鬼画島 / 寺田克也

子供のころに出会った昔話では、鬼はたいてい悪者と決まっていた。だが、ちょっと待ってほしい。人に人権があるように、鬼にも鬼権があるはずだ。多様性重視のこの時代、いつまでもあんなガキと動物に、やすやすと殺されていていいわけがない。正義のありかはどこにある? そもそも鬼って何だ⁉ 寺田克也が絵とエッセイでくりひろげるシュールな冒険譚。描かれるのは福音書か、それとも黙示録か?

光ってる鬼。

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黒水晶のようなツノ

 獣も通わぬ深い深い森を湛えた巨きな山の中腹に、その鬼は佇んでいる。すでにとっぷりと暮れた空は薄く陽の名残りを含んではいるが、すでに夜の帳はすぐそこにある。湿った空気をたっぷりと含み重く膨らんでいた雲々は、薄ら寒さを伴って上空を吹き渡る暗い風に千々に解きほぐされつつもなんとか山の峰にしがみついて沈んだ太陽を遮っている。
 鬼はそれらを眺めているように見え、空を仰いで平らなひとり舞台のような巨岩の上にいる。黒々とした腰までもある長さの髪は、樹脂で固めたかのように房ごとよじれて絡み合っていて、風にもほとんどそよがない。ただところどころ房から逃れ出たものが不規則に揺れている。奥まった鬼のその瞳は緑色に燐光を放っており、縦に細い瞳孔は夜を貫いて視線は空にある。巨軀である。申し訳程度に熊の毛皮を腰に巻いている以外は裸だ。鋼のような強靱な筋肉を内に秘め鞣した革のような紫色にも見える皮膚の表面がゆったりとした呼吸と共にうねる。牙の存在を容易に読み取れるその口は、への字に結ばれている。揺るがない。そんな大きな鬼がひんやりとした岩の上にいた。

 額から二本突き出したツノは左右からやや扁平に潰れた形をしている。叩けば高い金属音がしそうなその硬質のツノは、根元はまさに角質化した獣のツノを思わせる質感だが、中程から先端にかけて透明度が増して質感は黒水晶のようだ。かすかに内側に灯火のような青い光の粒がゆるやかに動くのが見える。何か鬼の思索に沿って薄く明滅しながら運動してるようにも見えるが、鬼の考えていることがわかるわけもなく、ツノはただただ脈絡もなく生物的な反応で光っているのかもしれない。それを冷えてきた風になぶらせながら、身じろぎもせず鬼は立ちつくしている。いつのまにか陽と入れ代わりに中天ちかく昇っている月の青白い光が、岩のごとく仁王立ちの鬼に静かに纏い付き、柔らかな輝きを皮膚に与えている。すでに、人であれば凍えそうな大気にも平然と鬼はそこにいた。その表情からは何も読み取ることはできないが、実際に何も考えていないのかもしれない。山河宇宙と一体化して泰然と、ただ在る、という状態なのかもしれないし、あるいは空腹を激しく自覚しながら「マジはらへったな。よしぎゅう喰いてえよ。ここんとこ山犬とか木の根っこしか食べてないし。」とか思っているのかもしれない。鬼も生きている限りは飢えるという状態がある筈だから不思議ではない。
牛丼鬼盛りの鬼

 どうせ牛丼を食べるならば鬼には「超特盛り20杯に生卵10個落として、紅ショウガ鬼盛り。味噌汁はバケツいっぱい欲しい。」とか思っていて欲しい。地元の人間たちには「牛丼鬼盛りの鬼」と呼ばれて畏敬の対象でいてほしい。「鬼」が重複してるくらいが激しくていい。当然の事ながら鬼は人間界での貨幣経済の外にいるので現金などは持ち合わせていない。では支払いはどうしているのか。鬼の腰巻きをよく観て欲しい。腰回りを縛った荒縄に無造作にたばさんでいるのはSuicaのカードだ。ふもとの地場産業を一手に束ねている顔役が鬼の信奉者で、鬼に奉納したものだ。オートチャージなので手間もなく、牛丼をいつでも食べられるようにしたのだ。なので鬼はいつでも食べたいときに牛丼にありつくことができた。だが鬼には鬼の矜持があり、そういつもいつもただ飯を人間ごときに恵んでもらいたくはない。ないが、たまにはいいじゃないか。それが今日ならばこれから牛丼屋に行こう。お礼には後日いつものように熊か猪を玄関先に置いてやろう、などと緑色に光る目の奥で考えているかもしれない。もちろん牛丼屋の店内には巨大なその躯は入らない。したがって店員が、山を下りて道路を越えてやってくる、平屋建てより少し頭が低いくらいの鬼を視認した時点でオーダーは完了し牛丼が外に運ばれる頃には店先に鬼が到着する。無言でそれを受け取りSuicaで支払いを済ませた鬼はその場に座り込んでゆっくり食べ始める。表情に変化はないのだが、ツノの明滅する光が青からオレンジ色に変わっている。それはもしかしておいしい、という鬼の意識を表しているのかもしれない。鬼が山を下りてきた報せはふもとにすでに広まっているので、集まってきた人々が遠巻きに牛丼に舌鼓を打つ鬼を眺めている。皆が一様にいいものを観ている、という顔である。無遠慮にスマホで写真を撮る者などはいない。誰もがしあわせそうな表情で、まるで荘厳な大自然というか神聖なものを見守っているようだ。拝んでいる人さえいる。泣いている老人もいた。    
 やがてすべての牛丼を平らげた鬼は満足げにツノを柔らかくピンク色に明滅させながら山に戻っていく。大勢いた人間たちもちりぢりにその場を引き上げていった。月光を供に鬼が黒々とした木々の影を揺らしながら山に分け入って姿を消してしばらくした後、後片付けをしていた牛丼屋の店員は山から届いた大きなげっぷを耳にする。布巾を洗い絞って干した後、「今日はいい日だったな」とひとりごちて食洗機のスイッチを入れる。

 

 

 

 

 

 

*本連載は、初回と最新2回分のみ閲覧できます。