もうすぐ、本田さんがいなくなる。
カウンセリングでその事実について話し合って以降、時々、ふとした瞬間にその事実が頭に浮かんだ。洗濯物を干している時とか、仕事をしようとパソコンを立ち上げた時とか、夜ベッドに入った時とか。
そのたびに「そうか、いなくなるのか」と思うのだけど、そのさきのことを想像しようとするとよくわからなくなってくる。本田さんがいなくなったら、私はどうすればいいんだろう。
2年前、カウンセリングを始める前までは、本田さんは私の生活にいなかった。だから、その時の状態に戻るだけなのだけど、私は「その時の状態に戻る」のがとても怖い。また、毎日のように「死にたい」と感じ、それでパニックに陥る自分に戻ってしまうことが。
本田さんがいなくなったら、またそうなるかもしれないと思うと、急に足元が崩れ落ちてしまうような不安と恐怖に襲われ、たじろいだ。どうしよう、と思う。本田さんがいなくなったらどうしよう。ただぐるぐると、同じことを考え続けた。
「終わるとはどういうことなのかを、残りのカウンセリングで考えてみませんか」
前回のカウンセリングで、本田さんはそう言った。
「目の前からいなくなったらその関係性は終わりなのでしょうか。そもそも関係性の終わりとはどういうことなのでしょうか」
いなくなる、ってどういうことなのだろう。
終わる、ってどういうことなのだろう。
本田さんの言葉を思い出して、何度か考えを進めようとしつつも、足元がおぼつかずうまく考えられない。ひとりでは無理だ、と思う。
その度、私は涙を流した。無理だ。まだいなくならないでほしい。
いつの間に私はこんなに軟弱になってしまったのだろう。カウンセリングを受けることで、私は逆に弱くなってしまったのだろうか。強くなりたくて、ひとりでもちゃんと生きられるようになりたくて、カウンセリングを始めたのに。私は本田さんに依存しているだけじゃないのか。
そんなふうに自分を責めた。いったいこの2年はなんだったんだろう。
ひとりになるのが怖い。本田さんがいなくなるのが怖い。
カウンセリングは、あと2回だ。
次のカウンセリングが始まるとき、Zoomのリンクを押すのが嫌だった。押せば確実に終わりに近づくのに、自分だけそれについていけない。でも、ちゃんと話さなくちゃ。そう思い、渋々とリンクを押す。
画面に本田さんの顔が映って、私は思わず視線を逸らした。なんだかすでに遠くにいるように見える。よそよそしい、まるで赤の他人のような。
「『終わること』について考えていきましょうか、と前回のカウンセリングでは話しましたが……」
本田さんがそう言い淀み、少し黙る。なんだか言いにくそうな顔で。
そんな本田さんの顔の横に、無表情の自分が映っている。その時、「あっ」と思った。よそよそしくしているのは私なんだと気がついた。赤の他人のように距離を取ろうとしているのは、私なのだ。
本田さんは向き合おうとしてくれているのに、私は逃げようとしている。本田さんは関係性をまだ構築しようとしているのに、私は関係性が終わるのだと思い込んでいる。
よくわからなくてもいい。自信がなくても、怖くても不安でもいい。正直な気持ちを、全部ここで話してしまおう。これまで私がカウンセリングでしてきたように。
私はこの人のことを信じなくてはいけない。そうでなければ、ちゃんと終わることなんてできない。
「私、『終わること』がまだよくわかっていません。まだ受け入れられていないと思うし、本田さんがいなくなるのが怖いんです」
それでそう言った。正直に思っていることを、そのまま。
「本田さんがいなくなったら、私また毎日のように『死にたい』って思っちゃうかもしれません。そうなったら誰に話をすればいいのかわからない。ひとりで耐えられる気がしない。ひとりになるのが、ものすごく怖いんです」
声が震える。本音を言うのは怖い。「どうせいなくなるのに」「言っても無駄」「わかってもらえない」そんな声が自分の中で湧き上がってきて、さらけ出すことに不安になる。
ああ、私はまだ心の奥では、この人を信じられていなかったんだとまざまざと感じた。依存はしているけれど、信じてはいない。
「終わったら、終わるんだと思ってしまいます。それ以外に、想像できない」
お手上げだった。もう考えられない。その先のことを、私は知らない。
すると本田さんは、
「そうですよね」
と言った。「思っていることをちゃんと話してくださって、ありがとうございます」と。
そして、少し間を置いてから、
「でも、カウンセリングが終わっても、私はRさんから離れていかないし、いなくなるわけでもありません」
と、はっきりとした口調で言った。
