みんなの〈青春〉 / 石岡学

「あの頃はよかった」と空を仰ぐ熟年から、「アオハルか!」と即座につっこみたくなる中高生まで。青春という言葉には、世代を問わず、人をうずうずさせる不思議な力が宿っている。理想の自分。かけがえのない人生の1ページ……。そんなイメージがいつの世も生き続けているのは、一体なぜなのか。大衆意識の源にせまるユニークな現代文化考。

恋愛至上主義の果てに

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 青春といえば恋愛、そして性の話題とは切り離せないと思う読者も少なくないだろう。今回は、このことについて考えていきたいと思う。

 とはいえ、これはジェンダー研究やセクシュアリティ研究とも絡んでくる、かなり大きなテーマである。本格的に論じようとするならば、別の連載企画として立ち上げてもおかしくないくらいだ1。だから、この連載ではあえてテーマとして取り上げないことも考えた。けれども、それはそれで「青春をテーマにしておきながら、恋愛や性の話が出てこないのはおかしい」とツッコミが入るだろうことは、容易に想像できる(悲しい学者の性)。

 そこで、今回は「青春と恋愛の結びつき方」の変遷に焦点を絞ってみたい。これまで見てきた青春にまつわる諸々がそうであったように、青春と恋愛の関係性も歴史を通じて不変だったわけではない。戦後日本においてそれはどのように変化してきたのか、その前史にも触れながら概観してみることを今回のテーマにしようと思う。

男女共学前夜

 すでに第2回で詳しく書いたことだが、青春とは、学校教育の普及によって学生時代が長期化し、子どもでも大人でもない「青年」が誕生したことで発生した、歴史的な産物である。そして、社会的に一人前とされる時期と身体的成熟を迎える時期がずれるようになったことで、恋愛や性の「悩み」がそこに附随して発生してくる。青年は「未熟な存在」であるがゆえに、身体的・性的な成熟とはそもそも非常に折り合いが悪いのだ。

 そういうわけもあって、高度経済成長期より前の「かつての青春」において、恋愛は成就すべからざるものとしてあった。三浦雅士はそのことを、「学生にとって青春とはまず社会的覚醒であり、革命であり、政治的かつ芸術的前衛であり、恋愛であり、その挫折であった」と端的に述べている(三浦2001、p.16)。

 なおかつ、「かつての青春」は男の物語であり、男の専有物であった。青春を語り、描くことのできる者が男に偏っていたのだから、それも必然である。だから、「かつての青春」における恋愛とは、対等な人格どうしの交流ではありえなかった2。そこでの恋愛の挫折とは、男にとって都合のいい「聖母」かつ「娼婦」としての女(という幻想)に、一人で勝手に身もだえすることであったと言っても大きな間違いではあるまい。

 そもそも、現在よりもいっそう、男女が「別の生き物」のように考えられ扱われていた時代の話である。学校教育ということでいえば、男子校・女子校に分けることが当然視され、青年期に日常的に異性と関わりを持つ機会は、今よりも圧倒的に少なかった。特に、義務教育以外は完全な男女別学体制が敷かれていた戦前の日本において、このことはよくあてはまる3。だからこそ、敗戦後に占領軍の主導で推進された「男女共学の原則」は、青春と恋愛の関係に変化をもたらす大きな契機となったのである4

「純潔教育」と「不純異性交遊」の時代

 とはいえ、それまであまりにも当然のことと考えられていた男女別学が男女共学へ転換されるにあたって、日本社会には少なからぬ抵抗感があった。その要因はいくつかあったが、今回のテーマに即していえば、それは「風紀問題」発生への懸念である5。要するに、男女が同じ空間で長い時間ともに過ごすことにより、恋愛や性にまつわる種々の「問題」が多発するのではないかということが危惧されたのだ(何たる短絡的な発想かと思うが、そういう時代だったのだとしか言いようがない)。不安視されたほどの問題が実際に起きたかどうかを知るのはなかなか困難であるが、マスメディアはこの手の「問題」をセンセーショナルに取り上げがちであり、懸念が完全に払拭されることはありえなかった。

