新・植物考 / 藤原辰史

人間は植物よりも高等だと私たちは思っている。だが、それは真実だろうか?  根も葉ももたず、あくせく動き回って疲弊している私たちには、 植物のふるまいに目をとめることが必要なのかもしれない。 歴史学、文学、哲学を横断しつつ、ありうべき植物と人間の関係をさぐる、 ユニークかつ刺激的な試み。隔月連載。

種について(1)

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種とは何か

 飛ぶ、種落ちる、はじける。

 「種」のあとにくっつく動詞群は、とても動的である。植物の動的な性格は、風にそよぐ葉や土壌の隙間を這い回る根にもまして、種がわかりやすく象徴しているのかもしれない。種には植物のすべての情報とそれに必要な栄養が、まるでUSBメモリのように詰め込まれているにもかかわらず、それより小さい場合が圧倒的に多いので、植物の細胞の内外の圧力差を利用して、音をたてて遠くに弾けたり、風に乗って飛んでいったり、虫の体にくっついて巣まで運ばれたり、小川に流されたりする。硬さもUSBメモリと引けを取らない。鳥が食べても内臓の中で消化されにくい。

 要するに、この小さくて硬いものこそが植物の世代交代戦略の要なのだ。しかも、その戦略は、ほとんど他力本願である。USBメモリを落下傘や鳩の脚につけて、自分の思想や表現を自然まかせに広めようとする人がいたら素敵だろうが、おそらくいないだろう。タンポポの綿帽子に息を吹きかけ、ハゲ坊主にしてきた回数では人後に落ちない私もまた、種の空中浮遊に魅せられてきた一人である。鳥に食べさせて消化から身を守り糞とともにばら撒かれる戦略にも私は敬意を払っている。私には、動物の食行為を利用する植物の自己増殖方法が、とてもクレバーに見えてならない。

 人間はこんなことをしない。ほぼ体内で完結する。赤ん坊が栄養とともに格納されたカプセルに超小型ドローンを設置し、天気予報を見て、今日の風の強さと向きなら子どもたちのカプセルはきっといい場所に運ばれるだろう、と予測し、ドローンにスイッチを入れて空に向けて放つようなことを人間はしない。ましてや、赤ん坊をカプセルに入れてそれに甘い蜜を塗り、夜、玄関に並べておき、昆虫や鳥を誘き寄せ、お土産に赤ん坊を体につけて、森へと運んでもらうなど、人間世界の掟では虐待であり犯罪である。ただ、精子1億匹のうちの、長い競争の旅を得て、ヘトヘトに疲れ切った状態で、卵子の壁を貫通できる1匹(双子なら2匹)が受精したことでこの世に生を享けた私たちは、もうそれだけで1億円の宝くじを当てたくらいの幸運の持ち主であり、また、奇跡としか言いようのない存在である。それを考えれば、無数の種を飛ばしたり、弾いたりする植物も、受精していないだけで、やっていることはそんなに違わないのかもしれない。植物も人間も「数うちゃ当たる」の世界観をある程度まで共有しているからである。1 ただ、植物は地球を最大限利用している点が人間と大きく異なる。

種と風船

 「数うちゃ当たる」といえば、出雲に住んでいたときの経験を思い起こす。

 小学校6年生だったとき、担任は一風変わった若い先生だった。卒業論文のテーマであった三島由紀夫をこよなく愛していた。1日の1枚のペースで学級便りを書き、見本となる文章の模範を示してくれた。作文指導は異常なほど熱がこもっていた。日直は毎朝作文を黒板に書き、先生がそれを直す。作文の心構えとして「独断と偏見」という言葉を黒板に書いた日を今でも鮮明に覚えている。他人に対して差別的な感覚を持つべきだ、という意味ではなく、自分の中の「独断と偏見」にどこまで自覚的になれるかということ、そして、自分が他人と違うところをならしてしまっては、文章は毒にも薬にもならないということを伝えてくれたのだと今は辛うじて考えられるが、当時は何を言っているのかよくわからなかった。