離れていくし、いなくなるじゃない。
そんな顔をしているのがわかったのだと思う。
本田さんは突然、
「いないいないばあって、あるじゃないですか」
と言い出した。意外な言葉に、えっ、と私は言う。
「顔を隠して、ばあっと顔を出す遊びです」
「あ、はい。ありますね」
「赤ちゃんは、いないいないばあをすると喜びますよね。でも、ある程度年齢を重ねると、特におもしろいと感じなくなる。それってどうしてなのか、ご存知ですか?」
私はまた首を傾げる。そんなこと、考えたこともなかった。
「とても簡単に言うと、赤ちゃんは『見えないものは、ない』と捉えています。例えば同じ部屋にお母さんがいたとしても、衝立やカーテンなどで姿が見えなくなったら、いなくなったものと考え泣き始めるんです」
「はい」
「何かで覆われて見えなくなると『いなくなった』と捉える。これを分離不安と言います」
「分離不安?」
「はい。幼い子供は母親と自分を同一視しているので、母親がいなくなるととても不安になります」
思い返してみれば、自分の息子たちにもそんな時期があった。私がトイレや台所に行くと、リビングで泣いて私を呼ぶような時が。私は、本田さんの話の続きを待つ。
「その発育段階で行われるいないいないばあは、とてもおもしろい遊びになります。手で隠されてなくなったものが、急にまた現れることへの驚きと期待。それが大好きなお母さんの顔なら、いっそう嬉しく、楽しい遊びになるんですね」
へえ、と私は言う。本田さんは話を続けた。
「だけど、子供は歳を重ねるごとに、『見えなくても、そこにいる』ということを覚えていきます。お母さんの姿が見えなくなっても近くにいるのだということを、ちゃんと理解していくんです。何かで覆われて見えなくても、恒常的にそこに『ある』。これを理解し始めると、いないいないばあという遊びから次第に卒業していきます」
本田さんは一息置いて、
「つまり、『お母さんの内在化』がここで起こっているんです」
と言った。
「お母さんは、見えなくってもここにいる。そのように感じることで、子供は母親と離れても不安になることなく、安心してひとりで遊べるようになります。そのとき母親という存在は子供にとって、『自分と同一のもの』から『探索基地』的な存在になります」
「探索基地?」
「はい。自分にとっての帰る場所となる、基地的な存在です。離れても大丈夫、いなくなるわけではないのだという安心感。それがあって初めて、子供は母親から離れて出かけられるようになるわけです」
私はその話を聞きながら、ずっと前に自分がカウンセリングで話した、
「いつかみんないなくなる」
という言葉を思い出した。みんな、いつか私の前からいなくなってしまうように感じるのだ、と。
目の前から消えたら、いないも同然のように感じる。それが寂しく、不安でたまらない。
「お母さんが欲しい」ずっとそう思ってきた。私の元から絶対にいなくならないお母さんが欲しい。お母さんが見えなくなって泣いている赤ちゃんは、私かもしれない。
カウンセリングを続ける中で、自分が自分のお母さんになればいいと思っていた。でも、もしかしたらそれ以外にも必要なことがあるのかもしれない。人と関わる上で、とても大切なことが。
「他者の内在化……」
思わずそう呟くと、本田さんは、
「これは、Rさんにとって大きなテーマだと思います」
と答えた。
「カウンセリングも同じなんです」
本田さんは続ける。
「時間が終わったら『終わり』じゃありません。その人の中で、次のカウンセリングまで、ずっと続いていくものです。Rさんと私も、2週間に45分しか話してきませんでしたが、それ以外の時間でも、ここで話したことは深まっていきませんでしたか?」
そう言われて、私はこれまでを振り返ってみる。確かにその通りだ。
カウンセリングで話した内容を、それ以降の生活で何度も振り返り、「ああ、あれはこういうことだったのかな」とか「こういう時にも同じことを感じるな」と考えて、「次のカウンセリングでまた話そう」と思っていた。
「カウンセリングで得た気づきを、日常生活に活かす。そうしている間は、カウンセリング以外の時間であっても、ずっとカウンセリングが起こり続け、深まり続けているんです」
「本田さんと話したことを反芻するだけでも?」
「はい。その間、私はRさんとの間で対話をし続けていることになります」
「目の前にいなくても」
「そう。目の前にいなくても」
私は、ちょっと黙って考え込んだ。
「本田さんとのカウンセリングが終わっても、カウンセリングはこれからも私の中で起こり続ける、ということですか」
すると本田さんは「はい」と力強く頷いた。