 そうした社会不安への対応の一つとして、文部省が当時推進していたのが「純潔教育」である6。男女交際そのものは是認しつつ、それを「清らかな交際」の範囲にとどめることが、この「純潔教育」の主眼であった。要するに、公的なプラトニックラヴの推奨である。それがどの程度効を奏したのかを知ることもまた難しいが、文部省が「純潔教育」によって青春と恋愛の関係を一定の型の中に収めようとしていたことは間違いない。


 では、この時代のメディア文化において青春と恋愛・性はどう扱われていたか。「純潔教育」の路線に連なるものとしては、昭和30年代に流行した「純愛もの」があげられる(藤井1994など)。その代表とも言える河野實『愛と死をみつめて』(1963年)が、映画など様々な媒体で展開されて一大ブームとなったことはよく知られている。また、これに続く1960年代後半、テレビで青春ドラマが量産されていったことは、第3回でみた通りである7。一方で、青春と恋愛・性をめぐる逸脱、あるいは暴発を描く作品も少なくなかった。いうまでもなく、その代表は石原慎太郎の『太陽の季節』(1955年)であろう。これも映画化されて人気を博し、それに感化され逸脱的な行動に走る若者たちを生み出したといわれている。そうした若者たちは「太陽族」と称され、この言葉は流行語ともなった。

 このように、「清らかな男女交際」を求める勢力と、性的逸脱を過激に描く勢力が混在していたのが1950〜60年代の状況だったといえる。それは、青春と恋愛の関係が動揺していたことの表れでもあろう。それだけ、日本社会はまだ青春と恋愛の扱い方に慣れていなかったのである。

 ただ、「純潔だ」「不純だ」とあれこれ騒がれている一方で、現実においては時代を経るにつれて男女交際の機会は自然と増えていき、徐々に当たり前の光景になっていく。だが、それで「めでたしめでたし」というわけではもちろんない。男女交際がごく普通になったことによって、青春と恋愛をめぐる新たな「問題」が立ち上がってくるからである。

「童貞」というスティグマの誕生

 青春時代に恋愛することが当たり前のものになった。それによって新たに生じる問題とは、恋愛経験(そして性経験)がないことが青春の「欠落」になり、さらにはその原因が個人に帰属すると見なされるようになったということである。

 たびたびの言及で恐縮だが、最も早い時期にこのような青春の問題に直面した人物として、やはりみうらじゅん(1958年生まれ)の名をあげないわけにはいかない。彼が「青春をこじらせた」ということの中身にはいくつかの側面があるが(ボブ・ディランに憧れて外国人になりたがった、など)、その中で恋愛や性へのとらわれという点は無視できない。映画化もされたみうらの自伝的小説『色即ぜねれいしょん』は、童貞の男子高校生がフリーセックスの島を目指すという物語であり、みうらの「こじらせ」を象徴的に示すものである。

 しかし、ただ単に性への興味が昂進しているだけなら、「こじらせ」には至らない。強く興味を惹かれる一方で、性に対する恐れや不安があるからこそ、こじらせるのである。このことについて、映画『色即ぜねれいしょん』の監督を務めた田口トモロヲ(1957年生まれ)、主人公の父親役で出演したリリー・フランキー(1963年生まれ)、そしてみうらによる対談を見てみよう(みうらじゅん+リリー・フランキー+田口トモロヲ「座談会 僕らの「童貞時代」を語る」『週刊朝日』2009年8月28日号)。

リリー 小学生のとき近くの空き家に白黒のエロ本が落ちててね。女の人がパカーッて股広げてるんですけど、それを毎日学校帰りに見に行こうって誘うヤツがいて。でもオレ、すごくいやだったですよ。そういう性的なものを笑えないっていうか。友達の性欲とか見るのが怖くて。
みうら 僕も当時やたらエロ映画に誘う友達がいて、やっぱりいやだったですよ。下品なことを堂々と言うヤツが怖かった。そんなだから、どこにも所属できなかったんでしょうね。
(・・・)
リリー いや、当時はすべてが怖かったですよ。大人的なこと、性的なことに交わっていける自信がなかったし、そう思ってることを知られるのも怖い。
みうら そうそう。

