向田ドラマの男たち
先日、向田邦子脚本の「阿修羅のごとく」を見る機会があった。1979年にNHKで放映されたテレビドラマだが、評判を呼び、パート2まで作られた。その2年後の1981年、向田は飛行機事故で亡くなる。その衝撃もあったのか、NHKでは何度も再放送された。それを見た40代の自分にとって強烈だったのは、ドラマの内容ではなく、テーマ音楽に使われたトルコの軍楽メフテルだった。あの旋律がしばらく頭の中で鳴りやまないほど魅せられたことを思い出し、30年経ってもう一度見たのである。
当時は気づかなかったが、向田邦子がなぜこれほどまでに人気があるのか、その秘密がわかった気がした。ドラマの内容を簡単に述べれば、4人の姉妹がそれぞれ男性との関係において苦労する話だ。未亡人(いまや死語だが)、独身で働く女性、専業主婦、男性と同棲中という4姉妹に加え、母親も若い女性と不倫の末婚外子まで設けた父のことで苦しんでいる。最初に見たとき内容の記憶がないのはあまり印象がよくなかったからだろう。
見ていてだんだん腹が立ってきた。とにかく登場する男性がすべて身勝手なのだ。一生懸命働いてきたことを免罪符として高齢になってから若い愛人をつくり息子を生ませ、よき夫のふりをしながら不倫をし、愛人宅と間違えて自宅に電話する夫、未亡人宅に入りびたりになっているところを妻に突撃され右往左往する男性などなど。それらは「男にふりまわされるのが女性の宿命」とでも言いたげな情景である。
女性たちは、男性に裏切られながら耐え続け、その怒りを押し殺しながら生きている。それはかつての吉永小百合が演じてきたような「健気」な姿ではなく、苦労が肯定的に描かれているわけではない。ちゃんと理不尽さが描かれている。初冬の縁側で白菜を大きな樽に漬けながらなごやかに会話する母娘の姿も、その直後に母親が父の不倫相手の住むアパート近くで倒れて意識不明になる序章として描かれるのだから。
さて、ここで考えてみよう。男の身勝手さに翻弄されて生きるしかない怒り、経済力がないために耐えるしかない哀しみを、果たして向田は描こうとしたのだろうか。
彼女のファンには男性も少なくない。彼らがなぜ向田を支持するのか。今回の再放送も、ネット上では多くの男性たちが「普遍的家族のありかた」を称揚するといった視点から絶賛している。彼らは、「ああ、女性たちが置かれている状況は理不尽だよね、それを僕はよくわかっているよ。それでもそこに留まり、怒りや苦しみを抱えながら阿修羅のように家族を生きる女性たちが僕は好きなんだ」、と言いたいのではないか。
「刺さらなさ」が人気の秘密
物わかりのよさを自認する男性なら言いそうなことだ。彼らは野卑な家父長制からは距離を取ったつもりだ。しかし佐分利信が演じる父の姿に、多くの男性は我が身を投影するのではないか。一生懸命働いてきた父が初めて自分らしさ(!)を貫いたのが、若い愛人との恋愛で婚外子までもうけることだった。最後はその父を妻と4人の娘全員が許容してしまうところに、理想的な姿を見るはずだ。恐ろしいのは「それが家族だ」と、諦念とともに肯定されてしまうところだ。
向田邦子が一部の男性たちに今でも支持されるのは、複雑な回路を経ながらも、最終的には父・夫が肯定されるドラマツルギーのせいではないか。
ドラマの主役は女性たちである。どこか希望がないようにも見える彼女たちの世界が、なぜ父や夫の肯定につながってしまうのか。
真面目に働いている男の大変さや悪意のなさが、男のつらさや哀しさとして共感的に描かれ、場合によっては「人間としての哀しみ」といった普遍性をまとって登場する。そこに「加害」「暴力」といった定義の入る余地はない。言い換えれば、彼らに責任はないのだ。暴力・加害という定義は、相手に責任があることを意味する。
最終的にそれを許し広い心で受け入れるしかない、でもそんなことできない、と葛藤する女性の姿がいかにリアルに描かれたとしても、それは男性たちには決して「刺さらない」。自分たちの「加害」「暴力性」としてつきつけられているわけではなく、免責されたままだからだ。
男性=人間であり、父や夫を許すことが寛大さという価値につながるという回路が女性にだけ求められ、男性は家族成員をケアし守る責任を問われないことは、非対称性や不平等さにつながる。
