白旗を抱きしめて 〈敗北〉サブカル考 / TVOD

格差社会が当たり前のものとなって久しい。「勝ち組」「負け組」という言葉は、社会背景によってその内実をかえながら、亡霊のように私たちにまとわりついているかのようだ。 音楽、映画、小説、漫画……。サブカルチャーにおいて、挫折や敗北はどのように描かれてきたのか。私たちはそこに何を見出そうとしてきたのか。 ともに1984年に生まれ、ゼロ年代に青年期をすごしたTVODの二人が、往復書簡をとおして自在に語りながら考察する。

「かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう」を再検討するーーコメカより

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松本人志と早川義夫

 前回のパンス君の手紙を読んで、「かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう」という言葉について久々にいろいろ考えました。早川義夫のソロアルバムタイトルであるこのフレーズ自体は、いろいろな解釈ができるものだと思います。例えば、人間が近代的な「かっこいい」主体性を確立しようとすることが、逆に「かっこ悪い」悲惨な抑圧を社会に招き得る、みたいな警句として読むことだってできる気がする。

 ただ、サブカルチャー的な文化圏ではこの言葉はやはり、かっこよくあろうとすることのなかにある寒々しさをナナメから批判的に眺める、というような意味合いで理解されることが多かったはずです。パンス君が言うように、「珍走団」というギャグ的揶揄で、暴走族的なかっこつけ行為は転倒され、言わば「寒い」ものに転化されてしまう。暴走族的かっこつけには反権力的な要素が部分的にはたしかにあるわけで、そこに「珍走団」という呼称を貼り付けようとすることのなかには、「かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう」的感覚が、嘲笑的な形になって表出してしまっている。対象を「寒い」と嗤うような感覚。

 ところで、「寒い」という揶揄的表現を世間に広く浸透させたのは、ダウンタウン・松本人志でした。若い頃の松本を思い出そうとすると、彼がブラウン管のなかで「サブーッ!」と叫んでいる姿が、自分の脳内に浮かんできます。ナンセンス・コメディ感覚と尼崎で育った記憶・体験とを混ぜ合わせたようなダウンタウンの笑いは90年代に大きな成功を収め、松本は時代のカリスマになりました。カリスマ化して以降の松本が「寒い」とジャッジしたものには、「つまらない」「キツい」と否定的なレッテルを貼られる状況があったと思います。松本と早川義夫の間にはもちろん何の繋がりもありませんが、しかし松本も早川もそれぞれの時代のある時期において、「負けている」側からの想像力を提示していたのではないかと、ぼくは考えています。

 売れないバンドを解散させたシンガーとしてソロ作を発表した早川、漫才ブームがとっくに終わった後に漫才師としてデビューした松本はどちらも、その時点では「勝ち組」的に華々しく自らの表現を展開したわけではなかったはずです。極めて下品な言い方をしますが、売れないミュージシャンもブーム終焉後の漫才師も、世間は「負け組」として見做してきます。「かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう」という言葉や、「寒い」という揶揄的ツッコミには、そうした「負け組」の側からの世を拗ねたような感覚、ルサンチマン込みで世界を斜めから見るような想像力が上手く表現されていたように思います。そしてそうした感覚・想像力は、ある時期以降の日本のサブカルチャーに深く根差していったのではないでしょうか。

 しかし早川は『かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう』を発表した後、音楽業界から離れ本屋のおやじさんになります。対して松本は先述したように、こうした「負け組」的感性をフル活用することで、90年代以降の日本最大のポップスターのひとりとなっていきます。松本には、芸能界において権威化・肥大化した近年の状態とはまた少し違う在り方、「アーティスト」のようなイメージが演出されていた時期がありました。『ごっつええ感じ』後期あたりから、いくつかの映画作品を制作していた(そして評価を得ることができなかった)ぐらいまでの時期ですね。この時期の彼は、自分の才能が世間から理解されていない、という被害者意識の表明と、自分の才能を理解できない世間はバカである、という攻撃的な物言いを繰り返していた記憶があります。ブーム後の漫才師という「負け組」的な場所から松本はその表現を始めたわけですが、しかし彼は「勝負そのものから降りる」思考=ドロップアウト的な思考は、基本的に持っていなかったのではないかと思います。当時の著作等で表明されていた松本の考え方は、ネクラだったり貧乏だったり、「負け組」である奴こそ面白くあり得るという趣旨のものでした。そして面白いことこそが松本にとっての至上価値であり、彼にとって「負け」を「勝ち」にひっくり返せるのが、お笑いだったはずです。「勝負そのものから降りる」のではなく、勝負において「負け」を「勝ち」にひっくり返すことが重要だったからこそ、松本は世間に対して被害者意識を抱えたり、攻撃的な言動を繰り返していたのではないか。自分は勝負に勝っているんだと、世間に向けて主張し続けたかったのではないか。

