日々のきのこ / 飯沢耕太郎

20年ほど前に突如、きのこ熱に浮かされた著者。以来、内外の文献を渉猟し、切手やグッズを買いもとめ、折につけ山に分け入る日々をおくる。そんな「きのこハカセの異常な愛情」がほとばしる貴重なコレクションを、ビジュアルとともに紹介。はまったら抜けられない魅惑の世界がここに!

見つからないアミガサタケ

share!

 一番好きなきのこは何なのかと、よく聞かれることがある。でも、この質問に答えるのはけっこうむずかしい。きのこにはそれぞれ特徴があり、どれもそれぞれの魅力があるからだ。ただ好みのきのこはもちろんあって、アミガサタケはその中でもかなり上位に入る。

 日本では、アミガサタケはあまりポピュラーなきのことはいえないだろう。だが、欧米ではモレル(morel、フランス語ではモリーユ morilles)はとても人気の高い食菌のひとつだ。煮込んでも、炒めても、味、香り、食感とも実に深みがあっておいしい。子嚢しのうと称する胞子を作り出す器官を形成する子嚢菌の一種なので、形状は他のきのことはかなり違っている。柄の上に蜂の巣、あるいは脳みそのような塊が乗っかった姿は、見方によってはややグロテスクではある。春になると姿をあらわすというのもかなり珍しい。癖はあるが、どこか悪戯っ子のような魅力を備えている。

 このアミガサタケ、けっこう都会でも見かけるきのこではある。何年か前に、仙台の実家の庭にもアミガサタケの一種のトガリアミガサタケが一本生えてきて、採取して乾燥標本にしたこともある。切手や文学の話題だけでなく、たまにはリアルなきのこについて書こうかと思って、桜が咲く頃から、どこかに生えていないかと地面に目を凝らしていた。有栖川宮記念公園や新宿中央公園で見かけたという記事をネットで読んで、足を運んでみたのだが、やっぱり見あたらない。こういうことはよくあって、不思議なことに、きのこは探そう探そうと焦ると、かえって見つからなくなる。逆に、とんでもない場所にひょいとあらわれたりする。なんだか、人間が考えていることを先読みしているようだ。

川村清一『原色版 日本菌類図説』(大地書院、1929年)のアミガサタケのページ。トガリアミガサタケの標本とともに

 それで思い出すのは、イギリスの作家、ブライアン・W・オールディスが1962年に発表したSF小説『地球の長い午後(The Long Afternoon of Earth)』である。このタイトルはアメリカでペーパーバック化された時のもので、原題は『Hothouse(温室)』だ。遠い未来、地球は自転を停止し、片面を太陽に向けて軌道を進むようになった。永遠の熱帯と化したその昼の面は、巨大なベンガルボダイジュに覆い尽くされ、ダンマリ(dumbler)、ヒツボ(burnurn)、トビエイ(rayplane)といった奇怪な食肉植物が跋扈ばっこしている。人間は全身緑色の昆虫ほどの大きさに退化し、森の中で部族ごとに群れ(morel)を作って生き延びようとしている。この「ニュー・ウェイブSFの傑作」に、なんとアミガサタケ(morel)が登場するのだ。

 『地球の長い午後』では、アミガサタケ(文中ではアミガサダケ)は高度な知性を持つきのこである。自分で移動することができないので、生きものたちに寄生し、その行動を支配して、自分の好きなようにコントロールする。リリヨーという女長おんなおさが率いる部族の一員だった9歳の少年のグレンは、身勝手な行動を繰り返したため群れを追われてしまった。彼を慕って部族から離れた少女、ポイリーとともに「ノーマンズランド」をさまよううちに、グレンはアミガサタケと出会う。

 呆然と歩いていたグレンの頭に、何かが落ちてきた――軽くて、痛くもない。 
 それは、他の生きものにとりついているのを見て、グレンが何回も身震いした、あの脳みそに似たキノコだった。盤子菌類のこの植物は、突然変異したアミガサダケだった。長い年月のあいだに、それは養分をとり、繁殖する、別の新しい方法を学んでいたのだ。 
 しばらくのあいだ、グレンはその感触の下で小きざみに震えながら、じっと立ちつくしていた。一度、片手をあげかけたが、また落した。頭はすやっとするような感じで、ほとんど麻痺していた。[中略]
 「おまえは人間だ」声がいった。声帯と何の関わりあいもない声。埃にまみれた竪琴のように、それは彼の頭の中の忘れられた屋根裏で鳴り響いた。
 体の状態が状態なので、グレンは何の驚きも感じなかった。背中にぴったりとついた石。影は彼の体ばかりでなく、心までも暗くおおっている。ありふれた材料でできた彼の体。心に似つかわしい無言の声だって、あっていいじゃないか。
 「誰だい、そういうおまえは?」彼は無気力にきいた。
 「アミガサダケという名前がある。わたしは、おまえから離れない。助けてあげる」(ブライアン・W ・オールディス、伊藤典夫訳『地球の長い午後』早川書房、1967年)

 アミガサタケはグレンを支配し、その中枢神経の奥深くに探りを入れる。そしてその種族的な集合記憶を辿って、人類がいかに栄え、没落していったのかを知る。この世界の支配者となることをもくろむアミガサタケに、思考と行動を操られたグレン、ポイリー、そして別な部族の少女でグレンの子供を身籠ったヤトマーは、「ノーマンズランド」から、さらに昼と夜の境界の黄昏の世界へと導かれていく。彼らは、この悪夢のような「共生」から逃れることができるのだろうか。