 あるとき、学級会で、小学校卒業の記念に何か面白いことをやろうという話になった。風船で花の種と手紙を飛ばす派とビンの中に手紙を書いて川に流す派で分かれて、それなりに激しい議論を経て、最終的に風船派が過半数の賛成を得た。私はビン派だったが、風船の何に反対だったのかよく覚えていない。とにかくある日、先生は車の中に風船をいっぱい詰め込んで学校までやってきた。

 手に取った方はお返事ください、と手紙をしたため、風船にくくりつけ、みんなで一斉に飛ばした。風に乗ってどこまでも飛んでいくのを見るのはとても気持ちよく感じたので、なぜあれほど反対したのかわからなくなった。

 しばらくして、遠い県に住む女性から手紙が届いた。先生は、学級便りにその手紙を貼り付けて配布した。どの地域からだったのかは忘れたが、ある朝、玄関から外に出てみると風船が植木か垣根にひっかかっていて、取り上げてみると手紙が書いてあった、ということだった。ちょうど10月にその手紙が届いたこともあって、「神在月の出雲から神無月の我が街に種が届きました」というようなことが手紙に書かれてあったと記憶している。

 大袈裟にいえば、あれは植物を体験することだったように思う。青空に砂粒のように小さく消えていった風船は、自分たちの種だ。もちろん、ガスを充填した風船を用いずとも風媒花の種は風に乗って動物にも引けを取らないほどの距離を移動することができるという点で、私たちは植物にはるかに劣る。そして、私たちの周りの空気には、それこそたくさんの種が浮遊していて、地面に無数に落ちては芽を出していることを、この思い出から改めて感じることができた。花粉とともに種が浮遊する世界に私たちは浸っているのである。

植物と歴史学

 植物の種といえば、もう一人の先生を思い起さずにはいられない。それは、京都大学で教えを受けた歴史学者の川島昭夫さんである。私の修士論文の副査でもある。川島さんは部類の古本好きで、ゴールデンウィークと夏と秋に開催される京都の古本市では、川島さんと研究室の院生が初日にやってきて、いい本は全部持って行かれてしまう、という伝説が生まれたほどである。大学構内に落ちている魅力的なゴミを収集していると教えてくれたこともあった。

 大学入学後初めて受講した歴史の講義も川島さんの「西洋史概説」だった。スラスラと黒板に書かれるイギリスの王朝の血統図や、「みなさん王家の一族になりたいですか。私はなりたくないです。こんな大変な仕事はありませんから」という突拍子もない雑談に私は静かに興奮していた。川島さんはお酒を飲まないけれど、酒席では本当にたくさんの話をしてくれた。イギリス史はもちろん西洋史全般に通じていて、日本の大衆文学にも詳しくて「国枝史郎は神様だ」と言っていた。博覧強記という言葉がこんなに似合う人も珍しい。お世話になったわりには、私は川島さんの研究をきちんと読まなかった。いつだったか「藤原くんのテーマは僕と重なるよね」と言われたが、植物園について論文を書いているから植物つながりか、ということぐらいしか思わなかった。私は、後に『稲の大東亜共栄圏』という本になる、日本の稲の品種と帝国主義についての論文を書いていたころだったと思う。そのころはしかし、私の関心の中心は作物であって植物ではなかった。

 そして彼の言葉で最も印象に残っているのが、次のテーゼである。「歴史学には才能は必要ない。どこまでとことん考え抜けるか、脳の持久力が一番大事だ」。これは今も私の研究指針として心に刻んでいる。

 2020年2月2日、川島さんは闘病の末に亡くなった。1月に、研究仲間とお見舞いに行ったばかりだった。そのときはしかし病状が進んでいたのでお会いすることがかなわなかったが、お連れ合いと少しお話ができたのは幸いだった。

 それから5ヶ月後の7月10日、川島さんの遺著『植物園の世紀——イギリス帝国の植物政策』(共和国)が刊行された。2 かつての川島研究室の大学院生で、イギリス博物学と南方熊楠の研究者である志村真幸さんが、病床で川島さんが進めていたゲラの整理と図版の選択を引き継いだ、と「本書について」という文章に書かれてある。志村さんの解説は、著者の意図を的確に汲み取って書かれてあるのでとても便利である。

