悼むひと 元兵士たちと慰霊祭 / 遠藤美幸

あの戦争から長い月日が過ぎ、慰霊祭の姿も変わりつつある。追悼の場は元兵士たちに何をもたらしてきたのか。家族、非当事者が、思いを受け継ぐことは可能なのか。20年戦場体験の聞きとりを続けてきた著者が、元兵士たちの本音、慰霊祭の知られざる舞台裏に迫る。

やすくにの夏

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御明みあかし大作戦

 今年も靖国神社(東京都千代田区)の「みたままつり」1の季節がやってきた。7月から8月にかけて靖国神社はもっとも多くの人が訪れる時期を迎える。みたままつりとは御明みあかし(神仏に供える灯火)を掲げて戦没者のみたまを慰める靖国神社の夏まつりのこと。お盆の時期の7月13日から16日に、3万余の御明が靖国神社の境内を所せましと埋め尽くす。御明には大小さまざまな種類と献灯方法がある。戦場を体験したおじいさんたちは、「戦友の霊よ 安らかに」という強い思いがある。自らの命が尽きた後も戦友の霊を慰めたいとの一心で、「永代献灯」を選ぶのだ。「永代献灯」にすれば、毎年必ずみたままつりの時期に永代にわたり、自分の名前や所属師団名や部隊名や戦友会名など記された御明が掲げられる。それだけに「永代献灯」はかなり高額だ。1灯につき小型献灯で7万円、大型は20万円と値が張るので、個人名よりも企業名や戦友会や陸軍士官学校〇〇期などの所属団体名の奉納が目立つ。戦場で「死に損なった」と語る帰還兵たちは、「戦没兵士は自分の身代わりだ」と何度も語る。帰還兵にとって戦没兵士の供養が生涯をかけて最も重要な関心事なのである。供養の仕方は人それぞれだと思うが、「靖国で会おう」という戦時中のメンタリティを共有する帰還兵には1灯20万円の永代献灯の金額はさして問題ではない。「金をもって死ねないからね……」がおじいさんたちの口癖である。

 とはいえ、こんな高額な初穂料(価格)はちょっと無理という方には、永代ではなく毎年その都度納めるリーズナブルな価格の御明もある。なんだか靖国神社の広報担当みたいだが、1灯につき小型献灯で3,000円、大型献灯で12,000円の初穂料を納めれば誰でも御明を献灯でき、「永代献灯」と同様に所属団体名や企業名や個人名が記すことができる。

みたままつりにて。以下、御明の写真はすべて2021年7月15日撮影

 毎年みたままつりの時期になると、私が長年戦友会の「お世話係」として関わってきた元兵士や遺族の方の名前、あるいは戦友会名や連隊名が記された御明を捜して、その位置と個数を確認する。御明に見覚えのある名前を見つけると、「あぁ、今年もお元気でよかった」と安堵する。コロナ禍ではなおさらだが、献灯された御明の存在は、戦友会や慰霊祭に出て来れなくなった方々の生存確認の一つにもなっている。また、すでに鬼籍に入った方々の御明を仰いでは、在り日姿に思いを馳せる。この連載(第3回永代神楽祭と「謎の研究者」)にも登場した龍兵団の戦友会(東京支部)の会長であった関昇二さんの御明を仰ぎながら、かつて関さんの手を引いて靖国神社の境内をゆっくりと歩いたことを思い出した。本殿から靖国通りに出るまでに30分はゆうにかかった。高齢者には靖国神社の境内は広すぎる。

