死ぬまで生きる日記 / 土門蘭

日常生活はほとんど支障なく送れる。「楽しい」や「嬉しい」、「おもしろい」といった感情もちゃんと味わえる。それなのに、ほぼ毎日「死にたい」と思うのはなぜだろう? カウンセラーや周囲との対話を通して不可思議な自己を見つめた1年間の記録。

『「解決しよう」と思わなければ、問題は問題ではなくなるんです』

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 眠れない夜は、ずっと頭の中で言葉が流れている。

 誰かが何かをひっきりなしに喋っているのが聞こえたり、目を閉じると瞼の裏に文字がずらずらと流れていくのが見えたり。何が語られているのかはわからない。言葉の流れるスピードがあまりに速すぎて、まるで洪水のようだと思う。

 昔から、眠りは浅い方だった。心配なことや不安なことがあると、すぐに眠れなくなる。
 特に何もない日でも途中で何度か目が覚めるし、一晩に夢をたくさん見る。朝起きた時にはすでにぐったりと疲れていて、あまり休めている気がしない。それでも夜になればなんとか寝入ることはできるので、そんなに気にしていなかった。

 だけどこの2~3年で、それが少しずつひどくなっていった。
 人間関係で気になることがあったり、翌日に大事な用事が入っていたり、締め切りが近づいている仕事があったりすると、もう眠れない。眠らないと、と思えば思うほど、目が冴えてきてしまうのだ。
 勤めていた会社から独立して、執筆一本で食べていこうとし始めた期間と符合するので、最初のうちは「きっとプレッシャーで眠りにくいのだろう」と思っていた。そのまま騙し騙しやってきたのだけど、次第に明け方まで眠れない日というのが現れ始めた。月に1、2度ほど、ほとんど眠れない時がある。

 そういう夜は頭ばかり無駄に稼働していて、体はもう疲れ切っている。だから起き上がって何かすることなんてできないのに、それでも頭はモーター音を唸らせながら空回りし続けている。脳みその熱をとるように何度も寝返りを打ちながら、私はうめき声をあげる。

 その間、やっぱり頭の中では言葉が流れ続けている。何かを伝えるためでも、何かを表現するためでもない、まったく意味のない言葉ばかり。うるさくて、煩わしくて、頭がおかしくなりそう。

 私は頭を掻きむしり、髪の毛を引っ張り、自分の腕に爪を立てる。すやすやと眠る他の家族を起こしてしまわぬように、自分の怒りを自分の体にぶつける。どうして眠れないの。どうしてみんな眠れるのに、私だけ眠れないの。ひどいひどいひどい。ずるいずるいずるい。周りも自分もとても憎いが、どうすることもできない。

 徐々に外が明るくなってきて、窓の外から新聞配達のバイクの音が聞こえると、絶望的な気持ちになる。この状態でまた1日を始めないといけないなんて、あんまりだ。誰か私の頭を鈍器で殴ってくれないだろうか。眠れないのならせめて、気を失いたい。

 「おはよう」
 子供が目を覚まして、私に挨拶をする。私は観念し、彼らの朝食の準備をするため、重たい体をベッドから起こす。


 カウンセリングを始めてから、毎晩日記をつけている。利用しているオンラインカウンセリングサービスに、「ダイアリー」という機能がついていて、文章を書き込むと、カウンセラーの本田さんにのみ共有されるのだ。カウンセリングを始めて以来、毎晩眠る前にそこに日記をつけるのが習慣になった。

 これまでにも、誰にも見せない日記や、みんなに公開するブログでの日記はつけていたのだけど、誰か特定の人のみに見せる日記というのは書いたことがなかったので新鮮だった。
 その特定の人が誰であれ、誰かが読んでいるのだと思うと、あったことや思ったことを包み隠さず書くことなんてできないもんだな、と思う。やっぱりどうしても、ほんの少し格好つけたり見栄を張ってしまう。感情的な言葉をダイアリーに書き付けた後、それを少し冷静になってから読み返し、その中から「これは読まれたくないな」という文章を自分だけが読む日記に切り取り貼り付ける。まだ本田さんに対して十分に心が開けていないのかな、と思ったが、それでもかなり正直な気持ちを綴った文章を、誰かがちゃんと読んでくれているのだという実感は、私にとっては大事なことだった。私以外に私のことを見守ってくれる存在が、ちゃんといるのだという実感が。