 世界史を理解するのに植物が欠かせないことを明快に説明しているこの本をしばらく読み進めてから、私は自分の愚かさを呪った。なぜ、私は、川島さんが元気だったときに、彼の構築した植物の歴史学を深く学ぼうとしなかったのか。山川出版社から刊行された『植物と市民の文化』も未読だった。3

 川島さんの文章は端正で明快で楽しい。そして、川島さんがどれだけ植物に魅せられていたかも知ってますます楽しくなった。その情熱は、彼の次のような奇妙な行動にも現れている。

 私はもう五年ほど前から、マンションの三階の自室のベランダに、いくつも鉢をならべている。ベランダ園芸というわけではなく、苔や雑草を罠にかけてつかまえようとたくらんできたのである。水さえ欠かさなければ、驚くほど多くの種類の雑草を採集することができる。これはとてもおもしろいし、ベンケイソウの類が星形の小さな黄色い花をいっぱいにつけると、鑑賞にもりっぱに耐える。いったいどれだけの目にとまらない種子が、空中を浮遊しているのだろうかと思う。植物が大地に束縛された不自由な生だと考えるのは、心やさしすぎる誤解だ。4

 私の自宅前の鉢にも、さまざまな雑草と苔が勝手に繁茂しているが、私は、川島さんのように空気中を浮遊する種子を無料で採集しようとしているのではなく、ただほったらかしにしているだけである。そういえば、土だけ入れた鉢植えからヤツデが勝手に生えたので観賞して楽しんでいるが、それも私の面倒くさがりの性格のせいであって、捕獲しようとしたわけではない。何もまかず、球根も植えていない鉢にただ空気中の種を得るためだけに水をあげているような人を、私は聞いたことがない。大学内のゴミにせよ、古本にせよ、空気中の種にせよ、川島さんはいつも商品化されていないもの、所有権がないもの、使い古したものに対する偏愛があったように思う。私にも少しそんなところがあるので多少は理解できるとはいえ、川島さんのレベルには到底及ばない。だが、この行動こそが、植物をめぐる権力を理解する上で重要なのである。


 植物は移動するという事実について、彼は次のように説明している。

 植物が移動しないとするのは、じつは誤りである。むしろ植物の生態は、移動することを目的としているとさえ言いうる。植物の個体は大地に束縛されているが、個体間の世代の交代を利用して植物は移動するのである。種子植物は世代交代にあたって、生殖質を種子のなかに保存する。種子は、一般に軽いか、固いか、数多いかのいずれかであり、また環境への耐性がきわめて強い。こうして一種の厳重なカプセルにくるまれた植物は、自ら弾けとび、あるいは風の力を利用したり、鳥や動物に食べられることによって親の世代が生きた場所から遠ざかろうとするのである。そのことで植物は群落の範囲を広げると同時に、種として環境それ自体の変化に対応することが可能になる。5

 このカプセルを人間が運搬し、世界各地に広めたのが「コロンブスの交換」と言われる歴史の事象である。コロンブスの新大陸の発見を契機に、新旧大陸、そしてヨーロッパとアジア・アフリカをまたいで繰り広げられた植物と動物の大移動であった。小麦が新大陸に導入され、ジャガイモ、ナス、トウガラシ、トマト、トウモロコシ、タバコなどが旧大陸やアジア・アフリカに導入されたことは比較的よく知られているだろう。6コロンブスの交換がなければ、トマト味のピッツァも、赤いキムチも、麻婆茄子も、大学芋も、北海道人のソウルフードであるジャガバタも、この世に存在しなかった。人間は、虫や鳥と同様に、子孫の運搬係として植物に任命された動物の一種なのである。

植物と帝国主義

 川島さんの議論で重要なのは、以上のような植物の特徴を知らないかぎり、国家と帝国主義の本質的な部分を理解できない、という点である。

 植物が、植物であるためにもつ条件、大地から離れることができず生育する場所を選ぶこと、同時に同種の環境であれば地球上の遠く離れた地域にも移動しうること、この二つの条件が本章でいう植物帝国主義というものを規定している。それは植物資源を安定して獲得するために、国家がおもてにたち、植物を支配・独占し、さらに植物が生長するのに必要な時間、土地が支配・管理し、さらには植物の環境にはたらきかける労働力を支配・管理するあらゆる意図的な試みをいう。7

