白旗を抱きしめて 〈敗北〉サブカル考 / TVOD

格差社会が当たり前のものとなって久しい。「勝ち組」「負け組」という言葉は、社会背景によってその内実をかえながら、亡霊のように私たちにまとわりついているかのようだ。 音楽、映画、小説、漫画……。サブカルチャーにおいて、挫折や敗北はどのように描かれてきたのか。私たちはそこに何を見出そうとしてきたのか。 ともに1984年に生まれ、ゼロ年代に青年期をすごしたTVODの二人が、往復書簡をとおして自在に語りながら考察する。

戦後という「デカい話」――パンスより

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敗戦という「負け」を考えてみる

 ちょっと夏休みをとって、8月15日は熊本から鹿児島をローカル線で旅してました。肥薩おれんじ鉄道という名で、1輌の電車から静かな不知火海や、薩摩半島に至るまでの山々を眺めながら、オリンピック作戦について考えてました。ちょうどパリオリンピックもやってましたがそれとは関係なく、1945年8月15日に日本が降伏していなかった場合、1945年11月に予定されていた本土上陸作戦の名前です。鹿児島南部の複数の海岸から米軍が侵攻する内容で、もし実施されていたら、自分が今電車に揺られているのどかな山地は、日本軍との激戦地になっていたはずでした。

 「もし〜だったら」で歴史を考える物語はたくさんありますが、太平洋戦争を題材としたものでパッと思いつくのは村上龍『五分後の世界』です。1994年刊行なのでちょうど30年経ってますね。ただれた生活を送っていた男が、「もし太平洋戦争で降伏していなかったら」の世界に迷い込み、地下壕で国家を維持し続ける日本人たちの姿を目にする。その様子は自分がいた世界の日本人とはまるで異なる秩序と凛々しさがある。過酷な状況から世界的なシンセサイザー奏者として大成した男なども出てきます(どう見ても坂本龍一をモデルにしている)。
 今思えばいかにも1990年代的な問題系というか、「秩序のない世界」としての時代認識があり、それを「ドロップキック」するための(ミスチルを引用してみました。これも1994年)「国家像」を探る、といったような。その後語られる「右傾化」と通じつつもまた別の路線があったような気がします。それはゼロ年代後半には排外主義に覆い尽くされて見えにくくなってしまった部分でもあります。そもそも、日本文化における「勝ち」「負け」について考えるならば、いちばん大きな「負け」として1945年の敗戦が挙げられるのではないかと思われます。そのような立ち位置に一旦戻ってみようかな、などと考えながら鹿児島に着いたのでした。

村上龍『五分後の世界』書影は1997年刊行の幻冬舎文庫版

 まあさらに雑駁に言ってしまえば、最近は「デカい話」があまりトレンドにならない時代なのかなとも思います。「主語デカ」と言われて嫌われてしまうし……。「20世紀」「日本」「戦後」とかどれもデカい。いや自分も主語デカで語り出すこと、主語デカな意見を見ることには抵抗があるのですが、おそらくそれはXとか短文+ツリーなどで展開するからであって、140字+αで主語が展開される状況に対する違和感でしかなく、ちゃんと長文で書けばいいのではないかと。

「日本」について考える時のバランス

 最近公開されていた斉藤幸平と村上隆の動画はわりと面白かったというか、コメント欄などで「村上隆がこんな人だとは思ってなかったすごい」的な反応がよく見られるのが興味深かった。動画の中で村上自身が作品のコンセプトについてあれこれ話している内容をざっくりまとめると、1980年代後半以降のシミュレーショニズムを「日本的」にどう解釈するのか、そして日本のオタク文化、二次創作的な感覚などを西洋の文脈にどう乗せていくのかという2点。それは彼の活動初期から一貫しており、資本主義の権化のようにしてブリンブリンに振る舞っているように見える美術家がこんなに色々考えてたんだな〜と驚きをもって受け止められているようなのだが、わりと1990年代後半くらいにはこのような議論が盛んに行われていたはずです。彼が当時提唱していた「スーパーフラット」という概念はのちの「日本スゴイ」的感覚に繋がるようなものとして警戒されていたと記憶していますが、彼自身は別に日本で大物になるのではなく海外に出ていってしまった。そのあとが空席になっていたのでみんなの認識から消えつつあった、と考えるとちょっと大袈裟かもしれないですが。

