
Photo Tomoko Sasaki
ヒップホップにまつわるニュースや記事を追っていると、必ずといっていいほど目にするのが渡辺志保さんのお名前だ。渡辺さんはヒップホップを軸に文筆、インタビュー、歌詞対訳などを手がける音楽ライターである。ラジオパーソナリティやイベントMC、コメンテーターとしても活動し、これまでさまざまなメディアを通じてヒップホップについて発信してきた。
ヒップホップを専門的に扱うライターは、日本ではかなり限られた存在である。そのなかで渡辺さんは、海外ヒップホップの動向から日本語ラップの現場までを横断しながら、作品、アーティスト、シーンの変化を言葉にしてきた。私自身も、渡辺さんの記事やインタビューには以前から触れていたが、その考えにとりわけ興味をもつようになったのは、渡辺さんがMCを務めるポッドキャスト番組「ヒップホップ茶話会」を聴き始めたことがきっかけだった。
番組で渡辺さんは、新旧のヒップホップ、日本と海外のシーン、楽曲やリリックの背景について、豊富な知識を惜しみなく語っている。その語り口は、茶話会と名がつく通り解説というよりも好きなものについて語り合う、リラックスしたおしゃべりに近いものだ。しかしそこには、長くその文化を見つめてきた人ならではの批評的なまなざしも同居している。渡辺さんは、ヒップホップを単なる音楽ジャンルとしてではなく、自身の生活や経験とも切り離せない文化として語っている。結婚、出産、子育てとライフコースが変化していくなかで、ヒップホップとの付き合い方はどのように変わってきたのか。あるいは、ジェンダーやエスニシティの問題を通じて、ヒップホップをどのように考えるのか。こうした話をする渡辺さんの言葉の端々から、ヒップホップのルーツに対する深い敬意と、その文化に関わり続けることへの緊張感が感じられる。
これまで「日本語ラップと戦争」では、ラッパー自身が戦争をどのように表現してきたのかを聞いてきた。(第2回・第3回)そして今回は、ライターとしてヒップホップの動向と現場を長く見てきた渡辺さんの視点から、戦争とラップをめぐる現在地について話を伺った。
ヒップホップという表現形式は、暴力や抑圧、記憶、抵抗とどのように関わり、いかに表現してきたか。現在進行形の戦争を、ラッパーたちはどのように見つめ、語り、あるいは語りえないでいるのか。アメリカのヒップホップ、パレスチナをめぐる表現、日本語ラップの現在、そして広島で育った渡辺さん自身の記憶まで。その全容を前後編にわたってお届けする。
戦争をラップする難しさ
まず渡辺さんに尋ねたかったのは、「ラップと戦争」という本連載のテーマをどう捉えるのかについてだ。ヒップホップは、パーティーを盛り上げる音楽でありながら、人種差別、警察暴力、貧困、移民、国家暴力について語ってきた音楽でもある。その意味で、戦争や軍事的暴力は、ヒップホップにとってどのような主題になるのだろうか。
渡辺:「ラップと戦争」というのは、今までにない切り口だと感じました。でも昨年、NHKでZORNさんとZEEBRAさんとをキャスティングして、戦争とラップを結びつけた企画がありましたよね1 。このふたつに共通項を見出す人は、私が思う以上にいるのかもしれないとも思いました。戦争という主題はやはりすごく大きいものです。現在進行中なのか、それとも過去の戦争についてなのか、それは攻撃をしている地域からなのか、その逆なのか、いろいろなレイヤーが重なる問題ですから、興味深いと思いつつ、両者を結びつけるなら、丁寧に紐解く必要があるとも感じます。
渡辺さんは、「ラップと戦争」というテーマを肯定しながらも、「両者を結びつける」ことには慎重であるべきだと語る。ヒップホップが権力や暴力への抵抗を言葉にしてきた音楽であることを踏まえれば、戦争や軍事的暴力もまた、ヒップホップが向き合ってきた問題と地続きにある。一方で、戦争は国家、民族、歴史、加害と被害、現在と過去が複雑に絡み合う主題である。それは現在進行中の戦争なのか、過去の戦争なのか、加害の側から語られるのか、被害の側から語られるのか。そうした違いによって、戦争を表現する言葉の持つ意味は大きく変わっていく。