 ダイアリーには、5つの顔のスタンプがついている。その日の気分をスタンプで表すためのものだが、「いい調子」「ふつう」「イライラ」「憂鬱」「不安」、その中から毎日選んでクリックする。カウンセリングを受け始めた当初は、ほとんどが「憂鬱」か「不安」だったのだが、1か月ほど経ってくると「ふつう」が少しずつ増え始めた。それと同時に、少しずつ眠れる日が増えていっていることにも気がついた。

 自分の感情をそのまま受容する「マザーリング」という言葉を教えてもらったけれど、もしかしたら私は自然に「マザーリング」を行っていたのかもしれない。日記をつけるときに、今日感じたことを言葉にする。これまではヒートアップした感情を吐き出すためだけに書いていたのが、今ではそれを、自分のみが読める日記に残すか、本田さんも読めるダイアリーに残すか、ちょっと冷静になってから判断している。つまり私は、それを少し離れた場所から読んでいるのだ。

 そのようにして、私は自分の感情を「書く」だけでなく「読む」ようにもなった。発するだけでなく受け取れるようにもなって、少しずつ客観的に自分を見ることができるようになっているのかも、と思う。
 カウンセリングを受け始めて変化したのはその部分だった。私は私の感情を、少しずつ細やかに受け取れるようになっている。でもそれは、ただ単に感情的になっているということではない。自分がどう感じているのかを、ちゃんとわかるようになりつつあるということだ。

 私はそれを毎晩、本田さんにやや慎ましやかに報告する。全部さらけ出す必要は多分ない。心地よい範囲で報告すればいい。その心地よい範囲がどこまでかも含めて、私は日記を読みながら都度自分の感情を点検する。自分を見守り、また、そんな自分も誰かに見守られているというのは、こんなにも安心することなのだなと思う。

 そのあと少し目を休ませてから、電気を消す。するとスッと眠りに入れる。私にとってこの日記は、眠りにつくための儀式になっていた。そういうものができて心強かった。


 前回のカウンセリングでもらった宿題は、
 「どういう場面で『幸せ』を恐れてしまうかをリストアップする」
 というものだった。幸せを恐れるなんて考えたこともなかったけれど、一度その感情に気がつくと、確かによく怖がっているなと思う。

 カウンセリングでも話したが、例えばおいしいものを食べる時なんてそうだ。よくテレビや漫画などで、おいしいものを口に含んで「んー、おいしい!」というふうにじっくり味わうシーンがあるが、私はあれができない。すぐに噛んで飲み込まないと、となぜか焦ってしまい、結果早食いをしてお腹を壊してしまう。
 あれは自分がせっかちだからだと思っていたが、よく考えると「んー、おいしい!」と思うことを自分で禁じているんだと思う。おいしいと感じて幸せになってしまうといけないような気がするのだ。なんだかバチが当たりそうな気がする。

 それから、ウィンドウショッピングの時なんかもそう。デパートや洋服屋さんで、かわいい洋服や綺麗なアクセサリーを見ていると、「欲しい」と思う前に逃げ出したくなってしまう。そこまで高いものではなくても、無駄遣いしてはだめだとか、どうせすぐに汚すからとか、そんなふうに自分に言い聞かせて「欲しい」と思わないようにする癖がある。やっぱりなんだかバチが当たりそうに思うのだ、そういう時も。

 なぜなんだろうと考えて、子供の頃に経済的に余裕のない家庭で育ったからだろうか、と思った。お金がない怖さを知っているので、お金を使うことに罪悪感を覚えているのかもしれない。