「私自身がいなくなっても、Rさんの中で続いていきます。目の前からいなくなっても、私はいなくなりません。これまでがそうだったように」
本田さんと出会ってから、私の中に確実に変化が起きた。その変化は、本田さんがいなくなったら元に戻るのかと思っていたけれど、そうではないという。
本田さんとのカウンセリングの時間を思い出し続ける限り、消えない。むしろ深まっていくのだと。
「他者の内在化、ってそういうことですか」
なんとなく掴めかけたような気がしてそう言った。本田さんはまたうなずく。
「『お守り』のようなイメージが近いかもしれません」
「お守り?」
「目の前にはいないけれど、心の中にはいる。事実として一人でいる時でも、そのイメージがあれば、少し安心していられませんか?」
その瞬間、胸の一部が少し温かくなったような気がした。それは、本田さんと出会ってから、補強された部分だったように思う。
彼女がいなくなっても、この部分はなくならないのかもしれない。
私がその部分を認識し続ける限り。私が本田さんとの対話を思い出し続ける限り。
「もしかしたら、他にもそんな人がいるかもしれないですね。私の中で『お守り』のようになってくれる人たち」
私はそう言った。
両親。友達。恋人。恩師。家族。会ったこともないけれど、作品を通して知っている人。生まれてからこれまでの間、確実に私に変化を残してくれた人たち。そう呟くと、本田さんは微笑んで言った。
「お守りは、いくつ持っていてもいいものです。これからRさんの中に、お守りを増やしていけるといいですよね」
そうしたら、私は安心してひとりでいられるかもしれない。
一人だけど独りじゃないのだとちゃんとわかっている、安心した子供のように。
人を信じるって、そういうことなのかもしれない。
最後のカウンセリングの日がやってきた。
本田さんの顔が液晶画面に映ったとき、
「ああ、もうこれで最後なんだな」
と思った。
挨拶がすむと本田さんは弱々しく笑い、
「今日で最後ですね」
と、私が思ったのと同じことを言った。そして、「なんだか寂しいですね」と。
その言葉が、なんだか意外だった。寂しいのは私だけだと思っていたから。
なんだ、本田さんも寂しいのか。
そう思うと、ちょっと心が軽くなる気がした。まるで寂しい気持ちを、二人で分かち合えたような。
「今後、カウンセリングをどのようにされるか、もう決められましたか? 新しいカウンセラーさんを探したりとか、されているんでしょうか」
「いえ、まだです。まずは『終わること』について、ちゃんと考えることができてからにしようかと思っていたので」
すると本田さんは「そうですよね」と言った。
「もしよろしければ、私が信頼しているカウンセラーさんをご紹介することもできるので、おっしゃってください」
私は「ありがとうございます」と言う。まだ、次にどうするか決めていないけれど、それもいいなと思う。
「『終わること』とはどういうことなのかを一緒に考えましょう、って言ってもらえた時、私、嬉しかったんです」
そう言うと、本田さんが顔を上げた。
「ちゃんと、私と本田さんのカウンセリングが『終わること』について、二人で話そうと言ってもらえたのは本当によかった。もしそれができないままだったら、私はきっと、本田さんの代わりを求めていたような気がします。他のカウンセラーさんに」
本田さんとちゃんと終わることができないと、他の人とちゃんと始めることができない。
本田さんが与え続けてくれなかったもの、カウンセリングの続き、そのフォローを、他の人に求めてしまうからだ。
「そんなふうに始められる関係性は、本田さんとの関係性の代替にすらならない、ただの劣化コピーだと思うんです」
「ああ、なるほど……」
本田さんが、何度かうなずく。
「本田さんの代わりはいません。私も本田さんも唯一無二の存在なので」
「はい」
「でも、だからって、本田さんとの関係性が絶対的だということではない。お守りがひとつでなくちゃいけないわけではないように」
本田さんはまたうなずく。
「本田さんというお守りは消えないし、私の中に残り続ける。『終わること』について話すことによって、そのことに気づくことができました。それができてようやく、違うカウンセラーさんとも新しく始められるような気がします」
「……なるほど」と本田さんが言った。「そこまで考えられていませんでした」と。
「ちゃんと終わらないと、ちゃんと始められない。その通りですね。『終わること』について考えることには、そういう作用もあるんですね」
なんだか、今日の本田さんはいつもと違うな、と思う。なんだろう、いつもよりもずっと、素直で正直っていうか。カウンセラーというより、どこか友人のように見える。
