死ぬまで生きる日記 / 土門蘭

日常生活はほとんど支障なく送れる。「楽しい」や「嬉しい」、「おもしろい」といった感情もちゃんと味わえる。それなのに、ほぼ毎日「死にたい」と思うのはなぜだろう? カウンセラーや周囲との対話を通して不可思議な自己を見つめた1年間の記録。

『生きている限り、人と人は必ず何かしらの形で別れます』

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 本田さんとのカウンセリングは2週間に1度続けている。
 セッションが終わるたび、「次回はいつにしましょうか」とスケジュールをすり合わせ、予約を入れる。それをずっと繰り返した。

 手帳に「10:00 本田さん」と書き込むと、この日まではとりあえず生きていようと思う。この2週間にあったことを、本田さんに言葉にして伝える。自分にはそんな仕事があるのだと思うと、少々辛いことがあっても乗り越えられそうな気がした。

 それはまるで、幼い頃に「自分は火星から来たスパイなのだ」と思い込み、1日にあったことを日記帳に書いてレポートをしていたときの気持ちと少し似ていた。自分には、レポートを待ってくれている人がいる。そう思うことは私にとって、とても心強いことだった。自分はここにいてもいいのだと言われているようで。

 そんなふうにセッションを繰り返すうち、2年が経とうとしていた。

 本田さんには、本当にいろんなことを打ち明けた。恥ずかしいことも、愚かしいことも、思い出したくないことも。誰にも話したことがないことも、どこにも書いたことがないことも、彼女にはいくつ伝えたかしれない。

 親しい人、身近な人だからこそ言えないことは、たくさんある。私の抱える記憶や感情が、大事な人を傷つけるかもしれないことはもちろん、それを大事な人に否定されるかもしれないことも恐れていた。
 だからこそ、何のしがらみもない、共通の友人もいない、本名すら知らなくていい間柄を私は求めたのだ。「自分とは関係ない人だからこそ、何でも話せる」、そう思って。

 「話す」ことは「放す」ことだと何かの本で読んだことがあるが、これまで自分一人で抱え込んでいたものを他人に話すことで、実際とても心が軽くなっていき、手放すことができていったように思う。

 とはいえ、もちろん最初は怖かったし緊張もしていた。こんなことを話したら否定されるのでは、困らせるのでは、と危惧していたし、それで自分が傷つくのも億劫だった。
 だけど、本田さんはそんなことは決してしなかった。嫌な顔もしないし、責めるようなことも言わない。

 「なんでも話していいんだ」
 回数を重ねるうちに、私は体感的にそう理解し始め、ゆっくりと心を開いていった。
 そして、何度も勇気を出して話し、それを受け止めてもらえる経験を重ねることでしか得られない信頼感を、いつしか私は本田さんに抱くようになっていた。

 「この人は私を裏切らない」「この人は私を責めない」
 その認識は、日に日に私の中で育っていく。
 本田さんはいつの間にか、私にとってなくてはならない存在になっていた。

 だけど、私はそんな自分の心の変化に、ほとんど気づいていなかった。
 2週間経てば話をして、また2週間後の約束をする。そんな日々がずっと続くのだと思い込んで、私の中で本田さんがどんな存在なのかを省みることがなかったからだ。子供が、いつもそばにいるものだと思い込んでいる親のことを、どんな存在なのか考えることがないように。

 私にとって本田さんがとても大きい存在になっていることに気がついたのは、彼女がいなくなることがわかったときのことだ。

 その事実を本田さんの口から聞いたとき、「えっ?」と一瞬、パソコンの前で固まった。
 本田さんは液晶画面の中で、少し申し訳なさそうな顔をしていた。


 それは、3月のある日のことだった。

 その日のセッションでどんなことを話していたのかは、あまり覚えていない。いつもならカウンセリングの記録を残すのだが、この日だけは残していなかった。
 多分いつものように、この2週間にあったことを話して、自分がどんな感情になってどんな思考をしたのかを、本田さんに話していたのだろう。