だからこそ、戦争をラップするには、「戦争」という大きな主題でひとまとめにするのではなく、どのような戦争を、誰が、どこから、どのような立場で語っているのかを慎重に見なければならない。そのラップは、誰の経験に根ざしているのか。戦争を語ることで、何が可視化され、何が見過ごされるのか。その言葉は当事者の声を媒介しているのか、それとも消費してしまっているのか。抵抗の音楽としてヒップホップを語るとき、その「抵抗」は誰にとっての抵抗なのか。これらはいずれも、ラップと戦争を結びつけるときに避けて通れない問いだ。
立ち止まって吟味することなしに戦争を表現すると、その言葉には、戦争の複雑さや語る者の立場の違いをならしてしまう危うさがある。渡辺さんの丁寧に両者を結びつけることが必要という言葉には、ヒップホップの抵抗性を単純に戦争表現へと重ねることへの警戒があるのだろう。
ラップのドキュメント性と戦争
渡辺:私がヒップホップを面白いと思うのは、時事性、ドキュメント性が非常に強いところなんです。たとえば、そのときラッパーたちの間で流行っているスラングとか、一番かっこいいスニーカーだとか、バスケ選手の名前が出てきたりしますよね。それは10年後、20年後に聴くと「この時代ってこの選手がめっちゃ花形選手だったよね」みたいにその時代の空気が伝わってくる。当然、扱う時事問題も時代によって違ってきます。体制を批判するラップなら、当時の大統領の名前が出てくるとか。そして戦争が激化してから、そのドキュメント性がかなり色濃くなってきていて、少し怖いとすら感じるようになりました。
たとえば、MC Abdul2 という17歳のラッパーは、ガザ出身のパレスチナ人なんです。今はお父さんとカリフォルニアに亡命していて、爆撃が日常だったガザの生活や、アメリカに移住しても続く苦悩をラップしています。音楽配信サービスのアルゴリズムで楽曲を聴いていると、そうした鬼気迫る曲の次にもっと享楽的な「今日は時計買って、車も買って」みたいな曲が流れてくることもある。こっちの世界では平和に、いつも通りの暮らしができていて、飛行機で半日ほど移動した場所では、今まさにガザで子供も大人も命を失っている。全く反対の出来事が同時に進行しているのに、私のところには新作のラップミュージックとして同じように届けられている。このアンバランスさに怖さをすごく感じてしまったんです。
ラップには、その時代の言葉や流行などの生活感覚が刻み込まれる。だからこそ、それは同時代の記録ともなる。しかし、現在進行形の戦争がラップされ、ほとんどリアルタイムに音楽として流通するとき、そのドキュメント性は、過去を記録することとは異なる意味を帯び始める。渡辺さんの話から、現在のメディア環境のなかでラップがどのように戦争を記録しているのかを考えてみたい。
アルゴリズムによって最適化された音楽空間では、ガザで親族を失ったことを歌うラップのあとに、パーティーや高級時計や車を歌うラップが流れてくる。そこでは、喪失を歌う曲と享楽を歌う曲が、同じ「新作の音楽」として並べられる。問題は、戦争表現が音楽になることそのものではなく、戦争の惨状や痛みが他のコンテンツと同じ形式に置かれ、それぞれの曲が持つ内容や背景の違いが、いったん均質化されてしまうことだ。
この状況は、戦争表象をめぐる議論とも関わっている。スーザン・ソンタグは、戦争や暴力のイメージが、遠く離れた他者の苦痛を知らせる一方で、それを眺める者の無力感や慣れをも生み出しうることを指摘した。また、リュック・ボルタンスキーは、メディアを通じて提示される「遠く離れた苦しみ」を前に、観客がどのように道徳的・政治的に応答しうるのかを問うた。これらの議論を踏まえると、渡辺さんが語る「怖さ」は、戦争の現実が音楽によって伝わることへの単純な驚きではない。むしろ、他者の苦痛が、日常的な消費の流れに組み込まれてしまうことへの違和感だろう。
戦争を歌うラップは、遠くで起こる暴力をいまここに届ける回路である。しかし同時に、新作の音楽としてほかの楽曲と並び、同じように再生され、消費されうる。渡辺さんが捉えた「怖さ」は、戦争が「見えない」ことにあるのではない。むしろ、戦争が見え、聴こえ、届いてしまうこと。その瞬間に、日常の音楽を消費する流れのなかへ置かれてしまうことにある。ラップのドキュメント性は、現在進行形の暴力を記録するだけではなく、その暴力がどのようなメディア環境のなかで届けられ、どのように聴かれてしまうのかまでも露わにしている。
