家族と厄災 / 信田さよ子

感染症、災害、原発事故。予期せぬ非常事態は、家族関係に何をもたらすのか。 新しい物事を生みだすのではなく、いずれおとずれる限界を前倒しで呼びよせているとしたら……。 家族のなかの最も弱い立場の人々と接してきた臨床心理士が、「家族におけるディスタンス」をめぐって希望の糸をたぐる。

語りつづけることの意味

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玄関の向こうは人権のない世界

 さまざまな被害を受けた人たち、それを被害と認識することも許されなかった人たちのことを思う。そして、許さなかった人たちとは誰なのかとも思う。

 歴史をたどれば、性別・ジェンダーを問わず膨大な数の人たちが、理不尽で抗いがたい被害を受けて、生命を落として消えていった。その犠牲のもとに、「私」「自己」「自我」といった近代の概念が誕生し、人は存在するだけで尊重されるべきという「人権」(ヒューマンライツ)の概念が誕生した。それがどれほど大切か、どれほど大きな意味を持つのかは、強調しすぎることはない。

 日本で、人権概念が家族の中に及んだのは、21世紀になってからだった。玄関の扉を閉めたとたんに、人権概念は通用しなくなってしまう。狭いコンクリートのマンションの一室で繰り広げられる凄惨な虐待は、親にしてみれば遊び感覚でペットをいじめて笑うことと違いはないのだ。人権などそこには存せず、我が子なのだから思うままにできると思っている。悲惨な子ども虐待死事件が報道されるたびに、家族の中に人権はないという現実が、今でも変わっていないことを痛感する。親はいかなる理由があろうと、子どもという存在の権利を侵してはならない。これを繰り返し強調し続けなければ、家族における親の愛、配偶者への愛と、虐待やDVといった暴力=人権の侵犯はやすやすと地続きとなってしまうのだ。家族におけるこのような被害と、国家間の被害は相似形である。強い大国が弱い小国に侵攻しても罰せられないという現実をこの1週間ほど見せつけられているから、そう思う。家族が無法地帯であり、人権侵害の危険にさらされていることと、国家間の侵略や戦いが絶えないことは同じことなのである。このような視点からずっと家族の問題を考えてきた。

世代間連鎖への恐怖

 くにさんは、認知症が進行しつつある母親を介護している。これまで書いてきたように、母からは幼少期からずっと虐待を受けてきた。不意に包丁が飛んできたり、裸で屋外に出されたり、首を絞められたりした経験をもつ。

 結婚、出産を経て、親になったくにさんは、成長するにつれて娘への数々の虐待的行動を止められず、援助を求めて保健所紹介の支援グループにつながった。

 詳細はこれまでの連載を読んでいただきたいが、グループに参加し、同じ苦しみを持つ女性たちとのつながりを得たことがその後に大きな役割を果たすことになる。

 『母が重くてたまらない』(春秋社、2008)を上梓したあと、多くの女性たちがカウンセリングに訪れた。母娘問題が今では「毒母」というなんとも嫌な言葉に一部変貌してしまったことは嘆かわしいが、母との関係に苦しんでいる女性(男性)たちが、援助を求めてもいいという承認を得たことは大きかったと思う。

 あれからもう15年近く経つが、今でも変わらないのは、「母と同じことをしてしまうのではないか」「ああなるかもしれないから結婚がこわい」「子どもを産むのがこわい」という女性たちが多いことだ。

 男性は、母という異性の親に対しての距離感もあり、自分が繰り返すという恐怖は少ない。むしろ、もっと「父と同じことをしてしまうのでは」という恐怖感はもってもらいたいと思うほどだ。

 世代連鎖という言葉は、「連鎖してしまうものだ」という運命論として多くの女性を苦しめている。それについても、拙著『後悔しない子育て』(講談社、2019)で詳しく書いたので読んでいただきたい。私が伝えたいことは、運命的にそれをとらえる必要などないということだ。連鎖させる人もいれば、まったく違う親子関係を築いて生きていく女性たちも多いことを私は知っている。

抵抗できない強い磁力

 くにさんは30年近く前に、世代間連鎖を自覚してそれを防ごうと努力したことになる。そんな女性が、果たして母親の介護をできるものだろうか。多くの女性たちはそう思うだろう。

 前回(連載第8回)で述べたのは、くにさんが母親の排泄の世話や下着を交換しながら、まるで自分がケアされているような感覚に襲われるという経験だった。この部分はとても重要な点だと思う。