 「日本スゴイ」的な言い方は僕は好きではないですが、「日本的なもの」について言及するだけで違和感を持ってしまう……それは日本の左派の宿命というか、そもそもが帝国主義への反発をはらんでいるため、あらかじめインストールされてるようなところがあると思います。批判すべき宿痾があるとすれば、おそらくイエ制度と帝国主義――敗戦とともに停止したとされるもの――の残滓、そしてそれを充満させる「日本の空気」だと思っていますが、だからと言って「日本について考えること」から遠ざかってしまうことはなかろう。ここ数年印象的なのは、欧米の革新的な思想をかつての「脱亜入欧」ばりに持ち込んで「乗れない奴は遅れている」とする言説がある一方で、欧米による日本の解釈への怒りが突然燃え上がるような現象です(原爆投下を想起させる画像をきっかけに炎上した『バービー』+『オッペンハイマー』の件など)。どちらも理解しつつ、どうも反応が極端すぎるのではないか、と思うのです。それはやはり「日本について考えること」から遠ざかっているのが一因ではないでしょうか。

 松岡正剛が亡くなった時に、彼が後年「日本論」を多く出していたのがダメだったと断罪しているネットの書き込みを見かけました。政府にすり寄ろうとしていたのだろう、的な。実際すり寄っていたのかは知りませんが、「日本文化」と「権力」が結びついてしまうイメージを持たれている。それは坂本龍一が大学生時代、武満徹が和楽器を使用しているのに反発して抗議のビラを配っていたような状況から地続きだと思います。――若者のラディカル志向に対して僕は寛容なのでそれはOKですが……。後年坂本自身は反省していたとのこと。 
 それに限らず驚いたのは、逝去の直後に彼への批判が噴出したことですね。さすがに死の直後に批判しまくるというのは失礼というよりカッコ悪すぎではないかと僕は考えるのですが、世の中的(人文業界的?)には、そうでもないのでしょうか……。

 この連載を進めるにあたって加藤典洋『敗者の想像力』を読みました。そこに松岡正剛が登場しているんですね。吉本隆明、鶴見俊輔、中野重治、江藤淳らに代表される「敗戦後」の「戦後思想」の思想的営為、そのメインストリームがあるとしたら、他方の極に山口昌男、松岡正剛、片岡義男、植草甚一らの「いわば『脱領域』的な無重力(脱力)的なリゾーム状の『知』的営為」があった、としています。
 この分け方はなるほど納得というか、人選が良いです。後者はほぼ70年代に本格的に活躍していた人たちで、「脱領域」がポイントです。権威的なものとそうでないもの(キッチュ、ポップ)、を自由に行き来し、独特の軽さを持った、そして知的好奇心に満ちた表現を試みた。さらに、それは一つの作品というより、雑誌を中心とした「編集」で行われていた。ここまで考えていくとわかる通り、彼らはその後の「サブカル」の基礎を作ったといって良いでしょう。雑誌を主体として、「面白い組み合わせ」をたくさん作り、好奇心を持った読者が集まり、その読者たちによってまた新しい組み合わせが生まれてくる。これが1990年代くらいまでは活発に続いていた、と僕は見ています。

加藤典洋『敗者の想像力』集英社新書 

 新しい情報と、その編集に価値があった時代。それは、インターネットで検索すればあらゆる情報が手に入ってしまう現代から見ると理解しづらいものです。昔の情報はエビデンスに欠けていたり、出し方が適切でなかったりする場合があるので、今の視点だとそれを批判したくなってくるのかもしれません。松岡正剛に対する批判を眺めてそんなことを考えていました。歴史ってのは不可逆的に進むものなので、今がこうなってしまったのは必然であり、「昔は良かった」と言いたいわけではないけど、「昔はダメだった」で済ませてしまってもしょうがない、と僕は思うわけです。むしろ、昔は盛んだったはずなのに今は失われつつあるようなモノや感覚を引っぱり出していきたい。

 加藤典洋の本に戻ると、上記した「脱領域」的な知的営為が「敗者の想像力」の一つの形として挙げられているわけです。「敗者」というと一見言葉が強いかもしれませんが、要は「メイン」に対する「サブ」と言い換えて良いかと思います。「サブ」にいた人たちの振る舞いは、声高に「綱領」を宣言するような力強さとは無縁で、雑談的であったり、皮肉っぽかったり、軽薄な印象があったりするけれども、そこから生まれたものがたくさんあった。  
 ちなみに、そちらは「敗戦後」の「戦後思想」と対置されているわけですが、そっち側の人が「勝者」ってわけでもなくて、彼らにも「戦後民主主義」的なものに対するサブ的な側面があることについても言及されています。ここら辺がややこしいんですが、要は敗戦後、何段階かに分けて「敗者の想像力」が生まれてきたと考えれば良いかと思われます。

