家族と厄災 / 信田さよ子

感染症、災害、原発事故。予期せぬ非常事態は、家族関係に何をもたらすのか。 新しい物事を生みだすのではなく、いずれおとずれる限界を前倒しで呼びよせているとしたら……。 家族のなかの最も弱い立場の人々と接してきた臨床心理士が、「家族におけるディスタンス」をめぐって希望の糸をたぐる。

むき出しのまま社会と対峙とする時代

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時代の空気がわからなかったあの頃

 今年の冬は寒かった。底冷えのする日が3月になっても多かった。年齢のせいかもしれないが、4月中旬というのに、こうやって原稿を書いていても足元からしんしんと冷えてくる。

 にもかかわらず、桜の開花は例年より早かった。その後雪が舞いそうな花冷えの日々がつづいたおかげで、桜の盛りを長く眺めることができた。強風に舞い散る花吹雪の中を歩みながら、道路わきの家の庭にふと目をやると、バラのつぼみが少し膨らんでいた。

 まるでジェットコースターのような今年の自然のありさまは、吉兆というより、どこか破れかぶれのように思える。自然の営みなどという牧歌的な言葉が嘘くさく思えるのは、目に飛び込んでくるニュースがどれもこれも悲惨で、私自身がヤケクソになっているからなのかもしれない。

 時代の空気という言葉がある。

 若いころ、私はこの言葉にあこがれていた。時代の空気を鋭敏にキャッチできるような人が羨ましく、自分も「ああ、時代の空気は今~です」などと言えるようになりたかった。言い換えれば、時代の空気なんて私にはまったくわからなかったのだ。暗い時代とか、陰惨な空気に満ちた時代といった表現を読むたびに、こんな感性を持ちたいものだと思った。

 世界の転換期ときいて1990年前後をイメージする人は多いだろう。ソ連がなくなってロシアとなり、東西ベルリンの壁が崩壊した。日本ではバブル経済が崩壊し、それに続いて経済の低迷状態が始まった。こう書いていても、私自身はその時代を生きたはずなのに、あまり強い印象がない。のちに「ああ、あれはバブルだったのか」と思ったが、何の恩恵も受けなかったせいもあるだろうが、時代(社会)に対する無感覚さは、当時私が2人の子育てと仕事に追いまくられていたことも影響しているだろう。40代前半の私は、カウンセラーとして働きながら、毎日18時には帰宅する日々だった。食事づくり、掃除、洗濯などに忙殺され、中学生と小学生の子供の世話でせいいっぱいだった。当時から「私の人生に必死という言葉は存在しない」と豪語して余裕をかましていたけれど、それでもやはり大変だった。

 研究会や学会、会合などはすべてシャットアウトしていたので、男性たちが何の障壁もなく夜の研究会に出席する姿を見て、私があの状況なら彼らの1.5倍の成果を上げられるだろうと考えることで、ひそかに溜飲を下げていた。

 当時の私にとって、「守らなければならない存在」である2人の子供が優先順位のトップであり、仕事はその次であり、そのぶん経済力では夫に依存するという、よくある構造の中で生きていたのだ。そんな日々において、バブル崩壊とかソ連崩壊とかいうものは蚊帳の外で起きる事象に過ぎなかった。時代の空気なんて感じることもなかったのだ。

重層的厄災

 もうひとつ時代の空気を感じにくい理由がある。1990年前後の日本全体を見わたすと、伊豆大島三原山の噴火による全島避難(1986)、雲仙普賢岳火砕流発生(1991)などといった災害は発生しているが、もし比較することが許されるのなら、現在私たちが置かれている状況よりはるかに厄災は少なかった。

 その後1995年の阪神大震災は、都市型の大震災として大きな影響を与え、トラウマという言葉が日本で定着するきっかけともなった。

 しかし、2022年の現在、私たちが直面している厄災は、その重層性において過去に比類がないと思う。

 ・コロナ禍が長引き、収束が見えないこと(100年に1度というパンデミックの襲来)
 ・気候変動(待ったなしと言われる地球温暖化)
 ・ウクライナへのロシア侵攻(国際法違反の大国による小国への軍事侵攻)
 ・多発する地震(震度4以上の地震が各地でつづき、東北新幹線が脱線した)

