止められないとしても、事態を把握することが自分たちにとって大事だった。


 いま改めて前方を見ると、カウンターからの店内の様子が見える。奥には、自分たちが長らく置かれていた「準備中」の場所がある。さらにその向こうには窓があり、外は暗くなり始めていた。



 サバイバルクラブの学生たちが持ち帰ったスノードームの中で、今でもシフト、マーズ、カルラたちが会話しているかもしれない。さらに言えば、岩の姿の自分もそこにいて、みんなと話していることだって十分ありうる。その場合、今ここにいる自分はまた別の何かなのかもしれない。あるいは、岩の自分の意識のいくらかが分離して、液体の方に来ているということだってある。色々な可能性があるし、案外どれも腑に落ちる。


 今の所は確認しようがない。そしてこれからの自分についても、どうなっていくかわからない。スノードームの工場では、自分たちスノードームの内部を満たしている液体が何なのか、詳細なことまで知ることはできなかった。大半は水だと思うけど、色々な成分が均質に溶解していて、粘度や凝固点が調整されている。だから自分が今いるモップから蒸発する温度も、水道水とは異なるだろう。場合によっては、ずっとこのままかもしれない。


 ふと、自分たちを製造していた工場の様子を思い出した。工場の壁には小さな窓が並んでいた。その窓は、誰も手が届かないほど高くにあり、人間が出入りできないぐらい小さく、くもりガラスが使われていた。自分たちはその窓によって、外の明るさを知ることはできても、流れる雲の様子などは捉えることができなかった。あの頃も、ごく限られた情報の中で、これからどうなるんだろうという噂話や意見交換が活発に行われていたのだった。


 学生たちが帰った後、他にも何人かの客が来て、そして閉店の時間になった。店主はいつも通りの片付けを始めている。レジの下には棚があって、その棚に入ったカギとメモを店主は取り出す。メモは名刺ぐらいの大きさで、店主はそれを見ながら閉店の作業を進めていく。「冷暖房の電源を切る」とか「金庫のカギを確認する」とか、やるべきことが順番に書いてあるのだろう。全て完了し、店主は家に帰っていった。


 長い一日だった。予想もしていなかったことがいくつも起こり、自分のあり方が大きく変わった一日だった。だけど、どの出来事も、前々から始まっていたことだったはずだ。学生たちは今日初めて来たわけではないし、自分たちも、商品棚に移動される可能性はいつでもあった。そして今もまた、知らないところで、次に起こることが始まっているに違いない。


 窓の外に暗い空があって、月や雲が見える。かつて工場の窓からは見えなかったものだが、今の自分には、これを眺めることができる。



 それでも明日には、もう自分は霧のようになっていて、あの空を漂っているかもしれない。大寒波だって来るかもしれない。大昔や遠い未来ではなく、他のどこかでもなく、今の地球で起こりうることが起こる。物事はみんな移り変わっていくし、次々と連続する出来事を、これからも自分は迎えていく。



 新しい出来事が起こるたびに、また自分は心配したり考えたりするだろう。途中で保留したり、わからないと思ってあきらめたりするが、それが自分にとっては、さらなる出来事を迎える準備になる。



 やがて、暗かった空が明るくなってきた。冬の朝は夏などに比べて、空が白っぽく見える。今の地球らしい現象だ。


 
 
 
 
*ご愛読有難うございました。本連載を加筆訂正の上、書下ろしを加え書籍化する予定です。