人生相談を哲学する 悩みのレッスン / 森岡正博

人生相談は、人間とは何か?という真理につながる扉。 ひとつの悩みを根っこから掘っていくうちに、思いがけない視点にたどり着いていた…。 哲学の視点で物事をみつめると、そんな奇跡が起こりうる。 その場しのぎの”処方箋“から全力で遠ざかり、回答者が右往左往しつつ思索する、前代未聞の人生相談。

絶望の奥底で息づくもの

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Q5:自己成長のために、社会貢献などいろんな活動に参加してきましたが、身近な人間関係が疎遠になります。自己成長を軸に、人と上手に付き合っていくにはどうしたらいいでしょうか。(大学生 女性 19歳)

 A4:自己成長をめざして日々生きようとしているあなたの姿は、すてきだと思います。でも、がんばりすぎると頭の中が混乱してしまいますから、ここはちょっと小休止して、もういちど自分を振り返ってみましょう。

 そもそも自己成長とは何でしょうか。それは、自分がこれまで学んできたことや、過去に失敗してしまったことを、いまここで冷静に振り返れるようになり、その結果として、同じ過ちを二度と繰り返さないようになったり、人間や世界についての見方が深まったりすることです。

 自分が成長したかどうかは、あとから振り返ってはじめて分かることです。ときには、自己成長にこだわらないほうが、成長が育まれることすらあります。

 いまの自分を振り返ってみてください。「自分を高める活動を中心に生きていきたい」という強い気持ちが、自分を縛ってしまっていませんか。自己成長にこだわることが苦しくなっていませんか。

 人は社会活動や勉強会でも成長しますが、それと同じくらい、身近な人たちとの関係のなかで揉まれることによって人間としての深みを獲得できるものです。

 気持ちが混乱している、いまこのときがチャンスです。友だちや家族との関係を大事にする生活にいったん切り替えてみて、何が自分にとっていちばん大切なのかを考え、人間性を深める糧にしてみてはどうでしょうか。

質問の背景

 質問者は、自分を成長させるために、大学で社会貢献の活動に積極的に参加しているのですが、そちらを優先するあまり、友だちとの約束をドタキャンしたり、身近な人間関係が疎遠になったりするというのです。友だちとも良い関係を続けたいし、自己成長のための活動も続けたいというわけで、どうしたらいいのだろうという相談でした。

 私が思ったのは、質問者の心が自分を成長させたいという思いでいっぱいになってしまって、それがかえって質問者自身を苦しめているのではないかということでした。そこで、いったん自己成長の活動を休止して、友だちや家族との時間を大切にしてみてはどうかとアドバイスしました。身近な人たちとの関わりによっても、人間は自己成長することができると思ったからです。

 いま振り返れば、そもそも「自己成長」とは何なのかについて、もっと語ってみてもよかったなと思います。この点を掘り下げることによって、いろいろな世界が見えてくるからです。

ふたたびあなたへ

 あなたは「自己成長」をしたいと考えています。ところで「自己成長」とはいったい何でしょうか。それについて少しだけ考えてみたいと思います。

 成長というのは生物の大きな特徴ですね。植物も動物も、栄養分を取り入れてどんどん成長していきます。成長すると生物の形は変わります。しかし成長とは、単に形が変わることだけではありません。成長するとは、自分が一回り大きくなることです。ちょうど木の年輪が一年ごとに外側に向けて大きくなるように、以前の自分を保存しながら、それよりも幅広く、大きな存在になっていくのです。そして成長した時点から振り返って、「ああ、自分はあのときよりも大きくなったなあ」と思えるようになります。

 もう少し詳しく見てみましょう。自分が一回り大きくなるとはどういうことでしょうか。それは、自分の中にあった未熟な部分が、その後に生まれてきた新しい領域によってカバーされ、これまでできなかったことができるようになることです。そしてこれが大事なのですが、成長とは、未熟だった自分を否定することではありません。成長した私は、未熟だったときの自分を、いまの自分を準備してくれた重要なステップとして肯定的に振り返ることができるようになります。未熟だった自分は否定されるのではなくて、いまの成長した自分を作り上げてくれた大事なパーツとして、肯定的に慈しまれていくのです。

 ですから、成長によって「これまでの自分」と「いまの自分」が断ち切られてしまうわけではありません。その2つは深いところでしっかりとつながっています。


 ところで、「自己成長」とよく似たものとして、「自己実現」と「自己開花」があります。この2つについても見ておきましょう。

 まず「自己実現」ですが、これは、私が「理想の私」になっていこうとすることです。私がほんとうになりたいものになり、私がほんとうにやりたいことをできるようになることです。あるべき私になると言ってもいいですし、本来の私になると言ってもいいでしょう。私のいまの状態は、けっして理想の私ではないから、私はいまからがんばってその本来あるべき私に向かって進んでいくという感じです。

