日々のきのこ / 飯沢耕太郎

20年ほど前に突如、きのこ熱に浮かされた著者。以来、内外の文献を渉猟し、切手やグッズを買いもとめ、折につけ山に分け入る日々をおくる。そんな「きのこハカセの異常な愛情」がほとばしる貴重なコレクションを、ビジュアルとともに紹介。はまったら抜けられない魅惑の世界がここに!

それは「キノコ切手」から始まった

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 きのこのことはずっと気になっていたのだが、本格的に「きのこの病」を発症したのは2000年代に入ったころ、つまり20年くらい前の話だ。その理由を尋ねられることもあるが、自分でもよくわからない。面倒くさいので、「どこからか胞子が飛んできて、頭にきのこが生えてきたんですよ」と言うと、まだ不審そうではあるが、一応納得したような顔をされる。これは別にふざけて言っているのではなく。かなり本気でそう思っている。そう考えないと、あの取り憑かれたようなきのこ熱の説明がつかないのだ。

 最初は「キノコ切手」だった。たまたまベトナム・ホーチミンシティに旅行に行った時、メインストリートのドンコイ通り路上に、切手屋さんが店を開いていた。なんとなく覗いてみると、その中に何枚かきのこの切手があった。デザインがなかなかいい。ドクロのマークがついている派手な色味のきのこは、タマゴテングタケ、ドクツルタケ、ベニテングタケなど、どうやら毒きのこらしい。

 ちょっと面白くなって、もっとたくさんないのかと聞いてみると、「ここにはないけど、家に帰ればもっとある」と言う。まだ日程に余裕があったので、明日の午後にもう一度来るから、揃えておいてほしいと約束して、その日は宿に帰った。次の日に同じ場所に行くと、ちゃんと向こうから声をかけてきた。たしかに種類が増えている。いいお土産ができたと喜んで、全部買いとった。


ベトナムの切手

 続くときは続くもので、その年の秋に上海に出かけたら、また「キノコ切手」にめぐり逢った。観光地の豫園の土産物屋街の一角に、切手屋さんが店を連ねていたのだ。覚えたての中国語で「蘑菇モーグー!(きのこ!)」と叫んでみると、いろいろなお店の人たちがわらわらと集まってきた。あまりお客がいないので暇なのだろう。手にはきのこの切手やシートをたくさん持っている。100枚近くあっただろうか。中国だけでなく、他のアジアの国々の切手もある。もちろん全部買った。値段は驚くほど安く、全部で数千円くらいだった。

 日本に帰って、いよいよ本格的に集めることにした。切手収集は初めてだったので、まず目白の切手の博物館に行って、ストックブックやピンセットなどの用品を購入した。切手の博物館には売店があり、そこの「キノコ切手」コーナーで世界各地の切手を手に入れた。新宿西口の協同組合切手センターも忘れがたい場所だ。勝手に「切手村」と呼んでいたのだが、5~6軒の切手屋さんが入っていて、上海の豫園と同じく、いつ行ってもあまりお客がいなくてひっそりしている。そこでは、ものすごい情報収集能力を持つベテランの店員さんと知り合うことができた。こんな切手が欲しいと言うと、たちどころに膨大なストックの中から探し出してくれる。注文すると、1ヶ月後くらいには店に入ってくる。ここではかなり珍しい「キノコ切手」を手に入れることができた。

 収集にアクセルがかかったのは、「キノコ切手」のカタログを入手してからだ。そんなものがあるのかと思われるかもしれないが、スペイン・バルセロナのDomfil社から、1999年に『Thematic Stamp Catalogue/ Mushroom』というカタログが出ている。そこには世界各地で発行された「キノコ切手」が、国別に3000枚ほど収録されていて、これは本当に役に立った。このカタログで目星をつけ、「切手村」の人たちとコミュニケーションをとったりして集めているうちに、3年余りで3000枚以上のコレクションができた。縁があって、それらを1冊にまとめたのが『世界のキノコ切手』(プチグラパブリッシング、2007年)である。

『世界のキノコ切手』

 なぜ「キノコ切手」だったのだろうか。もちろん、きのこそのものが好きということはあるが、個人的に2次元の平面的な図像に強い興味を覚える体質だからだろう。僕の「本業」は写真評論家だが、写真も切手も、広がりのある空間を切り取り、断片化し、2次元平面に封じ込めるという共通性がある。せいぜい数センチ四方のちっぽけな平面に、ぎっしりと視覚的な情報が詰まっていて、その「小宇宙」を読み解いていくのが実に愉しい。この頃からきのこ全般にも興味を持ち始めていて、菌類学の本を読み漁ったり、誘われてきのこ狩りに出かけたりしていたのだが、そんな「リアルきのこ」もさることながら、図像としてのきのこにはまた別の魅力があったということだ。

 「キノコ切手」を集めてみて、もう一つ気がついたのは、国ごと、地域ごとの特徴がかなり強く出てくるということだ。世界で最初に発行された本格的な「キノコ切手」は、1958年にルーマニアで出た10枚組である。タマゴタケ、アミガサタケ、ハラタケ、ヤマドリタケ、アンズタケなど、代表的な食菌が揃っていて、木版画風の味わいのなかなかの逸品といえる。その翌年の1959年にはチェコスロバキアで5枚組が、同じ年にはポーランドで8枚組が出ている。このポーランドの切手は珍しい三角形の変型切手で、古今東西の「キノコ切手」の最高傑作だろう。タマゴテングタケ、ベニテングタケといった毒きのこが、ちゃんと入っているのもいい。


