短編小説:豆腐
前職では、国内出張の機会がしばしばあった。たいていは三泊四日以上、ひとりで、あちこちを渡り歩く。ぼくにとっての仕事上での楽しみは、その時間に集中していた。転職しようというときは、その一点のみがぼくを迷わせた。
辞めようかどうしようかぐるぐる考えてる、と、ヒノに打ち明けてからすぐに、次の出張が決まった。出かけてみればやっぱり気分は高揚してきてしまう。
その日泊まるビジネスホテルの入口の、ロビー、と呼ぶにはあまりにもせせこましい空間の壁をすっかり埋める大きさで掲げられている絵があった。乱れ飛ぶ青い鳥の群れ。青色だけど、かたちはカラスに似ている。チェックインを待つ列が絵に近付いたとき、その下に短い文章があるのが見えた。やはりカラスで、でも、絵ではなく写真だとある。「サイアノタイプ」という陽の光を直に当てる古典的な写真技法では、全てが青い色で表現されるのだという。黒色のカラスも、このやりかたで、青い鳥になる、と。そこまで読んだところでぼくの順番が来た。
部屋は一階だった。
ひとり部屋の窓のカーテンを開けると、手を伸ばせば届くんじゃないかというくらいの近さのところに、ユンボが何台も並んでいて、少し驚く。ビジネスホテルの客室の窓の向きって、景色の良し悪しとは切り離されているものだ。隣のビルの壁がすぐ傍に迫っているのが当たり前で。とはいえ、流石にそれはなかなかない景色だった。どのユンボもおろしたてのようでちっとも汚れていなくて、誇らしげにみえた。新品だからってわけではなくて、ユンボは古びても誇り高くみえるものだ。そこが中古車とは違うよな、と、ぼくはひとりごちた。明確に役割を持っている機械だからだろうか。
次の日、バイキング形式の朝食会場にて、焼鮭とポテトサラダとプチトマトをふたつとレタスを2枚、お皿に取って、丸い紙パック入りの納豆と焼き海苔も取って、茶碗にごはんをよそる。炊飯器の背景の壁には「火曜水曜はこしひかり使用!」と記された紙が貼ってあるのだけれど、残念、今日は月曜日なのだし、ここには一泊だけしかしない。
味噌汁の寸胴鍋の蓋を開ける。蓋にはあらかじめ、お玉の柄を差し込むことができるだけの隙間がつくられている。お玉の柄を握り、汁をすくおうとすると、小さな小さな賽の目の豆腐が、ふわんと底から浮き上がってくる。幾つかはお玉の中に入ったはずなのに、お椀に注いでみると、豆腐はひとつもない。お玉に2杯もよそえば、お椀にはもう味噌汁がなみなみだ。
豆腐を諦めて、寸胴鍋の傍に用意されている乾燥わかめと、小口切りの葱を、どちらもトングでつまんで、味噌汁に浮かべた。
ビジネスホテルの朝の味噌汁の具って、いつもこういうふうだ。ここだけじゃなくて。いや、たまに、豆腐じゃなくて、油揚のホテルもあった。油揚なら、お玉の縁にうまい具合に引っかかって、お椀の中におさまってくれる。豆腐は、逃げるばかりだ。
あんなに小さくなければすくえるはずだ。ああやって、えらく小さく刻んであるわけは、やっぱり、崩れてしまうと見苦しいからだろうか。崩れもしないくらい、あるいは崩れているかどうかも判然としないくらいのサイズにしてしまえ、とばかりに。
そもそもほんとに豆腐なのかな。白色の立方体で、味噌汁の中に浮遊しているだけで、豆腐らしく見えているけれど、また別のなにかじゃないのか?
ヒノだったら、ある種、そう考えてみるのも夢があるよね、とかなんとか応えてくれるかもしれない。
辞めようかどうしようか、という、ぼくの話を聞いたヒノは、うーんと唸り、首を左右にひねってから、斜め上に視線をやり、鼻の下に握りこぶしを当てた姿勢で、迷うわ、ちょっと考えさせて、そう言った。その様子だけを切り取ったならば、ぼくよりもヒノのほうがよっぽど逡巡を体現していた。
朝食会場にいるお客は、ぼくを含めて、男ばかり。ひとりずつばらばらに腰掛けてはいるものの、テレビの画面がよく見える角度のところに集まっていた。ぼくはそこから距離を置き、窓際の、外の景色が見える席にしようかなと思ったものの、朝陽が眩しすぎるので、やめて、と、うろうろしているのもみっともない。結局は、テレビに背を向けた、先程通り抜けてきた炊飯器や保温ポットなどが並ぶ一角の正面、という、中途半端な位置に陣取った。
こしひかりではないことしかわからないお米は、とてもおいしいわけではなかったがまずくもなかった。
味噌汁の味そのものについては、ここ以外の場所でのんだら、お米と同じような感想を持つはずなんだろうけれど、ぼくにとっての、味噌汁を前にする最高のシチュエーションというのはビジネスホテルの朝、なのだ。この時間こそが、澄んでいる、と、感じられる。
味噌汁の寸胴鍋の前に立つ、他のお客の背中が目に入る。一杯の味噌汁をよそる人の後ろ姿はなんとも一生懸命にみえるのだな、と、ぼくは感じ入った。男は背中で語るもの、とかいう陳腐な慣用句は、この同宿の見知らぬ誰かの印象を語るにはふさわしくない、とも、やけに強く思った。
(了)
エッセイ:味噌汁の具を読む
37歳のとき。
羽田の、穴森稲荷神社の近くにある食堂でたのんだオムライスに添えられていた味噌汁の具は、油揚と豆腐だった。
びっくりした。
