しるものひと口 / 木村衣有子

誰かと囲んだ食卓のなかにあった「しるもの」をひと口飲めば、その時の記憶が蘇る。 時に優しく、時に苦味を伴う、そんな「しるもの」のお話。 著者の意欲作『しるもの読物』の続編が、連作短編として登場します。

見知らぬ人の弟の好物

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 今となっては疎遠になってしまっている知人が、甥っ子が高校を出てから憧れていた飲食店で働きはじめたものの、かくし味の正体を厨房で知り失望して辞めた、と、話していたのはずいぶん前のことだ。ぼくがこの街に来て間もない頃だったはず。
 お喋りの場にはぼくの他に幾人かいて、かくし味ってなに? と、色めき立った。
 昆布茶、だったんだってさ。
 そう聞いて、みんな笑った。
 昆布茶って!
 ぼくも曖昧に笑っていた。
 いかにも笑い飛ばしてやってくれという知人の語り口にのせられていたのは否めない。
 しかし、昆布の風味はそんなにやすやすと隠れてしまうものなのか?
 どういうジャンルの飲食店だったかは忘れてしまった。和食ではないだろうとは想像できるが。
 知人が甥の話をするのは珍しかったのはおぼえている。普段は姪っ子の話ばかりしていた気がする。ぼくは、甥、姪、どちらとも顔を合わせたことはないし、姪にまつわる数多のエピソードはすっかり失念してしまった。
 なぜか昆布茶の話だけ記憶している。
 甥と姪、どちらが年長だったかは、訊いたか訊かなかったかそのものを忘れている。
 姉と弟、だったのかもしれない。
 「弟の好物」というタイトルのエッセイを読んで、そう思った。
 ヒノの行きつけの古本屋で修業していた人が独立して開いた書店にこないだ行ってみたとき、ぼくもヒノもこれといって欲しい本は見つけられず、とはいえなにも買わずに店を出るのはちょっと憚られるとヒノはぼくに耳打ちするくせに自分では財布を開けようとしないものだから、ぼくはヒノを睨みながら、レジ横に積まれていた、この店の常連客らが発行したという小ぶりの雑誌を内容を精査することなく、求めた。その雑誌に載っていたのだった。
 お支払いは現金のみってあって、一万円札しかなかったんだよねっ、ごめんね。
 店を出てからそうヒノに謝られたが、ヒノはこの古本屋にちまちまと気を遣い過ぎだと、しかも気遣いは先方に全く伝わっていない、ともぼくは思った。口には出さず、ただ再度、ヒノを睨んだ。

 エッセイ「弟の好物」の前半にはこうあった。

 昆布茶を、昆布茶として飲むひとに会わない。うちから一歩出てみれば当然のように調味のための粉だった。うちの中にない味を君が求めて飛び出していったんだって羨んでいたよ。君も私もまだ包丁の柄をしっかり握るだけの力もない頃、うちに昆布がもしあったらちがったの。弟さんの気持ちわかるよ、ひとに言われても私にはわからない。

 エッセイの後半は「私」の、だから姉である人の新生活の話に終始していた。徹底して改行しないスタイル。書き手の思い詰めかたがぼくとは違うのが不思議と面白くてすいすい読めた。
 もしかしたら、世間一般では昆布茶にまつわるよくあるエピソードなのかもしれない。
 「私」のプロフィールをたしかめると、ペンネームで、年齢も明記されていなかった。話を聞いてから流れた月日を鑑みればもう三十路はこえているはず。普段よりも一歩踏み込んで、ぼくはiPhoneを手にし、ペンネームを検索窓に入力してみた。横顔の写真が1枚だけ見つかったが、輪郭がはっきりしない。拡大してみたところで、そもそも知人の風貌もぼくの頭の中ではすでに輪郭がぼやけているのだった。
 それとはまた別に、くっきり浮かび上がってきたふたつの気持ちがあった。
 知人の甥っ子、「私」の「弟」を笑い者にすべきではなかったという反省。
 昆布をもっと信じていいじゃないかという義憤。
 なにも辞めなくったってよかったじゃないか。