私は、本田さんとの関係性が少しずつ変化しているのを感じた。でも、それは悲しいことではなかった。胸の内はまだ温かい。
「私たちの中でできたことは、他の人ともできると思います」
本田さんがそう言う。
「Rさんの言うとおり、私たちはお互いに唯一無二の存在ではあるけれど、その関係性は絶対的じゃない。お守りのような関係性は、他の人とも築けると思います」
私はうなずく。液晶画面に映った自分の顔が、とても落ち着いているのに気がつく。なんだか、今日の私もいつもと違う。変わっているのは、本田さんだけじゃなくて、私もなのかもしれない。
少し寂しいけれど、大丈夫。だって、本田さんは私の中からいなくならない。
そのことに気がつけたから。
多分私は、本田さんのことを信じ始めている。
「でも、私また忘れてしまうかもしれません」
残り時間を見ながら、少し心細くなってそう言った。これで最後だ。あと数十分しかない。
「今はなんとなく、いなくなってもいなくならないのだということがわかるような気がするけれど、やっぱり『いない』って思ってしまうかもしれない。そしてまた『死にたい』と思ってしまうかもしれない。だって私は、ずっとそんなふうに思って生きてきたし」
言いながら、ちょっと泣いた。私は涙を拭う。泣いたっていい。本当の気持ちなのだから。
すると本田さんは、
「そういう時はカウンセリングで話したことを振り返ってみてください。不安になったり、心細くなったら何度でも。Rさんは、ちゃんと書き残しているでしょう?」
と言った。私はうなずきながら、手元のノートに目をやる。カウンセリングのメモは、全部ノートに書き残してある。
「振り返ることで、何度も思い出すことができます。私たちはRさんの中で何度も出会い、対話することができます。そして、そこで感じたことをまた書いてください。私に報告するように」
本田さんの声を聞きながら、ノートを開いた。これまで得てきた視点や気づき、やってみたこと。過去の私が記し続けた、走り書きのようなボールペンの文字。それを見ている、今の私。
「書くことで、Rさんはひとりじゃなくなります」
そう言われて、私は顔を上げる。
そして「そうか」と腑に落ちた。だから私は、子供の頃からずっと書き続けていたんだ。
「私、前に『死にたい』の代替語は『帰りたい』だって、話したことがありますよね」
「はい、ありましたね」
「火星に帰りたいんだって。そこは、私ひとりの星なんだって」
「はい」
「もしかしたら私はずっと、ひとりでも安心できる自分になりたかったのかもしれない」
「……」
「一人でも独りじゃないって思える自分に、ずっとなりたかった。書くことで、それを感じようとしていたように思います。火星にレポートを書き続けていた頃からずっと」
そう言うと本田さんはうなずいて、
「書いて、読むことで、私たちは何度でも出会えます。一人でも、独りじゃありません」
と言った。
最後に私は、本田さんに本名を告げた。土門蘭という名前で、文章を書く仕事をしているのだということも。
「土門蘭さん」
本田さんは私の名前を確かめるように呼び、
「そんなお名前だったんですね」
と笑った。
「そうですか。2年続けてきて初めて知ったから。なんだか変な感じですね」
私もなんだか恥ずかしくなり笑う。二人だけの閉じた世界から、少し広い世界で出会い直したような気がした。
「関係性は『終わる』のではなく『変わる』んだと思います」
カウンセリングが終わる直前、本田さんはそんなことを言った。
「『失う』のではなく『豊かになる』んだと思います」
はい、と私は答えた。
「私も、そう思います」
私たちは、次の約束をしないで別れる。
「お元気で」「お体に気をつけて」
そして、
「本当にありがとうございました」
と言いながら。
ふっと画面が消える。私は、部屋に一人になる。
でも、お守りは消えないのだと思う。私がそのお守りを、感じ続ける限りは。
私はノートに向かって、ペンを取った。
さあ、書こう。死ぬまで書こう。これからも生きるために。
これは私が書いた長編小説。朝鮮戦争が終わる直前の1か月に起こる、広島県呉市朝日町の女たちの物語。書いている間は、火星で一人でリアルな夢を見ていた気がする。ボロボロになって地球に戻ってきたら、読んで感想をくれる人がいて、それがとてもうれしかった。「書くことで、Rさんは一人じゃなくなります」その言葉は本当なのだと思う。
*ご愛読ありがとうございました。本連載を加筆訂正し書下ろしを加え、書籍化する予定です。ぜひお楽しみに。
*本連載は、初回と最新2回分のみ閲覧できます。