 ロシアの軍事侵攻を厄災と表現するのは正確ではないが、自然の猛威によるものでないとしても我々はなすすべもなく圧倒されるしかないのだから、ここでは厄災と呼ぶ。

 どれか一つでも大ニュースなのだが、それが一気に襲っているのが今なのだ。これらが日替わり定食のように連日メディアをとおして報道されている。もはやウクライナの惨状報道は、ワイドショーの定番と化しているほどだ。3月に東北地方を震度6強の地震が襲い、首都圏でも停電が相次いだときは大騒ぎだったが、すぐにまたウクライナ侵攻のニュースにとって代わった。

 2020年のパンデミック到来、オリンピック延期、緊急事態宣言などを経て、いまや日本では人々のマスク姿が常態と化した。テレビで見る取材光景も全員マスク姿だ。アルコール消毒も津々浦々で習慣となっている。

 カウンセリングの光景も様変わりし、透明なパネル越しで行なったり、オンラインも当たり前になったりした。かくいう私も、原宿カウンセリングセンターの顧問になったあとも、4種類のグループカウンセリングをオンラインで実施している。


 いまや、パンデミック以前が遠い昔のようだ。つくづく、人間の適応力の凄さには感嘆させられる。まるで保護色で変身するかのようだ。緑の葉に紛れるように緑色になる昆虫、雪が降ると白色になるライチョウのように、環境に従って自らを変えることで、生き延びていく姿と私たちは似てはいないだろうか。

 非常事態がいくつも重なると、非常事態が常態となる。何十年ものちには(私はおそらく生きていないだろう)、2022年は重層的厄災の年として語られるだろう。

 JRの車内はほぼ満員に近くなり、繁華街では夜間も人出が戻った。でも何かが違う。おそらく誰もが「時代の空気」を感じているのだ。一昨年の同じ頃、7都道府県に緊急事態宣言が発出され、がらんとした人気のない新宿駅の光景を見たが、それは2011年の東日本大震災直後の新宿と同じだった。今、街を行きかう多くの人たちの脳裏にもきっとあの閑散とした景色が刻まれている。その記憶とともに常態化した非常事態を、私たちは生きている。

誰かに起きた暴力が、自分の痛みをよびさます

 保護色のように適応し慣れ切っていくいっぽうで、ひそかに、少しずつ変化しているものがある。

 それは「暴力」「性暴力」の加害への認識である。ジェンダーの視点から、当たり前とされてきた男性目線のカルチャーが見直されているのだ。

 被害者のカムアウトはこれまでもあったが、それが明確な「加害者」特定と糾弾につながりつつあるのは今だからだろう。

 アカデミー賞授賞式でのウィル・スミスによる司会者への暴力は、全世界に瞬く間に動画で広がった。その衝撃で『ドライブ・マイ・カー』の国際長編映画賞受賞がかすんでしまったほどだ。ウィル・スミスに対する厳しい措置は、おそらく日本の映画界を震撼とさせただろう。ほぼ同時期に、日本では俳優や映画監督による性暴力の問題が広がり、次々と被害者の体験記や告発がネット上で公開され、映画監督有志による暴力反対の声明が発表されたが、その動きは出版界にまで及んでいる。文壇の大御所的作家によるセクハラが、被害者による告発によっていくつか表面化している。twitterでは「文学界に性暴力のない土壌をつくりたい」というハッシュタグができて、多くの女性作家たちが賛同しつつある。twitter上では、これまでのようなバッシングが見られないのは気のせいだろうか。

 誰かの身に降りかかった暴力が、自らの被害の記憶と交差することがある。ウクライナ侵攻によって起きている暴力もその意味では、地続きである。国家の暴力性が露わになることで、きわめて個人的な性的暴力が表面に浮上してくることは、よく考えてみれば不思議ではない。

 ロシアによる侵攻に伴う略奪や性暴力と、日本における映画関係者による女性への性暴力を同列にしていいのかという意見もあるが、私は同じだと思う。戦時や災害時の性暴力と、多くのセクハラや性的搾取は構造的には同じである。高名な作家や映画関係者たちは、女性は人間ではないと思っているのだろう。自分と同じ人間だと思わないから、あのような行為ができるのではないか。同じ人間でない、性的対象でしかないと思うから勝手に身体に触ったり、性交渉の同意なんか必要ないと思うのだろう。私自身は幸いにそんな経験が少ない方だと思うが、それでも振り返ればザラッとした、喉元に刺さった小骨のようないくつかの記憶はある。