 終わりの時間が差し迫ったとき、本田さんが、
 「お伝えしたいことがあるんです」
 と言った。

 私はそのとき、すっかり油断していた。伝えたいことなんて、別にそんなに大したことじゃないと思っていたのだ。料金が変わるとか、時間帯が変わるとか、そんなことだろうと。

 でも本田さんは、
 「5月から、オンラインでのカウンセリングをお休みしたいと思っているんです」
 と言った。

 「えっ?」
 と、私は言う。それはつまり、どういう意味だろう。よく意味がわからなくて、画面に映る私は、ぽかんとした顔をしていた。

 本田さんが言うには、こういうことだった。
 個人的な事情により、5月あたりから環境が変わるので、オンラインでのカウンセリング自体ができなくなりそうであること。オンラインでのカウンセリングを再開することになるのは、半年先か、1年先になりそうであること。休止まではあと2か月ほどあるので、今後の私のカウンセリングの代替行動について考えていきたいこと。

 個人的な事情とは何だろう、と思う。
 どこかの病院にお勤めされるのだろうか? 別の仕事に就職されるのだろうか? オンラインでのカウンセリングの再開の目処がはっきり立っていないのはなぜなのだろうか?

 そんないろんな疑問が湧いてきたが、なぜだかうまく質問できなかった。本田さんの個人的な部分に立ち入るのは、やってはいけないことのように思ったのだ。

 いまだに私は彼女の年齢も、住んでいる場所も、普段どんなふうに仕事をしているのかも、未婚なのか既婚なのかも一切知らない。興味がないのではなく、なんとなく聞けないでいるのだ。このときもいろいろと聞き出したかったが、私にとって必要な情報は本田さんが自分から言ってくれるだろうと思って黙っていた。逆に言えば、それ以外のことは聞かないでいるべきだと。

 私は、
 「そうなんですか」
 と言った。でもそれは、自分の中からの声ではなく、離れた場所から聞こえる声のようだった。
 「教えてくださってありがとうございます。本田さんにもいろいろあるでしょうし、そういうこともありますよね」
 物分かりの良い調子で、私は続ける。「春は変化の季節ですしね」とにこやかに。

 だけど本当は、声が震えないようにするのに必死だった。
 「どうしてそんなこと言うの」
 そんな言葉が湧き上がってくるのを、なんとか押さえ込んでいた。

 「ゴールデンウィークって、昔から苦手なんです」
 以前、本田さんにそんなふうに伝えたことがある。それなのに、どうして5月にいなくなるなんて言うのだろうか。それで私が大丈夫だと思っているのだろうか。

 だけどそんな気持ちとは裏腹に、パソコンに向かう私は大人のような顔で喋っていた。
 「私の希望としては、本田さんにこれからもカウンセリングをしていただきたいと思っています。頻度が落ちても構わないし、どんな方法でもいいので」
 すると本田さんは、「ありがとうございます。本当に、それが一番いいと思うのですが」と言って、少し困ったような顔をした。私はすぐに、自分の希望は通らないのだと気づき、「もしそれが無理なら」と切り返した。
 「もしそれが無理なら、本田さんのおっしゃる通り、他の案を一緒に考えていただきたいです。本田さんが再開されるまで、その代替案でしのぐので」
 私は明るい調子でそう言いつつも、早くZoomを切りたい思いでいっぱいだった。
 他の案? 代替案? そんなものあるわけがない。心の中で湧き上がっている怒りのようなものを、本田さんにぶつけたくなくて必死だった。

 本田さんは、
 「ご理解くださってありがとうございます」
 と微笑んだ。

 私は絶望的な気持ちになりながら、本田さんに微笑み返した。


 本田さんがいなくなる。

 そんなこと、考えたことがなかったなぁと思う。なんとなく、いなくなるのは私の方だと思っていた。数年カウンセリングを続けるうちに、2週間に1度から月に1度、2か月に1度と頻度が落ちていき、最終的には私の方から「卒業」するものだと。

