死ぬまで生きる日記 / 土門蘭

日常生活はほとんど支障なく送れる。「楽しい」や「嬉しい」、「おもしろい」といった感情もちゃんと味わえる。それなのに、ほぼ毎日「死にたい」と思うのはなぜだろう? カウンセラーや周囲との対話を通して不可思議な自己を見つめた1年間の記録。

私は火星からやってきたスパイなのかもしれない

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 記憶にある限りでは、10歳の頃から。
 その頃から35歳になるまで、ほぼ毎日「死にたい」と思っている。

 実際に自殺行為に及んだことはない。何か特別な理由があるわけでもない。ただ、何かの拍子にふと、「死にたいな」と思う。「もう耐えられないな」と。でも、実際はちゃんと耐えられる。物理的に耐えられない何かに襲われているわけではないし、自分の気分の問題だからだ。だから私は、いつもその欲求が薄くなるのを待つ。いつものことなのだから、と言い聞かせ、本当は全然死にたくないのにな、と思いながら。

 自分の意に反して、ぼんやりとした死に対しての欲求が、霧のように常時私の体を包んでいる。それが、時間やタイミングによって濃くなったり薄くなったりする感じ。あるのは濃度の違いだけで、それが完全に消え去ったことはこれまでにない。一日たりともない。そして、その濃度が変わる時間もタイミングも、自分でもよくわからない。気温やら気圧やら他人の一言やらで、簡単に左右される。

 「楽しい」とか「嬉しい」とか「おもしろい」という感情は、ちゃんと味わうことができる。もちろん、怒ったり悲しんだりもできる。目の前で起こるさまざまな変化に対して、その都度感情は沸き起こるのだけど、根っこの部分がずっとうつろだ。何かに夢中になったとしても、その感情はすぐに冷えて、うつろな気持ちに引き戻される。そしてそのことを、夢中になっている最中にも予感している。

 この感じをなんと例えたらいいのかな、と思い、考えてみた。例えば、転校したばかりの学校で、運動会に参加しているような感じかもしれない。体育座りをして、賑やかな音楽を聴きながら、校庭を駆け抜けるいくつもの足や、赤と白の鉢巻が揺れる様に目を奪われつつも、「いつまでこれが続くのだろう」そんなことをずっと考えている。校庭の石ころが体操着越しにお尻に食い込んで、冷たくて痛いなと思いながら。

 自分の出るプログラムももちろん用意されている。出番が来るとドキドキするし、頑張ろうとも思うが、友達はまだできていないし、保護者席にも私の「保護者」は誰一人いない。見知らぬ顔ぶれの中で、うすら寂しい気持ちで演目に挑んでいる。自分は人数合わせなのだというような。

 みんなが楽しんでいる運動会の中で、一人こんな気持ちでいることを、私はいつも恥じていたし申し訳なく思っていた。どうして自分は楽しめないんだろう? どうして自分は寂しいんだろう? どうして自分は、いつまでも自分を疎外しているんだろう? 
 私を疎外しているのは周りの人ではない。私自身なのだ。そんなことはとっくにわかっているのに、みんなに笑顔を見せたりハイタッチしたりもできるのに、内面はずっと鬱々としている。

 例えるなら、そんな感じの気持ち。


 子供の頃は、そんな自分を火星人だと思おうとしていた。
 自分は火星人だから、地球に馴染まないのだと。だから、こんなに寂しい気持ちになるのだと。

 家にいても、学校にいても、どこにいても何か馴染まずうすら寂しいのは、自分が違う星から来た生き物だからなのだろう。だから、自分を受け入れてくれる人の中にいても、心から「ここにいていい」と信じることができないのかもしれない。その仮説は、私の心を少し慰めた。謎が解けたような気持ちになったから。

 それで、自分は地球上でのことを火星の仲間たちに報告するスパイなのだと思おうとした。両親のこと、友人のこと、教師のこと、近所の人のこと。私の身の周りにいる人のことを、ノートにたくさん書いた。宇宙のどこかにある、私の母星に送るために。そこには私の「家」があり「保護者」がいる。彼らは私の文章を、首を長くして待っている。そんな設定で。
 それは側から見るとただの日記だったけれど、あの頃の私にとっては、自分の存在意義だった。一日一日を生き抜くための、幼いなりの工夫だった。