ビートたけしのニヒリズム

 松本について比較対象としてよく持ち出されてきたビートたけしは、全共闘の時代を通過したことで得た「勝負そのものから降りる」感覚、ドロップアウトの思想から出発しています。勝つとか負けるとかいった土俵そのものから降りる。そのドロップアウトを物語化・ロマン化させる方法として浅草芸人になる道を彼は選択し(「大学をクビになってやることがなくて、浅草にたどり着いたみたいな感じでした。死ぬ場所みたいなことで、浅草の芸人で死んでいけばいいやと思っていた」https://eiga.com/news/20150922/13/)、しかしロマンに留まり続けるのではなく、売れて広い世界に向かうこと=もう一度勝ちに行くことを結果的に目指したわけです(芸人として生きるようになってから、ああ勝たなきゃいけないんだと初めて思った、という趣旨の発言をたしか彼はしていたはずです)。一度降りた勝ち負けという土俵に、浅草を経由してもう一度帰還する。そうして実際にビートたけしは世間に勝っていくわけですが、しかしやはり当初のドロップアウトの思想が至る所で顔を出し、それは死への欲動として初期の映画作品のなかに頻繁に顔を出すことになったとぼくは考えています。異様な負けず嫌いの裏側に、勝ったからって何なんだ? 一度ドロップアウトして芸人になったあとの人生で、勝つことに本質的に意味なんてあるのか? というようなニヒリズムが、ビートたけしの軌跡において張り付き続けていたと思います。

 1994年に起こしたバイク事故における仮想的な「自殺」のあとは、それまでも志向していた振り子の論理=尊と卑の往復(国際的映画祭での受賞と、ブリーフ一丁でのコントを行き来するような)をより徹底することを原動力として、ニヒリズムを抱えながらたけしはどうにか生き延びていった印象があります。最新作『首』においても、武士道というロマンのなかで死んでいくことのできない秀吉が、光秀が死んだことさえわかれば首なんかどうだっていいと叫び、気づかぬままに光秀の首を蹴り飛ばして終幕を迎える。そこにロマンも意味も無くても、まずは即物的な勝利を収めるしかない、天下を獲るしかないんだ、というような、ニヒリスティックな行動性がそこにはあると思います。「ヤクザやめたくなっちゃったな」(『ソナチネ』)というような、勝ち続けなければいけないことに対する倦んだ感覚はもはやない。狂騒的に勝つことを志向し続ける人間の滑稽さそのものを、ニヒリスティックな笑いにしてしまっている。

 対して松本人志はやはり、「勝ち」に意味やロマンを見出そうとしていたのではないでしょうか。松本はNSC(ニュースタークリエーション)吉本総合芸能学院の第1期生であるわけですが、芸人になるために養成所に入学するという感覚には、70年代初頭にたけしが浅草に向かったようなドロップアウト的志向とは実際のところかなり異なるものがあったはずです。

 文芸批評家の矢野利裕は、「NSC第一期生である松本の発想は、まさにこのような(引用者註:秋田實がその仕事や漫才学校の開設を通して展開した、教育制度の構築によって芸を秘技から解放し、そこで学ぶ者が演芸教育を平等に受けられることを是とするような志向)、〈学校〉的で民主主義的な立場に根差している。いや、実力至上主義という意味では、新自由主義的とすら言えるかもしれない」(『M-1グランプリ』とお笑い民主主義)と書いています。NSCというお笑いの学校化=民主化装置に向かった最初期の芸人である松本は、浅草も含めたそれまでの芸界の彼岸性と距離を持つ最初の世代の芸人に、結果的になったのではないか(矢野は「バラエティ空間の全面的な〈学校〉化は、乱歩が描写していたような芸人の異形性をきれいに取り除く。お笑いのマニュアル化は、お笑いを方法論に還元してしまい、社会の秩序のなかに位置付ける」と書いています)。たけしと対比されて語られがちだった彼はしかし、世間的な勝ち負けという土俵そのものから距離を置く意識や経験には、根本的な部分で実は縁遠い存在だったのではないか。

 自分の才能が世間から理解されないという被害者意識も、自分の才能を理解できない世間はバカであるという攻撃的物言いも、そもそも理解されたり認められたりする=「勝つ」ことそのものが本質的には無意味であるというニヒリスティックな視座を、(その不条理で荒涼とした笑いのセンスとは裏腹に)松本が持ち合わせていなかったことに起因していたのだとしたら。勝ちたがっている自分自身をも笑ってしまうことが笑いの本質的な強さ・恐ろしさであるのに、そういうニヒリズムには実は傾倒できない、小市民的な感覚が松本の活動にはつきまとい続けていたように思います。カリスマティックなアウトローのように扱われながら、実際には彼は極めて戦後日本的な市民感覚のなかを生きた芸人だったのではないか。お笑いも、「『勝つ』こととは違う世界の可能性を開いてくれるもの」ではなくなってしまったのでしょうか。

 しかし、芸人・松本人志が生きてしまったのかもしれない小市民性、外部を想像できず勝ちに固執し、そこに意味やロマンを見出そうとしてしまう在り方そのものが、現代世界を生きるわたしたち自身の問題として、ぼくには感じられます。実際、こういう問題と無縁に生きていられる人間は、いま現在ほとんどいないのではないでしょうか。

「ふつうであること」は素晴らしい(だろうか?)