ビルマ戦関係の御明 

 このような在りし頃の戦友会の思い出にノスタルジックに浸るだけでなく、誰が、どんな団体が何灯の御明を献灯されているのか、毎年の「御明ウォッチング」を楽しみに靖国神社に出かけるのだ。我ながらつくづくマニアックな行為だと思う。靖国神社のみたままつりだけに、「靖国史観」との密着度が濃厚なのはあたりまえ。御明を眺めてみると、自覚的であれ無自覚的であれ、「靖国史観」の表明がこれほどわかりやすい場は他にない。一目瞭然なのだ。大型の「永代献灯」には旧日本軍関係者や関係団体以外に、安倍晋三元首相など保守系右派の閣僚の個人名がずらっと並んでいる。価格を提示するのはあまりよろしくないもしれないが、御明のイメージがつかみやすいのであえて書く。「永代献灯(大型)」の1灯(20万円)に個人名や団体名を記すのもよし。もう少し目立つには1灯に1文字ずつ団体名を記すのもよし。例えば、団体名では「英霊」の慰霊と顕彰がミッションの「〇英霊にこたえる会〇」2は会のマークが名前の前後に入って10文字で200万円也。靖国神社の熱烈なファンクラブの「靖国神社崇敬奉賛会」3は、9文字で180万円也。「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」4は名称は長いだけに値段も張って380万円也。今年の注目すべきニューフェースは参政党だ。7月の参議院選挙で1議席を勝ち取った参政党の各支部の「永代献灯(大型)」が初参戦した。歴史研究者として見逃せないのは、歴史修正主義の旗振りである「新しい歴史教科書をつくる会」だが、13文字の御明を掲げて260万円也。「日本人としての誇りを取り戻すため」の「正しい歴史教育」に対する並々ならぬ決意のほどが御明にも表れている。

安倍晋三元首相及び政府高官らの御明

新しい教科書をつくる会の御明

100灯の御明

 さて、「永代献灯(大型)」を個人奉納した帰還兵のなかでもその個数で他の追随を許さない「強者」がいる。第2師団歩兵第16連隊(新潟県新発田しばた)の角屋久平すみやきゅうべいさんだ。2014年のみたままつりで、角屋さんは33灯もの御明を「永代献灯(大型)」を奉納した。驚くなかれ、総計660万円也。高級車が買える金額である。角屋さんが33という数字にこだわるのには相応の理由がある。33は角屋さんの出兵時の「認識票」5に記された認識番号であった。そして、出兵時の歩兵第16連隊(新潟県新発田編成)の同年兵の数も33名。つまり、角屋さんは同年兵33名のうちの33番目の出征兵だった。1942年11月17日宇品港(広島県)から33名は出発し、フィリピン、マレーシア、ビルマ(現ミャンマー)、中国雲南の激戦で戦って、1947年5月に宇品港に復員した。復員兵33名のうち日本の土を踏めたのはわずか6名で、そのうち2014年7月の時点で生存者していたのは角屋さんただ1人(当時92歳)。戦場からの生還率はわずか2割にも満たなかった。

 戦後70年の節目の2015年のみたままつりに、角屋さんはさらなる大胆な行動に出た。家族に内緒で「永代献灯」を一気に67灯も増やしたのである。なんとキリよく100灯!(総計2,000万円) には畏れ入った。高級車どころかマンションも買えそうな値段である。さすがの家族も開いた口が塞がらなかったという。

角屋久平さんの100灯の御明 

 その角屋さんも2018年2月に亡くなった(享年96歳)。勇会(第2師団(勇兵団)の戦友会)の一番の元気者だった。徴兵検査は甲種合格の現役兵。娘の恵美子さんは、「兵役の年金(恩給)でコツコツ永代供養の堤灯を増やして喜んでいました。100個の提灯は、父の慰霊の気持ちに違いないのですが、『生き残って申し訳ない』という兵隊特有の感覚だったと思います」と語る。我が子や孫たちのためにではなく、御明に財産を使い果たしたいと願う帰還兵は、決して角屋さんだけではない(これほどの方はそうはいないが)。「戦没者ファースト」は帰還兵のごくありふれたメンタリティの一つなのだ。

 角屋さんは戦友会では両手を高く揚げ、同年兵の生き残りの6という数字を示しながら、「わしは戦地で死んだ同年兵のことを片時も忘れたことがないんだ!」と大きな声で熱く語った。戦友会では毎度お馴染みのフレーズなのだが、角屋さんにとって何度でも死ぬまで語り続けたいエピソードだった。角屋さんは生きて祖国の地を踏めなかった27名の同年兵の代弁者であり、最後の一人になっても戦友の無念を叫び続けていた。今夏も角屋さんの100の献灯が明々と九段の夜空を照らす。来年も再来年も永代に……。

