短編小説:そばやの中華そば
黒髪の艶をほめる、カラスの濡羽色、という言い回しがあるのだと知ったのはそう昔のことではないと、A店長は言う。あるお客に、しばしばそう言ってこられたが、どうしてカラスなのかしらんといぶかしがるばかりで、ほめられていたとは気付かなかったのだと。その頃お店にいた誰もその古めかしいほめ言葉を知らなかった、と。
「そのお客さんってどなたですか」
もう来なくなっちゃった人。
すげなく返すA店長。そして、その当時は地毛だったけれど今は染めているのだと付け加えた。
「今時のカラーリング技術ってすごいですね」
ぼくは、なぜにそのお客は顔を見せなくなったのか知りたくもあったが、そういう下世話な心には蓋をしなきゃとやや焦り、うっかり本音を口走ってしまったのだった。しかし、A店長は手の甲でぼくの二の腕をぱしんとたたき、にっこりした。
お世辞がないのがあなたのよさ、と、A店長はぼくに言う。
そのお客が髪の艶をほめているとはなからA店長が気付いていたら、そのお客は今も店に顔を見せているのだろうか。
黒髪の人が多く住む国だったからこそのほめ言葉をもちろんぼくは知っていた。
A店長に、誘われた。
「そばやの中華そば」をたべに行かないかと。
そのときは、ぼくは別の業務にかまけていたもので、無意識に、つまり無責任に二つ返事をし、A店長が言うその店名をそのへんにあった紙片に殴り書きしておいた。あとからそのメモを見返してみて、はっとした。
ごーちゃんと3、4回は行ったことがある店だった。
なんなら、ヒノとも、そこでたべたことがある。そばやの中華そばを。ごーちゃんも、ヒノも、おいしいと言っていた。
そばやの中華そば、とは、ざる、もり、かけ、など、いわゆる蕎麦粉で打った蕎麦を主軸としながらも、しれっとお品書きに加わっている存在である。わりあい古めかしいお店で見かける場合が多い。小丼とかカレーライスとかも出してくれるようなお店だからといって、中華そばもあるとはかぎらない。
かつて、ごーちゃんは中華そばを待ちながら、こんなふうにぼくに言い募った。
これをたのむと変わり者呼ばわりされたりしていや、と。あえて、そばやでラーメン? あえて、ってとこがいいんでしょう、とか言ってくる奴がいて、いや、と、ごーちゃんは言った。たしかに、ごーちゃんはそういうふうに気取ったりしない女の人だったから、あえて、とかなんとか言ってくる、誰だか知らないけれど無粋なそいつには、人を見る目がないということなのだ。
ぼくの知る北国では、そばやといえば当然のように用意されている一杯だったけれど、今住むここでは、そういうふうに何気なくあるわけじゃない。だから、自分のキャラクターづくりのためにたのむ人も存在しないではない、ともちらりと思ったが、黙っていたぼくだった。
ごーちゃんは言った。
そばやの中華そば自体も、中華そばを出すようなそばやもそもそもよくない?
「どういうところが?」
畳のにおいがする、みたいな。立ち居振る舞い、気にしなくてよくない?
なるほど。ごーちゃんに、そのときぼくはしみじみと共感した。
今のぼくは、少し前に、ヒノに聞かされた話を思い出していた。
ヒノはまず、こう切り出した。
心、あるよねっ。
ぼくがきょとんとしていると、ヒノはあらためてぼくの鼻先に人差し指を突きつけた。ヒノにしてもずいぶんストレートな意思表示。ぼくに、心が、あると。
心の有無について、正直言ってこれまで意識したことがなかった。
自分だけしか可愛がれない人って、心がないよね。いるでしょ、のべつ自分の身の上話ばっかり語りまくってる人って、ほんとに心がないよねっ。
ヒノはこないだ、知り合いの知り合いで、かかわるとめんどくさそうだからなるべく遠巻きにしていた女の人ととある会合で隣り合わせてしまったのだという。その女の人は、ヒノに向かってわあーっと自らの近況報告をするが、ところでヒノはどう?と問いかけることはしない。そういう状況が、異性からもたらされたものであれば強気なヒノなのだけれど、存外、同性には強く出ることができないのだった。なので、ヒノは共通ワードを思い浮かべて話を合わせたのだという。するとその女の人は、私たちってすごく波長が合うねー、似てるね、などとのたまう。
ちがう、そうじゃない、合わせてるんだからっ。心がないから、気付かないんだ。
ヒノはそう言ったのだった。つくづく口惜しそうに。
ぼくもまた、彼女らの趣味嗜好に、そばやの中華そばを好く女の人たちに、寄り添おうとしているのかな。無意識に。
A店長と一緒に行ったそばやの壁には、季節のお品書きやカレンダーのあいだに、この店を取材した新聞記事の切り抜きが貼られていた。帰りしな、A店長がふたりぶんのお会計を済ませてくれているあいだに記事を読むと、スープは、鶏、豚、しょうゆがベースだとあった。
ぼくは常々、そばやの中華そばのスープの味わいは、ヒガシマルのラーメンスープの味に近いと思っていた。3人のうち誰にもそのことは言っていなかったけれど、ぼくの印象は間違っていなかったと、今知った。ヒガシマルのラーメンスープの箱にある原材料表にもその三種の神器はちゃんと含まれているのだから。