Black Lives Matter運動とパレスチナをめぐって
現在進行形の戦争がラップとして届く一方で、戦争について声を上げることは、ヒップホップシーンのなかでどのように受け止められているのだろうか。渡辺さんは、アメリカのヒップホップにおけるBLM運動とパレスチナをめぐる反応の違いから、この問いについて語った。
渡辺:たとえば、2020年にさらに高まりを見せたBlack Lives Matter(BLM)運動では、警察暴力や人種差別に対して、アメリカのヒップホップシーンから多くの声が上がりました。ケンドリック・ラマー3 やキラー・マイク4 をはじめ、ビヨンセ5 やJAY-Z6 も含めて、社会的不正義に対して発言してきたアーティストたちの存在を見てきましたし、そういう力を持つヒップホップに、私自身すごく勇気づけられてきたんです。
一方で、パレスチナやウクライナで起きた戦争については、少なくともBLMのときと同じような広がり方で声が上がっているわけではないように感じました。もちろん、発言している人がいないわけではありません。ただ、警察暴力や人種差別をめぐる問題と、パレスチナをめぐる問題とでは、アーティストが発言するときの条件やリスクがかなり違うのではないかと思ったんです。
特にアメリカでは、イスラエル/パレスチナをめぐる発言が、音楽産業やメディア、政治的な立場とも深く関わってしまう。私は日本という外側から見ている立場なので断定はできませんが、アーティストにとって、パレスチナについて声を上げることには相当な難しさがあるのだろうと感じます。
たとえば、パレスチナ系のルーツを持つDJ Khaled7 に対しても、「なぜ今、パレスチナのために声を上げないのか」という批判や期待がSNS上で向けられてきました。彼はもともと啓発本なども出版しているくらい、その声が大きく取り沙汰される人物でもあったから、なおさらです。でも、その沈黙を単純に責めることもできないのかもしれない。ルーツがあるからこそ発言を求められる一方で、発言すれば大きなリスクを負うことにもなる。そこに、アーティストが社会的な問題について何を語れるのか、あるいは語れないのかという難しさが表れている気がします。
大きく見れば、BLMの問題も、ガザで多くの人々の命が失われていることも、どちらも社会的不正義や暴力に関わる問題です。ただ、アメリカのヒップホップシーンにおいては、その二つが同じようには語られていない。しかし、そこに移民大国のアメリカが抱える、人種と国家が重なり合う複雑な問題性があるのではと感じますし、ここ数年、その違いを強く感じています。
BLM運動は、アメリカのヒップホップが警察暴力や人種差別に対して社会的な声を発してきたことを、あらためて可視化する契機だった。渡辺さん自身も、その言葉の力に勇気づけられてきたと語る。けれども、パレスチナやウクライナで起きている戦争に対しては、その声の広がり方は同じではない。その背景には、アーティスト個人の意識だけでは捉えきれない複数の条件がある。そこでは、アーティストが何を語るかだけでなく、どの立場から語るのか、語ることによってどのようなリスクを負うのかが問題になる。
DJ Khaledの例は、アーティストの沈黙が単に個人の判断としてではなく、周囲からの期待や産業構造のなかで意味づけられてしまうことを示している。パレスチナ系のルーツを持つ著名なアーティストであるからこそ、彼には発言が求められる。一方で、それに応じることは、本人にとって大きな反発やリスクを伴う可能性もある。ルーツを持つ者に向けられる期待と、語ることで引き受けることになるリスク。そのあいだに、アーティストが置かれる困難がある。
ヒップホップが社会的不正義に対して声を上げてきた音楽であるとしても、その声がすべての問題に対して同じように発せられるわけではない。ヒップホップの社会的発言を、「声を上げる・上げない」という単純な問題としてではなく、発言の条件やリスク、音楽の産業構造、アーティストの立場が絡み合う問題として捉える必要があるだろう。
誰がどこから語るのか