 トラウマ被害については多くの研究によってその深刻さが明らかになっている。中でも、フラッシュバックがその後の人生に深い影響を与えることがわかり、あらゆる暴力の否定が共通認識になりつつある。

 つまり、過去に傷つけられた人は、適切にケアされなければ、その後の人生において脆弱性が高まるのだ。思いがけないことが引き金になって、トラウマのフラッシュバックが生じるので、オーバーに言えば地雷の中を歩いているような日常となる。たとえば、昨年末のミュージカルスターの投身自殺や大阪の心療内科放火事件など、トラウマを経験した人にとっては、事件報道が他人ごとではない衝撃をもたらすのである。他人事として見聞きできることで、私たちは生きていける。たとえば、ホテルから飛び降りた女性のニュースと自分とのあいだに適切な遮断幕を下ろすことで、自分の世界を守るのだ。

 ところが過去に深く傷ついた人たちは、遮断幕を下ろすより先に、できごとの衝撃性が自分の世界に入ってきてしまう。戸締りをする前に侵入されるようなものだ。昨年末の一見無関係な二つの事件を、わがことのように感じざるを得ない人たちはとても多いのだ。他人事にできるということは、冷酷で非情なことではなく、自分自身を守るために必要な作業なのだと思う。いずれにしても、ロシアのウクライナ侵攻の報道、その後の破壊と殺戮のニュースが、日本だけでなく、世界中のトラウマ被害の経験者に与える影響はいかほどだろう。重層的厄災と呼ぶしかない現実は、過去の被害に苦しむ人たちにとって過酷そのものなのだ。


 しかし保護色にまぎれるだけが人間の適応ではない。自らのトラウマ被害を、新たな加害(攻撃)に転化することで生きる人も多いのだ。いじめられたら、もっと弱者をいじめるように。

 虐待されて生きてきた人がすべて、本連載に登場するくにさんのように、連鎖させまいとするわけではない。残念ながら、自分より弱い者を支配し、時には暴力をふるうことで無力感を克服する人の方が多いと思うことすらある。

 母親から虐待されて育った人が、こんなことを話していた。73歳になる彼女の母は、軽い脳梗塞の後遺症で半身麻痺が残っている。

 「ひさびさに会ったら、母がいやに元気なんですよ。ウクライナのニュースを見ながら、ああかわいそう、ほんとにひどいね……って言いながら、顔が輝いてるんです」
 「たぶん、母のことですから、自分より不幸な人が増えるのを見て力をもらってるんですよ。この世にはあんなに悲惨な経験をしてる人たちがいると思うと、母はうれしくて元気がでるんですね」

 彼女は、幼いころ高熱で苦しんでいる自分を見て心底うれしそうな顔をした母の姿が忘れられないのだった。母のことを、まるで腐った肉を栄養にする動物のようだと形容した。

 誰かの痛みを、栄養にして生きる人もいる。

社会・国家とむきだしで対峙する時代

 自分の身体を意識するのは、身体がままならなくなった時だ。そんな文章を読んだことがある。痛みや不調によって、私たちは自分の身体を意識する。同じことが時代の空気感にも言えるのかもしれない。

 時代の空気なんて全然わからない。こう嘆いていたときは、幸いだったのかもしれない。厄災をいくつも体験することもなく、あの悲惨な過去の戦争の記憶も伝聞でしかなく、ありあまる若さとエネルギーに満ちていた時。それは2022年に比べれば、はるかに幸いだったと思う。時代の空気や社会的事象に影響され鋭敏になるのは、守ってくれる存在、守らなければならない存在がないからではないか。

 幼い子供が親の胸の中で眠るように、自分が守られているという感覚があれば、もしくは守らなければならない存在がいれば、自分をとりまく社会や世界は遠くなるのではないか。政治的無関心にも通じるが、それはひょっとして幸せな状態なのかもしれないと思う。

 身体がままならない時に身体を意識するように、空気のように漂っていた安心感が備給されなくなったとき、私たちは社会や国と、むき出しで対峙せざるをえなくなる。より弱い存在ほど自分に向けられた暴力に敏感にならざるを得ない。今、起きている様々な物事は、それを物語っているように思うのだ。

 

 

 

*本連載は、初回と最新2回分のみ閲覧できます。