 心理学者のアブラハム・マズローは、人間の欲求にはピラミッドのような段階があり、その一番上に位置するものが「自己実現の欲求」だと考えました。マズローの考え方は、その後いろいろな角度から批判されますが、人間に「理想の私になりたい、そして自分のパーソナリティをより良いものにしたい」という気持ちがあることは、間違いないでしょう。

 20世紀の終わり頃に、「私探し」という言葉が流行しました。「ほんとうの私」がどこかにあるはずだから、それが何なのかを探したいと願うことです。この「私探し」も、「自己実現」と深くかかわっています。あなたが「自己成長」したいと考えている背景にも、ほんとうの私とは何なのかを知りたいという気持ちが潜んでいるのではないでしょうか。「私探し」という言葉は否定的に使われることが多いのですが、ほんとうの私とは何なのかを知りたいという気持ちはけっして否定されてはならない大切なものです。いまの自分に満足している人はさほど多くはありません。人々は多かれ少なかれ、「いまの自分」から「ほんとうの私」へと成長したいという望みを持っているはずです。

 「自己開花」とは、自分のなかに潜んでいる可能性を、人生のなかでひとつずつ現実のものにしていくことです。たとえば自分のなかに音楽を演奏する才能が潜んでいたとします。自分が成長するプロセスでその可能性を上手に引き出して、音楽を演奏して人々を楽しませることができる人間になっていくことが「自己開花」です。植物の開花を連想してみましょう。植物の種は茶色く硬い粒にすぎません。しかしその種の中には、将来美しい花をいっぱい開かせる可能性が詰まっています。その種が栄養分の豊かな土壌に蒔かれ、日光と雨水にめぐまれれば、種から芽が出て茎を伸ばし、やがてその先端に赤や黄色の大きな花を咲かせることになるでしょう。人間もこれと同じで、みずからの内側に秘められている可能性を開花させることを目指して生きることができます。これを「自己開花」と呼ぶのです。

 アリストテレスは、この考え方をいろんな場面に応用しました。アリストテレスは哲学者ですが、同時に生物学者でもありました。弟子たちといっしょに、陸や海の生物をたんねんに観察したのです。そして、生物がその成長のプロセスにおいてみずからの内側に持っている潜在的な可能性を次々と開花させていく現象に注目しました。彼は、種の中に潜んでいる可能性をデュナミス(可能態)と呼び、それが実際に表に出て現実になったものをエネルゲイア(実現態・現実態)と呼びました。さらには、その生物が、みずからの持っている可能性をひとつのこらず開花させた状態をエンテレケイアと呼びました。日本語では完成態とも訳されています。人間に当てはめてみれば、人間が生まれたときに可能性としてもっているものがデュナミスです。人間は成長するにつれて、その可能性をひとつずつ現実のものにしていきます。そして、いつの日か、その秘めたる可能性をすべて現実のものにして、完全に開花させることができるかもしれません。そのような完成形の人間がエンテレケイアの状態にあると言えるでしょう。もちろん実際には、そのような完成形に人間が到達することはないだろうと思われます。しかし完成形に至ることを目指しながら前向きに生きていくことはできます。アリストテレスの考え方は、卓越主義とも呼ばれます。


 さて、「自己成長」「自己実現」「自己開花」について説明してきました。これらはどれも美しい考え方です。それらを手がかりとして生きていくのは素敵なことですね。しかしながら気をつけておかねばならないのは、それらの考え方には落とし穴もあるということです。まず「自己成長」については、そもそも自分がどこに向かって成長していけばいいのか分からなくなるという問題があります。成長したいと思っているのだけれども、いったいどこに向かって枝を伸ばしていけばいいか悩んでしまうのです。「自己実現」については、そもそも「ほんとうの自分」や「理想の自分」がいったい何なのかが分からないという問題が出てきます。本を読んだり、セミナーに行ったりして「私探し」をしても、「ほんとうの自分」とは何なのかがさっぱり分からないのです。「自己開花」についても同じで、自分の中にはいろいろな可能性が秘められていると言われても、具体的にどういう可能性が秘められているのかが理解できないという問題が起きてきます。ある能力を獲得できたあとで、そこから振り返ってみてはじめて、自分にその潜在的な可能性があったと分かるのです。その可能性をあらかじめ知るのはとても難しいことなのです。

 ですから、成長を求めて生きるのは、どうしても暗中模索の作業にならざるを得ません。あらかじめ人生航路がきちんと定められていて、それに沿って生きたら「自己成長」できる、というふうにはなっていないのです。自分の生き方はこれでいいのだろうかと絶えず悩みながら進んで行くしかありません。そしてその途中で、人は何度も壁にぶつかったり、混乱したりします。あなたはいまこの混乱のど真ん中にいるのではないでしょうか。

 そのときに必要なのは、腹を割って話ができる友人たちや家族だと私は思います。自分が混乱しているときに、その気持ちをいっしょに共有してくれたり、混乱の中身を理解しようとしてくれる身近な人たちがいれば、それはあなたにとって大きな支えになることでしょう。そして、あなたがその混乱を乗り越えたときに、あなたといっしょになって喜んでくれる人たちがいたら、どんなにかうれしいことでしょう。真の友人とは、私の「自己成長」を苦しいときに支えてくれて、それが成功したときに心から喜んでくれる人のことなのです。


