しるもの時代 / 木村衣有子

味噌汁、スープ、シチュー、カレー。さまざまな形で私たちの食卓に登場する「しるもの」。脇役として主菜の引き立て役に甘んじることもあれば、弱っている時には、心や体を救ってくれることもある。とても身近で、そして変幻自在な「しるもの」にまつわるテキストを通して、食卓の<記憶>を描き出す。
著者が2020年に発行し、現在完売しているリトルプレス『しるもの時代』の続編が、短編小説+エッセイで登場!

味噌汁

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短編小説:おにぎり屋の味噌汁

 ぼくは、職場で、潤滑油的な役割をひとつ担いつつあった。仕入れと仕込みのあいだの、A店長のウォーキングのお供である。週に1、2度の、その油の対価は支払われはしないが、従事していてそう悪い気はしない。A店長は、ぼくが普段勤めている店舗とはまた別の系列店の店長で、オーナーの実の妹である。店に関わる全ての人、むろんオーナーにも、なんならお客にも、彼女はA店長と呼ばれていた。呼び名は、名前の頭文字に由来する。
 いつぞや、仕事で一度だけ一緒になった、ぼくより年嵩の女性に、同性の友達ができにくいのを長いことなやんでいたのだと、打ち明けられたことがあった。それというのも、姉とずうっと仲がよく、近しい同性を他に必要としないせいだと気付いたのだと。そこまで話して、その人はすりこぎを手から離した。そう、件の「とんち」のランチの時間だった。
 姉との仲のよさに、側から見ていても感じ入るほどのA店長と過ごす時間が長くなって、その人にされた短い話を思い出している。中途半端な長さの髪をひとつにくくっていたゴムに金色の小さな飾りがついていた一点以外は、服装もなにも、その人の見た目については忘れてしまっている。むしろ、どうしてヘアゴムだけおぼえているのか不思議なくらいだ。
 「とんち」はまだ同じ場所にちゃんとあるのだろうか。iPhone上の地図には相変わらず存在しているようだけれど、そんなものはあてにならない。実際に目にしてみないといけない。というのも、A店長にくっついて歩き回っていると、飲食店とは実に儚い存在だと、酷薄に思い知らされるからだ。
 ここもつぶけた。あっちもつぶけた。
 「潰れた」を、A店長は「つぶけた」と言いあらわす。
 どこかの土地の方言なのか、それとも彼女独自の言い回しなのかはわからない。最初は違和感を持ったものの、その意味は汲み取れたので、問い返さないでいたまま、今になっている。彼女が「つぶけた」と言うと、閉業の悲しみがやや薄まり、仕方なかったことだよ、というように聞こえるのはほんとうだ、少なくとも。
 A店長は系列店全ての、それこそ器そのものというか、店舗の賃貸借契約についてなどを掌握している。新規出店時の物件探しがいちばん楽しみなのだという。そんな機会がちょくちょくあるような経営方針でも台所事情もないのに、とも言いながら、居抜きで入れそうな物件をしばしばみてまわっているA店長は、よさそう、と、目にとめた物件が、他の見知らぬ、あるいは親しくもない誰かのものになった後も、その建物の前を通りがかる度に、いちいち未練を表明せずにはいられない質でもある。あきれつつも、可愛らしい人なのだなあ、と、ぼくは感じ入ってしまう。というのは、いつもいつでも思い切りの悪い人ではないとわかったからだった。逃した物件に関してだけA店長はしつこさをみせる。わざと、そうしているのかもしれない。だったらなおのこと可愛らしくはないか。
 そう、A店長の物件探しウォーキング、というよりむしろ、逃した物件案内道中といった趣がある。
 このところのA店長は、元おにぎり屋の物件への未練を表明しっぱなしだった。
 ついでにいうと、その前は、角地にある元タバコ店の建物が立ち飲み屋にリノベーションされる様にぎりぎりと歯噛みしていた。施工中に覗いてみると、できればそっと踏みしめていたいような床材を無造作に剥がしていたという。にもかかわらず、表の看板「た ば こ」はそのままにしているのがあざとい、などと、ぶつぶつ言っていた。たしかにあまりにも「昭和」すぎる。とはいえその看板を外してしまったら、没個性な古い店舗兼住宅としか通りがかる人の目には映らないのでは。
 元おにぎり屋が、まだおにぎり屋だった頃、A店長はお客として扉を開け閉めしていたそうだった。テイクアウトが主だったが、お店の中でたべていくこともできて、その場合は味噌汁が添えられたという。
 使っているお米の銘柄、具は何種類用意されていたのかなどについてはA店長ははっきりとおぼえていないらしい。おいしかったよ、とは言っていて、流石にそれは飲食業界人らしからぬ解像度の低さではと思わされた。とはいえ、鮮烈に記憶しているのは、味噌汁の素晴らしさだそうだ。
 これまでに飲んだ味噌汁とは違ったのだという。
 「どういうふうに?」
 澄んでいた。A店長はそう言う。味噌汁なのに澄んでいた、と。

 おにぎり屋の味噌汁話は、A店長に電話がかかってきたところで、途切れた。
 道端で立ち止まって通話をするA店長の足元に、ぼくは目をやった。黒光りするスニーカーを履いていた。彼女の髪の艶をそのまま映したようだった。予約していたスニーカーがようやく届いたと先週言っていたのは、これのことか。A店長は、iPhoneを持った左手は耳に、右手は左肘を支え、視線はまっすぐ前に、両足を揃えて踵を上げ下げしている。ぼくは彼女の視界に入らない位置に移動して、足の動きをちょっと真似てみた。