 大人になってからも、私は毎日日記をつけている。さすがにもう火星からのスパイだとは思っていないけれど、今でもつけないと眠れない。


 「20年以上、ほぼ毎日『死にたい』と感じているんです」
 そんな話を、1年半前に心療内科の診察室でした。日常生活はほぼ支障なく送れているが、さすがにずっと「死にたい」と思うのは少しおかしいのではないかと思って、診察を受けに行ったのだ。いろいろと質問されて、夜眠れなくなることがあるとか、眠っても疲労感がなかなかとれないとか、時々涙が止まらなくなることがあるという話をすると、その病院の院長であるという初老の医師はうんうんと頷きながら、開口一番「それは病気ですね」と言った。「うつ病です」と。

 うつ病なら、その前にも違う病院でそう診断されたことがある。その頃は日常生活が送れないほどだったので、薬を飲みながら治療したのだけど、半年後には寛解して仕事に復帰し、育児や家事もできるようになった。
 それから数年経ち、「今は通常運転だ」と思っている現在ですらうつ病なのかと思うと、なんだかおかしくなって笑いそうになった。それなら、私は20年以上ずっとうつ病だ。でも、自分自身そう疑っていたからここに来たのだよな、と思う。

 「健康な人は、『死にたい』だなんて思いません」
 と、医師は言った。
 「そりゃあ時々思うことはあるかもしれませんが、一時的なものです。あなたのようにかなりの長期間、継続的に思うのは『希死念慮』と言って、脳の病気から起こるものです」
 「脳の病気」
 インパクトの強い言葉を呑み込むため、私はそう繰り返す。医師はあっさりと、
 「そうです。薬を飲めば、良くなります」
 と言った。

 そうしてすぐに薬を出そうとするので、あまりの展開の早さに不安になり、私は「あの、すいません」と医師の話を遮った。
 「本当にみんな『死にたい』と思わないのですか」
 思い切ってそう尋ねると、
 「思いません」
 医師はやっぱり、あっさりと否定した。
 「そう思うのは、あなたの脳が疲れているからです。体が疲れると病気にかかりやすくなるでしょう? それとおんなじです」
 私は自分の脳に意識を集める。自分の頭蓋骨の中身の方へ。脳が脳のことを考えているのは、なんだかちょっとおかしいなとぼんやり思った。

 それから医師は、脳の働きは3種類ある、という話をした。
 「考える、思い出す、決める。脳の働きは、大きく分けてこの3つです。あなたの場合、この3つのいずれか、あるいは3つすべてを、過剰に脳に行わせている。それで脳が働きすぎて、うまく休めなくなったり疲れが取れなくなっていて、結果的に『死にたい』という自分を責める思考に陥っているんです」
 そう説明されてみると、確かにそうかもしれないと思った。確かに自分はずっと考えごとをしているし、ずっと何かを思い出している。結果、夜も頭の中で言葉がひっきりなしに泳いでいて、よく眠れていない。そう言うと、
 「そうでしょう」
 と医師は大きく頷いて、3種類の薬を出した。そして、「簡単に説明します」と言った。
 「すごく簡単に言うと、こっちの2つは、今言った3つの働きを緩やかにさせる薬です」
 「考える、思い出す、決めること……」
 私が繰り返すと、「そうです」と医師は大きくうなずく。
 「それからこっちは、睡眠導入剤。これも使ってみましょう。とにかくよく眠ることです。脳の休息は、睡眠でしか取れませんから」
 医師はテーブルに置いた薬を指差して言った。
 「これらを飲んで、一度脳を休ませてみてください。すると、『死にたい』なんて思わなくなりますよ」

 「すごいですね」
 私は思わずつぶやく。この薬で20年以上あったあの気持ちがなくなるなんて、信じられない。すると、医師は初めて微笑んだ。
 「きっと、ずいぶん楽になるはずです」


 でも結局、私はその薬を飲めなかった。
 考える、思い出す、決める。それら3つを休むことになると、私は文章を書けなくなるのではないかと思ったからだ。文章を書くことは、考え続け、思い出し続け、何を書くかを決め続けることだから。

 私は普段、文章を書く仕事をしている。エッセイや小説や短歌、インタビュー記事やキャッチコピーを書き、なんとか生計を立てている。その仕事がしばらくの間できなくなる可能性があるのは、現実的に考えてもかなり困る。

 でもそれ以前に、私にとって書くことは生きることと同義なのだった。
 昔から、書いている間だけは「死にたい」という気持ちを忘れられた。地球上にいる意義を見出すことができ、ここで生きることができた。だから仕事として、日がな一日書くことに携われていることは本当にありがたいことだし、そうやってこれまで生きてきたのだから、自分の手でそれを失う可能性を作ってしまうのが怖かったのだ。書くことがなくなったら、私はどうやって生きていけばいいんだろう?