 それまではずっとそばにいてくれるものだ、と思い込んでしまっていたことに気がつく。完全に油断をしていた。いなくなる可能性を考えていなかった。彼女との今後の関係性を信じ切ってしまっていたことを、少し後悔した。

 その日は、カウンセリングのあとも、仕事をしたり家事をしたりと忙しく過ごしていた。心のすみで本田さんがいなくなることについて考えつつも、帰ってきた家族に夕食を出したり、お風呂に入ったりして、日常生活のあれこれを終わらせることで気を紛らわせていた。

 だけど夜ベッドに入って、日課である日記をつけていると、急に涙が出てきた。
 「裏切られた」
 自分の中からそんな言葉が出てきて、戸惑う。「裏切られた」は言い過ぎだろうと、自分でも思う。

 これまでだったら、その言葉を即座に撤回していたかもしれない。だけど、2年間カウンセリングを続けてきた私は、自分の感情を押さえ込まないことの大切さを学んでいた。自分の感情を素直に吐き出して、否定するでも肯定するでもなく、ただ寄り添えばいい。それを「マザーリング」だと言って教えてくれたのは、本田さんなのだ。

 私は、日記に自分の感情を書きつけた。
 「なんでいなくなっても大丈夫だって思うんだろう」
 「なんでこの時間がなくなっても私が平気だって思うんだろう」
 「なんでも話してきたのに、なんで突然いなくなるんだろう」
 「ひどい」
 「また0からやり直さなくちゃいけない」
 「結局いなくなってしまうなら、信じなければよかった」

 言葉と一緒に、涙がどんどん溢れ出る。「ああ、明日は取材なのになぁ」と思う。目が腫れちゃうじゃん、と。でも、もう諦めることにした。今優先すべきなのは、自分のこの感情を出し切ってしまうことだと思ったから。

 「本田さんには、本田さんの都合がある」
 そんなことは、頭ではよくわかっている。裏切りでもなんでもないことも、本田さんだって好きでいなくなるわけではないことも。だから、本田さんを責めてはいけない。

 でも、自分の中のこの感情をないことにするのも、同じくらいいけないことだと思った。幼いころ、長い間感情を無視してしまったことを、今また繰り返してしまってはいけない。

 そんなふうに考えると、日記に書かれた私の言葉は、昔の自分が書いたもののようにも思えてきた。私はそれを、もう一度読み返す。

 「どうしてお母さんはいつもいなくなるの。なんで聞いてくれないの。どうして私が平気だって思うの。結局いなくなってしまうなら、信じなければよかった」

 だからこそ、せめて私だけは、私の前からいなくなってはいけない。
 泣いている私のそばに、ずっといなくてはいけない。

 「自分で自分の『お母さん』になれたらいいですね」
 そう言ってくれたのは、本田さんだった。

 彼女はいなくなってしまうけど、私はいなくならない。だから、大丈夫。私には私がいるのだから。そう思えるようになったのは、やっぱり本田さんのおかげだな、と思う。

 泣き疲れるまで泣き続けると、気持ちが落ち着いて眠たくなってきた。マザーリング、成功だ。やっぱり、このカウンセリングには意味があったんだ。

 また次回のカウンセリングで、この話を本田さんにしよう。
 私はそう思いながら、眠りに落ちた。


 次のカウンセリングの日、私は朝から憂鬱だった。

 本田さんに、正直な気持ちを話そうと思うものの、心が閉じてしまっているのを感じる。
 「どうせいなくなるのなら、今さら何を話したって無駄」
 自分の一部が頑なになり、何も話すことなんてない、という気持ちになってしまっている。

 私は「やだなぁ」とパソコンの前でつぶやいた。「話すことなんて、何もないのに」と。
 でも、本当はある。あるのに、言いたくないだけなのだ。不貞腐れて、怒りを感じているから。その怒りを本田さんにぶつけてしまうのが怖いから。

