みんなの〈青春〉 / 石岡学

「あの頃はよかった」と空を仰ぐ熟年から、「アオハルか!」と即座につっこみたくなる中高生まで。青春という言葉には、世代を問わず、人をうずうずさせる不思議な力が宿っている。理想の自分。かけがえのない人生の1ページ……。そんなイメージがいつの世も生き続けているのは、一体なぜなのか。大衆意識の源にせまるユニークな現代文化考。

メディアに息づく「青春」

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 前回詳しくみたように、近代イデオロギーの一つの象徴だった「かつての青春」は、日本では1970年代、高度経済成長の終わりと連動するように消失したとされる。このあたりから、かつての青春と密接に結びついていた「青年」という言葉は堅いお役所言葉のようなイメージになって段々と使われなくなり、代わって「若者」という呼び方が主流になっていく1。以後、若者はその文化や価値観の側面に注目が集まり、世代論の枠組みで語られることが多くなる。高校進学率が9割を超え10年以上におよぶ長い学生時代を過ごすようになり、経済的な豊かさも獲得した若年層は、送り手としても受け手としても消費文化の主役となっていった。若者による、若者向けの、若者イメージ消費が本格化していったわけである。

 今回は、「青春の終焉」以後の青春について、特にそれがメディアコンテンツとしてどう取り扱われてきたかを概観したい。連載の本題である「青春をめぐる語り」になかなか入らなくて恐縮だが、個々の「語り」の布置を理解するためには、やはり背景の「図」をある程度把握しておく必要があると思うからである。

政治の季節のあと、テレビドラマがやってきた――60‐70年代

 「かつての青春」が描かれる主要な舞台であった文学と映画は、前回みたように、1960年代にはともにその影響力を減退させていた。代わってメディアの主役に躍り出たのはテレビである。

 テレビにおいて、1960年代の中ごろから、青春をテーマにしたテレビドラマが頻繁に制作・放映されていった。その中心になったのは日本テレビで、石原慎太郎の小説を原作とした『青春とはなんだ』(1965-66年)が、皮切りである。以後、『これが青春だ』(66-67年)、『でっかい青春』(67-68年)、『進め!青春』(68年)、『おれは男だ!』(71-72年)、『飛び出せ!青春』(72-73年)、『われら青春!』(74年)、『青春ド真中!』(78年)と、タイトルを見るだけで暑(苦し)いドラマが量産されていった2

 どんなドラマだったのか。脚本家の岡田惠和は、定型化されていたこれらの青春ドラマのあらすじを次のようにまとめている(岡田惠和「TVドラマ・メモリーズ(19) 青春ドラマとはなんだ(1)」『図書』2004年9月号)。

 型破りな新人教師が、とある学校(たいていは海の近くの高校。「青春」はやはり「海」らしい)に赴任してくる。そこには、リベラルなんだけれども力の弱い校長がいて(新人教師を学校に呼んだのは、その校長だったりする)、野心家で、俗物そのものの教頭がいる(中略:引用者)。そして、その教頭にくっついているコバンザメのような教師。マドンナ役の、どこか真面目で堅い美人教師がいる。
 主人公の教師が受け持つのは、問題児だらけのクラス。なぜそのクラスに問題児ばかりがいるのかは謎だが、まぁそういうことになっている。そして主人公は、いきなり黒板に、あるスローガンを書く。たとえば、「レッツ・ビギン」――とにかくなにかを始めよう!
 最初は「ケッ!」とか言って当然反発している生徒たちなのだが、さまざまな出来事を通じて、熱く、生徒思いで、涙もろい教師を信頼していく。
教師は、クラブの顧問にもなる。これが、なぜかサッカー部かラグビー部なのだ。しかも、ドラマが変わるたびに、交互にサッカー、ラグビーとなっている。

 いかにも、という感じである。海、夕日、スポーツ、汗、涙、友情……。これらの要素から、我々が「青春」という言葉をイメージするのは容易い。明らかに今となってはベタ過ぎるほどベタではあるが、逆に言えば、それだけこれらのドラマが描いた青春のイメージは、強力な影響力を放ったということでもある(だからこそ、80年代にはそれが「ダサさ」「クサさ」の象徴になる)。同時代には、「柔道一直線」「アタック№1」「サインはV」などのいわゆるスポ根ものも人気を博しており、これらがイメージとしてスポーツと青春との結びつきを強化したのは間違いないだろう3