靖国参拝に訪れる「ふつうの人たち」

 靖国神社のみたままつりと同じように、8月15日の靖国神社参拝も盛夏の風物詩の一つ。

 猛暑の中、家族連れや若者たちが参拝の長蛇の列に並んでいる光景は珍しくない。年に一度の「終戦記念日」に、戦争で尊い命を捧げた戦没者(「英霊」)に手を合わせるためにやって来る。かつてはその列に戦友会で顔馴染みのおじいさんを容易く見つけることができたのだが、いまとなっては彼らの姿はもうない。当時、たとえ見かけても気軽に声がかけられなかった。遠目でも近寄りがたい気迫に圧倒された。

 2018年に、タレントのつるの剛士の『バカだけど日本のこと考えてみました』(ベスト新書)というタイトルの本が評判になった。最近ではつるの剛士は「イクメン・タレント」としても主婦層にも人気がある。つるのは「自分はバカだけど……」と自嘲することで敷居をぐっと低くして、自分は何ら政治的な意図はなく、祖先の墓参りの感覚で毎年靖国参拝をしているだけで、戦没者に手を合わせることで、「右」のレッテルを貼られるのはおかしいと疑問を呈している。そして、なぜ立場のある政治家は、先人の墓参りをするのに「そんなに他国の顔色を窺わなくてはいけないのでしょうか」と述べている6

 「ふつうのおじさん(お父さん)」というていのつるの剛士のこのような発言や文言は一見政治色を薄めているように見える。でもそうでもないようだ。これまで首相や政府高官らが「靖国参拝」しつづけてきたが、その理由はつるの剛士のそれと大差がない。その意味では、彼は靖国神社擁護論者、すなわち「靖国史観」を支持する立派な論客の一人なのである。同時に、この捉え方は決して保守系右派にとどまらず、「国のために戦った方たちのおかげでいまの日本があるのだから、8月15日にお参りするのは日本人としてあたりまえ。そもそも『参拝』という心の問題に中国や韓国がとやかく言うのはおかしい……」と語る「ふつうの人たち」を代弁してもいる。

 政治家の面々はともかく、8月15日前後に靖国神社を訪れる「ふつうの人たち」にとって、靖国参拝は素朴な愛国心の発露にすぎない。そして国のために命を落とした「英霊」に手を合わせるという良さげな行為に浸ることができる「素敵なセレモニー」なのだろう。

 中国や韓国は、帰還兵や遺族が慰霊祭に参加したり、日本の一般人やタレントが靖国神社を参拝したからと言って逐一文句を言ってきたりはしない。ただし、国を代表する首相や政府高官らの公式参拝となるとそうはいかない。

みんなで参拝すれば怖くない

 戦時中、日本軍国主義と侵略戦争を遂行するための精神的な支柱とされた靖国神社に、1978年秋にA級戦犯14名が合祀された。侵略戦争の首謀者であったA級戦犯が祀られている場所に、日本国の代表の首相や政府高官らが参拝することで、国際社会、とくに甚大な被害を受けた中国や他のアジア諸国などから批判が出るのは当然である。しかしながら「靖国史観」に傾倒している政治家は、先の戦争においても日本の正当性に重きを置いているだけに、靖国神社に祀られている「英霊」を政治家という立場で参拝するのに何ら違和感はなく、むしろ批判的あるいは反省的にとらえる人々を「自虐的で日本人としての誇りに欠ける」として蔑むのである。最も問題なのは、国を代表する首相や政府高官らの多くが日本が行った侵略戦争の実態を詳しく知らないことだろう。「南京虐殺はなかった」、「慰安婦の強制連行はなかった」、「自存自衛およびアジア解放戦争だ」というような歴史観を抱いて靖国参拝をする政治家たちを、舌筆に尽くしがたい被害を被った中国や韓国が批判するのは当然である。敗戦国の日本が国際社会に復帰する条件の一つは、二度と軍国主義化することなく過去の戦争に対する深い反省を持ち続けることであった。それが小泉、安倍政権下において次第に薄れてきたことは周知の通りである。同じ献灯でも戦場体験者や遺族の提灯と、国を代表する政府高官らやその価値観に追随する各保守系右派団体の提灯では、数の差だけでなく、その思いの深さや意味にギャップがあるように思う。