ルーマニアの切手

 こうしてみると、最初に「キノコ切手」を発行し始めたのが、東欧の国々であることに気がつく。それは、彼の国の住人たちの「きのこ愛」の強さと関係しているのではないだろうか。ロシアを含めて、東欧諸国のスラブ系の人たちのきのこに対する熱烈な愛着はただならないものがある。短い夏が過ぎ、秋の気配が深まってくると、彼らはそわそわして落ち着きがなくなってくる。きのこの季節が近づいてくるからだ。森に入り、きのこ狩りをすることは、彼らにとって単なる年中行事以上の意味合いを持っているようだ。春になってお花見の季節になると、われわれ日本人が、妙に狂気じみてくることを考え合わせるとわかりやすいかもしれない。スラブ系の人たちの民族的なDNAに刻み込まれた「きのこ愛」(マイコフィリア/Mycophiliaと称する)が、切手にも投影されているように感じる。


ポーランドの切手

 スラブ系と真逆なのが、イギリス、アメリカなどのアングロ・サクソン系の人たちである。こちらは「きのこ恐怖症」(マイコフォビア/Mycophobia)に分類されるような人が多い。きのこ全般を毛嫌いしたり、有無をいわせず踏み潰したりする人たちだ。きのこ料理のレパートリーも少ないし、文学作品でもほとんどは毒きのこのようなネガティブな扱いをされている。その傾向は切手にも反映していて、これらの国々の「キノコ切手」は、あることはあるが、まるでぱっとしないものになっている。

 アジアの国でいうと、何といっても充実しているのは北朝鮮の「キノコ切手」である。種類も多いし、デザイン的にもかなり面白い。以前、小泉首相が拉致問題の協議に訪朝したとき、お土産にマツタケを貰ったという話があったと記憶しているが、「首領さま」の好みに応えているのだろうか。先に書いたように、ベトナムの「キノコ切手」はかなりレベルが高いし、モンゴルも変型切手が多くて愉しめる。それに比べて、中国や台湾はあまり「キノコ切手」に愛がないようだ。中華料理ときのこは相性がいいはずなのだが。

北朝鮮の切手

 では、日本はどうなのだろうか。例のDomfil社の「キノコ切手」カタログには2種類の切手が掲載されている。その一つは1969年発行の「国際文通週間」の記念切手で、図案は葛飾北斎の「富嶽三十六景」より「甲州三島越」である。さっそく購入して確認すると、たしかに中央の松の樹の根元に、茶色っぽい笠のきのこらしきものが見える。よくよく目を凝らして、おもわず笑ってしまった。それらはきのこではなく、編み笠をかぶった旅人たちを描いたものだったのだ。カタログを編集したスペイン人たちには、編み笠がきのこに見えたということだろう。まさに「謎のアミガサタケ切手」。優秀なカタログにも、時々こんなエラーがあるのが面白い。

「富嶽三十六景」切手

 もう一つは、1974年刊行の「第9回国際食用きのこ会議」の記念切手で、こちらは正真正銘のシイタケの図柄の「キノコ切手」である。「国際食用きのこ会議」がいまも続いているかどうかは知らないが、当時はシイタケをはじめとする食用きのこの増産が大きな課題となっていて、記念切手が出るくらい重要視されていたということだろう。この会議の招聘の中心となったのは、画期的なシイタケの栽培方法である「種駒法」を発明した農学博士、森喜作(1908~1977)である。シイタケ栽培と販売で知られる森産業の創業者でもある彼は、故郷の群馬県桐生市に「国際きのこ会館」を建造してこの会議に備えた。

 同会館はその後、「ホテルきのこの森」として営業を続け、結婚式場としても使われていた。残念ながら2007年に閉館してしまったが、行った人の話だと、部屋の名前は「まつたけの間」、「なめたけの間」など、レストランは「スポア」(胞子の意味)、バーは「わらいだけ」、浴衣はきのこ柄で、お茶はシイタケ茶という徹底ぶりだったという。ロビーに鎮座していた、光背がシイタケを象っているという「なば観音」(「なば」はシイタケの古名)は、いまは大分のどんこ(干しシイタケ)専門店に引きとられているようだ。

「第9回国際食用きのこ会議記念」切手

 というわけで、「第9回国際食用きのこ会議」の記念切手は、由緒正しきものなのだが、残念ながらデザイン的にはいまひとついただけない。というより、日本の「キノコ切手」が、長らくこの1種類だったということにこそ問題がある。スラブ系の人たちと比べればやや落ちるかもしれないが、日本人の「きのこ愛」、特にマツタケへの執着はかなりのものだと思う。むろん僕も含めて、自他ともに認めるマイコフィリアもかなりたくさんいるはずだ。日本を代表するきのこをずらりと並べた「キノコ切手」シリーズを、すぐにでも発行してもいいのではないだろうか。2018年、19年と続けて、「秋のグリーティング切手」の中にきのこの図柄のものが何枚か含まれたことは、多少の慰めにはなる。だが、これらも本格的な「キノコ切手」シリーズにはほど遠いものだ。

 実は『世界のキノコ切手』の刊行後、僕自身も「キノコ切手」の収集から遠ざかってしまった。興味が「きのこ文学」の方に移ったということもあるが、最大の理由は、日本に限らず、最近の切手デザイン、印刷の質が明らかに低下しているためだ。純粋な「きのこ愛」の産物といってもよい、かつての東欧諸国の「キノコ切手」などと比較すると、どう見ても劣化している。世界中のきのこマニアを唸らせるような、素晴らしい出来栄えの「キノコ切手」が発行されることを望んでいるが、それはかなりむずかしいだろう。とはいえ、図像となったきのこへの思いが薄らいでいるわけではない。イラスト、挿絵、テキスタイル、もちろん写真も含めて、新たな出会いを期待したいものだ。

 

 

*本連載は、初回と最新2回分のみ閲覧できます。