 その宿題をもらった後日、打ち合わせの帰り道に、ある家の庭で薔薇の花が綺麗に咲いているのを見かけた。見事な大輪だったのでつい足を止めそうになったのだけど、すぐに私は目を逸らしてスタスタとそこを通り過ぎてしまった。「あ、今怖がっているな」と思う。満開の花は綺麗だけど、すぐに枯れてしまいそうで怖い。お花見の季節は桜が散るのを見るのがいやで、満開の時もいつもどこか気が塞いでいる。

 どうやらこの感情は、お金だけが問題ではないらしい。美しい景色を見たときも、人に優しくされた時も、焦ってその場をすぐに通り過ぎようとしてしまう。満開の薔薇の前を、さっさと早足で通り過ぎるように。

 一体それがなぜなのか、考えてもよくわからない。


 この「幸せに対する恐怖」は克服できないのだろうか。

 そう考えたある日のお昼、おいしいと評判のお寿司屋さんに思い切って一人で行ってみることにした。別に何の記念日でもお祝いでもない。おいしいお寿司を一人でゆっくり存分に味わってみようと思ったのだ。試しに。

 お店に着くと、メニュー表には松竹梅のコースがあった。一瞬迷ったが、ここはもちろん松を注文する。ボタンエビやウニなど、私の好きなネタが揃っている。
 目の前に出された松のお寿司を、私はじっくりと眺めた。ツヤツヤと輝いておいしそうだ。カンパチに、イクラに、タイに、ウナギ。一貫一貫確かめるように眺めてから、いただきます、と手を合わせる。まずはカンパチから食べることにした。分厚くて新鮮で、噛みごたえがある。

 咀嚼しながら、「おいしい」と私は思った。「おいしい」「おいしい」と言葉にして確かめるように噛む。気を抜くと、味わいもせずに噛んで飲み込もうとしてしまう自分がいたが、そこをなんとか押し留めて、私は何度も何度も噛みしだいた。

 「おいしいのって、怖いよね」
 と、心のうちで自分に話しかける。マザーリングだ。「幸せを恐れる場面に立ち合ったらマザーリングをしてみる」というのが前回の宿題だった。だから、それをお寿司屋さんで実行してみる。

 「おいしいなって思うと、なんか悪いことしたような気持ちになるよね」
 「だから早く飲み込んじゃって、ここから逃げ出したくなるよね」
 「わかるわかる。おいしいのって怖いよね」

 心の内とは言え、こんな会話を自分としているなんてはたから見ると滑稽だよなと思いつつも、私は愚直に感情を言語化して寄り添った。おいしいのが怖いって意味わかんない、という気持ちがもたげたが、それにも寄り添う。
 「おいしいのが怖いって、意味わかんないよね」
 「馬鹿げてるって思うし、損してるって思うよね」

 そうしているうちに、なんだか気が済んできた。「おいしいのが怖い」と感じる気持ちが落ち着いてきて、だんだん「怖いけど、おいしい」に変わってきたのだ。これにはちょっと感動した。すごい! ちょっとずつだけど、恐怖が穏やかになるのがわかった。

 時間をかけてゆっくり食べ終わったあと、私は熱いお茶を飲んで、満腹感を味わった。
 「お腹いっぱいだね」
 「お腹いっぱいもちょっと怖いね。なんか、悪いなって思うよね」
 「でも、おいしかったね」
 いつもならその満腹感は罪悪感に変わるのだけど、この日は「半分怖い、半分満足」という感じに落ち着いて、私はそれが嬉しかった。すごい。幸せを、ちょっとでも受け取れることができた。

 そっか、怖がってもいいのか、と思う。怖がっていても別にいい。ただ、その怖さから目を逸らさないことが大事なのだ。目を逸らしていたら、いつまでも恐怖から逃げることになる。一旦腰を据えて受け止めることが大事なのだ。