 それでも時間が来れば、Zoomを開くしかない。逃げたって、黙っていたって、何が変わるわけでもないからだ。

 私は、私の「お母さん」にならなくては。
 そう思い、本田さんに「こんにちは」と声をかけた。隣に、幼い頃の自分を座らせているような感覚で。今日はこの子の気持ちを代弁してあげたらいい。それだけで十分なのだと思う。

 最初は本田さんと、昨日起きた地震について話した。

 「東北ではよく揺れたようですが、Rさんのお宅はいかがでしたか?」
 「夜に少し揺れましたが、大丈夫でした。本田さんはどうでしたか?」
 「うちも結構揺れましたね。寝ようかな、と思ったら大きく揺れて……」
 「そうですか、でも無事で何よりです」
 「ありがとうございます、Rさんの方こそ」

 いつもと変わらない本田さんの様子に、ほっとする。でもそれと同時に、少し苛立ちも感じた。
 「どうして普通の顔をしているの」「なんで関係ない話をするの」と、幼い自分が怒り始めている。私は、その怒りが大きくなりすぎて自分を呑み込む前に、話を切り出すことにした。

 「あの、前回の、今後のカウンセリングのお話なんですけどね」
 本田さんは「はい」と答える。
 「代替案を考えていただく前に、話しておかないといけないことがあるんです」
 そう言うと、本田さんが少し姿勢を正して「はい」ともう一度言った。

 「本田さんには本田さんの事情があるのはわかっています。カウンセリングが続けられなくなる可能性だって、最初からあったこともわかっています。私としては前回話した通り、本田さんとできるならまだ続けたい。でも無理ならば、一緒に代替案を考えてほしい。そんなふうに、建設的な話ができたらいいなと思っているんです」
 「はい」
 「ただ、それとはまた別に、私の感情についても話させてください」
 本田さんは「もちろんです」と言って、黙って私の言葉の続きを待った。私はドキドキしながら口を開いた。

 「本田さんから話を聞いたとき、本当はすごくショックでした」
 そう言った瞬間、私の目から涙が流れ出す。ああ、泣いちゃったな。そう思いながらも、私は言葉を続けた。
 「なんでいなくなっちゃうんだろう、なんでそれで私が平気だって思うんだろうって、すごく悲しかったし、正直なところ、怒りや恨みのようなものも感じたんです」

 話しながら、恥ずかしくなった。大の大人が何を泣きながら駄々をこねているんだろうと、画面に映る自分の顔から目を逸らしたくなった。
 でも、そうしなくてはいけないのだと思いながら続ける。ここで、ちゃんと自分の感情について話しておかないといけない。本田さんに伝えないといけない。そうしないと、私はまた自分の中にしこりを残してしまうと、直感でわかっていた。

 「頭では、十分わかっています。でも、心ではそんなふうに、まだ納得がいっていないんです。だからと言って、本田さんを責めているわけでも、どうにかしてほしいわけでもありません。ただ、そんな感情が私の中にあるんだってことを、私はちゃんと認識できたということを、本田さんに伝えたくて」

 本田さんはまた「はい」と答える。私は、涙を流し続けながら言葉を重ねた。

 「前回のカウンセリングでは、突然のことだったので、大人ぶった対応をして乗り切りました。でもその夜に、ちゃんと自分の感情に寄り添って、マザーリングをしたんです。そうしたら、本田さんに言いたいことが、たくさんありました。『いなくならないでほしい』『ひとりになるのは不安だ』『私は大丈夫じゃないのに』……」

 そこまで言って、私は嗚咽した。身体中に寂しさと悲しさが広がって、全身で泣いているようだった。人の前でこんなに泣いたのも、いつぶりだろう。どうしてそんな、自分にとって特別な人が、私の前からいなくなってしまうんだろう。そう思っていることも、自分がちゃんと認識できていた。よかった、まだ私は呑み込まれていない。ちゃんと、理性的に感情を受け止められている。