 ぼくには姪も甥もいない。ヒノもたしかそうだが、ヒノ自身あまり饒舌には語らないので子供時代に裕福だったらしいというほかはぼくは知らないのだ。ヒノが、ぼくと同じように血縁というものを世間一般に比べて薄く感じざるを得ないような経験をしてきているかどうかも、知らない。
 ヒノとぼくを抜かせば、世間の人はみんな、血縁の話をたいそう好む。
 そうはいっても、姪、甥の話題というものは語り手との距離感のせいもあるのか、たいていはポジティブな内容で、これといって意見など求められないからいい。聞き流していてもばれない。
 姪、甥たちが二十歳過ぎても話題にされることはほぼない。あんなに可愛がっていたのになあとはちらりと思うが、最近どうしてるの? などとぼくのほうから訊ねもしない、当然だが。

 店名に「珈琲」の二文字が入る古めかしい喫茶店で、モーニングセットを注文してからも手元に置かれたメニューをなんとはなしに眺めていた。モーニングは7時から11時まで。そのあと16時まではランチセットが用意されているとある。
 メニューを裏返すと、のみものの欄に、昆布茶、とあった。明らかに新メニューではなさそうな位置に記されており、文字も心なしかかすれていた。前に来たときにはその存在に気付かなかった。
 またメニューをひっくり返して、セットにできるのみものをたしかめると、ブレンドコーヒー、アイスコーヒー、レモンスカッシュ、などと並ぶ中には、昆布茶はなかった。

 昆布を気にかけているもので、最新昆布ニュースも飛び込んでくる。
 これまでは別の種類だとされていた昆布が、DNA解析によって同じ種類だと判明したのだという。
 「利尻昆布」「細目昆布」、それから通称「羅臼」の「鬼昆布」は全て、「真昆布」の変種とされていたけれど、4つともみんな同じ種類だとわかったそう。呼び名は全て「真昆布」に統一される方向だと報じられていた。
 かたちが違うから別の種類だとされたのは1902年だったそうだからずいぶん長いこと他人扱いされていたわけだけれど、育つ土地が違うとそれほどまでに味が違うという証左にもなる。分類したのは、宮部金吾博士という人物。札幌農学校の創立2年目に入学した者として、内村鑑三、新渡戸稲造とともに、三秀才、と呼ばれたそうで、ずいぶん愛想のないほめかたではある。
 塩昆布のパッケージの裏面の原材料の欄には、ただ、昆布、そう記されているだけだったけれど、幾種類かあったはずだった。和食界の入口は覗いたもののすぐに引き返してしまって以来ちゃんと勉強したことがないが、いつぞや、呪文のようにおぼえた「大阪は真昆布、京都は利尻」だけは忘れていない。
 でも、知らなくてもよかったんだ。みんな同じ血を引く仲間だったならば。昆布を切っても血は流れないが。

 今度はあまり間を置かずに、件の喫茶店へ、再びモーニングの時間に行った。
 メニューの、昆布茶の欄をたしかめる。ある。
 この喫茶店のモーニングでは、たべものはトーストしか選べない。付け合わせはバターかジャムだから、昆布茶を振り入れる隙はない。ランチにはナポリタン、チキンライスがあって、どちらも昆布茶をかくし味に入れるようなメニューではないはず。どのみちケチャップが全て覆い隠してしまうだろう。
 ここには昆布茶を注文するお客が誰かしら来るんだな。それはわかった。
 じゃあ、和食ではないとして、こういう気さくな洋食でもなくて、でも、いわゆる客単価が高い飲食店だったら、昆布そのもので出汁を取るんじゃなかろうか。
 顔も知らない彼の憧れの店は、ぼくの想像の埒外にはみ出していった。つまり、ぼくには輪郭が描けないと、わかった。

※参考「北海道のブランド昆布「利尻・羅臼・細目」、実はマコンブと同種だった…北大グループがDNA解析」
2026年7月1日付 読売新聞
https://www.yomiuri.co.jp/science/20260701-GYT1T00107/