「あいつはフツウと違うから」 切り離しのマジョリティ論 / 西井開

注意深く周りを見渡すと、男性が別の男性を「ふつうの人」と「ふつうじゃない人」に振り分けようとするシーンがそこかしこに存在する。同じ男性なのに、他人を「自分と無関係な者」と位置づけてしまう時、私たちの中で何が起こっているのか? 男性問題や加害者臨床に取り組む著者が、日常的な他者との関わりからこの問題にせまる。マジョリティ性をもつすべての人におくる、今読むべき男性論。

教師の暴力をたどる

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 前回の記事では、〈切り離し〉の方法としてからかいの問題を掘り下げた。相手を一段下の存在として見なして、笑いのネタにしてしまうからかいやいじり。それは確かに受け手にダメージを与えているのだけれど、互いの親しさを確認するコミュニケーションとして気軽に行われ続けている。

 このように、攻撃性を含んだ発話は私たちの日常生活に深く根を張り、個人と個人の間につながりを構築する。奇妙なことだと思う。否定性を含んだメッセージは、両者の対等な関係性を切断している一方で、いびつだが分かち難い独特な関係性を醸成する。皮肉なことに、それは時に「絆」や「親密」などと名指されることもある。

 一例として、今回は部活動における教師の暴力の問題にかんして論じてみたいと思う。

部活動での「体罰」事件

 昨年12月、長崎県の私立高校バドミントン部の顧問が、部活動中に生徒を蹴ったり髪をつかんだりする暴力行為を行っていたことが報道された。新聞の取材によれば、顧問は「一生懸命になりすぎたあまり、こうした行為になって申し訳ない」と話しており、また複数の部員が「自分たちを強くするための指導だと思う」などと述べたという(読売新聞オンライン2022年12月15日付)。

 大阪市桜宮高校バスケットボール部の男性生徒が顧問に平手打ちなどをされて、自殺した事件から10年が経った。キャプテンをしていた彼は、身体的な暴力に加え、日常的に顧問からミスを責められ、追い詰められていたという。事件後、「体罰」は社会的に問題視され、運動部活動での指導ガイドラインや相談窓口が作られるなど、防止策が取られるようにはなった。しかし、長崎県の事件のように、未だに部活動を通した教師の暴力はなくならない。

 ⽇本スポーツ協会公認スポーツ指導者を対象としたオンライン調査報告書(2020年)によれば、回答した2600名程度の指導者(学校部活動の指導者を含む)のうち、過去5年以内に自らの周囲で、「言葉による暴力」を見聞きした指導者は6割、「体罰やしごき」を見聞きした指導者は4割、「セクシャルハラスメント」を見聞きした指導者は3割に上ったという。その背景には暴力を肯定する思考が潜んでいる。

 セーブ・ザ・チルドレンの大人と子どものしつけにおける体罰等に関する調査結果(2021年)によると、何らかの場面において子どもへのしつけのための体罰が必要であると回答が約4割、性別では男性が、年代では40代~50代が体罰を容認する割合が相対的に高かったという。前回の2017年の調査から容認するという回答は15%ほど下がったそうだが、それでもまだ5人に2人が容認していると考えると驚くべき結果である。

 体罰を容認する背景として「体罰」という言葉そのものに問題があると言われる。「罰」というとどこかそれを行使する大人に正当性があるようなニュアンスが帯びてしまうからだ。暴力は「体罰」や「指導」という名を借りて現れる。

暴力を促す神話

 スポーツとともに暴力が内在しやすいのが芸術の領域である。昨年も日本演劇界におけるパワーハラスメントとセクシュアルハラスメントの告発が相次いだが、指導するもの/されるもの、評価するもの/されるものの間にある圧倒的な権力関係は暴力の温床となる。