 「そうですよね」
 と、本田さんは言う。
 「急にいなくなるなんて、動揺されますよね。怒りや恨みのようなものを感じられるのも、無理はないと思います。私はRさんが大丈夫だなんて、思っていないんです。私の都合の問題なので、申し訳ないなって」

 私は本田さんの話を聞きながら、涙を拭った。そして、
 「でも、私、本田さんと2年間カウンセリングができてよかったって、本当に思っているんですよ」
 と言った。その自分の言葉に、ますます別れの寂しさを感じつつも、こう続ける。

 「私、自分の感情を自分で受け止められるようになってきていると思います。『本田さんには本田さんの都合があるのだから仕方ない』と頭でわかりつつも、心の声にもちゃんと耳を傾けられました。今日だって、本当は逃げてしまいたかったけれど、ちゃんと自分のお母さんとして、自分の感情を言葉にできたと思うんです」
 本田さんは、「はい」とうなずく。真剣な顔で。

 「これって全部、本田さんが教えてくださったことだから。本田さんには、とても感謝しているんです」
 そう言い切ったとき、私の心がすっと軽くなったのを感じた。
 感じたいことはすべて感じ切り、言葉にしたいことはすべて言葉にした。そんなふうに、幼い私が満足したのだと思う。

 「そう言っていただけて、嬉しいです」
 本田さんが微笑み、私も微笑み返す。今度は、心からの笑顔で。


 「終わる、ってどういうことなんでしょうね」
 本田さんが、ぽつりとそう言った。
 「カウンセリングが終わるって、どういうことなのでしょうね」と。

 「私はいなくなるけれど、Rさんの中には『お母さん』が残っている。それって、すごいことだなぁと思うんです」
 はい、と私は返事をした。本田さんは、少しだけ沈黙して、それからこんなことを言った。

 「終わるとはどういうことなのかを、残りのカウンセリングで考えてみませんか」
 「終わるとはどういうことか?」
 本田さんはうなずく。

 「生きている限り、人と人は必ず何かしらの形で別れます。今回の私とRさんが迎えるのもまた、ひとつの別れです。でも、目の前からいなくなったらその関係性は終わりなのでしょうか。そもそも関係性の終わりとはどういうことなのでしょうか」

 私は、本田さんの言っていることをじっと聞いた。それは、私の知りたいことでもあった。

 本田さんのカウンセリングの代替案なんて、いらないのだ。だって、そんなものはないのだから。本田さんの代わりになるものなんてない。
 それより私は、本田さんとの関係性の終わりを見届けたい。それがどういう意味を持つのか、二人で言語化していきたい。そう強く思った。

 本田さんは、私の目を見てこう言った。
 「そんなことを、これから話していきませんか。私はそれが、Rさんのこれからの支えになると思うんです」

 私は「ぜひ」とうなずく。
 「はい、よろしくお願いします」

 2年間続けてきたカウンセリングの最後のテーマが決まった瞬間だった。
 これから私たちは終わりに向かって、「終わり」について話していく。

 

 

笹井宏之『八月のフルート奏者』(書肆侃侃房 2013年)

短歌は文字通り「短い歌」だ。57577のリズムで詠む以外には決まりがなく、一行で完結する小さな作品。長い文章が読めない時には、よく歌集を手に取って、ページをパラパラとめくる。時々その中に、ふわっと連れ去られるような短歌に出会うことがある。その瞬間、ここではない違う場所にいるような。そんな体験が圧倒的に多いのが、笹井さんの歌集だ。

この雨をのみほせば逢へるでせうか 川の向かうで機織るきみに
「いだきあふ、ひとつになれぬゆゑ」といふ歌曲をおもひつつ服を着る
君といふ空間にふと立ち入れば雲ひとつなき夕ぞらにあふ

優れた短歌からは「世界が立ち上がる」のだそうだ。笹井さんの歌を読んで、なるほど、こういうことか、と知った。誰かを思い、触れ合えども混ざらない、清潔なひとりの世界。

*本連載は、初回と最新2回分のみ閲覧できます。