しるもの時代 / 木村衣有子

味噌汁、スープ、シチュー、カレー。さまざまな形で私たちの食卓に登場する「しるもの」。脇役として主菜の引き立て役に甘んじることもあれば、弱っている時には、心や体を救ってくれることもある。とても身近で、そして変幻自在な「しるもの」にまつわるテキストを通して、食卓の<記憶>を描き出す。
著者が2020年に発行し、現在完売しているリトルプレス『しるもの時代』の続編が、短編小説+エッセイで登場!

コーヒー

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短編小説:ペアマグ

 店の前に、営業中、と記した看板というか立札みたいなものを出す前に、ヒノとぼくが使ったマグふたつをささっと洗って、かごの中に伏せておく。おどろくべきことにこの店には食洗機がない。
 全く同じ輪郭、同じ水色のマグで、どっちをどっちが使ったのかわからないんだな、と、ちらと思った。
 そもそも、日々迎える素性も知れぬお客の使った食器を、洗浄し、また別のお客に使わせるのは自明のこと。前に誰がこれで飲んだの? なんてたとえ尋ねられても、答えられやしない。
 ぼくは行ったことがない国、インドでは、ヒンドゥー教徒は、よその人の口に触れたものを避けるためにチャイの店では素焼きの、クルハル、という使い捨てカップが使われると聞いたのを思い出した。しかしそう話した人も又聞きでインドへの渡航歴はまだないと言っていた、とも。

 「ヒノさあ、去年、再会したときの太郎とやらって独り身だったの?」
 ぼくの、好奇心からの問いにはヒノは答えなかったが、前に太郎と付き合ってたときに、ね、と、前置きをして、思い出話を語り出した。

 ちょうどアパートの部屋の更新直前だったヒノは、太郎の暮らしていたワンルームマンションに転がり込むかたちになった。一口コンロしかない部屋だけに、押し入れからカセットコンロを引っ張り出してみたり、電子レンジを酷使したりして、いろいろと工夫して一緒に料理をつくるのはなによりもわくわくし、うっとりもしたという。
 せまくるしい中に漂う甘やかさは、きっと空間がより広くなれば増強かつ倍増するのではないか。欲が出たヒノは、いっそ、ふたりで新たに部屋を借りようかと提案をした。すると、すげなく却下された上に、それから太郎は部屋に帰ってこない日が続くようになったのだという。ヒノは、ああー、と、唸った。仕方ないな、と。
 なんとも諦めが早すぎる、と、ぼくは思うのだけれど。
 ヒノは、めそめそと太郎を待って夜を明かすのはどこまでも無駄でしかないのだよ、と、自らに言い聞かせ続けた。そう決め込んだらなんとかなるはず、と。そしてヒノは睡眠に逃避した。寝床に入り、ひとりなのにいつもよりもぐっとちぢこまってダンゴムシのような姿勢をつくればすんなりと入眠できたという。そういうときには決まって多幸感にあふれる夢をみるのだった。
 どこかよそへ行ってもらいたい、と、太郎に告げられたある朝、ヒノは咄嗟には悲しい顔をつくれなかった、という。心の準備をしすぎていた、そう言う。そういうところが大人気ないなわたしは、ヒノはそうも言う。いや、ぼくだって、どういう顔ができるか、わからない。