 2021年末に超党派議連の国会議員99人の一斉参拝について、韓国政府は植民地収奪侵略戦争を美化する象徴的な施設である靖国神社に参拝したことに深い憂慮と遺憾の意を表明した。そのうえで、歴史を正しく直視し、過去の歴史に対する謙虚な省察と真の反省を行動で示すとき、国際社会が日本を信頼できるという点をいま一度厳しく指摘した。中国外務省も同様のことを述べており、「自らの侵略の歴史を反省しないという日本側の間違った態度を反映しており、断固として反対する」と強く反発した。そのうえで、「日本は、侵略の歴史を直視して深く反省し、実際の行動でアジアの近隣諸国と国際社会の信頼を得るべきだ」と述べた。

 岸田政権下でも2022年4月の春の例大祭に超党派議連103人がそろって靖国神社を参拝した。「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」として自民党、立憲民主党、日本維新の会などの超党派の衆参両院の国会議員がみんなで仲良く足を運んだのだ。会長の自民党の尾辻元参議院副議長は、ウクライナ情勢を鑑み、「世界の平和が危機にひんしているので、改めて平和を祈った」と語った。歴史的にも戦争と侵略の精神的支柱となり国のために命を落とした戦没兵士のみを「英霊」として祀る靖国神社に、「世界平和を祈る」とは……なんともアイロニカルな発言である。


 何を隠そう戦友会の「お世話係」であり続けている私は、もう数えきれないほど靖国神社の本殿まで上がって「参拝」しているのだから、こんなことを書いていること自体、まさにアイロニカルな言動そのものなのだが、少なくともお偉い政治家の先生よりは侵略戦争の内実を知っているつもりだ。もし歴史認識や研究者の立ち位置から靖国神社や戦友会を忌避したとしたら、ありきたりのことをありきたりに語るだけの詰まらない戦争研究者になっていたかもしれない。今がそうではないと言えるほど厚顔ではないが……。

 何はともあれ、日本を代表する首相・元首相や政府高官をはじめ「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」の皆さんのおかげで、「ふつうの人たち」は靖国神社を参拝する「正当性」を得ている。安倍元首相や閣僚と旧統一教会の関係が頭をよぎる。政治家が「広告塔」になることで、宗教に「お墨付き」を与え、場合によっては入信者を増やすことになる。そんな構図が目に浮かんだ。

美化された「英霊」

 先日、知覧(鹿児島県南九州市)の特攻基地で、多くの特攻兵の面倒をみたことで「特攻兵の母」として慕われた鳥濱トメさんを主人公にした舞台を観劇した7。「若者の未来を奪うような戦争はいけない」というメッセージがあちこちに散りばめられた良質の演劇ではあったが、最終的に特攻死した若者を「英霊」として靖国神社に祀ることで英雄視し、「美化」するような演出には違和感を覚えた。成算のない特攻作戦を次々に敢行する理由について師団参謀長が、「祖国を守るために命を惜しまずに特攻する日本男児の気概を見せつけて米軍に怖れを植え付けるのだ」という主旨の発言をする場面があるが、上層部の極めて無責任な暴論と感じた。同僚が、後輩が、先輩が次々に飛び立つ中で、もう自分も後には引けない窮地に追い込まれ、生き残る望みのない特攻作戦に駆り出されていく。「日本男子の本懐」というセリフがあったが、自分が何のために死ぬのか、死なねばならないのか、出撃直前まで反芻し続ける苦しみは私たちの想像を絶する。劇中で特攻兵は最期に「愛する人(親兄弟や故郷)を守るために死ぬ」と語るのだが、愛する人のために生きてほしかったと、少なくとも母親たちはそう思ったにちがいない。彼らが命をかけて守った祖国はいま彼らに顔向けができるような国になっているのか……。靖国神社で手を合わせるよりも無念の戦没兵士のためにやらねばならないことがあるはずだ。