 恋愛や性経験へのアクセスがしやすくなったからこそ、逆にそれが「できない」ことがスティグマとなる。そして、そのことはできない人間の人格的問題と見なされる。リリーの「そう思ってることを知られるのも怖い」という発言はそのような状況を示すものであり、それが1970年前後以降に青春と恋愛・性をめぐって起きたことなのである。

 このことは、「童貞」が蔑称としての意味を持つようになった時期と、ほぼ一致する。澁谷知美(2003)によれば、1960年代半ばまで「美徳」として肯定的な意味を持っていた「童貞」は、60年代後半以降「恥ずかしいこと」として徐々に否定的なニュアンスを強めていき、80年代に入るころには完全にマイナスイメージを持つものとなった。そのプロセスにおいて、「童貞」は単に性経験がないということだけでなく、マザコンなどと結びつけて病理化され、人間的魅力を欠く存在として位置づけられるようになったという。これはまさに、先にみた青春と恋愛・性の関係の変容によってもたらされたものだと言ってよいだろう。

 ただし、これも「童貞」というのがポイントで、相変わらず青春と恋愛の問題は男性ジェンダー的問題としてあることが見てとれる8。このバイアスは現在に至るまでそれほど変わっていないようで、筆者が今回調べた範囲の資料では、「処女」が童貞と同様の文脈で用いられていたのは、芸人・白鳥久美子(1981年生まれ)が自身の青春のこじらせをネタにしたエッセイ『処女芸人』を出版したことに絡むものだけである9。もっとも、メディア文化の中、あるいは日常感覚的にも、少なくとも1990年代以降は「処女」も明らかにスティグマ化していたと思われる。このあたりは、また別のテーマになってきそうなので、後続の研究に期待したい(他人任せ)。

恋愛至上主義の興隆から「若者の恋愛離れ」へ

 さて、さらに時代が進んで1980年代、特にバブル期になると、堀井憲一郎(2006)が指摘するように、若者たちは各種業界のマーケティング戦略によって恋愛至上主義のレールに乗せられていくことになる。大学進学率は4割近くとなり、時間的・経済的に余裕のある若者が増えたため、そこが消費社会の絶好のターゲット層となった(なお、同時並行的に「オタク」という存在が浮上してきたことも重要である。恋愛至上主義に乗れない・乗らない層は、「オタク」方面で消費社会のターゲットとなったわけだ)。夏は海へ、冬はスキーへ、クリスマスは高級ホテルで恋人とともに過ごし、記念日にはブランドものをプレゼント……。若者に金を使わせるには、恋愛至上主義を吹聴するのが一番効果的だったわけである。

 こうして、青春時代にとって恋愛は不可欠のものとされていった。筆者は1990年代に中・高・大学生時代を過ごしたが、このような風潮は、まだ色濃く残っていたように思う。これが実はバブル期に人為的に形成されたものに過ぎないと後で知った時には、けっこうな衝撃を受けた。恋愛への欲求はあたかも「本能」に根差しているかのように見えるので、それが社会的に構築されたものだとは思いも寄らなかったからである。たぶん多くの同世代がそうなのではないか。


 逆に言えば、この時代に青春時代を送った今の40~50代は、青春と恋愛の結びつきを最も強固なものとして信じ込んでいる世代だとも言えそうだ。だから、2000年代後半に「草食(系)男子」が注目され出した時には話題になったし10、さらに2010年代になって「若者の恋愛離れ」の傾向が明らかになると、少子化問題との関連もあって一種の「社会問題」としても扱われた11。だが、冷静に振り返れば1980~90年代の恋愛至上主義全盛期の方が異常だったのであり、最近はむしろ少しまともになってきたのではないか、と筆者は思っている。

 このような傾向は、文学の中にも表れている。近年の青春小説の中には、恋愛という要素をあえて外すものもみられるからだ。例えば、額賀澪(1990年生まれ)と朝井リョウ(1989年生まれ)は、対談で次のように語り合っている(朝井リョウ×額賀澪「わたしたち、たぶん一生青春します。」『小説現代』2018年7月号)。