 というわけで、この『地球の長い午後』は、まさに「きのこ文学」の重要な領域でもある「きのこSF」の最大傑作の一つといえるだろう。その驚くべきイマジネーションの広がりは特筆すべきだが、この小説のアミガサタケの描写には、絵空事ではない説得力がある。それはなぜかと考えると、アミガサタケのあの特異な外見に行きつく。先にも書いたように、アミガサタケは脳みそを思わせる形状をしている。それはいかにも高度な思考能力を備えた「寄生キノコ」にふさわしいのではないだろうか。アミガサタケをつくづく見ていると、なんだか賢そうに思えてくるのだ。

 『地球の長い午後』ではアミガサタケは印象深い悪役として登場するのだが、これもまた根拠がないわけではない。アミガサタケの近縁種であるシャグマアミガサタケは、かなり危険な毒きのこなのだ。その毒成分のギロミトリンは食後7~10時間で嘔吐、腹痛、下痢、痙攣などを引き起こし、重症の場合は内臓出血で死に至ることもある。ところがこのシャグマアミガサタケ、見た目はまさに脳みそのようなグロテスクな形状だが、実はたいへん美味なきのこでもある。2度ほど茹でこぼして毒抜きをすれば、おいしい食菌になるのだ。ただし、煮沸の時に出る蒸気を吸い込んだだけでも中毒することがあるので、充分に換気をして調理する必要がある。

 人間もそうなのだが、きのこも毒きのこの方が魅力的に思えるのは僕だけだろうか。整った美しさを持ち、万人に愛されるきのこ(ハラタケとかヤマドリタケとか)よりも、一癖も二癖もあるアミガサタケ類のきのこの方が、僕にはチャーミングに思えるのだ。

 さて、ここから先はまったく違う話になる。僕は大阪芸術大学の写真学科で教えているので、月に1度か2度、大阪方面に出張する。大阪芸術大学に行くには、天王寺から河内長野方面に向かう近鉄線に乗って喜志という駅で下車し、そこからスクールバスに乗り換えなければならない。その喜志駅を降りると、次の富田林駅の向こうの小高い丘にある、白く塗られた不思議な形の塔が見えてくる。それがずっと気になっていた。そのうち、ある宗教団体の教祖が、国家、民族、宗教などを超えて歴史上のあらゆる戦没者たちを慰霊するために、自らデザインして建造した「大平和祈念塔」だということを知って、なるほどと納得した。

 そのデザインは、斬新というより、どこか悪夢めいたところがある。建築物としての合理性、合目的性をまったく無視して、自由に空想の翼を広げ、頭の中にあった「塔」のイメージをそのまま形にしたとしか思えないのだ。先端部は尖っていて、その下に瘤のような形状の窓がある塊が2つほどあり、網目状の支柱で支えられている。ロシア構成主義の建築家のウラジーミル・タトリンが設計した「第3インターナショナル記念塔」も、かなり特異なデザインだが、こちらの塔の方がもっと奇っ怪でわけがわからない。隣駅から見ても相当に大きく見えるから、実物は巨大な建造物であることは間違いないのだが、なんだか子供の悪戯描きのような非現実感が漂っているのだ。

 以前から、一度近くに行ってじっくり眺めてみたいと思っていた。なかなかその機会がなかったのだが、先日新型コロナウィルス感染症の拡大のため、大学の授業が急になくなったので、ぽっかりと空き時間ができた。これ幸いと、いつもは天王寺に向かう近鉄線の反対方向の富田林で降りて、家の間に見え隠れする塔に向かって歩き始めた。

大平和記念塔、大阪府富田林市向陽台

 30分ほどかかっただろうか。ようやく塔が間近に見えてきた。近くで見ると、やはり相当にでかい。ぜひ根元のあたりまで行ってみたいと思って、住宅街を抜けていくと、コンクリートの長い塀にぶつかった。入り口がどこにもない。仕方なく一旦引き返し、自動車が行き交う大きな道路に出て、やや遠回りして塔の方に向かった。教団の経営する病院があり、その駐車場のスペースの奥にフェンスが見える。塔はさらにその向こうに聳え立っている。だが、やはり入り口がどこにもない。フランツ・カフカの『城』のような話だが、結局、塔には辿り着くことができず、その周囲をぐるぐる回っていただけだった。しょうがないので、写真だけ撮影して引き揚げることにした。

 その時に、あっと気がついた。なぜ、この塔がずっと気になっていたのかという理由である。「大平和祈念塔」は、逆さまになった巨大なアミガサタケだったのだ。窓のある丸い瘤、網目状の支柱、そして柄の部分が、空から逆向きに生えている。ちょうど、アミガサタケがどこかにないかと探していて、なかなか見つからなかった時期なのだが、なんとも意外な場所に、しかもとてつもなくスケールが大きいきのこが生えていたということだ。

 帰り道、もしかすると今度は本物のアミガサタケが見つかるかもしれないと思って、地面に目をやりながら歩いていた。やはりだめだった。でも、いいものを見たという満足感はずっと残っていた。後で調べたら、かつては展望台としてエレベーターで登ることができた「大平和祈念塔」は、現在は非公開になっているのだそうだ。アミガサタケはあいかわらず見つかっていない。

 

 

 

 
*本連載は、初回と最新2回分のみ閲覧できます。