 早川義夫は2011年にTwitter(現・X)上で、「『かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう』と思ったのは、42年ほど前のこと。今は、『かっこいいことはかっこ良くて、かっこ悪いことはかっこ悪い」と思っていますよ』と投稿していました(https://twitter.com/yoshiohayakawa/status/125870240629395457)。この投稿もまたいろいろな読み方ができると思いますが、アイロニカルな視線ではなく、まっすぐな視線を今は大切にしている、というような読み方ができる気がする。早川はその音楽活動を通して、「かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう」というアイロニーで「負け」を「勝ち」にひっくり返すようなことは、していません。そして彼が音楽業界から退き、川崎市で自らの本屋・早川書店を開店したのは、ビートたけしが浅草フランス座でエレベーターボーイを始めたのとほぼ同じころ、1973年でした。

 82年に刊行された早川の著作『ぼくは本屋のおやじさん』は「就職しないで生きるには」という晶文社のシリーズの一作として出版されたわけですが、前回の手紙でパンス君が書いていた「小さな行動だけど、積み重ねて徐々に社会の大きな問題を変えていく方向に持っていくのは可能だろうか」というような思考が、「就職しないで生きるには」という言葉にも託されていたように思います(生きのびるブックス、という名前も、そうかもしれないですね)。『ぼくは本屋のおやじさん』はしかし決して甘い内容ではなく、書店経営の大変さが極めて具体的に書き連ねられている本だったわけですが、そのなかで、「気弱なものが遠慮して、図々しいものだけが得するような、そんな世界は、できることなら、つくりたくない」(早川義夫『ぼくは本屋のおやじさん』(晶文社)p.101)という記述があります。

早川義夫『ぼくは本屋のおやじさん』晶文社

 気弱なものが踏みにじられることなく、気弱なままでもしっかり生きていける世界。それはネクラな「負け」をカリスマティックな「勝ち」にひっくり返してしまうような、お笑いの悪魔的な魅力とは違う感覚で志向されるものだと思います。早川は同書で「十代のころは、人より変わったこと、人と同じじゃいやだという生意気な気持ちがあったが、二十を越してから、この世で一番素晴らしいことは、ふつうであること、と思うようになった」(p.68)とも書いていますが、まさにそういう「ふつうであること」に向かって一生懸命努力するような志向が、「気弱なものが遠慮して、図々しいものだけが得するような、そんな世界」を拒否する彼の態度をつくっていったのではないでしょうか。「ふつう」なんて存在しない、「ふつう」を決めてしまうことは暴力であり抑圧である、という見方もまったく正しいのですが、しかし「ふつうであること」を一生懸命目指すことには、やはり重要な何かがある気がするのです。中村一義の「永遠なるもの」という曲にある、「あぁ、全てが人並みに、うまく行きますように」という祈りと近いものを、ぼくはそこに感じます。

 「就職しないで生きる」にしたって、商売するなら、しかも自営業をやろうとするなら、ドロップアウト気分ではとてもやっていけません。むしろ、シビアな現実の過酷さに、勤め人と同じか、ときにはそれ以上に晒され続けることになります。ただ、そのシビアな現実のなかで「勝つ」ことにだけ意味やロマンを求めるやり方とは、何か違う生き方ができないか。「勝つ」ことの無意味さまで知ったうえで、ニヒリスティックな強度を追及するようなやり方とも、何か違う方法はないだろうか。そういう模索をたくさんの人々が試みていくことで、「徐々に社会の大きな問題を変えていく方向に持っていく」ことができたりしないだろうか。

 早川が再び歌い始めてから発表した最初のアルバムのタイトル曲「この世で一番キレイなもの」には、こんなフレーズがあります。「キレイなものは どこかにあるのではなくて あなたの中に 眠ってるものなんだ いい人はいいね 素直でいいね キレイと思う 心がキレイなのさ」。「かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう」というアイロニカルな言葉を掲げていたシンガーが、その25年後に、こういう言葉を歌っていた。松本人志は「負け」を「勝ち」にひっくり返し、芸能界の権威として君臨したわけですが、はたして松本もわたしたちも、そこまで「勝ち」を追い求め続ける必要があったのでしょうか? まっすぐに素直であろうとすることは、どうしてこんなに難しいことになってしまったのでしょうか?

 今回はこのあたりで。では、また!

 

 

 

*本連載は、初回と最新2回分のみ閲覧できます。