2022年の現在も、一部の男性にとって向田作品はグルーミング効果をもたらすだろう。刺さらず、許される世界がそこにあるからだ。
シンポシカン
さて、向田作品を2022年に見た女性たちはどのように反応するだろう。聞いてみたいものだ。
1980年代初頭、このドラマを見た当時の私は、育児に忙殺されていた。フェミニズムの本も読んでいたが、「今」があまりに大変で、先のことなど想像もできなかった。ただ、大学で哲学を学び、学生運動の渦の中にいた経験は、後述するように私の中で大きな位置を占めていた。カウンセラーとしての未来は見えなかったが、今自分が置かれた不平等な現実(育児・家事の性別役割分業)への怒りと、過去の経験の重みだけが私を駆動していた。歴史と社会の動きに対して、絶えず触覚だけは研ぎ澄ましていたと思う。
当時の私には、歴史の進歩への希望があった。正確に言えば進歩するはずだという期待があった。それは今でも私の中にあって、私の考え方の基本になっている。60年代末からの学生運動の影響は、それほど深いものがある。それを残滓などと呼びたくはない。
当時はマルキシズム(マルクス主義)が全盛であり、今よりはるかにエリートであった大学生は、マルクスやレーニンの著作をカバンの中に入れるのが作法だった。そこを貫いていたのが、「進歩史観(シンポシカン)」である。資本の運動を知ることは下部構造を知ることであり、労働者たちはそれを知らなければならない。革命は必然であり、歴史は労働者の解放へと進んでいく……それは希望に満ちた考えだった。人が人を支配しないで生きられる社会を目指す、それが革命であり、そのために闘うのだという機運が、先進国の大学生に共通して高まった。
その後連合赤軍の集団リンチ事件などが起こり、あのみずみずしい理想や希望は「過激派」とひとくくりにされてしまったが、私の中では今でもそれは生きている。
歴史は、どんな過酷なことが起きようと進歩しているという信念、私を支えている考え方のひとつが、この進歩史観なのだ。
あまり学生時代のことを口にしないようにしてきたのは、いくつかの理由からだが、そのひとつが団塊世代としてくくられることへの抵抗だ。でも当時を知る人もだんだん減り、シンポシカンと言っても「へえ?」と言われてしまうとしたら、もういちどシンポシカンを強調しておきたい。
女性をめぐる状況について、私はシンポシカンを信じてきた。第2波フェミニズムから現在に至るまで、女性と定義された存在をめぐる言説や社会的な動きは、目まぐるしく変化しているが、多くの女性たちのムーブメントや著作によって、確実に進歩してきたと思う。何よりDVや性暴力といった言葉によって、しつけや愛情行為と言われた男性の行動を「加害」と定義できるようになったことを挙げたい。
熱海にある『金色夜叉』(尾崎紅葉作)の貫一・お宮の銅像は、かつては記念撮影の背景として有名だった。今では、高下駄でお宮を蹴る貫一の姿を見て、女子中高生は「デートDVじゃん!」と笑う。このように、かつては人権もないと思われた人たちにも、ちゃんと人権があると認められるようになること。これを私は歴史の進歩だと思う。夫に殴られても「私が悪い」「殴らせるお前が悪い」とされてきた行為が、DV(ドメスティック・バイオレンス)と定義されるようになったことの意味は、強調しすぎることはない。
盤石な地層のような現実
いっぽうで、カウンセリングをとおして突き付けられるのはシンポシカンでは説明できないような家族の現実である。過去の産物のような、「いまどき?」と言うしかない現実の中で、生きている女性たちは相変わらず多い。
直線的に、川が流れるように歴史は進歩していると考えたいのだが、明治、大正、昭和、平成と元号が移り変わったことなどどこ吹く風といった現実を突きつけられる。
何人かの女性のことを思い出す。1990年代の初め頃、ひとりの女性が、夫のアルコール問題でカウンセリングに訪れた。40代の彼女は、秋も深いというのにいつもペラペラのワンピースを着ていた。痩せた身体に布地がへばりついていて、どう見ても還暦かと思うほどに老けていた。ターミナル駅の近くの戸建てに住んでいた彼女は、酔った夫の暴力と息子の不登校の問題も抱えていたが、午後の2時ごろこっそり抜け出るようにカウンセリングにやってきた。舅・姑が監視していて自由に動けないからだ。道路拡幅のたびにお金が入るだけでなく、何棟もあるビルや駐車場も保有していたが、彼女の自由になるお金はわずかだった。まるで江戸時代のような話だった。
