短編小説:パンと白いシチュー
「クリームシチューのことだよね」
ぼくがそう言うと、ヒノは返事する代わりに、こちらを一瞥した。そりゃそうでしょ、というサインだ。
曇天、昼過ぎ、ぼくとヒノは、雑居ビルの2階に位置する喫茶店でメニューを見ていた。はじめて入る店だった。
スープとロールパンのランチセットの、ラストオーダーまでのタイムリミットにはあと15分ある。
スープは3種類の選択肢がある。そのうちのひとつが、白いシチューなのだった。他には、赤いスープ、透明な野菜スープ。メニュー名の脇に解説文などは添えられていない。なにかしら知りたい事柄があれば直に訊いてくれというスタイルにちがいない。
しばし迷った末、ぼくもヒノも、白いシチューを選んだ。
運ばれてくるのを待つあいだ、ぼくは喫茶店からいったん出たところから右手に向かって突き当たりにある、共同のお手洗いに立った。そのとき、喫茶店の入口に、パンのかたちのぬいぐるみが置いてあるのに気付いた。ヒノに伝えると早速ヒノは席を立って見に行った。
角食のぬいぐるみ! 『アンパンマン』があるから、パンのぬいぐるみはありきたりの存在っちゃ存在なんだけど、ちょっと凝ってるね。
ヒノはうれしげに言う。
ほぼ一斤原寸大くらいで、白色の柔らかなところではなくて茶色の耳の部分に目鼻が付いているのが「しょくぱんまん」とは違うところだ。
たべもののぬいぐるみには根強いファンがいて、と、ヒノは口早に、モチーフとなっているたべものの例をいろいろ挙げていった。たとえばドーナツ、鮪のお寿司、とうもろこしなどと。目鼻をつければなんでもいいのかな、と、少々疑問を持たざるを得ない。
運ばれてきたランチセットを前に、ぼくは流れのまま、なんとはなしに問いかけた。
「シチューは?」
しるものは縫えないでしょう。
ヒノは、視線をスプーンから離さずに言った。シチューは、スプーンからぽたりとこぼれる。
ぼくは、思い浮かべたシチューのぬいぐるみの姿を、身振り手振りを交えつつヒノに伝えようとしてみた。しかしヒノによればそれは、スープをよそう器の輪郭をなぞったぬいぐるみであって、真にスープそのものの姿をしたぬいぐるみではない、とのこと。言われてみればそうだった。
以前、ヒノはぬいぐるみをつくって売る仕事をしていた。人でもなく鳥や動物でもないモチーフを得意としていた。ヒノはその前もその後も、いわゆる職人的な仕事に就いている。
なぜにぬいぐるみを仕事に?
ぼくが想像したのは、一点ものをつくることにやりがいを見出している、とか、素材の触り心地が気持ちいい、とか、それこそふんわりしたものだった。ヒノは言った。それもある。でも、と、ヒノは言った。罪滅ぼし、だというのもある、と。
幼時、ヒノが育った家は裕福で、何体もぬいぐるみを買ってもらって、寝室ではいつもそれらに取り囲まれて眠っていたという。ヒノがある程度大きくなったとき、それらが無造作に捨てられたとき、抵抗しなかったことがひっかかってて、と、ヒノは言う。もったいない、というのとは違う、ぬいぐるみたちに悪いことをした、と。
ぼくは、自分自身でも意外なことに、その、ヒノの罪悪感に共感することができなかった。
ヒノが、まるでぬいぐるみにはみな魂があるかように話すのに、違和感を持った。
一体、寝具に魂はあるだろうか。布団、あるいは枕を捨てるときに、それらの魂について思いやるだろうか?
「ヒノはつくるぬいぐるみ一体一体に魂を込めているの?」
いいや。ヒノは首を横に振った。魂はぬいぐるみの所有者が入れるもんじゃないの? と、反対にぼくに問うた。
「魂を込められるほど愛していたの?」
ぼくもまたヒノに問うた。
ヒノはとても驚いた顔をした。いっとき、黙り込んだ。
ヒノがぬいぐるみ職人を辞めたのは、ぼくとのそのやりとりから半年が経った頃だった。ぼくは、ぼくのせいだと思っている。ヒノは、1年と少し前からはクリスマス商材を専門につくる仕事をしている。一年中クリスマスのことを考えているのは存外楽しかった、2年目もまだやれそう、やれるにちがいない。ヒノは言う。ぼくは、赤色と緑色と、少しの白色、金色にまみれて、クリスマスに向けて立ち働く姿はヒノに似合っていると思う。
会計を済ませて喫茶店を出ようというとき、ぼくはなんの気なしに角食のぬいぐるみを抱き上げてみた。持ち上げると、ぬいぐるみから、紐がぶらんと伸びて、その先には紙製のタグが付いている。タグに橙色で綴られたアルファベットの並びに見覚えがあった。ヒノの住処の近所にあるパン屋の店名だった。近隣では有名なパン屋だった。けっこう昔からある店だというのはヒノと知り合う前からぼくも知っていたことだ。よっぽどの荒天でなければ、パン屋の前には、正午まではいつも行列ができている。午後に誰も並んでいないのはもう売り切れているからである。惣菜パンとか甘いパンは置かれていなくて、それらの土台となるようなパンばかりがある。角食、山食、ロールパン、ハンバーガーのバンズなど。角食をたべたことがある。耳がすべすべしていた記憶がある。存外、はっきりおぼえている。その記憶と、手にしたぬいぐるみの輪郭とはぴったり重ならない。正直言って、このぬいぐるみは、その店のパンに似ていなかった。それに、この喫茶店で出されたパンも、その店の味はしなかった。なのにどうして、ここにあるのだろう。
可愛いからじゃない?