 デイミアン・チャゼルの監督作品『セッション(原題:Whiplash)』は、音楽学校における教員の暴力と、そこに巻き込まれる学生の相互作用を巧みに描いた作品だ。

 プロのジャズドラマーを目指して名門音楽学校に入学したニーマンは、カリスマ教師のフレッチャーに誘われ、彼が指導するバンドに参加するようになる。ニーマンは、自分もドラマーとして大成することができるという期待に胸を膨らませる。しかしフレッチャーは想像を絶する過酷な指導を行っており、学生たちは膨大な量の練習と微に入り細を穿つ調整を課されていた。彼はバンドの演奏を何度も止め、その都度学生たちを叱責し、けなしていく。

 からかいどころの話ではない。「デブ」「ユダヤのクズ」「オカマ」などの差別表現をありったけまくしたて、女子学生には「君は美人だから首席なのか?」となじり、障害を抱える学生には冷徹に振る舞う。彼が教室に入ってきた瞬間空気は張り詰め、学生たちは一言も喋らずに彼の指示を待つ。フレッチャーのわずかな動きも見逃さないとばかりに目を見開いて注目する。視線が集まるということは、権威の証左であり、また権威が発動される媒介にもなる。彼は教室の空気さえも支配する。

 とりわけニーマンへのあたりは強く、怒声を浴びせ、両親をなじり、ビンタをし、椅子を投げつける。「なぜこんなこともできない?」と徹底的に貶める。また、ライバルとなるようなドラム奏者の学生を集めてきて、彼らに延々と演奏させて競わせたりもする。主奏者になりたいのならば闘って勝ち取れ…と。

 物語の終盤、ジャズの世界に存在するあるエピソードを引用しながら、フレッチャーが自身の教育方針について話すシーンがある。伝説的なサックス奏者、チャーリー・パーカーは昔ライブ中にミスをしてバンドメンバーにシンバルを投げられ、二度と笑いものにならないために練習に没頭し、ジャズプレイヤーとして有名になった。自分も同じように学生たちを期待以上のところまで押し上げるために必死に厳しくするのだ。でなければ次のチャーリー・パーカーは現れないのだから…と熱を込めて語る。

 このシンバル投げのエピソードには諸説あるらしく、フレッチャーの理解が正しいのか定かではない。重要なのは、フレッチャーがそのエピソードを自身の指導の正統性を補強するものとして利用していたという点である。スポーツや芸術の世界において、「より良いものを」という命題が競争性と、暴力の免責性を生み出していく。フレッチャーが抱くような暴力を肯定する神話は、部活教育の中にごろごろ転がっている。「厳しい練習を耐えることで強くなる」「時には必要」「しつけの一貫」…。暴力が発育や成長にネガティブな影響を与えることはあらゆる領域で証明されているにもかかわらず、これらの神話はしぶとい。

 もうひとつ、フレッチャーのいう「必死に」という言葉も免責するための言葉として使用されやすい。長崎のバドミントン部顧問が発した「一生懸命すぎて」という言葉も同様である。常識からかけ離れた、非理性的な状況に陥った際に暴力は起こりうるという認識が透けて見える。

 しかし何もないところから突然拳がふるわれるわけではない。暴力は常に連続体をなしており、段階的に発生する。からかいや侮辱、追い詰め、その果てに身体的な暴力が実行される。常軌を逸した状態だけに注目すると、フレッチャーのように、常態的に相手を劣位に追い込んで、暴力をしやすい状況を作り上げてしまっていることが見落とされやすい。『セッション』は、指導と暴力の境界が曖昧になりうるその危険性を詳細に描き出している。


 さて、フレッチャーに執拗に追い詰められるニーマンは、恐怖や悔しさを感じながら、彼の指示を従順に実行するようになっていく。手にできたマメを何度も潰しながらドラムを叩き続け、自分の成長の邪魔になると言って恋人に一方的に別れを告げる。「僕は偉大になりたい」と、まさに血のにじむような練習を繰り返すようになる。