 私はお湯呑みをテーブルに置いて、スマートフォンを操作してメモアプリを開けた。そして、幸せになるのが怖くて目を逸らしてきたものたちを、思いつくままにそこに書いた。

 本当は欲しかったあの洋服。本当は行きたかったあの喫茶店。本当は食べてみたかったあの店のケーキ。そういったものを思いつくままにアプリに書き込み「保存」を押す。

 私はこれらを「カートに入れた」と思った。まだ怖くて決済できない私の幸せたち。でもいつか、「欲しいけど怖い」が「怖いけど欲しい」になったら決済しよう。その時まで、ここに大事に保存しておけばいい。幸せは多分逃げない。だから、大丈夫。

 私はお会計をするために席を立った。
 「ごちそうさまでした。おいしかったです」
 と、心から言いながら。


 カウンセリングってやっぱりすごいな。

 眠れるようになったり、おいしいものをおいしいと感じられるようになったりと、良い変化が続いていたので、私はカウンセリングの有効性を強く感じていた。1か月でもこんなに変化があるんだなと嬉しくなり、これからの変化にも期待した。もしかしたら、死にたいって思うことがなくなる日も来るかもしれない。そうしたら、どんなに生きるのが楽になるだろう。

 だけど、そんなに簡単に物事は進まなかった。
 後日、特に何かあったわけでもないのに、朝から気分が悪かった。死にたい、と強く思う。空しく、不安で、疲れがひどい。また、あの発作が出ている。理由はやっぱりわからない。

 なぜ急に、と驚いた。最近調子が良かったのに、カウンセリングの効果が出ていたのに。
 日中も全然仕事に集中できない。SNSを行ったり来たりして、人の活躍や発言を見て落ち込んで、原稿に向かうも全然捗らない。体が重たく、食欲もない。家族に対しても受け答えするのがしんどい。

 夜は、案の定眠れなくなった。
 今日という1日は何だったんだろう? どうしてあんな無駄な時間を過ごしてしまったんだろう? どうしてあんなにいい加減な対応をしてしまったんだろう? みんな私のことを嫌いになってしまったのではないか? 誰かが私に怒っているのではないか? 不安は芋づる式に出てきて、私の頭はそれでいっぱいになる。

 眠れない。どうしよう。このままでは明日はもっと事態が悪くなる。もっとだめな自分になってしまう。どうしよう。早く寝ないと。早く休まないと。それなのに、布団をかぶって横になっても全然眠れない。

 私はほとんどパニックに陥っていた。どうしたらいいんだっけ? マザーリングをしたらいいんだっけ? 発作の最中には、マザーリングという言葉すら思い出せない。ただただ、「死にたい」という気持ちに支配される。

 藁にもすがる思いで、本田さんに言われたことを繰り返す。
 「眠れないよね。辛いよね。明日のためにも、早く眠りたいのに怖いよね」
 「大丈夫、大丈夫。すぐに眠れるよ。大丈夫、大丈夫」

 何度も何度も言い聞かせる。何度も何度も「大丈夫だ」と。
 でも、眠れなかった。疲れ切っているのに、まったく眠たくならなかった。
 なんで? 大丈夫だって言ってるのに。なんでわかってくれないの?

 私は自分の髪を引っ張り、腕に爪を立てた。枕にしがみつき、悔し涙を流した。あんなにうまくいってたのに、どうしてまただめになっちゃうんだろう?


