「あいつはフツウと違うから」 切り離しのマジョリティ論 / 西井開

注意深く周りを見渡すと、男性が別の男性を「ふつうの人」と「ふつうじゃない人」に振り分けようとするシーンがそこかしこに存在する。同じ男性なのに、他人を「自分と無関係な者」と位置づけてしまう時、私たちの中で何が起こっているのか? 男性問題や加害者臨床に取り組む著者が、日常的な他者との関わりからこの問題にせまる。マジョリティ性をもつすべての人におくる、今読むべき男性論。

境界の向こう側に追いやること、追いやられること

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 誰かが誰かを見下したり貶めたりする時、その二人の間には境界線が引かれていることが少なくない。例えばジェンダーや人種といった境界線は、人々を強制的に分割し、それぞれのカテゴリに序列をつけていく。
 こうした境界線をめぐる抑圧は「差別」として問題化されてきた。ジェンダーや人種をめぐる差別問題は(十分に解決されているとは全く言えないものの)、ある程度広く認知されるようになった。
 一方で、差別問題とはまた別の事象として、見えにくく、微細な形でなされる抑圧がある。そのひとつが身体的特徴やパーソナリティの傾向をもとにしたからかいだ。例えば「チビ」「デブ」「ハゲ」「ヘタレ」「陰キャ」といったレッテル。私が開く男性の語り合いグループでも、身体的特徴をテーマにしたことがあったが、様々な攻撃や抑圧を受けたことが語られた。今回の記事の中ではその対話の一部、ハゲをめぐるやりとりを長めに引用する。

「ハゲ」と抑圧

 対話の内容に入る前に、まずハゲに対する抑圧とは何か考えてみたい。ハゲている男性はそのことが原因で公共空間から排除されたり、就労や結婚が禁止されたりするなど、制度的な差別を受けることはない。しかし、ハゲていることを理由にからかわれたり、コミュニティの中で冷遇される可能性は相対的に高いと言えるかもしれない。
 こうした微細な抑圧は社会問題化されることなく、個人での対処が要求される。ハゲの男性が抱える問題と男性性の関連について調査した須長史生(1999)によれば、ハゲとからかわれる男性は、言い返したりその場から離れたりすると「男らしくない男」として周縁化されるために、黙って耐えるという選択肢を取らざるを得ないという。
 また、須長は自分以外の男性の身体的特徴をあげつらって攻撃を加えることの効果についても言及している。なぜ周囲の男性がハゲ男性をからかうのかといえば、理想的な男性性から逸脱した男性にレッテルを貼って攻撃を加え、集団から排除することで、自分たちが「本当の男性」であるという仲間意識を確認し合うことができるからである。攻撃を加えること、そしてそれに耐えること。からかいというコミュニケーションを通して、男性性は再生産されると須長は分析したのである。
 ところで、からかいというコミュニケーションを考えると、基本的に「非ハゲ」と「ハゲ」という2種類の男性がいて、一方がもう一方をからかう構図が思い浮かぶ。しかしハゲというのは、「非ハゲ」と「ハゲ」を分かつ客観的な基準は存在しない。グラデーションになっていて二元的には判断できず、相手がハゲか否かということは、その場で相対的に判断される。にもかかわらず、からかう側はまるで初めからそこに断絶があるように、相手を「ハゲ」と断定する。相対的にしか判断できないことを逆手に取り、恣意的にレッテルを貼り付けることで、自分と相手を切り離すのである。
 つまり、相手の身体的特徴やパーソナリティ傾向をあげつらう攻撃は、差別のような既に存在する明確な境界線をもとに展開される形式をとらない。むしろその場で一方がもう一方を「ハゲ」と名指すことで、そこに境界線を生み出していく現象であると言える。
 したがって、「ハゲ」と「非ハゲ」を分かつ境界線は場面や環境に応じてその度、引き直される。「ハゲ」とからかっていた側が、別の場面ではからかわれる側に回ることもあり、誰しもが境界の向こう側に追いやられる可能性を有している。

語りから浮かび上がるもの

 以下の対話に登場する藤室さんの語りは、身体的特徴への攻撃をめぐる複雑な構造を映し出している。彼は他者を「ハゲ」とラベリングして自分とは関係のない存在と見なすが、そのまなざしはいつのまにか彼自身に対しても向けられる。一方がもう一方を常に攻撃し続ける二項対立的な構造ではなく、人々が常に自分を含む社会の構成員全体を監視し、逸脱したものを否定する構造。この相互監視の中で、身体的特徴を理由にした〈切り離し〉は発生する。
 さらに、ジェンダーの視点をもとに藤室さんの語りを見るならば、そこには女性のまなざしを強制的に意識させる異性愛規範や、男性の身体を雑に扱うことを許容する社会意識などが浮かび上がる。差別とはまた違う形式で発生する微細な抑圧の形式がそこには備わっているのである。