 岡田惠和が「根底には夏目漱石の『坊っちゃん』があるのはまちがいないと思うのだが」(岡田前掲)と書くように、これらのドラマが描く青春のありようには、「かつての青春」との連続性がある。特に、努力で苦難を乗り越えていくという点は、きわめて伝統的なイメージに近い。だが、最初は不良だったりやる気がなかったりする生徒たちが最終的には成長し丸く収まるので、本質的なアウトローが存在しないというのが、テレビの青春ドラマの特徴である4。岡田はその理由を「映画と違って、基本的にテレビは最大公約数の人にむけてつくるので、支持されやすい、共感されやすい人物を中心に描くということにどうしてもなってしまう」からではないかという(岡田惠和「TVドラマ・メモリーズ(20) 青春ドラマとはなんだ(2)」『図書』2004年10月号)。

 つまり、これらの青春ドラマによって量産された青春イメージは、「かつての青春」からその暗さや悲劇性、逸脱性を脱色したものだといえるだろう。時代は、学生運動の高揚とその急激な退潮により、「政治の季節」から「しらけの時代」へと変わっていったころである。青春から「革命」などの政治性が失われていった現実と、フィクションにおける青春は連動していたのだ。

ダサさの象徴――80年代

 1973年のオイルショックを機に高度経済成長は終わり低成長期に入ったわけだが、とはいえすでに日本社会は経済大国となり十分に豊かな社会となっていた。大学進学率も4割近くに達し、大学生はもはやエリートではなく「普通の若者」と化していた。ただ、その大学進学を目指す受験競争そのものは過酷で、前回も紹介したように当時の高校生活は「瀕死の青春」とも言われた。だからこそ、その反動で大学生活はモラトリアム期間と化したのだと言えなくもない。まともに授業に出ず遊び呆ける学生が目立って「大学のレジャーランド化」が問題視されたし、逆に目標を見失い無気力となる学生の存在も問題視された。

 こうして、70年代から80年代にかけて、それまでより格段にカネとヒマ(と学歴社会への鬱屈)を持つようになった若者が、新たに消費社会のターゲットとなった。それを最も端的に示すのは、音楽文化の主たる担い手が若者となったことだろう。

 もちろん、もっと前の時代からロカビリーやグループサウンズなど、若者を主なファン層とする音楽はあった。だが、これらは当時にあっては不良性と結びついたものであり(エレキギターを持っているだけで不良と言われた時代!)、ごく当たり前の青春とはやや言い難い面もあった。そこに、1970年前後から、吉田拓郎や井上陽水、荒井由実(現・松任谷由実)などの「シンガーソングライター」が登場し始め、若者自身が作詞作曲し若者の気分を歌う音楽が支持を集めるようになった。作詞家・作曲家の大先生について修業して一人前になって……というルートではなく、粗削りであってもありのままを表現することが同世代に訴求するようになったわけである。
 
 さらに、70年代末には、「ミニコンポ」やSONYのウォークマン発売などによって、若者の音楽消費がより日常的になっていく。これらの機器は音質の面ではさほど優れたものではないため、クラシックやジャズなどの鑑賞には向かない。そこで、メロディーが際立ってわかりやすいポップスが重宝され、それらが若者の間で人気を博していくことになる。

 また、音楽と青春ということでいえば、「アイドル」というジャンルが確立されたことも重要だろう。その象徴ともいえるのが、『スター誕生!』(日テレ、1971-1983年)である。今と違って、この当時アイドルファンといえば同年代かそれ以下の若者であった。アイドルは、同世代とともに青春を共有する存在であり、それまでのスターとはその人気の質が異なる5。アイドルは自身が若いというせいもあり、基本的に何を歌っても青春の歌になりえたし、ファンだった人にとっては、のちにそのアイドルがまさしく「青春の1ページ」の象徴となっていくことになる。こうした昭和のアイドルブームは、中森明菜や小泉今日子、早見優など「82年組」と呼ばれる1982年デビューのアイドルたちによって、一つのピークを迎えた。