額賀 あと、私は小説の中で恋愛を書くことに興味がないんですよ。男女を出すには出すけど、くっついたりしない。部活で仲の良い男女がいたとして、そのままの距離感でゴールまで行ったりするんです。「この二人、なんで付き合わないの?」って、上の世代の方から結構言われますね。「一七歳ぐらいの男女が近くにいて何もならないのはおかしい」って。
朝井 そういえば私も、大学生の男女五人がアパートの部屋に集まるシーンに関して、上の世代の方々から「何でセックスしないの?」みたいに言われて驚きました。これが世代の違いってやつか、と。だって、何も起こらなかったですもん、自分の人生でも(笑)。それが不自然に見えるんだ、というのはビックリでしたね。
――青春に必要不可欠な要素が一個、欠けているじゃないか、という感覚なんでしょうね。
朝井 上の世代の方々にとって青春時代の主題は、恋愛だったのかもしれない。でも、我々の世代は、青春において恋愛が必要不可欠ではない気がします。なくても青春は成立する、というか。
額賀 あっても成立するけど、なくても成立しないわけじゃない、ですよね。

 対談の中で「上の世代」と言われているのは、おそらく両者の1まわり2まわり上の世代、つまり今の40~50代だろう。朝井や額賀の世代からすれば、「上の世代」は、男女が共に過ごす青春を安易に恋愛や性に結びつけ過ぎているように見えている。朝井が「だって、何も起こらなかったですもん、自分の人生でも(笑)」と言っているように、「ありのままの青春」を描く現代の青春小説にとっては、必ずしも恋愛と結びつかない青春こそが自然な姿なのだ。

 さらに、額賀は別のインタビューで次のように発言している(「額賀澪インタビュー 葛藤を抱えてあがいている人は、いつでも「青春」にいる」『文蔵』2017年7月号)。

――男女が心を通わせるストーリーでも、関係が恋愛の方向にはいかないこともままありますね。
額賀 いろんな人から「期待が空振りに終わった」と言われるんですけど(笑)、『ウインドノーツ』の営業を担当して下さった方とこんな話をしたことがあります。登場人物がいろいろな悩みを抱え、もがきながら日々そのことについて真剣に考えているのに、そこに恋愛要素を入れ込んで「あなたが私のことを好きなら」「君さえいてくれれば」それでいい、という話にしてしまうと、その悩みは一体何だったのかということになってしまうよね、と。恋人同士になったことで、すべてが恋に収斂されて解決されるというふうにはしたくない。恋愛にいかないからこそ、彼らの悩みには意味があると思うんです。

 ここからうかがえるのは、恋愛に還元されない大事な要素が青春には確かに存在し、それを描こうとする時に恋愛をもってくるのはある種の「逃げ」ではないかという認識である。確かにそうだなと思わせる発言だが、では、一体どうしてそのように思えてしまうのか。おそらくそれは、「男女関係」が(今のところ必然的に)ジェンダーの非対称性を含みもってしまうからではないだろうか。

 そのことは、以下に引用する「キラキラ青春映画」をめぐる座談会に表れていると思う(「キラキラ青春映画、往古来今」『キネマ旬報』2017年1月15日号)12。そう、「若者の恋愛離れ」が問題視された2010年代は、一方で恋愛映画のブーム期でもあった(連載第3回参照)。一見矛盾した状況だが、むしろこれは、恋愛がますますメディアコンテンツの中にしか存在しえないものとなっていることを意味していたのかもしれない。それはともかく、問題なのは、そこでの表象が現実のジェンダーバイアスを追認するものだということであり、この座談会ではそのことが厳しく糾弾されている。

千浦 そもそも男と女がくっついてハッピーエンドということがこのジャンルに限らず、世界の映画を見渡しても保守的で、現行の体制維持への呼びかけ、ソフトな洗脳だと思います。
(・・・)
千浦 まあ、「壁ドン」「顎クイ」「イケメン崇拝」なんていうのは、デートレイプそのほかの性犯罪の温床ですけどね。
中西 紙一重なんですよね。壁ドンもそれが欲望であると女の子が自覚的になってほしい。映画を見て、自分の中にそういうものがあると自覚することは、女の子が生きていく上で大切だと思います。
(・・・)
千浦 キラキラ青春映画の世界が、お金があるとか容姿がいいとかスポーツができるとかで人気があってチヤホヤされる奴がいて、そういう奴は何してもいいみたいなことを前提として認めているのはすごく異様だと思う。キャーッて言われる男子がいることはお話の都合上必要なのかもしれないけれど、それを食い破るような映画をやってほしい。