地方都市の旧家の嫁である女性は、婚家の因習と夫の浮気に困り果てて月1回だけ飛行機でカウンセリングに訪れた。長男である夫は姑の言いなりで彼女のことを無視していた。盆や暮れには、義理の姉たちが一家そろって実家に戻ってくるので、食事から布団の上げ下ろしに忙殺されるという。九州の大都市に住む女性は、長男の嫁というステータスが同窓会では上位であり、自慢されると語り、息子の引きこもりで来談した別の女性は、家柄が釣り合わない結婚は不幸の源だと語った。彼女たちの話を聞くたびに、本当に今は21世紀なのだろうかと思うのだ。いっぽうで、SDGsの掛け声はピンバッジの氾濫に表れている。あの光るバッジを得意げに背広に付けた男性は理念をどこまで理解しているのだろう。彼らが駅の通路ですれ違いざまに女性にぶつかってきたりする姿や、電車内で女子高生の身体に触る光景がふっと目に浮かんでしまうのだ。カウンセラーという職業は、研究者とは異なり、このようなシンポシカンでは説明できない現実と向き合っていかなければならない、つくづくそう思う。
先端とは何か
そして今、交差性(インターセクショナリティ)という言葉が広がりつつある。第2波フェミニズムが、白人と高学歴女性を中心とした女性によって担われたのに対して、男性と女性という二分法だけでなく、そこに人種という差別、さらにLGBTQといった性的マイノリティの差別などが「交差」しているとする考えだ。トランスジェンダーに対する差別の問題は、ネット上でもしばしば論争が繰り広げられており、トランス差別はいまではフェミニズムの界隈では最先端の問題となっている。
性別役割分業から、ジェンダー平等へ、さらに男女というジェンダー二分法の見直しへと変化し、セクシュアルマイノリティ(セクマイ)という言葉から、トランスジェンダー、ノンバイナリー、エックスジェンダーといった性別をもうけない主張も、いくつかの国では盛んになっている。生物学的性別と性自認の問題について、ここで詳述するのは私の守備範囲を超えていると思う。できれば、いくつかの関連書を読んでいただきたい。
カウンセリングでお会いする女性たちは、江戸時代から明治、大正、昭和、平成、令和の現実を、今ここで生きているのだ。それは地層のように積み重なっているというより、同じ平面状に絵巻物として存在している。ノンバイナリーと語る宇多田ヒカルの歌を、最後の残り湯でしか入浴させてもらえない女性が聞いているという現実は、くらくらする。
ファッションがどれほど斬新だろうと、言葉づかい(ボキャブラリー)が今風だろうと、その人の家族の話を聞くと、「今は昭和か?!」と驚かされる。喜寿を目前にした私のほうが、ひょっとして令和の子ではないかと思ったりするほどだ。
そこには、もちろん政策も絡んでいる。今年7月に元首相が殺害されたことをきっかけに、旧統一教会が、ジェンダーという言葉を使わせないための元首相らの動きに共鳴して支援していたことが改めて明らかになった。「家族の美風の復活」「家族の伝統を守る」といった伝統的家族観の強調と、夫婦別姓反対、過激な性教育反対は連動していたのである(山口智美、斉藤正美、荻上チキ『社会運動の戸惑い フェミニズムの「失われた時代」と草の根保守運動』勁草書房、2012)
これは学校教育にも影響した。取材でお会いする20代~30代のライターさんたちが、小学校で親孝行の大切さについて学んだと聞いて驚いた。彼女たちは、親のめんどうは自分がみる、母親を支えるのは親孝行で当たり前という考えを拭い去ることはできないと言う。私たちが昭和20年代から30年代にかけて「民主主義教育」として学んだことは、敗戦前までの家父長的親子観や親孝行といった徳目を抜け出すことを目的としていた。それらは第二次世界大戦を引き起こした軍国主義を支える考え方だとして否定されたのだ。
ところが今の20代から30代の人たちに再び親孝行が奨励されているとしたら、シンポシカンどころか、それは歴史の逆行ではないだろうか。
コロナ禍の家族
第8波の到来が指摘される現在、この長期にわたるパンデミックの影響は想像もつかない。のちに語られるだろう影響がどのように総括されるのか、それもわからない。