 逆の言い方をすれば、植物の土地への定着の深さと移動のダイナミズムという二律背反的性質がなければ、国家や帝国は今のような支配・管理形態をとらなかったはずだ、ということである。それは、船などの交通手段を操って世界中から種子や苗を集める機動力(そこには軍事力も当然含まれる)と、農民を身分制や法律や警察権力によって土地に縛り付けて収穫物(あるいは税金)を吸収する権力という二つの力の合力こそが、国家や帝国を発展させる、という意味にもとれる。

 この合力の配分の変化が、ポルトガルなどの先発の進出国と、イギリスなどの後発の進出国との違いである。川島さんはこう述べる。後発の進出国であるイギリスやフランスで、17世紀以降本格化する重商主義政策とは、「ヨーロッパ全体で消費される熱帯植物と、そこで生産される工業製品(とりわけ動物産品である毛織物や金属加工品)とが、熱帯地域とヨーロッパとの間で交換され、その不足を補う対価として、新大陸からヨーロッパに流入した金銀地金が再流出するという物流にほかならない」。8

 ポルトガルは、熱帯アジアに商業拠点を置き、現地の商人からコショウをはじめとする香辛料を購入して、それを肉の臭い消しに使いたい人が住んでいるヨーロッパで売却し、その差額を得るという交易で富を築いた。それは植物の属地的、環境決定的な性質に即した人間行動であった。

 しかし、ポルトガルに遅れてやってきたイギリスなどの海洋帝国は、「植民地を設け軍隊と行政機構、あるいは巧妙な外交を用いて、継続的な支配を行ない、人と資本を送り、有用植物を栽培し、本国へ輸送して市場に供給し、あるいは外国市場をもとめて再輸出するという重商主義帝国形成への展開」を遂げる。その「最も効率よく行なう経営方式」が、しばしば指摘されるように、アフリカから購入した黒人奴隷を用いて運営されたサトウキビやコーヒーやタバコの「プランテーション」である。川島さんは、「まさに植物というもののもつ特殊な条件に規定されて、その目的に合致するように行なわれたもの」だと重商主義を性格づけている。


 このような植物史観ともいうべき歴史の見方から学ぶことは多い。あの時代に、航海技術の発展によってヨーロッパ諸国が新大陸を「発見」した結果、どれほど富を蓄積させたとしても、植物を完全に支配することはできず、人びとは植物の性質にあいかわらず振り回されつづけている、ということである。植物には種が芽生える環境を選ぶ「気難しさ」がある以上、宗主国の人びとを自分のいる所まで移動させるほどの「魅力」もある。また、本来はさまざまな植物の群れの中で自分なりの「隙間」を見つけて太陽光と栄養分をできるだけ独り占めしようという戦略だった植物が、大規模なプランテーションという人工的空間で一つの作物を生育させようとすると、途端に「雑草」とか「害虫」という新しいカテゴリーが生じてしまうため、それを退治するために膨大な労働力を要求する。宗主国の人間たちは、その苦しい労働のかなりの部分を奴隷にやらせたのである。人間の、人間や自然に対する権力や暴力の発現の背景に、植物を自分のものにしようとする飽くなき欲望があったことを、改めて確認しておきたい。

 やがて、植物に関心を持つ人間が登場すると、世界中の種や苗を集めて、植物園を作ってそこで保存し、場合によっては品種改良を試みる。植物園は植物研究の拠点であるとともに、帝国の植物資源の保管場所でもある。植物園が川島さんの研究テーマになるのは、必然であった。そして、川島さんは、植物園という装置が時代の発展に果たした役割の歴史的価値を認めつつも、種を空気中に放出し、いつの間にか川島さんが水を撒いて待っていた鉢植えで勢力を拡大する植物の奔放さにどこかで惹かれていたのではないか、と想像している。