 ところで、人間は生物ですから、前進するときもありますが、後退するときもあります。まず「自己成長」に関しては、「自己退化」があり得ます。成長以前の昔の自分に戻ってしまうのです。たとえば、成長を目指す生き方が無意味だと思えたときや、背伸びして生きるのに疲れたときに、人は成長以前の状態に舞い戻ってしまいます。ふたたび成長に向かうこともありますが、退化したままで止まってしまうこともあるでしょう。

 「自己実現」に関しては、「自己崩壊」があり得ます。たとえば「ほんとうの自分」になろうと思ってがんばっていたのに、自分の中からその願いに逆行する大きな欲望が湧いてきて、その欲望のとりこになって悪い方向へと押し流されていくことがあります。このとき、「ほんとうの自分」になろうと思って進んでいた自己は崩壊し、私は欲望にまみれて大きな自己嫌悪に襲われることでしょう。

 「自己開花」に関しては、「自己枯化」があり得ます。人間は生物ですから、いずれ老いていきます。すると、それまでできていたことが少しずつできなくなっていきます。走れていたのが走れなくなり、覚えていた言葉を思い出せなくなり、難しいことを考えられなくなるのです。人生の後半から晩年にかけて、すべての人がこのようなステージに入っていきます。種の状態があり、そこから様々な可能性が開花し、そしてちょうど花がしおれていくように、能力は枯化していくのです。

 人間も生物です。成長し、美しく開花していく時期もあれば、悪に流されて崩れていく時期もあります。いつか老いも訪れます。人生を生きるとは、その明るい面も暗い面も含めて、その総体をすべて生きていくことではないでしょうか。

 たとえば、重い病気にかかったとき、大切な人間関係が破綻したとき、暴力や虐待を受けたとき、事故や災害で家族を失ったとき、人はまったく光の見えない絶望に落ち込んでしまいます。このまま生きていたとしてもまったく意味がない、というところまで追い込まれることもあるのです。そうなれば、あなたの追求していた自己成長など、自分が若くて幸福だった時代の夢物語としてどこかへ消えていってしまうことでしょう。なんて子どもじみたことを考えていたのだろうと、情けなくなるかもしれません。


 しかしそんなときでも、人間の可能性が消え去っているわけではないのです。人間の内部に秘められた可能性は、人間が死んでしまうそのときまでしぶとく生き続けている、というのが私の考え方です。絶望のなかで時間が凍り付いて止まっているように感じられたとしても、その絶望の時間の奥底ではまだ何かの可能性がかすかに呼吸を続けています。それは、人がいま生きているという事実がはらんでいる根源的な希望のようなものです。周りからの適切なサポートと、十分な時間と、安全な環境と幸運があれば、人はどのような絶望の時間をもくぐり抜けていくことができると私は考えます。そしてそれらに恵まれず、たとえみずから命を絶つとしても、そのときまで生きてこれたことは誇ってよいし、根源的な希望は、小さな光の花のように、最後の瞬間まで輝き続けていたのです。

 人間は死の直前まで成長するという言葉がありますが、私はそうは思いません。そのかわり、成長せずとも輝き続ける小さな光の花を、私たちは生きているかぎり持ち続けます。それは絶望に打ちひしがれているそのときですら、その絶望を下から支えるものとして、私たちの中で働いているのです。私が根源的な希望と呼んだものがそれなのですが、それは何に向かっての希望なのかと言えば、人生は一度かぎりでありそのことは何によっても壊されることがないという事実によって、いかなる人生であっても救済され得るという希望なのだと、私はいま考えようとしています。

 思わず遠いところまで話が進んでしまいました。ここでふたたびあなたの質問に戻りましょう。あなたはいま自己成長のことをずっと考えていますが、ここで視線を自分から離して、他人の生き方のほうに向けてみませんか。つまり、自己観察をいったん中止して、広く人間観察に切り替えてみるのです。大学の同級生は、どういう人生を生きているでしょうか。バイト先の人生の先輩たちはどういう人生を生きており、いま何を悩んでいるでしょうか。彼らの中には、いま成長中の者、停滞中の者、崩壊中の者、枯化中の者など、様々な人生のステージが見られるでしょう。それらに興味を持って、じっくりと観察してみるのです。そしてチャンスがあれば、彼らと何気ない話をしてみましょう。自分の成長には役立たないかもしれないけれど、自分以外の人たちが何を考え、どうやって生きているのかを知るのは楽しいことです。そして人間観察が進んできたら、今度は自分の人生を振り返って、今後の生き方についてもういちど考え直してみましょう。きっとあなたの視野は広がりますし、自分の成長をもっとゆっくりとしたペースで眺めていくことができるようになると思います。

  

  

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