(了)
エッセイ:インスタントラーメンを語る女たち
ラーメンについて書かれたエッセイはたくさん世に出ていても、その中でもつい、インスタントラーメンが登場する作品ばかりに目をとめてしまう。
私の好みは袋麺。馬車のイラストが目印の、マルちゃん「塩ラーメン」をこのところは贔屓している。ちなみに、地域限定商品です。
今年2月の河出文庫の新刊『ふうふう、ラーメン』は、10年と少し前に同社から刊行されたラーメンエッセイアンソロジー『ずるずる、ラーメン』の、収録作品を数篇入れ替え、タイトルも変えたものだと気付く。タイトルを、麺をすする前の段階にしたのはなぜだろう。吹いて冷ましているのは、れんげですくったスープかもしれない。
新たに『ふうふう』に加わったのはこの4作。
『中華そば』牧野伊三夫
『祖母のラーメン』あさのあつこ
『禁断のラーメン』穂村弘
『ラーメン煮えたもご存じない』田辺聖子
『ずるずる』のみに収録されていたのは、こちら5作。
『麗しの愛人ラーメン』池上永一
『ラーメン女子の実態』島本理生
『そば大会』池部良
『カルロ・パンティとベトナムラーメン』荒木経惟
『わが人生のサッポロ一番みそラーメン』森下典子
もう一作、『ずるずる』にあった椎名誠の『駅裏路地裏裏ラーメンの謎』は『ふうふう』では『「大勝軒」必殺の四つ玉ラーメン』に差し替えられている。
読み比べてみると、新規に選ばれた作品には、どれもおだやかな印象がある。個人的な思い出がえがかれていて、のどかな筆致である。時代背景をあまり気にせずに読み進められる。つまり、普遍的。
田辺聖子の『ラーメン煮えたもご存じない』には書かれたそのとき、1970年代がくっきり映っているけれど、その背景にある心理は今でも頷けるものである。こないだ休刊したばかりの夕刊フジが広く熱く読まれていた時代、1976年に掲載されたエッセイで、えがかれるのはカップ麺ではなく袋麺なのだった。インスタントラーメンをはじめてつくる男と、できあがるのを待つ女の話だ。ふたりは宅飲みをしていて、深夜、おなかがすいたなという状況で。そもそもインスタント食品を信用していない男は、とりあえず袋を開封してみて、こう言い放つ。
「大体やね、スープ、このスープというのはトリガラを二日ぐらいたいてこってりといい味にしたものを使うのだ。こーんな、袋に詰めた大量生産の粉末を食べるというような、安っぽい貧しげなことは文化人はせぬ。家の女房にもそんな手を抜くようなことはさせん。これはきびしくしつけておる」
ラインマーカーでつっこみどころを記していくと全てが蛍光色に染まってしまう台詞。
そうはいっても、ラーメンが鍋の中で煮えていくうちに男の心も軟化していく。田辺聖子ならではの男女の掛け合いが読みどころである。
『ずるずる』と『ふうふう』の両方に収録されている、石垣りんのエッセイ『ラーメン』は、400字に満たない短さゆえに妙に心に残る。
余談だけれど、原稿用紙を使って原稿を書いている作家はずいぶん少ないはずだ。原稿を依頼される場合にも、1枚2枚という単位でたのまれはしない。それでも400字という文字ひとまとまりの尺度はまだ使われ続けるのだろうか。お米やお酒が「合」という単位で計られているうちは、文字もそうなのかもしれない。
さておき、『ラーメン』は、石垣りんの、30代の終わりに入院したときの思い出を元に書かれている。登場するのは、出前のラーメン。つい、次のページをめくって続きを探してしまうようなエッセイだ。あまりに短いせいもあるけれど、いかにもまとめの一文でございます、というものがなく、すっと立ち上がるように終わっているから。
そのあと、1978年に、石垣りんは『インスタントラーメン』と題したエッセイを発表している。これはもうちょっと長くて、50歳からのひとり暮らしで、たべものを見る目、味わう口が変わったという話だ。
「インスタントラーメンなどという、いまわしい(かつての考え方でいくと、女の風上にもおけない?)はずの品に一度手を出し、これは便利だ、と味をしめ、すすぎ不十分で、どんぶりに洗剤が残っているかも知れない中華料理店のラーメンより、あるいは安全かも──などとつぶやきながら、心せく時はつい熱湯をそそぎ込んでしまう」
熱い湯はどんな味わいのスープになったのか気になるけれど、石垣りんはそこにはふれていない。
日清「カップヌードル」は発売された次の年、1972年に起きたあさま山荘事件のTV中継を機に、非常時のあたたかい一品として一気に名を上げたという。石垣りんはエッセイを書いた年に起きた宮城県沖地震時にインスタントラーメンが役に立ったとも記している。
『ラーメン煮えたもご存じない』『インスタントラーメン』を併せ読むと、それまでたしかに世の中にあったインスタントラーメンへの抵抗感がだんだん薄れてきた頃の雰囲気が、ちょっとわかる。
参考文献
『ずるずる、ラーメン』 河出書房新社 2014
『ふうふう、ラーメン』河出文庫 2025
『朝のあかり』石垣りん 中公文庫 2023
*本連載は、初回と最新2回分のみ閲覧できます。