 救いとしての「書く」を維持するために、「死にたい」という気持ちを維持しようとするなんて、本末転倒で愚かなことなのかもしれない。そう思ったけれど、「書く」ことを損なうようなことはどうしてもできなかった。怖かったのだ、すごく。この薬を飲むことは、私にはできない。

 どうすればいいのかわからず、別の医師の友人に相談してみたら、「そのお医者さんの意見は、ちょっと偏っているような気もするね」と言われた。「薬を飲んだら『死にたい』という気持ちがなくなるのかというと、そんな単純な話でもない気がするし」と。
 「何より、納得していない薬は無理に飲まなくてもいいと思うよ」
 そう言われて、ほっとする自分がいた。

 念のため、家族にも相談をした。日常生活にほぼ支障はないと書いたが、それでも「死にたい」と思い続ける抑うつ的な人間が家庭内にいることは、ある種のストレスになるだろうことは、私にも想像できた。
 するとみんなも「飲みたくないのなら飲まなくていい」と言ってくれた。「お守りのように持っておいて、本当にいけなくなったときに飲めばいいんじゃない」と。もちろん、原則的には医師に処方された通りに飲むべきなのだから、そんな飲み方をしてはいけない。お守りのように持っていたとしても、家族は私がそれを飲まないことを知っていたように思う。
 それでも家族は、私の選択を許してくれた。私にとって「書く」ことがどれだけ大事かを理解してくれた。わがままを聞いてくれて、とても感謝している。

 今でも、それが正しいことだったのかよくわからない。あの時薬を飲んでいれば、すんなりと明るく楽しく生きていけるようになっていたかもしれない。ただ、今またあの時に戻っても同じことをするだろう。私は考え続け、思い出し続け、決め続けていたかったのだと思う。自分が「死にたい」と思うことについて。


 一方で、薬を飲まないなら、別の新しい方法でアプローチすべきだとは思っていた。このまま一人で「自分はなぜ『死にたい』と思うのだろう」と考え続けるのはとうに煮詰まっていたし(だから病院に行ったのだ)、周りにも負担をかけてしまう。もし何か別のアプローチ方法があるならば、それを試してみたいと考えていた。相談した友人医師にはセカンドオピニオンを勧められたが、もう病院に行くのは気が進まなかった。

 そこで出会ったのが、オンラインカウンセリングだ。ある人がそのサービスをSNSでシェアしているのを見かけ、「これだ!」と思った。一人で考え続けるのではなく、また薬を飲むのでもなく、人との対話を通してこの気持ちにアプローチしてみるのはどうだろう、と。言葉を用いるので、これなら「書く」ことと何ら矛盾しない。いっそ「書く」ことの延長線上にある治療法だと思った。しかもオンラインなら、仕事で忙しくても続けられそうだし。

 そう思って、私はさっそくカウンセリングを始めた。今からちょうど1年前のことだ。ある女性のカウンセラーさんについていただきながら、最初は1週間に一度、慣れてきたら2週間に一度の頻度に変えて、今も定期的に続けている。

 カウンセリングは、自分の中をずっとずっと掘り進める作業だった。始めてから1年の間に、さまざまな変化があった。一人では行けなかった場所まで、彼女との対話によって掘り進めていけたように思う。彼女は私に、時々こう言う。
 「人は直線的ではなく、螺旋的に変化していくものです。ぐるぐると同じところを通っているようでも、少しだけ深度や高さが以前とは異なっている。だから、前とは全然変わってないなどと、落ち込むことはないんですよ」
 彼女の言葉を借りるならば、私は螺旋状に自分の中を掘り進めていったのだろう。

 これはそのぐるぐるとした軌跡を振り返り、改めて言葉にしてみた日記である。対話、つまり言葉を通して、「死にたい」という気持ちと向き合い続けた、自分を掘り進み続けた、1年間についての日記。

 私という人間が、死ぬまで生きるための。

 

 

二階堂 奥歯『八本脚の蝶』(河出書房新社 2020年)

初めてうつ病と診断された当時、本がまったく読めなくなっていた。脳が撥水加工されたみたいに、言葉の意味を弾いてしまう。そんなとき、偶然この本を手にした。死に向かう彼女の言葉だけはなぜか染み渡るように理解でき、それからまた本を読めるようになった。

*本連載は、初回と最新2回分のみ閲覧できます。