元特攻兵からの手紙

 航空特攻の出撃支援をした元航空整備兵の小野豊さん(少年飛行兵9期)は、整備兵として傍らで彼らの運命を見届けた。現実は私たちが思い描くような綺麗ごとでは済まされないと小野さんは語る。

 「出撃前に足がすくんで操縦席に上がれない航空兵を無理やり操縦席に押し込んだ。中には失禁する者もいた」と証言している。小野さんは「そんな彼らがその後何事もなかったかのように飛び立って行く姿が今でも忘れられない」と語る。

 小野さんは、特攻兵の心情は手に取るように分かる立場にあった。そのような小野さんの元に、2001年8月31日付で、戦友の元特攻兵から一通の手紙が届いた。送り主は陸軍第111振武隊隼若桜隊員の島田昌征さん(少年飛行兵第15期)。手紙の冒頭に、2001年8月13日放映の長野放送の終戦記念番組のことが書かれていた。この番組は、特攻で出撃して生き残った島田さんと海軍の2名の元特攻兵を特集した番組であった。2名は海軍の特攻兵器、人間魚雷「回天」と人間機雷「伏龍」の乗組員で訓練中に敗戦を迎えている。

 さらに手紙は続く。島田さんは遺書を書いた翌日、沖縄特攻に向けて知覧を出撃するが、不本意にも徳之島に不時着する。島田さんは、不時着後の様子を次のように記している。

 「…福岡の当時第6航空軍の本部に出頭して申告したところ意外にも『貴様、死ぬのが怖くなって帰ってきたのだろう』と怒られた当時の心境をありのままに(番組で)喋って参りました。人生も残り少なくなりましたので、真実を言っておこうと思ったからです。」

 島田さんは上官が放った『貴様、死ぬのが怖くなって帰ってきたのだろう』という言葉を生涯忘れることができなかった。こうした気持ちを長らく島田さんは人前で口に出せなかったのだが、長野放送の取材で思い切って話したのだ。そして人前で話せない苦しみを一番わかってくれる小野さんに手紙を書いて伝えた。当時の特攻兵で生きて帰ろうと思った若者はいなかった。島田さんも然りだ。それだけに生還した(してしまった)元特攻兵の心の傷(トラウマ)は生涯癒えることはなかった。

 私が観た先日の舞台でも、視界不良、機体の故障などのやむを得ない理由で知覧基地に引き返してきた特攻兵に対してひどい暴言が浴びせられるシーンがあった。

特攻と桜 裏の真実

 2019年5月14日の朝日新聞に「特攻と桜 裏の真実」という題名の投稿があった。投稿者は鳥濱トメさんのお孫さんの鳥濱明久さん。基地内で女学生が桜の小枝を振って隊員を見送る有名な写真があるが、明久さんは撮られた背景について書いている。あれは宣撫高揚のために一度きり撮影されたもので、明久さんの叔母さんも軍命令で集められ、特攻をイメージする散りゆく桜の小枝を振った。トメさんは明久さんに「彼らは決して笑って出撃したのでない。本当は故郷で親兄弟や愛する人と一緒に暮らしたかったのだ」とよく話していた。投稿の中で明久さんは、戦争を二度としてはならない。でもそれは歴史の表面だけでなく裏に隠された真実を知ってこそだと結んでいる。

 小野さんは「元特攻兵の島田昌征さんの苦悩と鳥濱トメさんという市井の女性の存在を忘れないでほしい」と語った。鳥濱トメさんと一緒に知覧特攻平和観音堂前で撮った写真が同封されていた。トメさんは特攻隊員の慰霊のため、戦後知覧の観音堂建立のために奔走し1955年9月に悲願が叶った。その3年後に島田さんはトメさんと共に知覧の特攻平和観音を参拝した。

鳥濱トメさんと島田昌征さんの写真(知覧特攻平和観音堂、1958年5月22日撮影)