 このニーマンの従順さは、フレッチャーによって主奏ドラマーの座を追われ、結局音楽学校を辞めた後も継続していく。ニーマンは一度はフレッチャーに怒りをむき出しにしたものの、彼に飲みに誘われて、気まずいながらもどこか安心したような、ほころんだ表情を見せる。フレッチャーの打ち明け話に共感的な相槌を打ち、ついにはフレッチャーからのバンドの誘いに乗ってしまう。これまで散々侮蔑され、その上はしごを外された相手であるにもかかわらずである。彼はいそいそとライブの準備をし始める…。

剣道部でのこと

 このフレッチャーに向けられたニーマンのほころんだ笑顔が、私を捉えて離さなかった。深く、締め付けるように、過去の記憶と重なったからだ。

 中学時代のことである。当時『暴れん坊将軍』を演じる松平健にあこがれていた私は剣道部に入部した。剣道と徳川吉宗の繰り出すチャンバラは全く質の違うものだったのだけれど、それでもこれまで知ることのなかった技術や世界に触れることができることを楽しみにしていた。

 そこに暗い影を落としたのが顧問の存在である。先輩たちは優しかったが、年功序列の規範が強く、私たち1年は先輩たちに言われるがまま日々練習に取り組んでいた。特に3年の先輩たちは身体も大きく、どこか近寄りがたい雰囲気を持っていた。顧問はそんな先輩たちが敬服する、圧倒的な権力者として私の目には映っていた。

 彼はいつも練習の途中から現れて、タバコを吸いながら淡々と竹刀を振る部員たちを眺める。練習はきつく、特に掛かり稽古という10分間続く練習は息が絶え絶えになった。道場の隅でへばっている部員には顧問から怒声が飛び、ときに蹴りを食らわされた。彼がたまに練習に参加するのは決まって試合形式の練習で、そこで部員たちは徹底的にしごかれた。竹刀をはね飛ばされ、馬乗りされることもあった。本当にこれは技術を伸ばす練習なのか、もうよくわからなくなっていた。

 練習が終わった後、顧問は私たちを長時間正座させて、滔々と剣道にかんする自説をまくし立てた。「お前らはまだまだメンタルが弱い」と繰り返し話していた記憶がおぼろげにある。具体的なステップを教えるのではなく、判断基準の不明な評価軸を持ち出されたら、どこがゴールかわからない。「メンタルの強さ」が十分かどうか判断できるのは顧問だけであり、結局彼の気の済むまで努力し続けなければならない。

 さらにこの説教後、なぜか帰り際にもう一度ミーティングと称した集まりがあった。私たち部員は着替えを済ますと、職員室近くの屋外の空きスペースで円を作り、顧問が職員室から出てくるのを待たなければならなかった。彼の帰り支度に時間がかかったり、他の教師と談笑していたりすると、待つ時間は長引き、真冬の寒空の下30分以上待たされることもしばしばあった。私たちの時間は彼によってコントロールされていた。

 ミーティングが終わると、私たち部員は最後正門の前に花道を作るように並ぶ。そうして顧問が車で帰っていくのを見送り、正門を出る瞬間に頭を下げて「ありがとうございましたー!」と叫ぶのである。これが平日と土曜に毎日続く。

 今思えば異様としか言いようがない。私たち部員も、顧問も、この異様な状況を見ていたはずの他の教員も、全員がどこか麻痺していたのではないかと思う。顧問がどれだけ意図していたかわからないが、彼の権力性が上昇する仕組みが部活動全体に張り巡らされていた。顧問は絶対的に正しく、私たちの行動を規定していく存在だった。

 教師の暴力という問題は、わかりやすい身体的暴力を問題の俎上にのせるだけでは十分ではないのかもしれない。身体への介入は殴る、蹴るといった行為にとどまらず、部活動全体の中で徐々になされていくからだ。正座したり、彼の到着を待ったり、お辞儀をしたり、様々な日常的な行為を通して、顧問と私たちの間にある支配-従属関係を部員たちはまさに身に沁みて・・・・・学んでいく。暴力の本質はコントロール(=支配)にある。それは言葉の暴力と言われるものでも同様であり、「死ね」「殺すぞ」といった脅しや人格否定を含む暴言だけが問題ではない。