渡辺:マックルモアが「HIND’S HALL」8を出したときに思ったのは、やっぱり彼が社会的にはマジョリティである白人のラッパーであることも関係しているんじゃないか、ということなんですよね。もちろん私はアメリカにずっと住んでいたわけではないので、断言はできないんですけど。同じテーマについて声を上げたとしても、それを誰が言うのかによって、受け取られ方やリスクはかなり変わると思うんです。
それは日本でもあると思っていて。たとえば、多数派の立場にいる人が言ったときには問題にされないことでも、マイノリティ性をもつ人が同じことを言うと、その発言の内容とは別のところまで攻撃されてしまうことがある。女性の政治家が発言したときに、政策の中身ではなく、容姿や口調まで一緒に批判されてしまうことがありますよね。そういうことと似ていると思うんです。 アメリカの場合は、人種や階級、移民の背景、宗教、地域、音楽産業の構造などが本当に複雑に重なっている。だから、社会的な問題について声を上げるときにも、何を言うかだけではなく、誰が、どの立場から言うのかが強く問われるんだと思います。
BLMのときも、マックルモアは、どう頑張ってもブラック・コミュニティの立場からラップすることはできないわけですよね。だから彼は「White Privilege II」9のように、自分自身の白人性や特権を引き受ける形で、人種差別について歌った。それは彼だからこそできる表現でもあると思います。 でも一方で、当事者のコミュニティからすれば、「それって本当に必要なのか」「外側から語っているだけじゃないか」と受け止められることもある。そこにはやっぱりジレンマがありますよね。
ジェンダーの問題でもいつも思うんですけど、マジョリティの側にいる人が、マイノリティの経験について語るときには、どうしてもアンバランスさがある。自分には直接火の粉が降りかからない場所から、他者の苦しみに連帯することになるわけだから。
連帯を示すことは大事だけれど、その立場の違いを考えないまま語ってしまうと、どうしてもずれが生まれてしまう。そこが本当に難しいところだと思います。
ラップのドキュメント性は、戦争や暴力を同時代の出来事として音楽のなかに刻み込むことができる。けれど、その出来事を誰が、どこから語るのかによって、言葉の意味は大きく変わる。マックルモアの「HIND’S HALL」は、パレスチナへの連帯を明確に示した楽曲として大きな反響を呼んだが、渡辺さんは、その発表の背景には、彼が白人ラッパーであることも関わっているのではないかと見る。
これは、白人であれば自由に語れるという話ではない。むしろ、マジョリティの側に位置づけられるからこそ、自分の立場をどう引き受けるのかが問われるということだろう。
実際、マックルモアはBLM運動においても、「White Privilege Ⅱ」という楽曲で、ブラック・コミュニティの経験を代弁するのではなく、白人である自分自身の特権性を問い直す形で、人種差別についてラップしてきた。そこには、他者の苦しみに言葉を向けるとき、自分がその当事者ではないという立場の違いを踏まえようとする姿勢がある。
ヒップホップでは、何を語るのかだけでなく、誰が、どこから、どのように語るのかが強く問われる。だからこそ、ラップが持つ可能性は、語る者の位置への自覚と切り離せない。他者の痛みに応答する表現は、他者の経験を自分のものとして語ることではない。むしろ、自分の立場や限界を見つめたうえで、その場所から言葉を差し出すことなのだろう。
先に見たDJ Khaledの例が示すように、発言には、それぞれの立場に応じたリスクや負荷がある。声を上げれば反発を受けることがあり、声を上げなければ「なぜ語らないのか」という期待や批判を向けられることもある。どちらの場合も、その人が置かれた社会的な条件のなかで受け止められてしまう。
語ることにも語らないことにも、それぞれの困難がある。言葉にできることもあれば、すぐには言葉にならないこともある。あるいは、別のかたちで関わろうとすることもある。だからこそ、戦争や他者の痛みに触れたとき、誰かに発言を強いるのではなく、その揺れやためらいを含めて、どのように応答しうるのかを考え続けることが必要になる。