こんなことってある? とさえ、思ったものだった。味噌、油揚、豆腐、と大豆からつくられたものだらけである味噌汁を堂々と出すなんて。
当時の私は、それほどまでに、味噌汁の具の組み合わせについて、保守的、かたくなだったな、と、思い出してみてあらためて驚く。味噌汁って、他のスープとは別格の存在なのだとまだ信じ込んでいたのだなと。
今だったら、食堂の厨房では、今日の味噌汁は大豆をテーマにいこうぜ、と、意気揚々とこしらえられているのかも、と空想してから、きっとほんとうは、野菜があまりにも高値のせいもあるよね、と、我に帰ってみたりもするだろうな。
ベストセラー『一汁一菜でよいという提案』では、「繕わない味噌汁」の具の一例として、前日に残った鶏唐が提案されていた。そういうところも含めて、しるもの本のターニングポイントとなったのだなとあらためてしみじみする。
『一汁一菜でよいという提案』には、具がトマトだったり、かぼちゃ+きゅうり+ベーコン+卵だったりする味噌汁の写真も載っている。もちろん、味噌汁にトマトを入れるアイデアは土井善晴の独創というわけではないのだけれど、『一汁一菜でよいという提案』刊行と時を同じくしてよく見かけるようになったのは事実。
そういう、味噌汁にトマトを入れるレシピを見つける度に、いつも私がはっと思い出していたのは、新婚の妻が味噌汁にトマトを入れたことが離婚につながった、というエピソードが語られるエッセイをいつぞや読んだな、と。書き手その人の体験ではなく、どこかで聞いた話のように紹介されていたのだった。そう、そこまでは思い出せても、誰のエッセイかというところまでは長らく辿り着けずにいた。あるときふと、もしかしたら林真理子かもしれない、と、読み返してみたら、そうではなかった。それ以降は本格的に迷宮入りしていた。
こないだ、昭和時代の料理の描写をうちにある本の中から探す中で、ようやく見つけた。
金井美恵子の、『トマトの具』と題したエッセイだった。
夏場によくこしらえていた冷や汁に、賽の目切りのトマトを入れるようになったきっかけは、週刊誌で読んだ、いわゆる著名人ではない男女の離婚の事情を綴る記事にあった、という話である。
「A子さんにとって、畑でとれたトマトの味噌汁は子供の頃から食べなれた夏のさわやか味、なのに、夫の家族全員は、お椀を前にひきつった沈黙を浮かべて誰一人口を付けなかったという、その朝の出来事が、破局へいたる最初のそして最大のキッカケとなった」
どうにもおいしそうにはえがかれていないトマトを、あえて自身の料理に加えてみたのは金井美恵子の英断だなあ。
「夏の暑気払いの、ナス入り豚汁(これは熱いものを)にも、トマトは良く合う、という結果も得たのでした。これも、さわやかな味です。というわけで、人間は偏見にとらわれてはいけませんね。」と、金井美恵子はしれっと書いている。
記事が出ていたのは1980年前後の号だったという。トマトは和食には使わないもの、という前提を多くの人が持っていたにちがいない。潮目が変わったのは、湯むきしたトマトがおでんの具に使われるようになってからだと思う私。ちなみに、トマトおでんのはじまりは1998年らしいと、おでんといえば「紀文」のウェブサイトには記されている(※)。
味噌汁の具についての持論といえば、内田百閒の日記もあった。
もうすぐ戦争が終わって1年経つ頃、1946年8月4日の、内田百閒『百鬼園戦後日記』にはこうある。
「今日生れて初めて胡瓜の味噌汁を味わいたり、この頃胡瓜が沢山あるのでこひが入れて見ようと云った、近所でもそうしているがおいしいそうだと云うので少少気味が悪い様であったが食べて見たらうまかった。冬瓜の味噌汁に似ている、昔初めて東京に出て来た時、下谷七軒町の最初の下宿で南瓜を味噌汁に入れたのを食わされて咽喉を通らぬ様な気がしたが、それから考えて見れば胡瓜の味噌汁は数倍上等かも知れない」
トマトもきゅうりも、味噌汁の具にはふさわしくないと思われていた野菜は夏が旬のものが少なくない。そこにきっとヒントがある。
実際、なすも含めて、夏の野菜は油と組み合わせたほうがおいしいと感じられてしまう私だったりする。トマトのおでんも、他のおでん種からにじみ出た油に浸っているゆえにおいしいのだと思う。だから、金井美恵子と同じように、トマトを豚汁に入れたり、きゅうりを鶏肉と煮たりはしていても、正直言って、そのふたつを出汁+味噌だけのしるものに入れることはしない。なすを味噌汁に入れる場合はいつも油揚と組み合わせることにしている。ついでにいうと、かぼちゃの味噌汁は大好き。
味噌汁の具は、人をわがままにさせるというのはほんとうだ。お椀を前にすると、どうしても、各々の好きずきを声高に主張したくなってしまうのかもしれなくて。
※紀文アカデミー
https://www.kibun.co.jp/knowledge/oden/history/heiseireiwa/index.html
参考文献
『一汁一菜でよいという提案』土井善晴 グラフィック社 2016
『待つこと、忘れること?』金井美恵子 平凡社 2002
『百鬼園戦後日記』内田百閒 小澤書店 1982
*本連載は、初回と最新2回分のみ閲覧できます。