種に振り回される人間の歴史

 人間の衣服や船荷にちゃっかり忍び込み、新天地で新しい生を謳歌することだって、種の保存力を用いれば朝飯前のことだった。なぜなら、繰り返すが、種は多くて小さくて硬いからである。種はいつどこでも運べるが、一度根付いたら人間にあれこれ世話をさせる。だから、農耕民は原則として土地に縛り付けられる。風や昆虫や鳥を使用して子孫を増やすので、人間にはなかなかコントロールしづらい。いつの間にか、ヨーロッパの雑草が新大陸やアジア・アフリカの大地を覆う。種をまいたわけではないのに、いつの間にか畑には雑草が生える。人間はこうして植物の種の移動性と定着性に忠実に従わざるを得ない存在となった。植物と人間、どちらが移動性が高いのだろう。目的地までの移動力は当然人間が優れている。だが、植物には「目的」という概念がそもそも必要ないほど移動力が発達していると考えれば、人間の負けである。

 しかも、雑草はまさに作物とともに進化してきた。「作物は人間の手によって改良が加えられ、有用な長所を伸ばしてきた。一方、雑草は、人間によって拓かれた土地に侵入し、人間との戦いをとおして著しい進化を遂げた[……]作物も雑草も人間とのかかわりによって驚異的に進化した植物であるという点で共通している」。9

 カラスムギの子孫繁栄戦略はかなり厄介だ。植物学者の稲垣栄洋によれば、「カラスムギは種子も決してそろっては芽を出さない。そろって芽を出すと一度に除草されてしまうから、芽を出す時期をずらしているのだ。だから、抜いても抜いてもつぎからつぎへと新しい種子が芽を出してくる」。10

 私たちが農薬をなかなか手放せないのは、雑草の子孫繁栄戦略が人間の除草技術の洗練化に応じて、巧妙になってきたからだろう。種という小さなカプセルを用いた植物の戦略に、私たちはずっと振り回されっぱなしなのである。他方で人間は、種のように軽やかに拡散し、他者の力を存分に利用するような道具を持っているだろうか。それに近い道具は、人間しか用いることのできない言葉かもしれないが、誰にも気づかれずに空気中に言葉を何の縛りもなく浮遊させるという荒業は、人間にはできない。

 そう考えると、種の遺伝情報をちょっと変えたくらいで所有権を主張する人間の行為が、とってもちっぽけでみすぼらしく感じる。種は単なる遺伝情報のカプセルではない。土、風、川、昆虫、鳥、そして人間という共有物と一体となったり、これらを適宜利用したりして地球を覆う霧のようなものだ。実験室の人間とは自然とのかかわり方のスケールが根底的に違うのである。

 ここで改めてこの連載の最初の問いにたどり着く。

 人間は植物より上位に位置する生物なのだろうか。勝手に我が家の植木鉢をオキュパイした雑草およびヤツデ諸氏に敬意を表しつつ、今日もじっと、我が手を眺める。

 

 

*本稿の姉妹連載にあたる「植物考」が、春秋社ウェブマガジン「はるとあき」で閲覧できます。https://haruaki.shunjusha.co.jp/

*本連載は、初回と最新2回分のみ閲覧できます。

  1. 「数うちゃ当たる」という言葉については、『群像』6月号の連載「歴史の屑拾い」でも論じている。もちろん、これは機関銃による敵兵の殺し方も連想させるが、私が論じたいのはこうした「死を生産する技術」ではなく、むしろ「生をめぐる技術」に関わることである。何もかも「ピッタリ」ではなく、あふれていること、もれていることがどうして生のあり方とリンクするのかについては、拙著『縁食論』(ミシマ社、2020年)で論じた。
  2. 川島昭夫『植物園の世紀——イギリス帝国の植物政策』共和国、2020年。
  3. 川島昭夫『植物と市民の文化』山川出版社、1999年。
  4. 川島『植物園の世紀』、86-87頁。
  5. 同上、15頁。
  6. アルフレッド・W・クロスビー『ヨーロッパの帝国主義――生態学的視点から歴史を見る』佐々木昭夫訳、ちくま学芸文庫、2020年。原典は1972年。
  7. 川島『植物園の世紀』、17頁。
  8. 同上、46頁。
  9. 稲垣栄洋+三上修(画)『身近な雑草の愉快な生きかた』ちくま文庫、2011年、142頁。
  10. 同上、144頁。