 「いかがですか、最近は」

 本田さんにそう聞かれ、これまでにあったことを順序立てて話した。マザーリングをすることで、怖がっている自分に寄り添えるようになったり、安心して眠れるようになったと感じた。だけど、そのあとまた発作が来て不眠になりパニックになってしまって、その時にはどうにもできなかった、と。

 「なんか、前よりも発作がズンと重たいというか。最近調子が良いように感じていたから、余計にそう感じるのかもしれないのですが」

 Zoomの画面に映る私の顔には、疲労が滲み出ている。あの眠れなかった日の翌日はさすがに眠れたけれど、それ以来眠りがまた浅くなってしまった。

 「せっかく少しずつ良い方へ変わっていっていたのに、やっぱりまた元通りなのかって、すごく落ち込んでます」

 正直にそう話すと、本田さんは首を振って
 「落ち込む必要はないんですよ」
 と言った。
 「まだ数回しかセッションしていませんが、この短期間にRさんは大きく変化していると、私自身も感じています。その変化が大きすぎて、今揺り戻しが来ているのかもしれません」

 揺り戻し。まさにそんな感じだ。大きく前に揺れたブランコが、同じ分だけ後ろに揺れる。ずっと前に進めると思ったのに、まさか同じくらい後退するなんて。

 すると本田さんは、
 「人は直線的に変わるのではなく、螺旋的に変化していくものなんです」
 と言った。

 「精神的な変化というのは、真っ直ぐな階段を登るように起こるのではなく、ぐるぐると螺旋を描くように起こるものです。当人からしたら、同じところを何度も回っているように感じるかもしれません。でも外から見ると、時間と共に、Rさんのいる場所の深度や高さは確実に変わっている。だから、また元通りだなんて思って、落ち込むことはないんですよ」

 私は、自分が螺旋階段を上がっていくところを想像した。ぐるぐると何重にも円を描く、長い長い階段。
 眠れなくなった時、また同じところへ戻ってきてしまったと思っていたけれど、もしかしたら数センチは高さが変わっているのかもしれない。景色は同じでも、ひとつ上の階にはいるのかもしれない。そう思うと、少し心が慰められた。
 「ゆっくり、地道に、やっていきましょう」
 本田さんが微笑んで、私は涙目で頷く。


 「でもやっぱり、眠れないのはしんどいですよね」
 と、本田さんが言った。

 「そうですね。しんどいです。頑張ってマザーリングもしてみたんですけど」
 「あっ、マザーリング、眠れなかった時にもしてみたんですね。素晴らしい。どんなふうにしたんですか?」
 「『眠れなくて辛いんだね』って自分に話しかけました」
 「はい、はい」
 「そのあとは『大丈夫、大丈夫』ってずっと言い聞かせてました。『大丈夫だから、安心してね』って。でも全然安心できなくて、大丈夫じゃないなって思ってしまって。結局、明け方ごろまで眠れませんでした」

 本田さんはちょっと考える顔をして、「なるほど」と言った。
 それから、
 「『眠れなくて辛いんだね』は完璧なマザーリングだと思います。でも『大丈夫』って言い聞かせるのは、マザーリングじゃないかもしれないですね」
 と、遠慮がちに言った。「え、そうなんですか?」と私は驚く。

 「はい。マザーリングは、言い聞かせることではないんです。あくまで受け止めるだけなので。Rさんは『大丈夫だから、安心してね』と自分に声をかけたそうですが、それはつまり、『大丈夫だから、早く寝てね』と言い聞かせていたのではないかなと」
 「ああ……そうですね。まさにその通りです」
 「それは一見感情に寄り添っているように見えますが、実は昂っている感情をコントロールしようとしているように聞こえませんか?」
 「……確かに」
 私は渋々と頷く。本田さんはにっこり笑い、優しい口調でこう続けた。
 「前にも話しましたが、マザーリングは問題を解決するための手法ではありません。ただただ、今の感情に寄り添う手法。すごく難しいし、地道な作業ですが、それを積み重ねることで、自分が自分に受け入れられているという絶対的な安心感を手に入れられるのではと思います」

 それを聞いて、なんだかすごく腑に落ちた。
 私はあの眠れない夜、感情を受け入れるよりも、「早く寝てほしい」という都合のほうを優先してしまったのだ。感情から生まれた課題を解決するために、感情の方をコントロールしようとした。だから、あんまりうまくいかなかったのかもしれない。
 「でも、眠れないのは辛いですから。そうなるのは仕方ないことです」
 考え込んでいる私に、本田さんは慰めの言葉をかけてくれた。


