鬼画島 / 寺田克也

子供のころに出会った昔話では、鬼はたいてい悪者と決まっていた。だが、ちょっと待ってほしい。人に人権があるように、鬼にも鬼権があるはずだ。多様性重視のこの時代、いつまでもあんなガキと動物に、やすやすと殺されていていいわけがない。正義のありかはどこにある? そもそも鬼って何だ⁉ 寺田克也が絵とエッセイでくりひろげるシュールな冒険譚。描かれるのは福音書か、それとも黙示録か?

「泣いた赤鬼と消えた青鬼」

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 さて赤鬼が泣いた話だが、これはとても有名な童話なのでご存じの方も多々おられると思う。ざっくりかいつまんでみると、友達の赤鬼の評判をあげる為に青鬼が一計を巡らせ、めっちゃ悪役を演じる自分から人間を守らせて一発逆転人気を得ようぜの話だ。
 泣けるのはその後の展開。
 一旦悪役を引き受けたからには、もう「正義の味方」になった赤鬼と仲良くしてるところを見られては困るため、黙って姿を消すという愚直なまでの友情に篤い青鬼の心情に胸を打たれ、失った物の大きさに泣きまくる赤鬼の姿が泣けるわけです。
 これは浜田廣介の1933年作の童話で、オレもこどもの頃に接して、なんとも言えない感情が胸に渦巻いた記憶がある。それはこの物語がもたらす結末を単純にまっすぐ受け取った故の感情というよりは、もっと複雑な、「え、それで解決策になるん?」という疑問交じりの感情だった。

 
 もともと赤鬼と青鬼は鬼という同族の絆で結ばれた大切な友人の筈で、それが赤鬼の、異生物である人間の評判を得たいというだけの薄い自己実現欲求の為に、大切な存在である青鬼を失うというべらぼうに哀しい話として受け取ったからに他ならない。人間からの好き嫌いより、大事な友達こそが人生においては最高の宝物だろうと! それを失って果たして赤鬼はこの後の人生(鬼生?)を気楽に謳歌できるのだろうかと! オレはこれを読んでモヤモヤしてつらかった。
 だが青鬼も青鬼で、短絡的な解決案を性急に提示して実行してしまい、自己犠牲的愛で赤鬼にとって大切な存在だった自分をないがしろにするあたりも、なかなか飲み込めない。
 本当に大切な友達だったら、もっと腹を割って「おまえ、なんで人間なんかのいいね! が欲しいんだよ! 薄っぺらいんだよ! おれら鬼はもっと孤高の存在だろ? 情けねえよ俺はっ」くらいの台詞を泣きながら赤鬼にぶつけて、それに感じ入った赤鬼も泣きじゃくりながら「俺が間違ってた! 真に友人と呼べる青鬼の存在こそが最も価値のあるものなのに! 俺のバカバカ!」と鉄棒で頭を殴りまくってSNSのアカウントを閉じるくらいの心意気を見せて欲しい。浅薄な人間たちの世間の評判に一喜一憂する風潮に一石を投じる青鬼の強き高潔な生き様こそが、それを読む子供の心になにかを残すんじゃないのか!? と小学生のオレは思ったわけです。まあその頃はSNSとかないけどな。思いました。


 
 さて、その後の赤鬼がいったいどうしたのか。そこは童話では語られてない。もちろんのことコレは童話であり寓話なのだ。読んだ人はみんながみんなオレのように作品内の心情に共感したりしなかったりで、自分の価値観とかの洗い直しができるあたりが名作のゆえんでもあるわけです。なのでくだくだしく些末な部分の描写はない。青鬼の心情に泣いちゃったところでおしまいになるわけです。でも本当に大切なものを失った赤鬼が、その後人間たちの薄っぺらなあり方に嫌気を生じせしめて、最後には鬼の本分に立ち返って人間どもを残虐に皆殺しにした後、青鬼を探して旅に出る……とか、いったんは泣いちゃったけど、やっぱ人間最高! となって惚れちゃった人間の娘と添い遂げて、青鬼の事なんか忘れちゃって幸せな一生を送った……とか、やっぱり腑に落ちねえな、と我に返った青鬼が人間の村に舞い戻って赤鬼をボコボコにした後、あれは全部狂言でしたー! とか暴露系に転身して、逆に人間たちの中でヒーローみたいに扱われて国会議員にまで上り詰めるけど、逆恨みに燃えた赤鬼に暗殺され……などの後日談も読みたい。タイトルもオリジナルの「泣いた赤鬼」の続編として、「泣いたって赤鬼」「泣いてたって♡赤鬼」「赤鬼、泣いたってよ」「泣いてない★赤鬼」みたいになんか見たことあるような奴にして。

 さて、しれっと前回予告したテーマをスルーして今回赤鬼が泣いているが次回こそは「特撮ヒーロー物に出てくるようなキャラクターデザインの鬼」が登場するといいな! な!

 

 

 

 

 

 

*本連載は、初回と最新2回分のみ閲覧できます。