 こうして、「80年代のJ-POPは、“青春のきらめき”に彩られていた」といわれるような事態がおとずれる(田家秀樹「邦楽 “青春”そのものだった80年代のJ-POP」『小説 野性時代』2011年1月号)。そして、この延長線上に80年代後半のバンドブームがあり、のちの時代に続いていく音楽やバンドと青春との結びつきが形成されていったのである。


 翻って、大人の保護・管理のもとで導かれる存在としての「青年」と結びついた旧来的な青春イメージは、時代遅れの「ダサい」ものとなった。80年代にそのように見られるようになったものの一つに、『NHK青年の主張全国コンクール』(1956-89年。90-2004年は『NHK青春メッセージ』)がある。この番組をメディア史の観点から丹念に読み解いた佐藤卓己(2017)が紹介するように、80年代にはタモリが大袈裟な身ぶり口調で青春を語ることの古臭さ・ダサさを笑いのネタにし、とんねるずはその名もずばり『青年の主張』(作詞は秋元康)という歌を出し「ガッツ」「ファイト」「根性」「青春」をこき下ろすようになっていた。軽薄短小の80年代と言ってしまえばそれまでだが、青春という言葉にこびりついた暑(苦し)いイメージは、完全に笑いものにされるようになったのである。

 実際、俳優・演出家の木野花は、1988年に演出した自身の演劇について「“愛”、“青春”、“生きる”というようなほとんどもう死語に違い言葉に市民権を与えたい!が狙い(笑)」と話していた(「死語になりつつある“愛”や“青春”に市民権を与えたい!」『an・an』1988年4月15日号)。語尾に「(笑)」がついているところに、やはり真顔でこういうことを言うのは憚られる雰囲気があったことが読み取れる。また、「青春の巨匠」と呼ばれ、70歳を超えた2021年現在でも「青春もぎたて朝一番!」というラジオ番組を持っている森田健作は、1985年の『婦人公論』で「『青春』という言葉はすごくダサイとかクサイとか思われてるけど、そうじゃないんだということを訴えたい」と、自身の青春論を開陳している(森田健作「『青春』はダサくない」『婦人公論』1985年3月号)。わざわざ「ダサくない」と力説しなければならないほどに、80年代は青春がダサいものと見られていたことがわかる。

「ありのままの青春」が理想に――1990-2000年代

 それほどまで青春がダサいものとみられたのは、なぜだったのだろうか。一つは、やはり青春という言葉に規範性がまとわりついていたからだろう。つまり、「あるべき青春」への反発である。

 もう一つ、大人が描く懐古的な青春イメージへの違和感もあったと考えられる。たとえば、島田紳助は自身の初監督作品をめぐるインタビューで、既存の青春映画に対し次のような批判を浴びせている(「島田紳助インタビュー 初監督映画『風、スローダウン』で見せる正しい青春、正しい大阪」『週刊プレイボーイ』1991年6月18日号)。

 おとなたちが勝手な理屈で作る若者像っていうんですか。暗い性格をしていて、どこかで世の中に反発してることにしてしまう。嘘つけっちゅうの。若いやつは悩んでいてもみんなの前では明るく振る舞うし、15や16のやつが世の中に反発なんてせえへんて。だって、世の中の事ようわからんもん。何かおもろい事ないかと思ってやってるだけですね。(中略:引用者)20歳の頃青春映画を見て、みんな違うと思ってると思うんですね。でもそう思い続けてる人でもいざ監督になって映画を撮る時にはみんなおっさんになってるからね。自分の思いで青春を撮るから、みんな10年以上遅れで冷凍もんの青春映画ばかりになるんですね。

 つまり、大人が描く青春像は自分たちにとって心地いい懐古趣味にすぎず、若者もそれに気づいている、だからダメなのだというわけである。ほかにも同時期、「徒党を組んで馬鹿やってた毎日を振り返るだけのアホらしいもの」を「昔は良かった……風の青春映画」と評し、そういう映画を見ると「無性にアタマにくる」と語っている記事がみられる(藤原隆「青春映画=『あの頃はよかった』的作品という公式を脱却したか? 『ラストソング』」『SPA!』1993年11月17日号)。これまで見てきたように、80年代という時代の中で、かつての青春は時代遅れの遺物になっていた。その変容に鈍感な作り手の描くノスタルジックな青春イメージは、90年代にはバカバカしく嘘くさいものと受け取られるようになったのではないかと考えられる。