しかしとりあえず現在私が考えることは本連載で何回にもわたって述べてきたことに尽きる。それは、2020年に始まるコロナ禍は、家族の中でこれまで不可視だったものを明るみにしたのではないかということだ。
中年の主婦層と10代後半の未成年女性の自殺数増加、DV被害相談の増加といった現実から、家族における弱者である女性たちに大きな負担がかかっていることがわかったのもそのひとつである。
家族とは、シンポシカンであれ、絵巻物であれ、それらをすべて見通せる場である。昭和一桁の曽祖父、団塊世代のシンポシカンの祖父、といったように。
親と子、夫と妻、それぞれが同じ価値観であるはずがないのに、異なる価値観を許さない家族もある。むしろそのような家族のほうが多いのかもしれない。京都の旧家のように、応仁の乱の時代からつづくしきたりを守っている例もある。古色蒼然とした昭和の価値観、高度経済成長期の価値観の強制によって、DVも引きこもりも、不登校という言葉すら許されない家族は今でも多い。それは歴史の否定である。家系図は歴史のように見えて、そうではない。歴史とは価値の変遷も含んだ物語であるとも言えよう。
家族は変わってきたし、これからも変わる。それは、異なる価値を体現する存在が共存できることを意味している。絵巻物のような、パッチワークのような現実を認めなければ、家族を、日本社会をとらえきれないのではないか。
私の中にあるシンポシカンのイメージも、その幅をもっと広げる必要があるだろう。一直線に歴史が進歩するといったイメージだけでは、パッチワークや絵巻物はとらえきれないからだ。
2017年から登場した#MeTooという言葉は、5年経った今、日本では定着したかに見える。しかし性暴力なんてどこ吹く風という現実やハラスメントなど知らないという男性や女性もいるだろう。女性がヒジャブで顔を覆わなければならないイスラム教国のカタールで、サッカーのワールドカップが開催されている。同性婚が認められた国と、同性愛者厳罰の国がともにサッカー場で歓声を送る。親孝行の重圧に苦しむ娘たちは、高齢施設入居の母と面会不可能になってコロナ禍に内心感謝している。
インターネットによる情報伝達の進展は、眩暈がするほど多様な現実が同時に存在していることを日々私たちに突き付けている。
まさに絵巻物のような、富良野のお花畑のような、パッチワークのような現実だ。シンポシカンはそれらを全部包まなければならない。ドローンの高度を上げれば、地上の花々も、まるで絨毯のように見えるかもしれない。かつてのシンポシカンの幅を広げ、視点の高度を上げることで、複雑な現実をとらえられるようになりたい。それは「鮨の名店で最後に出てくる太巻き」を思い起こさせる。
シンポシカンという名の極上の海苔を一枚用意しよう。巻き簾の上に、黒光りする海苔を広げる。その上に、まとまりにくくはみ出しそうな現実を山ほど載せて、端からぐるっと巻いていく。慎重に、中身がこぼれないように巻けば、見事な太巻きの完成だ。よく研いだ包丁でそれを一気に切る。具材が多様であればあるほど、断面は彩り豊かで、美しい。それを、ひと口で頬張る。
カウンセラーとはそんな仕事のような気がする。少なくとも私は、複雑で得も言われぬ味の巨大な太巻きを、パクっと食べられるような健啖家でいたい。
国家や宗教、家族をめぐる常識に押しつぶされそうな人がどれだけ多いか。美しい形容詞や正しい理念、そして愛情という言葉で隠蔽されてきたその人たちの存在を、コロナ禍があかるみにした。カウンセラーである私に、まだ残された役割があるとすれば、その人たちが生きていけるためになんらかの力になることだと思う。中身の詰まった太巻きをパクっと食べられるうちは、まだまだ大丈夫かもしれない。
もうすぐ新しい年を迎えるが、現実は厳しい、そのことは変わらないだろう。でも押しつぶされそうになったら、太巻きをイメージしてもらいたい。苦手な具材も全部ひっくるめて、ひと口で頬張る。そしてがむしゃらに咀嚼し、とにかく呑み込むことだ。それらはめぐりめぐって私たちの身体の養分にもなるだろう。
ここまでお読みいただいた皆様には感謝しかありません、ほんとうにありがとうございました。
*ご愛読有難うございました。本連載を加筆訂正の上、書下ろしを加え書籍化する予定です。