センス競争から、現在の勝ち/負けバトルへ

 この辺でもう少し自分たちの世代に近い話にしてみます。最近出たデーヴィッド・マークス『Status And Culture』に、こんなエピソードが載っていました。ちょうど30年前に華々しく(かつミステリアスに)「Loser」を引っさげてデビューしたベックについて。サーストン・ムーアが彼にインタビューするのですが、そこでベックは「初めて買ったレコード」を聞かれてこう答えます。「ハイノかな。『ザナドゥ』だったかも」。ハイノとは日本のアバンギャルド音楽を代表する灰野敬二のこと、『ザナドゥ』とは80年代の米映画のサントラですね。まあ、初めて買ったレコードがそれなわけないだろと思ってしまうわけですが、超マニアックなミュージシャンと、誰もが知ってるけど忘れられてるようなキッチュな1枚を並べて挙げる、これこそ「脱領域」の典型で、読んだら思わずニヤリとしてしまう。この感覚は、もうちょっと後になりますが自分たちTVODが青年時代だった頃にも持続していたような気がします。
 『Status And Culture』では「ステータス」という概念が提示されています。ざっくり説明するならば、自分のセンスが社会的に承認される基準のようなもので、それが常時衝突しながら更新されるのがカルチャーの流れ。そして自らのステータスを示すのが「シグナリング」。ここでベックは「ステータス」を匂わせ的に「シグナリング」しています。

 ベックほどあからさまではなかったかもしれないけど、若い頃は確かにこういう感じのコミニュケーションをしていたなーと思いつつ、ただそんな日々をキーワードで図式化されてしまうと苦々しく感じもします。図式的に整理しまくる点がこの本の魅力なわけですが。
 以前コメカ君が1990年代後半〜2000年代前半くらいの日本の文化状況について「情報がパンパンになっていた」と言ってて、面白い表現だなと納得しました。YouTubeはないのでレアな音源を気軽に聴けるほどではなかったけれども、大型CD店に行けばかなり貴重な音源まで再発で手に入れることができた頃の感じ。情報はパンパンなのに全ての人に情報がシェアされるほど自由ではなかったゆえに、センス競争がめちゃくちゃ細かくなっていたような……。まあ自分はそこまで頑張れていなかったような気もしますが、それでも先のベックみたいな「音楽の聴き方」「文化の受け入れ方」みたいなことは意識していました。

 そんな時代からだんだんインターネットが普及していくわけですが、『Status And Culture』には、インターネット以降の「ステータス」の帰趨について、「オムニヴォリズム」なる用語を使って説明しており、ここが一番読み応えがあります。
 ざっくりまとめてしまうと「みんな違ってみんないい」みたいなことです。情報は把握しきれないほど溢れており、誰しもそこから選択できるようになった結果、センスエリートの存在価値は下がってきたけれども、その代わりにあらゆる多様性を認める姿勢が「新しい」ものとして前に出てくるようになった。それが新しいステータスの形にもなっている。かつては「〜はセンスがないね」と下に見たり見られたりするバトルが繰り広げられていたのを、なんでも認めることによって民主化させたとも言えるでしょう。僕もそのような空間の方が安心して暮らせるし、音楽にしろ何にしろ、そのような感覚で摂取している自覚があります。

デーヴィッド・マークス著、黒木章人訳『STATUS AND CULTURE』筑摩書房 

 ただ、本書内でさらっと指摘されている通り、「オムニヴォリズム」が全面化した後の世界では、何が良いか悪いかを判定する基準が「正しさ」になっていくでしょう。それは倫理的な正しさへの志向もあるだろうし、エビデンスがあるかどうかといった正確さも求められているようです。それはSNSで日々繰り広げられているカルチャー好きによるバトルの数々を見れば明らかです。そうすると戦線が変わってきて、「正しさ」vs「正しさを押し付けるな」になり、政治的様相を帯びるようになります。「押し付けるな」側は「反動」のように認識されるので、20世紀にイデオロギーの世界で行われていたバトルが文化の地で展開されているのです。
 個人的にはこのような状況が悩ましいところで、さっき僕は「昔は盛んだったはずなのに今は失われつつあるようなモノや感覚を引っぱり出していきたい」と書きましたが、昔の出来事を楽しく(一見無批判に)紹介していると、単なる反動ではないかと指摘されそうで少しおっかない。しかし、別に僕は昔に戻りたいわけではなくて、何かうまくバランスを取れないものかと考えているのです。なぜなら、その先に、現状の「勝ち/負け」バトルの沼から抜け出す契機があるのではないかと思うからなんです。
 詳しくはまた今度。今回はこれで締めさせていただきます。

 

 

 

*本連載は、初回と最新2回分のみ閲覧できます。