 ヒノは、転がり込んでから半年経たずに太郎のワンルームを去ることになった。おとなしく、そうすることにした。実は、次の仮住まい先ももう見つけていたし。とある女友達が、これまでふたり暮らししていた2LDKの部屋で今はあれこれあってひとりでいると知るや否や、素早く連絡をし、話をつけていた。
 太郎のワンルームに持ち込んでいたヒノの所持品あれやらこれやらを詰めた段ボール箱が女友達のところに無事に届いて、ヒノが封を開けていると、ひとつ、その箱に自分では入れていなかったはずのものが紛れ込んでいたという。
 「なに? こわい話?」
 そんなんじゃないよ。太郎とお揃いのマグの、片割れ。
 どうも苛立った調子で、ヒノは答えた。ぼくはいつも通りのつもりでも、太郎の話をはじめてからのヒノはいつもよりピリピリしている。
 しかし、ペアマグ。そんな通俗的なアイテムもふたりのあいだに置いてしまうべたべたな暮らしをしていたのか、妙に感じ入っているぼくに、ヒノは黙ってiPhoneの画面を示した。覗き込むとたしかにマグカップがひとつ映っている。水色だ。つるっと光っていて磁器かと察される。なぜ写真を撮ったのだろう。
 さて、きっちり巻いてあったというプチプチを解いて、マグの中をヒノは覗いた。なにかメッセージでもあるのかしらん、と、思ってのことだった。しかし、空っぽだった。
 せっかく、ぎゅうっと押さえ込んで屈服させていたはずの感傷がにじみ出し、マグを満たしてしまうのではと危ぶまれた。
 そこで、荷解きを手伝ってくれていた女友達が後ろからひょいと覗き込み、無邪気に言った。きれいだねそのマグカップの色、と。
 そこで、マグの来歴を言い出せないまま、ヒノはマグを、ダイニングテーブルの上に置いた。
 ふと、疑問が湧いたという。
 これって、わたしと太郎、どっちが使っていたマグだったっけ?
 色もフォルムもサイズも全く同じなので区別せずに使っていたはずだった。たしかに、名前を書くようなものでもないし、お揃いの生活用品って、そんなものだろう。
 女友達の食器棚には3つ4つマグが入っているのがわかって、ヒノは、太郎の部屋に転がり込む以前にすでに手放していたご飯茶碗や箸置きなどと同じように、とりあえず貸してね、と、使わせてもらおうとしたのだけれど、女友達は淡々と言う。
 いいマグカップ、持ってきてたじゃん、なんで使わないの。
 当時、ヒノのお財布の中には余裕はなかったし、マグを新調する以前に、今、切実に必要な生活用品をあがなうほうが優先順位が高いにちがいなかった。このマグには好きだった男の面影がまとわりついているのでいったんしまいこんでおきたい、と、言い出そうとしながらも、ぐっとのみこんだヒノだった。
 すでに女友達に、太郎との盛り上がりから破局までの顛末は伝えていたし、仔細に打ち明けたエピソードも幾つもあった。一緒に寝起きして長く過ごせば辛いよね、と、なぐさめられて、ううん、ほんのちょっとのあいだだったんだよ、などと返して。けれど、ペアマグについては、黙っていたかった。
 わかる、と、思って、ぼくは言った。
 「たしかにねえ、口に出してしまえば、そのまま外界に細かに散らばって薄まって消えていく思い出もあれば、もういっぺん自分の耳から入ってきて、頭の中に長いことこびりついてしまう黒歴史もあるよね」
 いやいや、と、ヒノは首を横に振る。
 やっぱり、ペアのマグカップを、あんな太郎の野郎と一緒に買って、浮かれて使っていたっていうのが恥ずかしかったからさあ、と、ヒノは言うのだった。

 とまれ、とりあえずヒノは片割れのペアマグで、主にコーヒーを飲んで、2LDKの片隅で暮らした。コーヒーはヒノが淹れた。
 太郎のじゃなくてわたしのマグだ、と、太郎がいないかつての晩のように強く言い聞かせるようにしながら。わたしだけのマグ、だと。
 食器棚に並べられていたマグは、ヒノがいるあいだおもてに出されたことはなかったという。つまりヒノと女友達ふたりで来客を迎える場面はなかったということだ。女友達はというと、マグではなく、大ぶりの湯呑みを愛用していた。寿司屋にあるような、ごつめの。
 ヒノがいないとき、女友達は湯呑みでどんな飲みものを飲んでいたのかはわからない。とまれ、ヒノはコーヒーを淹れるのは得意だと自負していたし、女友達もその味を褒めてくれた。ただ、日常的に肌を触れ合わせることのない間柄の人と合鍵をいつまでも共有できるほどの特技じゃない。

 ヒノが2LDKに住まわせてもらうようになったのは晩秋で、それから年が明けてしばらくして、洗濯機の使いかたや夜更けの帰宅や家賃もろもろにあまり気を使わずに済む住処を、ヒノは見つけた。その頃になると、マグを新調するくらいの余裕もお財布の中にはあった。
 ヒノは女友達に、しれっと言ったという。
 このマグ、もらってくれない? と。

 むしろ、不燃ゴミに出したり、いっそ叩き割ってからそうしたり、かつてならバザー、今ならメルカリに出したり、という選択肢はなかったのかな、と、ぼくは思う。あっ、写真を撮っていたのはメルカリに出すためだったのだろうか。
 ぼくの想像をまたも裏切って、ヒノは、こう言う。
 太郎じゃない人が持っていてくれたらそれはそれで心の平安が得られそうだから、ねっ。
 ヒノの物言いには、もう険はなかった。

 (了)