渡辺さんの言葉から見えてくるのは、戦争をラップすることの難しさが、単に政治的な主題を扱う難しさではないということだ。声を上げることも、上げないことも、その人の立場や置かれた条件と切り離しては受け取られない。そこで問われるのは、誰が、どこから、どのような言葉で戦争に向き合うのかということだ。
後編では、この問いを日本語ラップの現在へと移していく。
渡辺志保(わたなべ・しほ)PROFILE
音楽ライター。広島市出身。ヒップホップを専門領域とし、これまでにケンドリック・ラマー、エイサップ・ロッキー、ニッキー・ミナージュ、コモンら国内外のアーティストへのインタビューを多数執筆するほか、歌詞対訳なども手がける。共著に『ライムスター宇多丸の「ラップ史」入門』(NHK出版)がある。block.fm「INSIDE OUT」などを始めラジオMCとしても活躍する。
文献
Boltanski, Luc, 1999, Distant Suffering: Morality, Media and Politics, trans. by Graham Burchell, Cambridge: Cambridge University Press. Sontag, Susan, 2003, Regarding the Pain of Others, New York: Farrar, Straus and Giroux.
ディスコグラフィ
MC Abdul, 2021,”Shouting At The Wall”, EMPIRE.
Macklemore, 2024,”Hind’s Hall”, Bendo.
- 『NHKスペシャル 戦火の時代に紡ぐ歌 PASS THE MIC』2025年8月18日放送
- MC Abdul(本名アブデル・ラーマン・アル・シャンティ)は、2008年ガザ地区生まれのラッパー。2018年、10歳のときに難民学校の校庭でパレスチナの状況をラップし、撮影した動画が全世界で話題となる。
- ラッパー。黒人の歴史や人種的不平等を主題とした楽曲、「Alright」(2015)の一節である”We gon' be alright”は、警察暴力や人種差別への抗議デモで歌われ、BLM運動のアンセムとなった。
- ラッパー。BLM運動を支持し、2020年のジョージ・フロイド事件後には、アトランタでの演説を通じて人種差別の是正と政治的行動の必要性を訴えた。
- シンガーソングライター。2016年の警察による黒人男性殺害事件(アルトン・スターリング、フィランド・カスティール)を受けて、「Stop Killing Us」と題した声明を発表。また「Formation」や「Freedom」(共に2016)では黒人の歴史やアイデンティティ、人種差別や警察暴力の問題を扱い、BLMを象徴する作品として広く認知された。
- ラッパー。楽曲「Spiritual」(2016)や「The Story of O.J.」(2017)を通して、黒人の歴史や社会的不平等をテーマにした作品を発表する一方、実業家としても司法制度改革や黒人コミュニティ支援などの社会活動に取り組んでいる。
- 米国のDJ、音楽プロデューサー。パレスチナ系アメリカ人として知られ、自身もたびたびパレスチナにルーツを持つことを公言している。ヒップホップ界の有力なキュレーター/ヒットメーカーとして、ドレイク、JAY-Z、リル・ウェイン、リック・ロスらとの作品を多数発表している。
- マックルモアが2024年に発表したプロテストソング。タイトルは、パレスチナ連帯を訴える学生らが占拠した Hamilton Hall(米コロンビア大学)を、ガザで死亡した少女ヒンド・ラジャブにちなみ「Hind's Hall」と呼んだことに由来している。ガザ停戦や大学によるイスラエル関連投資の引き揚げ(ダイベストメント)を訴え、楽曲の収益はパレスチナ難民支援機関UNRWAに寄付された。
- マックルモアが2016年に発表した楽曲。白人ラッパーとしてヒップホップ文化に参加する自身の立場を見つめ直し、人種差別や「白人特権(White Privilege)」について問いかけた「White Privilege」(2005)の続編で、BLM運動や文化的盗用の問題にも言及している。