 剣道でなかなか結果を出せなかった私は、顧問から不興を買い、目を付けられていた。名前を正確に呼ばれることもほとんどなく、「オイ」とか「お前」と言われてばかりで、呼ばれたとしても、「コラ!西井」と「コラ」を付けてしか呼ばれることはなかった。練習でうまく打ち込みができなかったり、休んでいたりすると叱責された。「コラ西井、誰が休んでいい言うたんや」といった具合である。

 松平健への憧れなど微塵もなくなり、とにかく部活への忌避感が募っていった。授業が終わって部活の時間が近づくにつれて気分が落ち込み、げっそりした表情で部室のある武道場に向かった。武道場に漂う独特の匂いが鼻をつき、一層気分を落ち込ませた。なんとか練習を休むために、喉の奥に手を突っ込んで無理やり嘔吐しようとしたこともあった。

 辞めることはできなかった。辞めると言い出せばまた顧問に叱責されるかもしれないし、実際退部届を出した友人は顧問に殴られたと聞いていたからだ。恐怖でがんじがらめになって、練習を続けるしかなかった。

 中学2年の冬、嫌々続けていたにもかかわらずそれなりに実力はついたらしい。いくつかの中学校と合同で開かれた非公式の大会で、私は初めて勝利をおさめ、ベスト8まで進むことができた。剣道部には、試合後その評価をすぐに顧問にもらいにいくという風習があり、初勝利をおさめた後、私は喜び勇んで顧問のもとへ駆け出した。顧問は他の中学の教師たちと、体育館の舞台上に陣取って観戦していた。

 「おねがいします!」と頭を下げて講評を伺うと、彼はにやにやしながら「ようやくお前もここまできたな」と、陳腐な時代劇のような台詞を芝居がかった口調で口にした。途端に同じ舞台上にいた他の教師たちが爆笑した。顧問も声をあげて笑っていた。低レベルな寸劇のネタにされていることが中学生だった自分にもわかった。

 それでも私は感激していた。彼の「ここまできたな」という評価に、身震いするような喜びを感じていた。「コラ西井」ではなく、ようやく一個人として認められた、「ここ」までくることができた。重苦しかった身体が一気にふわっと浮き上がるような感覚に包まれた。

 恐怖の対象でしかなかった顧問に対する気持ちは、それ以来変化した。恐怖や怒りも継続していたが、そこにはどこか親愛のような情動も混ざり込んでいた。結局私は残りの1年間、卒業まで部活動を続けた。卒業する時には同級生たちとお金を出し合って顧問にプレゼントを贈ったりもした。奇妙な関係が出来上がっていた。

生徒の判断能力に疑念を持つ危うさ

 フレッチャーに対するニーマンの笑顔や、私が顧問からの評価によって感じた喜び。それは教師による暴力を肯定してしまう危うさを秘めている。被害者も喜んでいた、この厳しい指導に満足していた、という正当化を呼び込みかねないからだ。事件として取り上げられる事例でも、「教師の愛情だった」「その指導のおかげでスキルアップできた」と生徒が教師の暴力を肯定することがしばしばある。

 特に暴力の世代間連鎖という議論において、この被害者による加害の肯定は問題視される。被害を被害として認識できず、むしろ自身の成功や達成感の礎だと考える生徒は、その指導を正攻法のように学習し、教師になったときまた同じように暴力含みの指導を行うという懸念が生じる。実際、暴力を振るった教師によって「自分も同じように指導されてきた」という説明がなされる場合もある。

 そこにはジェンダーの問題も入り込む。例えば岩井(2003)は、被暴力経験(暴力を振るわれた経験)がある若い男性は「体罰」に賛成する傾向にあるが、同じく被暴力経験のある場合でも若い女性のほうは「体罰」を否定する傾向が強いことを実証的に示している。男性を対象としたジェンダー研究では、男性は自身の被害を認められないとも言われる。弱さを認められないことを意味する「ウィークネスフォビア」や、自身の痛みをケアしない「有害な男性性」という言葉も多く目にするようになった。