 虐待した母と私という対立的構図がどのようにして無化されていくのだろう。いや、無化というより溶解といったほうがいいのかもしれない。母が施設に入っていても、面会の前日から気分が重くなる、たった2時間の滞在なのにその後1週間ほど心身の状態が不調になるという女性は珍しくない。そのような母と自分とのあいだには何があるのだろう。深い谷間なのか、それとも近づくと猛烈な勢いで過去に戻されてしまう引力なのだろうか。過去に生じた無数の感情の記憶が一気に吹き上げるように甦ることもあるだろう。

 私はときどきそれを「磁場」と呼んだりする。離れていれば生じないのに、近づくと抵抗不能な磁力で引き寄せられてしまうのだ。その先には、必死で離れようとした、なんとか脱出したと思っていた母によって統治される世界が待っている。

 そんな世界に引き込まれることを予測するので、会いたくないのだ。会った瞬間に作動する磁場や引力に対抗する覚悟が要るし、そのためには膨大なエネルギーが必要になる。その時間が終って帰宅すれば、あの異世界から現実に戻るためにまた時間がかかる。気圧も、空気も、時間もすべて狂ってしまうのだから、日常への帰還にはこれまた時間とエネルギーが要るのだ。

見知らぬ人に手を差し伸べるように

 くにさんは言った。

 「道端で転んで動けなくなった人が居れば、手を差し伸べますよね。母を介護するとき、そんな感じなんですよ。母だからとか、あの母にとか考えないんです。道端にうずくまっていたり、公園でぼんやり道に迷っていたりする人みたいな。母だけど、見知らぬ人みたいな、そんな感じなんですね」

 「だからあまり疲れません。手助けが必要な人を助けただけなんだから、疲れることなんかないですよ」

 かつてKSと名付けた症状に困り、できるだけ母親に会わないようにしていたころのくにさんとは大きく違っていた。それは少しずつ起きたことなのか、何かはっきりとしたきっかけがあって起きたことなのだろうか。

 「よくわからないんだけど、気づいたらそうだったんですね。たぶんカウンセリングに来ていることも大きいでしょうね。これ、サービスじゃないです(笑)。
 だいぶ前に言いましたよね、母が私の首を絞めた瞬間に、私の心はどこかに行ってしまったって。遠いところに飛んで行ってしまった気がするって。それがね、心がちょこっと戻ってきた気がするんですよ」

 「戻ってきた?」

 「そう、ちょこっとね。戻ってきた心が母の介護を助けてくれてるのかなって。……でもちょっと違う、そんな感じじゃないね」

 そしてこうつけ加えた。

 「一番大きいのはずっと話し続けてきたことかな。うん、カウンセリングに通いながら、30年近く付き合っている仲間と話し続けてきたことが大きいと思う。コロナで会えなくなっても、電話で話してきたし、ときどきは会ったりしてるし」

「仲間」の存在

 くにさんが娘への虐待的行為に困り、支援グループにつながったことは連載で何度も述べた。そのときのメンバーがずっと彼女にとっての仲間なのだ。「仲間」(ナカマ)には独特の響きがある。アルコール依存症をはじめとするアディクションの自助グループに参加するメンバーは、お互いを仲間と呼ぶ。最初にこの言葉を聞いたときは、なんだか時代が違うような、そんな違和感があったが、彼ら彼女たちが回復のプロセスでつくりあげる関係性は、まさに「ナカマ」という響きでしか言い表せないものだった。くにさんにとっては、30年経った今でも仲間のままであることが、アディクションに長年かかわり自助グループの雰囲気を知っている私にはよくわかった。

 仲間に対してくにさんは、もう30年以上も母との関係を話し続けてきたのだ。カウンセリングに行った、精神科クリニックに行ったという話や、いわゆる援助者との関係についても、仲間に伝え続けてきたのだろう。


 話が逸れるようだが、私が自分の仕事や文章の評価で一番気になるのは、当事者からのそれである。専門家や同業者からの反応は、大して気にならない。そもそもあまり理解されるとは思っていないのである。おそらくくにさんは、仲間と私たち援助者の評定を行ってきたに違いない。あのカウンセラーはね、あの精神科医はね、と。そのことに私たち援助者はもっと敏感でなければならない。

 極端に言えば、お客様のご意見箱みたいなものではないか。近年カウンセリングに訪れるクライエントの事をユーザーと呼ぶ風潮があるが、もしそう呼ぶならどうしてもっとユーザーの評価を気にしないのだろう。

 ネットで派手に宣伝している自称カウンセラーだって、ユーザーの満足度を得ているから成り立っているだろう。専門性と顧客満足度が一致しないとしたら、満足度を高めるようにすべきなのだと思う。