「そんなものかな」
そんなものだよ、無邪気なものだよ、ぬいぐるみって、やっぱり。
ヒノの口振りはこの上なく柔らかだった。
ぼくは、角食のぬいぐるみを元の位置に戻した。
(了)
エッセイ:シチューの壁
料理をする上で私がこだわりたいのは、出盛りで新鮮で安価なものを「選ぶ」こと。何軒かのスーパーマーケットをはしごできるならなにより。
そこから、買い物を済ませて台所に戻ってから、自分なりにしている工夫はどんなこと? と、問われると、口ごもってしまう。新奇なメニューを自らの手でつくり出そうとの意欲は持たない質で、台所でする冒険は、先人もやっていた範疇内でいいと思っている。やる気がないわけじゃなくて、台所では別に、自分ならではの個性、などを発揮しようと気張らなくても不思議と自分の味になるものだから。そうでしょ?
スーパーマーケットや産直の店頭での出会い頭に、その日つくるものを決めがち。賞味期限が迫って値下がっているものはもちろん、パッケージに記された惹句にあえて流されてみたりしている。
いつぞや、スーパーマーケットの魚売り場にて、きれいなサーモンピンクの詰め合わせにはっと目をとめた。くるまれたラップの上には「生鮭シチュー用角切り」と記されていた。シチューというならば、しるもの全般オッケーのはずだよね、つくり慣れたスープにぽんと入れよう、そう決めた。
キャベツと葱と大根とベーコンのスープの仕上げに入れて軽く煮た。あたたかで、やわらかく身のほぐれる鮭はいい。ベーコンを炒めるところからはじめるスープは、ベーコンが出汁としての役割を果たしてくれて、鮭はただ具としてその中に浮かぶだけでいい。鮭の身から出汁的要素を引き出そうとして煮込んだりしても身が固くなるだけでもったいないだろう、と。
とりあえずつくるしるものというものがある、私の台所には。ベーコンのスープ、豚汁、味噌汁。どれも、入れる具や使う味噌次第で味わいも見た目もいろいろになるから、飲むとき飽きない。なのに、つくるときはいつもの手順をなぞっているだけという気楽さもいい。
きらいなわけじゃないけれど、とりあえずつくるしるものじゃないんだよな、私にとって、シチューは。少なくとも、まだそうじゃない。いつかそうなるのかもしれない。今のところそんな兆しはないものの。
へんなことを言うようだけれど、つくるのが好きな料理と、たべたい料理とはぴったり重なっているわけじゃない。
たべたくとも、つくるのをあきらめるとき、目の前に立ちはだかる壁を構築しているのは、だいたい「腕前」と「予算」だ。そこに「常備していない材料」を足してしまうと、それなりに強固な壁ができあがる。壁を打破しようと奮起するときもないではないけれど、頑張ってつくってみた料理って、その後、日常のベンチ入りはあまりしない、とも、わかってきてしまった。
シチューについては、主に腕前の壁が立ちはだかる。粉使いが不得手だからさ、億劫になる。小麦粉、片栗粉、どちらも、レシピの材料リストに見つけると、いったん目を逸らす。魚をフライパンで焼くとき、おもてに小麦粉をはたくのも、まんべんなくまぶせないのがいやで端折ってしまったり。
めんどくささから離れたところで、魚の話をすると、生鮭シチュー用角切りを買い求めたのは、秋田駅前のスーパーマーケットにて。秋田にいるときは県内の漁港で獲れた魚を選って買っていた。生鮭シチュー用角切りも、男鹿半島の北浦港で水揚げされた鮭だった。近いと安い。近いからフレッシュ。そういえば、他の土地のスーパーの店頭で、鮭をシチューに入れましょうと誘われたことはない。見落としているだけなのかもしれないけれど。
「シチューオンライス」を見知ったばかりのときは、もっと気安くシチューをこしらえていた私だった。
ハウスのシチューの素、シチューオンライスは、2017年8月に発売された。TVCMで知って、すぐ買いに行った。TVを観ることの多い日々とちっとも観ない日々が私にはランダムに訪れる。当時は前者だった。今もわりあい、そう。
シチューをごはんにかけよう、との提案は、気安く、そうだそうだと賛同できるものだった。つくるとしたら、じゃあ、その隣にはなにを置こうか、と、惑いがちだったから。炊いた白米ならば、お安い御用だ
。もちろん当時は、こんなにお米が高騰するなどは予想もせず、デフレの風に吹かれていたときだった。
シチューオンライスには、「チキンフリカッセ風ソース」「カレークリームソース」「ビーフストロガノフ風ソース」の3色の味があった。用意する肉はそれぞれ、鶏、豚、牛が望ましいとあった。カレー味ならいっそカレーをつくりたいし、牛肉は安価ではないものだから、「チキンフリカッセ風」ばかりこしらえていた。でも、どこまでも「〇〇の素」の味であることに、しばらくするとあきてしまった。ならば、そこから、一からシチューをつくろうという気運は、粉問題の壁の前には盛り上がらないままで。
シチューオンライスは、発売から6年後の2023年8月に「チキンフリカッセ風」終売を最後に姿を消したのだという。その頃には気持ちが離れていたため、売り場に並んでいない事実にも今日まで気付かずにいた私。なんとも、薄情者。
*本連載は、初回と最新2回分のみ閲覧できます。