 逆に、こうした変化をうまくとらえ、この時期に支持されるようになったのは「ありのままの青春」「等身大の青春」を描く映画・ドラマであった。たとえば、『キネマ旬報』は1990年10月に「青春映画の“現在”」と題した特集を組んでいるが、ここでは「一時期の日本の青春映画は永島敏行だった」「自分の内なるパッションとでもいうべきものを引きずりながら、帚け口を求めてさまよう男たち、そしてその青春。いわばそういったものが、これらの映画を貫いていた」のに対し、近年の青春映画は「鮮烈な青春よりも等身大の青春というか、青春の断面をドラマチックに語るよりも、あくまでありふれた日常の中からドラマを掬い取ろうとしているようだ」と指摘されている(高井克敏「『鮮烈な青春』から『等身大の青春』へ」『キネマ旬報』1990年10月15日号)。あるいは、1992年6月の『プレジデント』の記事では、『東京ラブストーリー』や『愛という名のもとに』といったトレンディ・ドラマが人気を得ている理由について、「古めかしく、むしろ中高年世代が好んで口にし、若い世代からはダサイ、クライと冷ややかに見られていた言葉」である純愛・青春・友情といった要素に、「若者たちが今、共感を覚える」からだと述べられている(勝見明「『トレンディ・ドラマ』に泣く若者たち」『プレジデント』1992年6月号)。

 ただ、同記事で、これらが「たわいもない内容のドラマ」とも表現されている点は見逃せない。実際、番組プロデューサーであった人物の次のような発言も引用されている。

 自分の番組だから、そりゃ嬉しかったですよ。嬉しいけれど、僕も男ですからね、これでいいのかなって。湾岸戦争よりも、恋愛ドラマのほうが大事っていうのがね。でも、別に日本に爆弾飛んでくるわけでないし、やっぱり若い女の子にとって、アメリカとイラクがどうなるかより、リカとカンチがどうなるかのほうが重要なんです。

 この発言と「たわいもない内容のドラマ」という表現には、恋愛や友情といった面にスポットを当てることが、青春を矮小化したものであるかのように感じられていたことが読み取れる。特に、「僕も男ですからね」という発言に続けて天下国家の話が出てくるところなど、政治や革命(と男性性)と結びついていたかつての青春イメージが残存しているようすがうかがえ興味深い。「ありのまま」「等身大」の青春が描かれるようになり始めたとはいえ、1990年代はじめには、そこにまだ抵抗感のようなものがあったのだ。

 だが、その後は「ありのまま」「等身大」の青春が描かれることが主流化していったと考えてよい。つまり、青春には規範性よりもリアリティが求められるようになったわけだ。そして、リアリティとは実現可能性への欲望を喚起するものでもある。むしろ「等身大」が青春表象の主流になったことで、これ以降、特に2000年代には、かつてのそれとは別の意味で青春が規範的影響力をもつようになったと考えられる。それは、2004年8月の『オリコン・スタイル』の特集記事タイトル「ドラマみたいな青春したい!」に象徴的に表れている。あたかも「ありのまま」「等身大」のように描かれる青春が、そのリアリティゆえに現実と対比され、むしろ目指すべき理想となるという事態である(「ドラマみたいな青春したい!」『オリコン・スタイル』2004年8月30日号)。


 この時期、映画では『ウォーターボーイズ』(2001年)、『スウィングガールズ』(2004年)、『リンダ リンダ リンダ』(2005年)など、テレビドラマでは『木更津キャッツアイ』(2002年)など、当時「NEO青春モノ」と呼ばれた作品が次々と制作され、いずれも好評を得ていた6。これらの作品はいずれも「信じること」「諦めないこと」がキーワードになっていると指摘されており(えびさわ なち「oricon style読者2023人に聞いたいつだって憧れるMy青春ドラマ・映画BEST10」『オリコン・スタイル』2004年10月11日号)、その点だけ見ればむしろ従来の青春との連続性を感じる7。では、何が「NEO」だというのか(以下、同記事より引用)。