 「どうしても、問題を解決しようとしてしまうんですよねえ」
 私は本田さんに言う。
 「不安になると不安をなくしたいと思うし、死にたいと思うとその気持ちをなくしたいと思う。マザーリングは問題を解決するのではなく感情に寄り添うものだと頭ではわかりながらも、つい、その感情自体を問題だと捉えて、解決したいなって思ってしまうんです」

 すると本田さんは「なるほど」とまた言った。「おもしろいですね」と。
 そして、
 「では、『解決しようとしない』というのをやってみてはどうでしょう?」
 と言った。
 「解決しようとしない?」私は少しぽかんとする。

 「はい。問題が起きても、それをどうにかしようとしないってことです。今のままでいい。変わらなくていい。そう思いながら、マザーリングをしてみてください」
 「でも、それだといつまで経っても変わらないんじゃないですか?」
 訝しげにそう尋ねる私に、「いいえ」と本田さんはにこやかに答えた。
 「問題ってね、『解決しよう』と思わなかったら、問題じゃなくなるんですよ」

 それを聞いた瞬間、私はちょっと固まったと思う。とてもびっくりしたからだ。
 すごい、と声を漏らし、本当だ、と口に手を当てる。

 「本当ですね。問題って、解決しようと思うから問題なのであって、解決しなくてもいいやと思ったら……ただの事象になりますね」
 そう言うと、本田さんは頷いた。その通り、と深々と。
 「その通り、その時感情はただの事象になる。Rさんは、ただただその感情を受け入れるしかなくなります」
 それがマザーリングなのか、と呟くと、本田さんはまた頷いた。

 「『幸せ』を恐れてしまうことについてうかがった時、Rさんはもしかして自責の念がかなり強いのかなと感じました。楽しんだり、喜んだりすると、『バチが当たる』『悪いことをしている』気分になる、とおっしゃっていましたよね。その発言は、自責を超えて自罰的とも取れます」
 「自罰的……」
 「なぜそうなってしまうのかはまたおいおい考えるとして、まずは、今の自分のままでもいいのだと思うようにしてはどうでしょうか。変わろうと頑張らない」
 「問題を、解決しようとしないってことですか?」
 「そうです。解決しようとしない。自分はこのままでいいのだと、受け入れるんです」

 でも……と私は言い淀んだ。
 「そんなこと、できるでしょうか。そもそも、変わりたくってカウンセリングを受けているのに」
 「変わろうとし続けてきたのがRさんなのだとしたら、変わるのをやめるのってとても大きな変化だと思いますが、どうですか?」

 私は少し考えて「……そうですね」と答える。
 「そうですね。確かに、大きな変化だと思います」

 本田さんが「今日は言葉遊びみたいですね」と笑った。その笑顔に釣られて、思わず私も笑ってしまう。

 螺旋階段をまた一歩のぼった感覚が、確かにした。

 

 

金原ひとみ『パリの砂漠、東京の蜃気楼』(集英社 2020年)

「憂鬱や絶望をこんなに鮮やかに書き切ることができる人がいるんだなってびっくりした」と友人が教えてくれた本。読んでいるうちに本来の自分の形に戻っていき、息がしやすくなるような本に時々出会うけれど、このエッセイはまさにそれだった。友人は金原ひとみさんを「闇を表現する言葉がとても綺麗な人」と表したが、この本を読み終わり優しい気持ちになったのは、私の中のそういう部分も一緒に綺麗に表現されたからなのだろうと思う。だからと言ってもちろん何も解決せず苦しいままだけど、もうそれで十分だと涙を流すほどに。

「普通に日常を生きる自分と書く自分の乖離に身を委ねることは、それによって生き永らえているようでもあり、首を絞められているようでもある」

*本連載は、初回と最新2回分のみ閲覧できます。