 これらの理論や言説を通して、被害を被害と認められない男子の問題が焦点化されていく。被害を受けた生徒の判断能力やふるまいを疑問視するような解釈が溢れてくる。なぜ助けを求めなかったのか、なぜ辞めなかったのか、教師に媚びるのはなぜか、恨んでいるのであれば笑顔を見せないし、誘いにものらないはずだ。そうでないなら、彼(彼女)は洗脳されているのだろう、有害な男性性を内面化しているに違いない、弱さを開示できない呪いにかかっている…。

 小西(2022)は、虐待の世代間連鎖の問題を論じる中で、加害者の加害性を認識していない被害者(子ども)は、「哀れ」で「気の毒」な人として認識されたり、社会的学習の結果として将来的に加害に加担していくというスティグマ(烙印)を付与されてしまったりする危険性を指摘する。

被害者は、加害者を単純に憎んでいるはずであり、その加害性に苦しんでいるはずであり、救済されることを待ち望んでいるはずである。このような典型的で介入されることに従順な被害者像からはみ出してしまう被害者は、被害者であるとされながらも、巧妙で間接的な倫理やレトリックによって、非難の対象と見なされてしまい得るのである。

 社会的学習という理論や男性性ジェンダーへの視点は、問題を理解するための参照枠のひとつになりうるが、それだけで問題すべてを把握することには慎重にならなければならない。問題の全貌をつかみそこねるばかりか、被害者に対して無用な偏見を差し向けることになりかねないからだ。

 指導する者からされる者への、評価する者からされる者への暴力の問題は、複雑な様相を帯びる。体罰とたいていセットでついてくるミスに対する執拗な責めや徹底的な叱責は、生徒を傷つけるだけではなく、「お前は当たり前にできるはずのことができていない」というメッセージを相手に与えて追い詰める。また暴力だけにとどまらない日常的な身体への介入も、生徒をじわじわとコントロールしていく。

 生徒はこれ以上貶められたくないという不安や恐怖、そしてもう一度「人並み」として認められる資格を取り戻したいという希望を持つ。その資格を取り戻せるかどうか、認定できるのは教師だけである。貶められれば貶められるほど、相手に承認されたいという焦りが強くなり、動かしがたい従属関係が形成されていく。こうした文脈や相互作用を見つめなければ、教師の暴力という現象を把握することはできない。

暴力を表す言葉を増やす

 暴力を語る言葉が少なすぎるのだと思う。「悪だから」という理由で蓋をしたり、安易な説明や解釈に流れ込めば、何が暴力を維持させ、そして暴力は私たちに何をもたらしているのかが十分にわからなくなってしまう。顧問やコーチの指導によってもたらされた痛みや喜び、恐怖、成果。すべてを肯定することはできないけれど、といって否定しきるわけでもない。その複雑さの中に身を置くための言葉の空間がもう少し開かれてもいいと思う。その中で葛藤を含んだ世界を象ることができる。

 私にとって剣道部の仲間の存在がありがたかった。部活の帰り道、試合に勝ちたいなという話をしつつ、「あいつ絶対許さんからな…」とよく顧問の悪口を言い合っていた。大人になってからも時々集まっては当時の愚痴をこぼしあった。懐かしさと苦しさがないまぜになったような、心地よい自虐を味わう。そして私たちは毎回同じ結論に達する。「あの卒業プレゼントで使ったお金、返してほしいよな」。


引用文献
岩井八郎(2003)「経験の連鎖―JGSS-2000/2001による「体罰」に対する意識の分析」『JGSS研究論文集』2:113-125.
小西真理子(2022)「私は被害者ではない―問題含みな親の「加害性」への対応をめぐって」『現代思想』50(9):144-153.

*本連載は、初回と最新2回分のみ閲覧できます。