 かつて映画でもドラマでも、青春モノといえば「涙と汗の熱血物語」のようにド根性物語が描かれたけれど、今はちょっと違う。オトナになるにつれて置き去りにしてしまった純粋な心が描かれている。オトナは、裏切られた時が怖くて本能的に自己防衛するようになってくる。つまりまっすぐに人を信じたり、夢を信じたり出来なくなるものなのです。NEO青春モノの登場人物たちは純粋がゆえに怖いもの知らず。強い信念で未来を信じる。目標を諦めない。挫けそうになっても、ぐっと頑張れる。だからこそキラキラ輝く。視聴者はみんな、本当はそうありたいのではないか。自分の信じる道を、諦めずに進みたい。そしてキラキラを輝きたい。だからNEO青春モノに心惹かれるのだ。

 つまり、NEO青春モノにおいて重要なのは、成功や挫折といった結果の如何ではなく、純粋な心で何かに取り組んでいるかどうか、その心のありようにあるというのだ8。まるでこの時期の「ゆとり教育」における「意欲・関心・態度の重視」を連想させるが、同時代のことゆえあながち無関係でもないのかもしれない。ともかく、このNEO青春ものと呼ばれた一連の作品群には、青春が成功や社会的意義といった「意味」に支えられずとも成立するようになった、つまり青春が自己充足的な価値をもつようになったことが、はっきりと表れているだろう9。ここでは、青春は大人への準備段階ではなく、「大人になると失われる何か大切なもの」と見なされており、童心主義10 との連続性を見て取ることができる。ここにおいて、大人でも子どもでもない期間である青春は、大人側ではなく子ども側に引き寄せて価値づけられるようになったのである。

二人の世界で成りたつ青春――2010年代

 一方、特に女性をターゲットにした青春ものの潮流として、ケータイ小説や少女マンガ、恋愛小説などを原作とした映画・ドラマ作品が、やはり2000年代半ばから目立つようになる(代表的なものとして、新垣結衣主演の映画『恋空』(2007年))。この延長線上に、2010年代には「キラキラ青春映画」「キラメキ青春映画」などと呼ばれる作品群が、多数制作された。特に2014年前後から多く制作されるようになった11。これらの作品群は、少女マンガや小説を原作とした、基本的には高校生を中心とした恋愛ものの映画である(一時期流行した「壁ドン」「顎クイ」などは、これらに由来する)12

 このように、2000年代以降にメディアコンテンツとして描かれ多くの支持を集めた青春イメージは、学校の中へ、さらに恋愛という個人関係の中へと、その範囲を狭めていく傾向にある。極めつけは、「アオハルかよ。」をキャッチコピーとした、日清食品カップヌードルのCMシリーズ「HUNGRY DAYS」であろう。2017-18年にかけて展開されたこのシリーズの最終編は、隕石が衝突し怪獣が出現し街が壊滅する映像をバックに、それとは全く無関係に高校生カップルが愛を告白するという内容となっていた。青春の極小化まさにここに極まれりといった趣で、現代の青春は外部世界との関わりを一切必要としなくても成立し得るものとなっているかのうようである(しかし、これが「青春」ではなく「アオハル」と表現されていることの意味は深長かもしれない。「アオハル」については、いずれ後の回でもう少し深める予定である)。

 2000-10年代に描かれたこうした青春イメージは、若い世代の間ではすっかり浸透しているものとみられる 13。この傾向は、若者の「内向き志向」「コンサマトリー化」などといわれ、しばしば批判の対象となった現実の事態とも対応的であるが、十分に考察する紙幅がないため、ここではそのことを指摘するにとどめておきたい。

しぶとく生きのびるビルドゥンクス・ロマン

 最後にみておきたいのは、2000年代半ば以降に再び注目を集めるようになった青春小説の動向についてである。青春小説においても、性関係や逸脱性を脱色した「NEO青春もの」の路線に近い作品は、2000年代半ば以降にはよく見られるようになる。あさのあつこや朝井リョウなどが、その代表的な書き手であろう(いずれも、ただ爽やかなだけの作品を書くわけではないが)。その一方、「趣味を共有する若者たちや部活動を描くキャラクター小説としての『青春小説』が花盛りだが、一時期の女性雑誌の『モテ』『愛され』イデオロギー並の『友情』イデオロギーがムンムンしていて息苦しい」という指摘もみられる(「暗黒青春小説ブックガイド」『小説 すばる』2010年5月号)。「暗黒青春」を示すものとして同記事で挙げられている項目は、「バカ」「友達ゼロ」「死にたい」「考えすぎ」「ブサイク」「貧乏」「非モテ・童貞」「人間として最低」「犯罪・暴力」「オタク」であり、「かつての青春」との連続性を感じさせる「闇」あるいは「病み」の要素が、青春小説のジャンルでは息づいていることがわかる14

