県内の工業高校で数学の教師を務める青鬼の尾丹先生はとても生徒に厳しい。
歴代の生徒たちは「おにせんせい」と陰で呼んでいたが、出自も本名も「おに」なので全然気にしてない。にんげんの子供たちの思春期はとにかく扱いがむずかしいのだが、尾丹先生はなんせ本物の鬼でもあるので、そのあたりは睨みが効いていて、相当厄介な生徒にすら一目置かれている。せんせいもその自覚があるので必要以上に怒ったりはせず、淡々と授業をこなす。教え方は理路整然としていてわかりやすさにも気を配り、勉強したい生徒のあいだで受けはいい。
ただし教室内での勉強態度が悪いと鬼になる。元々が鬼なのでそれはそれは怖い。
「おめえらー、調子ばーのりよったら承知せんぞこら。取って喰うちゃろーか」
それで教室は水を打ったように静かになる。
全然騒いでなくても気の弱い子はちょっと漏らしたりする。
尾丹先生は本当は勤続18年程度なのだが、生徒たちの間では学校創立以来ずっとここで数学を教えているという噂がある。つまりは150年間学校にいる事になってる。尾丹せんせいにそれを言っても真顔で「そうじゃったかもしらんな」とか言う。
噂はもっとある。
いわく、昔、校内で暴れて窓ガラスを割った不良をその場で殺して皮を剥いだ。
いわく、その頃他校から攻め込んできた不良グループ100人をひとりで退治した。
いわく、県内の不良グループの抗争にひとりで乗り込んで1000人を病院送りにした。
先生は無傷だった。
いわく、女子生徒に手を出した男子生徒の股間をツノで潰した。その卒業生はそれ以来金玉がひとつしかない。(けど今は結婚して子供も5人いる)
いわく、桃太郎と戦った事がある。
いわく、マジで怒ると身長が3メートルの赤鬼になって暴れ回る。校庭の隅にある学校創立者の銅像の頭部が凹んでいるのはその時から。
もちろんすべて噂の域をでないエピソードだが、凹んだ銅像の頭部をよく見ると、巨大な平手ではたいたように見え、指先にあたる部分には不自然な指紋のようなへこみがあってなにやら落ち着かない気持ちにさせられるのだった。
先生にその事を尋ねても「そんなことはどうでもええけん、数学の勉強せえ」と言うだけだ。
尾丹先生の口癖は「数学わかっとったらなんでもできるんじゃ」だ。
今の社会を支えているのは数学なのだ、だから数学をきちんと修めて社会に役立つ存在になれ、という。実際に過去の教え子の中には、先生の授業で開眼し理数系に優れて海外に渡りIT業界で起業して成功したものもいた。
「ほうじゃけ、おめえらーももっと勉強せえや」
過去に一度、節分の日にひとりの生徒がたちの悪いいたずらをした。
昼食後かならず教室の椅子で昼寝をする尾丹先生の頭にらくがきをした。それがばれたとき、教室中の誰もが、鬼先生が激怒して赤鬼化すると思い生きた心地もしなかった。先生はしばらく瞑目した後、ゆっくり頭部のらくがきを拭き取り言った。
「そろそろ授業じゃけん。準備せえや」
静かに言い置いて教室を後にするとき、悲しげな表情に見えた。教室は気まずさで水を打ったようになり、いたずらをした生徒はその場で吐いた。
卒業式になると鬼先生は大人気になる。
鬼先生に頭をぐりぐりされると卒業後いろいろうまくいく、というジンクスによるところも大きいが、やはり生徒先生、誰に対しても分け隔てのないスタンスに好感をもたれているのだろう。群がって頭をぐりぐりしてーや!おにせんせい!と大騒ぎになる。頼まれれば苦虫を潰した顔のまま、しかしどこかほっこりした風の尾丹先生はひとりひとりやや乱暴に髪ごと頭をかきみだす。そういうフィジカルコンタクトを嫌う生徒にはもちろんやらない。そういう生徒の中には遠巻きに、でもどこかうらやましそうに頭ぐりぐりを見つめている者もいる。
その日の行事がすべて終わり尾丹先生も帰宅する。ジャケットを丁寧にハンガーに掛け、ワイシャツを脱いで背中のいたずら書きに気がつく。
「ほんま、おえりゃあせんのう」
苦虫を潰した顔のままそう呟いてシャツを洗濯機に放り込むと食事の支度をする。
どこからか鼻歌が聞こえてくる。
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