藤室:えっと僕、あの、ハゲてるんですけれども。えーっと、昔まだハゲていない若い頃にですね、うちの母にですね、「ハゲたら結婚できない」って言われて。これがなんか意外と呪いになってるような感じがして。ハゲたらやっぱりこう、非モテ感がグッと増したような。自己否定感、肯定感と逆の気持ちがグッと増した気がします。

筆者:うん。

藤室:で、ハゲはですね、単に自分が悪いんですけど、あの、要は自分自身も他の人のハゲを馬鹿にしてきたので。ハゲてない時に。古くは高校の先生。数学の先生がカッパみたいなハゲだったから「カッパ」とかむっちゃ言ってたりしたんですけども。

筆者:うんうん。

藤室:自分があの、同じようなカッパハゲになってみると、なんて悪いことを言ってたんだ、と今は反省していますね。まあ今、男性が男性を攻撃する側面がハゲにはいっぱいあって。今までで一番、飲み屋の席で受けた屈辱的な暴言は、こう、知らないおっさんにタオルを頭からかぶせられて、「お前ここタオルかけて隠しとけや」とか(笑)。

筆者:あー。知らないおじさんに。

藤室:喧嘩になってもよかったんですけど。喧嘩はしなかったんですけど。ということがありました。

筆者:なるほど…。

藤室:でまあ、子どもも普通にやっぱりね、いじってきますよね。今、学童保育で働いてますけど、こうあの、背中に子供がよじ登ってきて、「ここなんで毛生えてないの、ハゲてるー」とかそういうこと。なんでもクソもあるかいな。

一同:ははははは!

藤室:そう。まあだから僕は主に帽子はかぶるようにしてますけどね。

筆者:ああ、なるほど。

藤室:なんか帽子かぶってたりすると、あの、逆にマジシャンとかカッコイイあだ名で呼ばれるんですけど、かぶってないとハゲって言われるんで。…まあでもやっぱり、ちょっとこうね、あと女性にアプローチする時とかもハゲてるから俺ダメじゃね、って意識は正直ある…気はしますね。

筆者:うん。

藤室:難しいですね。ハゲね。今ちょっとね、治療できるらしいので。ちょっと治療とかも興味はあるんですけど、そこまで思ってるならちゃんと取り組んだらいいのかなぁ、と思いつつなかなか取り組めてないところではありますね。

筆者:なるほど。

藤室:でも、なんか取り組まないとダメなのかなぁ。なんかあの、包茎治療と同じように踊らされてるだけじゃないかなという気もちょっと。

筆者:うんうん。

藤室:やっぱ、お金かかるんですよね、調べると。正直、安かったらもうやってるっていうことはあって。ちょっと調べても一回、5,000円とか10,000円とか。通わないといけない的な。それ何回かっていうのはやっぱり経済的にね、負担ですから。

筆者:うん、たしかに。

藤室:という感じです。ハゲ、ハゲ…。あとまあ体のことでいうと、ちょっとやっぱり、こう、細いことについてですね。まあ今細くもなくなったんですけど。なんか、今ただ生っちょろいデブになった気がするんですけど(笑)。あの、そのやっぱ、体にコンプレックスがあったから、定期的になんか、モテるために体鍛えようと思って、腕立て伏せを始めたり、プロテインを飲み始めたりして、途中でめんどくさくなって、やーめたみたいな感じで。みたいなのを定期的に繰り返してますね。

筆者:うんうんうん。

藤室:これはなんか、もうあの、少なくとも40代前半ぐらいまでは、圧倒的にやっぱりモテのためでしたね。

筆者:なるほどね。

藤室:今は逆にちょっともう、成人病の数字だとか、今後肥満じゃないように、特定健康指導の対象じゃなくなりたいとか、ちょっと欲望が変わって、健康志向になってきましたけど。

筆者:なるほど(笑)。

藤室:それまでのダイエットとか体鍛えようとかいうのは、全てもう外見ですね。コンプレックスの裏返しなんでしょうね。その割に、またすぐ飽きるんだよね(笑)。なかなか続けられないね。

吉村:子どもに「なんでここに毛ないの」って聞かれるって話があったんですが、子どもってバンバン言ってくるじゃないですか。

藤室:そうだね。

吉村:だからって子どもに怒るわけにはいかないじゃないですか。反応に困るっていうか、結局何も言わずスルーするみたいな感じになっちゃう。藤室さんはどうされてるんですか。