 くにさんは仲間と専門家の品定めをしながら、長きにわたって母のことを話し続けてきた。カウンセリングでの経験は、その基盤に支えられていたのである。そのことを確認して、ああ似たことを体験した、と思い当たった。女性のアルコール依存症者のグループカウンセリングを実施していたときに、彼女たちが自助グループに参加してそこの仲間とつながることで酒や薬をやめていったこと、そしてカウンセラーである私が果たした役割は彼女たちの回復のごく一部にしか過ぎなかったことを思いだしたのである。

語りつづけること

 「繰り返し同じことをしゃべっているみたいですが、それが違うんですよ。仲間も変わるし、年を取るし、話していることがやっぱり変わっていくんですね」

 「ある時もういいかって思ったことがあって。それはびっくりでしたよ、話しながらなんていうのか、必死さが変わってきたんですね。前はこの泉の水を飲まなきゃ脱水で死んじゃう、みたいな感じだったんだけど。だんだん、水を飲まなくても別にいいか、みたいな感じになってきたんですよ」

 「父が亡くなって、勝手にですが父も仲間になったんですね。仏壇に向かって心の中でつぶやくことは、仲間に聞いてもらってるのと似てるなって。だから、父が死んで仲間が増えて、それと同時に母に介護が必要になって、不思議ですが重なってるんですよ」

 そうだったのか。父が生きているあいだは、母と父は一緒に暮らしていたので、母のことを父に説明することは不可能だった。しかし父の死を予知できたくにさんのことだから、不思議な能力を発揮しているのかもしれない。自然と、仏壇の前に行けばいつでも父に話ができるようになった。正気を失ったかのような母のことも、仏壇の前で話せた。
 
 「お父さん、どうかお母さんを正気にもどしてください」

 そう祈った瞬間、ふっと母の目は正気に戻ったとくにさんは感じた。

見知らぬ人になって母も変わった

 くにさんは続けてこう語った。

 「不思議なことに、見知らぬ人が困っているから助けている、と思えるようになったら、母がちゃんと私に話をしてくれるようになったんです。それまでは、デイサービスに行かない、行く、といって散々困らせたりしたんですが、それが減ってきたんです。
 前から『くにはかわいいね』ってご機嫌とったりすることがあったんですが、最近はお礼を言うようになったんですよ。ありがとうなんて言われたことなかったんで、おったまげちゃって。こちらも、肩の力が抜けたのか、ごはんをつくって食べさせることも、前よりちょっと手抜きするようになったんです。
 先日いつものように、トイレまで連れて行って、下着を交換してやっていたら母が突然言ったんです。
 『わたし、くにを生んでもよかったんかね』
 『よかったんだよ、おかあさん、私を生んでよかったんだよ』
 反射的にそう口から出たんです。

 『でもなんでそんなこと思ったの?』
 『こんなことさせて、毎日毎日。わたしがくにを生んだからこうなったんだろ。くにを生んでもよかったんかって』

 母の言葉にびっくりしたんですが、思わず口から出た私の言葉にもびっくりしました。ずっと生まれてこないほうがよかったと思ってきましたし、なぜ自分を生んだのかと母を責めてきた私が、生んでよかったと言うなんて。
 
 それは、母が私を生んだことを肯定する言葉ですが、いっぽうで生まれてきた私を肯定する言葉でもあるのかなって思います。

 その1分後には、もう母は自分が何を言ったか忘れてしまっていましたが、あの言葉は忘れられません。たぶんそれは、見知らぬ人を助けるように母の介護をするという私の中の変化が母に伝わったからではないかと思います。
 
 それがどう影響しているのか、やっぱり説明は難しいですが、きっとそうに違いないと思います」

代弁するということ

 お読みになっている方は、だんだんくにさんの言葉と私の言葉が重なっているのに気づくだろう。

 くにさんはもちろん実在しない。私が勝手に頭の中で造形した存在だ。といいつつも、数多くのこれまでお会いしてきた女性たちの姿がそこにはぎゅうぎゅう詰めになっている。彼女たちは私に何を期待しているのだろう。もちろん直接頼まれたことはないが、私は「代弁」してくださいと言われている気がする。

 当事者のことは当事者が語る、このあまりにも正論過ぎる主張に対して何も言うことはない。しかしそれは代弁と対立するものではない。

 私は個人の代弁をしているのではない。類似の、あるいは共通の問題の「構造」をとらえて語りたいのだ。そこには私が勝手に「相似形の構造」ととらえる視点が入っている。当事者の書かれたものとの違いがそこにはあるだろう。この世の誰もとらえたことのない「相似形の構造」を見いだし、その視点から被害にあった人たちの声を代弁する。私にとって文章を書くというのは、そういう行為なのではないかと思っている。

 

 

 

*本連載は、初回と最新2回分のみ閲覧できます。