 さらに、もっと直接的に「かつての青春」との連続性が見て取れるものもある。たとえば、青春小説の書き手でもある石田衣良は、青春を「危険と同義語」「生涯でもっとも危険な時期のひとつ」だといい、「青春なんて、楽しく爽やかで、生きいきしていてなんて、フィフティーズのポップスのようにいくはずがありません」としている(石田衣良「生涯でもっとも危険な時期」『野性時代』2005年6月号)。主人公が「さまざまな障害をのり越えることによって成長」する過程が「青春小説の骨格だと思うのです」とも書いており、このイメージはビルドゥンクス・ロマンの流れにあった「かつての青春」文学を彷彿させる。また、2008年2月の『中央公論』では、かつて『僕って何』(1977年)で団塊世代の青春を描いた三田誠広らが、青春小説と青春の変容について批判的に議論する記事が載っている(三田誠広・井口時男・中沢けい「恋と革命の小説はどこへ行ったか」『中央公論』2008年2月号)。

 このように、青春小説の動向をみると、「かつての青春」が決して亡びきったものではないことも見えてくる 15。このことは、これから青春をめぐる語りを読み解いていくにあたっても、心にとめておきたい。

 さて、前回・今回とみてきたのは、あくまでメディアに描かれた青春のイメージ・表象である。これらの影響下で、実際に人々は青春をどう生き、それをどう感じ、振り返ってきたのだろうか。次回以降は、それをつぶさに見ていくことにしたい。

 

 

【参考文献】
片瀬一男、2015、『若者の戦後史』、ミネルヴァ書房
木村絵里子、2021、「『若者論』の系譜」木村絵里子・轡田竜蔵・牧野智和編著『場所から問う若者文化』、晃洋書房、pp.1-23
田島悠来、2017、『「アイドル」のメディア史』、森話社
宇野常寛、2008、『ゼロ年代の想像力』、早川書房
 

 

 