藤室:僕もね、あんまり怒れない方なんです。怒ってもいいんじゃないかって気もちょっとするんですけど。やっぱり怒れないから、「なんで毛ないの」とか言われても、「ああ、なんでやろなぁ、あるとええのになぁ」みたいな(笑)。子どもによっては優しいんで、「あー、生えるといいねえ」って(笑)。もちろん、ハゲハゲしつこく言ってくるやつとかもいてね。まあ本来怒ってもいいよなという気はするんですけどね。はい。

木内:ちょっとセンシティブな質問なんですが、藤室さんは髪型を変えようと思ったことはないんですか。

藤室:いや、ありますよ。ある文筆家が「ハゲてきたらワシは剃ろう」と書いてて。それをなんか若い頃読んで、おお、俺もハゲてきたら剃ろうかなって思っとった。いざハゲ始めると、ハゲとはいってもここにこう、産毛みたいなものがあるわけですよ。

筆者:うんうん。

藤室:その産毛みたいなものたちと別れを告げることができないみたいな気持ちになって。ちょっと、とても剃れない(笑)。

筆者:なるほど。

藤室:俺が若い頃、こう、髪のこっち〈側頭部〉側だけ伸ばして、ここ〈頭頂部は〉ハゲてて、この〈側頭部の〉伸ばした髪をのせてる、セッティングしてる人っていたんですよね。俺が高校の頃の教頭先生とかもそうで。で、屋外活動とかで最後の挨拶とかしはる時に、風がぴゅーって吹いて。〈髪が〉ぴゅーってなるんだよ。漫画みたいな(笑)。全員、大爆笑。もう先生も、他の先生も笑ってるみたいな。だったんだけど、〈教頭先生は〉もう顔真っ赤にしてましたよね。

筆者:そうやんなあ。

藤室:今は、その気持ちもわかるけどね。その時は俺も若いから、「あんな未練がましいことしやがってさ、カッコ悪いわ」って思ってたけど、ちょっと今になるとわかる。せっかく生えてるのに(笑)。

筆者:なるほどなぁ。僕も小学校の時に校長をすっげえ馬鹿にしてて。全く同じで、横の髪を頭頂部になでつけてセットする。バーコードって言ってました。「あれレジに通したら読めるんちゃうか」みたいなこと言ってましたね。

藤室:ハゲって、ある種のそういう権力を持ってる中年男性を揶揄するための言葉でもあるんだよね。

筆者:今もハゲを馬鹿にする意識ってありますか。つまり同世代で自分より髪の薄い人を馬鹿にするみたいなのって起こります?

藤室:うーん。そうやね。反省したからね、薄れてきた気はするけどね。でもその人が、なんか嫌いな奴だったりしたら、「またあのハゲ上司が」みたいな感じで悪口として使ってしまう可能性はある。それはある。

筆者:なるほど…。

田村:話変わるんですが、さっき女性にアプローチする時にハゲが気になるって話が出てきたんですが、やっぱりそれって気になりますよね。

藤室:そうね、「ハゲたら結婚できないよ」って言葉にこだわってきて。でも、確かに知り合いのハゲた人で、結婚した人もいるねん。すげえ、この人ハゲと結婚してんじゃん、と。

一同:ははははは!

藤室:うちの母親、嘘言ってたのかなとか。どこかでハゲが結婚してるかチェックしてしまうところがあるので。

筆者:うんうん。

橋田:僕ちょっと考えたことがあって、なんでハゲが馬鹿にされるんかなって思った時に、やっぱ年齢が関係してるんじゃないかなって思って。その、年取ってる人の方がハゲてる確率が高いからじゃないかなと。

筆者:なるほど。

橋田:ハゲ=年取ってる、っていうのが一目でわかるから。

筆者:なるほど。じゃあちょっと高齢者差別的な文脈と近いのかもしらんっていう。

藤室:でもこれ逆にそうすると若ハゲの人とか大変だよね。

筆者:ね。めちゃくちゃイジられますもんね。

藤室:ハゲの治療院とかもそういうとこ煽ってくるね。やっぱり。

筆者:確かに。上手いことやってきますよね。

藤室:見かけの年齢が変わってくるとか。なんかそれっぽい研究をひいて、ハゲを治療した方が自己肯定感がアップすると感じた人が何%っていうような…なんかそんな感じの広告とかいっぱい見ますわ。

橋田:ちょっと違う話になるんですけど。藤室さんの言ってた「呪い」っていうのはすごい最近僕も実感としてあって。自分が他の人に否定的な気持ちを持ってたけど、自分がその立場になるって結構あるんやなって。学生の時はまだそんなのなかったんですけど、大人になって増えてきて。でなんか、人を安易に否定したらあかんなっていうふうに気付けたんで。呪いっていうのはほんまによくわかります。