 私は小野さんが亡くなる少し前に、島田さんの手紙と写真を手渡された。特攻兵を安易に「美化」してはいけない。特攻の当事者たちの本当の言葉に耳を傾け、「英霊」として美化することで覆い隠されてしまう歴史の真実に目を向けるべきである。小野さんは私にそう言いたかったのだと思う。

 戦争はいけないのだという観念で捉えるのではなく、事実を一つ一つ積み上げていく過程で見えてくる戦争の実態を知ること。それが「二度と戦争はしない」と不戦を誓う思いに繋がり、戦没兵士を悼むことに繋がる。

戦没者を悼む場所

                
 様々な政治的な思惑で靖国参拝をする政治家の面々と、前述の100灯の御明を献灯した角屋さんとは「靖国参拝」への熱量が相当に違う。もちろん帰還兵の戦場体験も十人十色で、「靖国参拝」に対する考え方もさまざまだ。毎年戦友会主催の靖国神社の戦没者慰霊祭に万難排して参列する帰還兵や遺族もいる。遺族の高齢化とコロナ禍により靖国神社に参拝することがますます難しくなっているのが現状である。80歳になるご婦人は「ビルマで戦死した父のために靖国に参るのは私の代でおしまいです、もう娘や孫は来ないでしょう……」とポツリと語る。ビルマ戦の撤退時に、第56師団の元軍曹は、衰弱して立てなくなった同郷の同年兵が、「『俺は死んでも一度も行ったこともない靖国神社なんかに行かんぞ。故郷に帰るんだ。おまえも靖国なんかに行くな』と言って絶命した」と語る。元軍曹は自身が亡くなるまで、故郷で、月に一度の同年兵の墓参りを欠かすことはなかった。また、中国戦線からの帰還兵は、戦後、深く加害を反省し、反戦平和と日中友好を訴える活動を行ってきた。このような方でも「靖国神社が日本の軍国主義の発展に重要な役割を果たしたことを承知していても、それを知らずに純粋な気持ちでお参りする他の戦友や遺族に対して『それは違う』とはなかなか言えません」と語る 8。「靖国神社の本質」を知らない人たちが純粋な気持ちで亡くなった身内や戦友のみたまを慰めるために参拝するその気持ちは私にもよくわかる。不肖「お世話係」は、靖国神社に参拝するために東北や九州から遥々上京する高齢の遺族のお供をした経験が何度もあるからだ。「亡父のために参るのはもうこれが最後だと思うのです……」と語る遺族の女性に対して「靖国神社に行くな」なんてどうして言えようか……。私自身、「靖国神社の本質」を知れば知るほど、靖国神社が戦没者慰霊には適していないと認識するようになった。だが、戦友会の「お世話係」として慰霊祭を取り仕切る立場であるため、自己矛盾に長年苦しんできた。この葛藤に今も苦しんでいる。

 日本遺族会の人たちが親族の兵士たちに敬意を表して戦没者慰霊をしていること自体を何ら批判するものではない。戦没者慰霊は人としてあたりまえの行為である。

 既に述べたように祀る人物を選別する靖国神社は中立や自由といった現代の民主主義国家とは程遠い国家主義的な思想(イデオロギー)をもった特殊な神社である。このような神社に日本の首相や政府高官らが公式参拝することは重大な意味をもつ。日本の国家は靖国問題を解決して、アジア・太平洋戦争で被害を被った国々に真に信頼される国家に生まれ変わる必要がある。

 近年精力的に靖国の歴史問題に取り組んでいる弁護士の内田雅敏は、戦没者の追悼を一宗教法人に過ぎない靖国神社に委ねるのではなく、国が主導して誰でも参加できる無宗教の国立追悼施設を設け、不断に死者たちの声に耳を傾けるべきだと主唱している9。そこは皇軍兵士の戦没者だけでなく、民間人や外国人も選別されることなく、全ての戦没者が祀られる場であるべきだ。