*本連載は、初回と最新2回分のみ閲覧できます。

  1. 社会学のなかで若者文化論が本格的に語られはじめたのは、1971年の『社会学評論』第22巻第2号の特集「青年問題」であったという(片瀬一男(2015、p.13)、木村(2021、pp.8-9))。ただ、この段階ではまだ青年という言葉が使用されている点に、過渡的な時代状況が見て取れる。
  2. これらの作品のすべてに企画ないし制作で関わっていたのが、日本テレビのプロデューサーだった岡田晋吉ひろきちである。岡田がここまで青春にこだわった背景には自身の青春に対するコンプレックスがあったといい、大変興味深いが、詳細はこうたきてつや「テレビドラマ変革の証言史 第5回 日本テレビ青春ドラマ史(上)」(『月刊民放』2015年7月号)、同「テレビドラマ変革の証言史 第6回 日本テレビ青春ドラマ史(下)」(『月刊民放』2015年8月号)に譲りたい。
  3. さらにいえば、「巨人の星」「あしたのジョー」「エースをねらえ!」などのコミック・アニメ作品もこうした流れと無関係ではないだろう。少年漫画においては、この後もしばらく「男の生き様」をテーマとするような作品が主流で、「日常」や「ラブコメ」が登場してくるのは70年代後半から80年代にかけてのことであるという(伊藤剛・東浩紀「ラブコメと青春のゆくえ」『ユリイカ』2014年3月号)。
  4. この点については、同時代にも次のように指摘されている。「テレビで青春ものと呼ばれる番組では、若者は大人たちから理解されることを求め、大人もまた、若者たちから理解されることによってニコニコする、ということが、しばしば非常に重要なモチーフになっている。」(佐藤忠男「心の内側の探求の旅 映画・テレビにおける青春の表現」『朝日ジャーナル』1968年6月16日号)。
  5. 70年代のアイドルは、雑誌『明星』で本名や家族、故郷のようすなどプライベートを比較的明らかにしており、故郷から東京に出てきて夢をつかむといった立身出世物語の枠組みでも描かれていた。このあたりは、やはり過渡期的な青春のあり方を示していて、非常に興味深い。この点について、詳細は田島(2017)を参照。
  6. 映画から始まった『ウォーターボーイズ』は2003-2005年にかけテレビドラマ化され、逆にテレビドラマから始まった『木更津キャッツアイ』は2003年および2006年に映画化されている。
  7. 実際、前出の岡田惠和は『ウォーターボーイズ』シリーズについて、「爽快なほど、いまの話とは思えない」「美しい青春ドラマの香りがする」「私の世代には、「青春シリーズ」を思い起こさせる」と、1960-70年代の青春ドラマとの親近性をくみ取っている(前掲岡田「TVドラマ・メモリーズ(20)」。
  8. 実際、『ウォーターボーイズ』『スウィングガールズ』を監督した矢口史靖は「勝ち負けって、とてもマッチョな感じがして。みんなでビクトリーに向かっていくよりは、楽しくできればいいじゃん、ていう方が好きなんですよ。成し遂げるだけで十分だと思うんですよね」と語っている(「“イマドキ青春映画”の作り方 矢口史靖監督」『オリコン・スタイル』2004年10月11日号)。
  9. 宇野(2008)第14章を参照。宇野はこれを、「他人(社会、歴史)の与えるロマンから、日常の中に存在するロマンを自分で掴み取るというスタイルへの変化」と指摘している。
  10. 童心主義とは、純真・無垢といった子どもらしさを尊重する価値観のこと。これも、近代になって西洋の中産階級家族において誕生しのちに一般化した観念であり、普遍的なものではない。
  11. 元『キネマ旬報』編集長の関口裕子による2017年1月の記事によれば、少女マンガや恋愛小説を核にした映画は、14年に6本、15年に9本、16年には12本が制作され、17年には1月の時点でわかる限り14本が公開予定だったという(関口裕子「キラキラブーム到来! ヒットの理由と新しい扉」『キネマ旬報』2017年1月15日号)。
  12. こうした作品が量産されるようになった背景には、シネコンの増加による女性層取り込みの必要性、テレビドラマで学園ものを扱うことが商業的に難しくなった(テレビのメイン視聴者層が高齢化した)ことなどがあったといわれている(前掲関口「キラキラブーム到来! ヒットの理由と新しい扉」、泊貴洋「アイドル・女優が輝くキラメキ青春映画の系譜」『日経エンタテインメント』2015年3月号)。
  13. 電子書籍ストア「BookLive!」が2019年8月に会員を対象として実施した「“青春”に関する意識調査」の結果によれば、青春は「夏」「部活(特に運動部)」「恋愛」といった要素にそのイメージが集約されていることがわかる(https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000061.000022823.html)(2021年11月5日閲覧)。
  14. 1989年の創設時から「坊っちゃん文学賞」の選考委員をつとめていた高橋源一郎は、2007年の第10回あたりまでは現代の元気な女子高生(坊っちゃんならぬ「嬢ちゃん」)を描く作品があったのに、しばらくすると終戦直後の遠い昔の青春か、現代のいじめと引きこもりの話に応募作が二分化してしまった、と語っている(高橋源一郎・関川夏央「『坊っちゃん』の青春、現代の青春」『文学界』2016年12月号)。
  15. 汗と涙と努力で栄光を勝ち取るといった意味での「かつての青春」への渇望は、2010年代のエンタメにも残存している。象徴的なのは、ももいろクローバーZのブームだろう。このグループはAKB48全盛期に泥臭いドサ回り興行からスタートして徐々に人気を集め、遂には紅白歌合戦出場など大舞台への進出を果たした。「かつての青春」イメージそのものともいえるその立身出世物語は、それまでアイドルに関心を向けなかった中年男性(!)にアピールしたと言われている。そのももクロが2017-18年に敢行したツアーのタイトルは、なんと「青春」であった。