 正直言って、A店長の語るところの味噌汁像が、ぼくにはいまひとつイメージできなかった。
 澄んでいる、イコール、透明感があるということ?
 もちろん味噌汁だけに、汁は実際に透明ではないし、具がどうこうというのでもないだろうから、出汁の良し悪しの話なのだろうか。
 澄んでいる、そういう感覚は、たとえば炊きたての新米からは得られるはずだ。だから、澄んだおにぎり、だったらリアリティを感じられる。味噌汁だと、わからない。
 ヒノに訊いてみようか、と、ぼくは思う。
 「もし、澄んだ味噌汁飲ませて、って頼まれたら、ヒノだったらどうこしらえる?」
 それって、味の話じゃないよねっ。
 きっとヒノはそういうふうに切り返してくるだろう、と、想像してみる。
 いや、味の話じゃない、と、捉えているのはぼく自身で、ヒノにそう言ってほしいだけなのかもしれない。
 ぼくは、物事の機微を、ヒノというフィルターを通して味わいたがりすぎているのかもしれなかった。
 頭の上から、カラスの大きな声が聞こえた。見上げると、カラスが一羽、電柱の上で身を揺らしている。ヒノが、カラスの声色を完コピしようとしていたときがあったな、と、思い出す。A店長のほうに目を移すと、やはりカラスのいるあたりを睨みながら、通話を続けていた。

 (了)


エッセイ:出汁と味噌の近況

 鰹節や昆布から出汁を「とる」ではなく、「引く」と言いあらわすほうがかっこいいな、と、一時期、エッセイの中で使ってみていた。でも、やめてしまったのは、日常的に口に出しはしない表現だったから。エッセイという表現の範疇内で、等身大の自分自身から逸脱しようと試みるのは、むなしい。
 出汁をとるにあたっては、いろいろなやりかたを渡り歩いてきて、今でもそう、ふらふらしている。
 いりこの水出汁にしばらくのあいだ落ち着いていたものの、東京と秋田の二拠点居住をきっかけに、出汁パックに移った。秋田に置いてある冷蔵庫はとても小さくて、夏場にいりこをしまっておく余地がなかったし、水出汁用の容器はもちろん、とったところで、出汁を凍らせておく冷凍室の隙間もなかった。
 いろいろなメーカーの出汁パックを使ってみた。お値段はメーカーによってピンキリで、安価なら安価であるほど、くぐもった味になる。そう実感してしまった時点で、出汁パック、というかたちにこだわる義理はなかったよね、と、思い直した。
 古今の、出汁についての考察も、いろいろと読んできて、ここ数年の出汁論は、ひとつの正解はない、と、表明することこそが正解である、というところに落ち着いているとわかる。いわゆる「諸説あり」。そうなると、まっさらな初心者が指針を見出すのは難儀だなとも思わされる。

 出汁パックを手放して、このところは「ヤマキ」の顆粒出汁「だしの素」を使っている。今の暮らしの拠点は一箇所で、冷蔵庫の容量もたっぷり、いりこもしまい放題ではあっても、袋をぴっと手で破いて取り出す粉に頼っている。数時間後につくる味噌汁のために、先を見越していりこを水に浸す、少し先の未来に備えるというのは、木の実を埋めておく秋のリスみたいで、いいものなのだけれど。
 顆粒出汁は、さあ今こそ味噌汁気分、そう思い立って振り入れるスピード感が存外気持ちいい。しまっておく場所をとらない。鮮度を気にしなくていい。ただ、塩が入っているので、味噌を少なめにするのを忘れないようにしなければ。
 顆粒出汁でもあえてなぜヤマキかというと、ご近所の『吉池』で毎月催される福引の景品だったから。たいていのスーパーマーケットには売っているのもいい。そういいながら味噌は、通った2年のあいだに友人知人もずいぶんいるようになった秋田を再訪してわざわざ買ってくる「ヤマキウ」だったりする。そういえば、一文字違い。
 秋田の味噌は麹をたっぷり使ったものが多く、それこそ出汁なし味噌汁が成立するくらい、こくもある。
顆粒出汁のせいもあり、ヤマキウの味噌のおかげでもあり、出汁なし味噌汁の境地にたまに足を踏み入れている。
 いりこ水出汁や出汁パックの場合は、最初から出汁の中で具を煮る。顆粒出汁はどのタイミングで入れてもいいわけで、ただの水に具を入れて煮はじめて、そのまま入れ忘れたまま味噌を溶いてお椀によそっていたことがあった。すっきりしているな、という感想を抱きつつ、半分くらい飲んだところで、台所を振り返ると、封を切っていない顆粒出汁の袋が置いてある。あっ、忘れてた。
 失敗した、と、落ち込みはしない味だった。それからは顆粒出汁を入れたり入れなかったりしている。

 秋田駅前に長いこと暮らしているという老婦人曰く、お薦めは湯沢の「石孫本店」の「五号蔵」という味噌で、でも秋田市内では料亭でも結局ヤマキウの味噌を使っているところが多くて、とのこと。県内の味噌を数種類渡り歩いてみて、私も、結局ヤマキウ、と、なっている。その人の息子さんは、最もよく見かけるヤマキウの味噌のパッケージにえがかれているなまはげの絵は、昭和の秋田の画家、舘岡栗山たておかりつざんだと教えてくれた。
 結局は、そのとき親しくしている人のいる土地の産物がいちばん口に馴染む私。長いこと口に慣れた味、とかとは違って、今ある情と切り離せない味。
 こないだ三重は松坂に行ったとき、お昼に入った焼肉店にて、定食をたのんだ。焼肉定食の味噌汁も、焼肉のたれも、色濃い赤味噌。もっとさっぱりしたたれでたべたいな、などと赤味噌圏外の私は思ってしまうのだけれど、この土地に根を張る誰かとすごく親しくなれたなら、また違った感想を持つようになるのだろうな。

 

*本連載は、初回と最新2回分のみ閲覧できます。