エッセイ:コーヒーをはかる

 レシピをみて料理をするとき、記されている調味料の量に素直に従えないことがしばしばある。
 どうにも、はかるのがめんどうになってしまって。
 料理研究家の方々には、なんのためのレシピなのか? と、きっと睨まれそうだけど、どうにもその癖が抜けない。
 そう打ち明けると、賛同してくれる人は存外少なくない。いかにも手練れで、自身の味を決めている人ばかりではなく、ごくたまにしか料理はしないという人も。そうだよねえ、と、我が意を得たりとにやりとしていた。けれど、レシピどおりにやれる人を料理上手とは思っていなかったのかも私は、と、はっとしたのはいつだったかしらん。
 30代の頃が最も反抗的だった。
 むしろここ数年は、レシピの完コピに面白味を見出せるようになっている。
 たべもののみものにまつわる新刊の書評コラム連載を41歳になる年の春から6年半続けていた。その中にレシピ本もなるべく取り混ぜていた。レシピ本の書評ってあまり世に出ていないので、ならば私めがやりましょう、そう、勝手に使命感を抱いていた。
 レシピ本を、教科書ではなく読みものとしてめくるのは楽しい。手順ではなく文脈を読み取ろうと目を凝らしたり、表紙の紙選びからはじまるその世界観に浸ってみたり。
 計量スプーンを、台所の、すぐに手に取れる位置に常備しておくようになったのはそれからだった。
 とはいえ、本道をまっすぐ歩けなくてつい脇道に入っていってしまう瞬間はまだある。おかずは目分量でつくっても大丈夫だけれど、お菓子だけは駄目駄目! きっちり計量しないとえらい目にあうよ、とはよく耳にするもので、たしかにそのとおり、私はお菓子づくりはほんとうに不得手だ。

 コーヒーを淹れるにあたっては、きっちり全てをはからなくともなんとかなる。というよりむしろ、なっているかどうかはわからないけれど、なっているはずだと信じてはいる。
 はじめて教えてもらったコーヒーの淹れかたはハンドドリップ式だった。ペーパーフィルターを使っての。25、6歳まではいろいろな淹れかたを試してみていたものの、そのあとはふりだしに戻り、ハンドドリップ一辺倒である。
 ちなみに「ハンドドリップ」は和製英語で、「ドリップする」というのも日本独特の表現で、英語では一般的に「pour-over/プアオーバー」と言い表されるとのこと。
 淹れる前に量るのは、コーヒー豆の重さ。挽く前に、スプーンを使ってはかる。
 淹れている最中には、サーバー代わりの計量カップの目盛りを見ている。
 コーヒーを自分以外の誰かのために淹れることを生業としている人はたいてい、お湯の温度もはかっている。主に自分で、自分のために淹れる私は、その一手間は端折り続けてきた。
 近年、淹れたコーヒーそのものの容量ではなく重量をはかるやりかたがずいぶん浸透してきたとは薄々知っていた。また、淹れるのにかかる時間も、はかるのを。
 そこまできっちりとコントロールしたいならば、いっそコーヒーメーカーに任せてもいいのでは、と、思ってしまう私。それでも、人の手で淹れるとある種の魔法がかかるからとどこかで信じていたいのかな、みんなも。
 ひとりひとりの味覚はきっちり安定していることなどなくて、日々わずかにぶれるものだ。だから、あてにならない。そういうときにこそ、はかれば、個人の感覚とは離れたところで、再現性を高めることができるってことで、たしかに自分以外の誰かしらに飲んでもらうために淹れるならば理に適ったやりかただね、とは思うのだ。そうはいっても、自分で飲むためだったら、自分のその日の感覚に沿うように淹れても別にかまわないよね、と、はからないでやりすごすための言い訳を考えてしまう。
 とはいえ、はからないなら、そのかわりになにかしら一手間を加えるなどしないといけないような気にもなる。どんなことをすればいいのかはまだわからない。

 豆を挽く道具、ミルについては、電気じかけのものをほんのいっとき使っていたけれど、手回し式一本にしてもう十数年経つ。手動のミルと、ドリッパー、サーバー、ポット、お湯さえ沸かせるならば電気がなくともコーヒーを淹れられる、そういう自信だけはある。かといって、山に入る趣味もなし、そんな文明から離れた場所でコーヒーを淹れる機会はこれまでそうないのに、どこかで非日常のために備えをしているつもりで、ミルのハンドルと、ポットの把手を、利き手とは逆のほうの手でなるべく持つようにしているのもそう。2年前に右手首を痛め、しばらくまともに使えなかったときにはとりあえずコーヒーを淹れられはして、不自由な中でもちょっとだけ安堵できて、よかった。
 非電化へのこだわりは、コーヒー以外にはこれといってない。
 たとえば、食パンをトーストするのに、焼き網を使ってガス火で炙ったりはせず、一般的なトースターだし、お米を炊くのは炊飯器、どちらも電気に委ねていて、今はそのことに特段迷いもない。でも、コーヒーとなると全てを電化することに抗いたくなってしまうのだった。
 ちなみに、焼き網トーストは一時期流行ったもので、焼き網は焼き網でも京都の「辻和金網」製がいいとか語られたものである。ささっと検索してみると、今でも廃れたわけではないとわかる。

 

*本連載は、初回と最新2回分のみ閲覧できます。