藤室:俺、ハゲるとは思ってなかったんだよね。うちの親父もそんなにハゲてなかったし。ところが、だよ(笑)。呪いだよね。否定しちゃダメだよね、人をね。

筆者:それにいつ気づきました? その呪いの、なんていうか、人を否定したらあかんなみたいな。

藤室:それはやっぱ自分がハゲてきた時にそう思ったね。

筆者:自分がハゲたって自覚したのはいつぐらいやったんですか。

藤室:結構前ですけどね、なんかね、自覚したシーンは具体的にあって。エレベーターに乗ってたのよ。監視カメラ付きエレベーターで。んで、「なんか頭の薄い人おるな、あの人カッパみたいな頭してはるな」とか思ってたら、エレベーター俺しか乗ってなかった。あれ俺?俺?みたいな(笑)。

一同:ははははは!

藤室:本当に、自分の頭頂部って見えないじゃんね。

筆者:はいはいはい。

藤室:で、俺おでこが広い方だったから、こうやっていくとは思ってたのよ。後退していくとは。

筆者:うんうん。

藤室:ここ〈頭頂部〉が?え、ここ?マジかよって。

筆者:なるほどね。

藤室:なかなか衝撃やったね。それ発見してからやっぱり、自己肯定感だいぶ下がった(笑)。

筆者:あー。他人やと思ってたのが自分やったってのがちょっと生々しい。

藤室:まさに、まさに。それを監視カメラの映像で発見したみたいな。その時俺には写ってる人を馬鹿にする気持ちがあった。

筆者:そうですよね。

藤室:こいつカッパみたいだ、今度は、それ、え?俺?みたいな。衝撃やった。まさに人を呪わば穴二つみたいな(笑)。

筆者:辛い(笑)。

藤室:己に呪いが返ってきたみたいな感じでしたね。

筆者:なるほどなるほど。

藤室:ね、子どもには別にこうは言わないけど、「ハゲを馬鹿にしとったら、お前もハゲになるよ」みたいな(笑)。ちょっと伝えたい気持ちはありますね。

筆者:なんか自己肯定感の部分で回復とかしてくるんですか。

藤室:そうですね。こうちょっと、帽子かぶるようになったりして、だいぶ改善しましたかね。帽子を選ぶという、新しい楽しみを。

筆者:なるほど。お洒落なハットかぶってましたよね。

藤室:ハットよかったね。なんかまた新しい帽子にしようかなって思ってて。まだ買ってないけども。だから帽子がちょっと穴埋めするアイテムとしては大きかったね。まああとは、女性がやっぱりハゲをどう思ってるかとかは気になるね。

筆者:気になりますね。そもそも社会全体としてハゲを嫌がってるのか、それともさっきの教頭先生みたいな、ハゲを隠して潔くないというのを嫌っているのか、どっちなのかっていうのはありますよね。

藤室:あれね。なんでああいう努力を我々は嘲笑うんやろね。そこが大事な気がして。教頭先生がさ、風でこうぶわーって流された時、いやまあそれはみんな大爆笑するんだけど、なぜその、ああいう努力を、こう嘲笑うんだと(笑)。

筆者:そうだわ。なんでなんでしょうね。こう、男らしくない。

藤室:ああ、うん、そうね、男らしさの概念は関係するんだろうね。

筆者:うん、せやねえ。「堂々としろよ」みたいなね。

藤室:嘲笑うってことはやっぱりなんか、ね、こう、スティグマになってるというか。子どもが「ハゲやハゲや」と言ってるのもそうだよね。

筆者:うんうんうん。ハゲを隠すのも、よくないことしてるなっていう気になると思うんですよね。というか今「隠す」って言葉使ったけど、これもハゲはネガティブなことっていう感覚があるから使ってますね。

藤室:なんかね、男のこう、体のことはいじりやすいというか。雑に扱われやすいんだろうなと思ってて。だから、ハゲがバレると雑に扱われるので、そうならないようにしてるんだと思う。女の人もやっぱり雑に扱われてきた歴史があって、セクハラって言葉が生まれて、やっぱり雑に扱ってはいけないっていう意識が生まれてきた。

筆者:うんうん。

藤室:まあ雑に扱われないようにするには、やっぱり雑に扱われた時に、「雑に扱うな」って言うしかないのかなあと。なんか今日ちょっと思いましたね。

筆者:うん。

藤室:ただ声上げるのも、またしんどいしね。めんどくさいんですけれども。という疑問が感想ですかね。

*文中の〈 〉は引用者による補足。


引用文献
須長史生『ハゲを生きる―外見と男らしさの社会学』勁草書房、1999年。

*本連載は、初回と最新2回分のみ閲覧できます。