 2001年、小泉元首相の靖国神社参拝が外交問題になったことを受け、同年12月、小泉政権の福田康夫官房長官の私的諮問機関として「追悼・平和祈念のための記念碑等建設の在り方を考える懇談会」が立ち上げられた。同懇談会は一年ほど議論を重ね、2002年12月に、「先の大戦による悲惨な体験を経て今日に至った日本として、積極的に平和を求めるために行わなければならないことは、まずもって、過去の歴史から学んだ教訓を礎として、これらすべての戦没者を追悼し、戦争の惨禍に深く思いを致し、不戦の誓いを新たにした上で、平和を祈念することである。これゆえ、追悼と平和祈念を両者不可分一体のものと考え、そのための象徴的施設を国家として正式につくる意味がある」として国立追悼施設の必要性を訴える報告書を作成した。この報告書は、「アジアで2000万人以上、日本では約310万人の死者を出した先の戦争を反省し、『政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し』という憲法の前文を制定し、戦後の出発をした歴史的事実を踏まえた上で、顕彰でなく、追悼によって非業、無念の死を強いられた死者たちの声に耳を傾けようとするものである」と記されている10

 福田康夫元首相(任期2007年から2008年)は、2015年2月21日の毎日新聞のインタビューで、「国立追悼施設が必要とした懇談会の提言は、今も生きている。国民が『(首相の靖国参拝の)何が悪い』みたいな意見ばかりになればまずい」と答え、国民的な議論の必要性を訴えた。同時に、当時予定されていた安倍首相の戦後70年談話についても、「過去の反省、戦後の歩みの評価、未来への展望の3点を入れないと意味がない。過去の反省なくして戦後の評価もしにくいし、重みがなくなる。過去の首相談話をしょっちゅう変えるようでは国家として信用されない」と語り、村山首相談話など、歴代首相の談話を踏襲すべきだと述べた。

 戦争で亡くなった方々を遍く追悼する場、それは「靖国神社」ではない。

 「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」の政治家の皆さんには、ぜひ、「みんなで国立追悼施設をつくる国会議員の会」に鞍替えして頂きたい。国立追悼施設ができたあかつきには、靖国神社のみたままつりで、御明はお好きなだけ献灯していただいてかまいませんので……。

 

 

*本連載は、初回と最新2回分のみ閲覧できます。

  1. 靖国神社によると、みたままつりとは「国のために尊い命を捧げられた英霊をお慰めする行事として昭和22年よりはじまり、例年、各界名士揮毫(きごう)の懸(か)けぼんぼりのほか、靖国講、ご遺族、戦友、崇敬者の方々から献納いただいた3万灯もの『みあかし』が社頭に掲げられる」とある
  2. 1976年創立。会長は寺島泰三(日本郷友連盟会長、元総合統幕僚会議議長)。国のために尊い命を捧げられた英霊の慰霊・顕彰を行い、首相の靖国神社公式参拝を求める会。国内すべての都道府県に地方本部を置く(英霊にこたえる会公式HPより)。
  3. 日本を愛してやまかった英霊の弛まぬ努力と切なる想いを、いついつまでも伝えていきたいと平成10年12月に設立(靖国神社崇敬奉賛会公式HPより)。会長は中山恭子。
  4. 日本の超党派の議員連盟。春と秋の例大祭や終戦記念日の8月15日に靖国神社へ参拝することを目的とする。2021年12月7日に、会長の尾辻元参議院副議長他、自民党、日本維新の会、国民民主党などの衆参両院の国会議員99人がそろって参拝した。
  5. 認識票は旧陸軍が戦争に赴く兵士が必ず携帯する小判型で真鍮製のメダルのようなもの。所属部隊と各自の認識番号が刻印され、戦死しても認識票から本人が特定できる。
  6. つるの剛『バカだけど日本のこと考えてみました』ベスト新書、2018年、42-43頁。
  7. 「帰って来た蛍~令和への伝承~」(俳優座劇場 2022年7月23日~31日)
  8. 季刊『中帰連』第24号(2003年3月)16~17頁。この号の特集は靖国神社と皇軍兵士。
  9. 内田雅敏『靖國神社と聖戦史観』藤田印刷エクセレントブックス、2021年、286頁
  10. 内田、同著、290頁。