 ここで指摘されているような映画での描かれ方だけでなく、こと恋愛にまつわる話題になると、男女の差異を強調するような言説は今でも非常に多い(毎日のようにLINE NEWSに出てくるので正直やめてほしい)。「若者の恋愛離れ」と称される現象も、そのような「男らしさ」「女らしさ」を要求される文脈に対する一種の拒否反応とも考えられるし、額賀や朝井が語っていたこともこのことと照らし合わせると理解しやすい。性別に関わらずに「青春を共有する」姿を描きたいというとき、男女の非対称性がどうしても前景化してくる恋愛は、はっきり言って邪魔なのではないか。そう考えると、恋愛のあり方が既存のジェンダー秩序に絡めとられている間は、これからも青春と恋愛の関係はますます遠ざかっていく可能性すらあるかもしれない。
 
 というわけで、かなりの駆け足で戦後日本における「青春と恋愛の結びつき方」を概観してみた。やはり1回分で書こうとしたのは無理があったなという感も否めないが、こうして概略を見渡しただけでも、青春と恋愛の関係が必ずしも不変・絶対のものでないことがわかる。今後もいろんな研究テーマに発展させていくことができそうだ(やりますとは言わない)。

 ところで、こうした青春と恋愛をめぐるイメージを作り出してきたメディア文化――具体的には映画やテレビ、音楽といったコンテンツ――の中で、それらを「演じる」側に立っていた者たちは、青春というものをどう捉えてきたのだろうか。特に「アイドル」と称される者たちは、恋愛を歌い、演じる存在である一方で、現実に本人たちが恋愛することは一般的に「許されざること」とされている。この、ある意味矛盾に満ちた状態に身を置く「アイドル」たちの語りに焦点を当てて、次回は色々と考えていくことにしたい。

【参考文献】
・藤井淑禎、1994、『純愛の精神史 昭和三十年代の青春を読む』、新潮社
・堀井憲一郎、2006、『若者殺しの時代』、講談社
・小山静子、2009、『戦後教育のジェンダー秩序』、勁草書房
・小山静子、2014、「純潔教育の登場 男女共学と男女交際」(小山静子・赤枝香奈子・今田絵里香編『セクシュアリティの戦後史』京都大学学術出版会、pp.15-34)
・小山静子編、2015、『男女別学の時代 戦前期中等教育のジェンダー比較』、柏書房
・小山静子・石岡学編著、2021、『男女共学の成立 受容の多様性とジェンダー』、六花出版
・三浦雅士、2001、『青春の終焉』、講談社
・日本性教育協会編、2019、『「若者の性」白書 第8回青少年の性行動全国調査報告』、小学館
・西井開、2021、『「非モテ」からはじめる男性学』、集英社
・澁谷知美、2003、『日本の童貞』、文藝春秋(→2015、河出文庫)
・田中亜以子、2019、『男たち/女たちの恋愛 近代日本の「自己」とジェンダー』、勁草書房 

 

 

*本連載は、初回と最新2回分のみ閲覧できます。

  1. 特に漫画を中心としたメディア文化においては、青春と恋愛・性という主題はしばしば異性愛に限られない性愛の関係を描いており、それも重要な研究テーマである。本稿は紙幅の都合や著者の力量の問題もあって、異性愛の恋愛に限定して論を進めることをあらかじめお断りしたい。
  2. 恋愛という観念の男性中心性については、田中(2019)を参照。
  3. 戦前の男女別学体制については、小山編(2015)などを参照。
  4. 男女が手を取り合うフォークダンスのイメージが、やたらと「戦後教育」の象徴として持ち出されることを想起されたい。ただ、男女共学はあくまで「原則」であり、地域によっては公立高校の男女別学が維持され続けたり、同じ高校に通いながら男女生徒間に溝ができたままだったりしたケースも少なくなかった。当然ながら、男女共学の原則によって、それまでのジェンダー観が一気に払拭されたわけではないからである。このあたりの詳細については、小山・石岡編著(2021)を参照されたい。
  5. 他の要因については、小山(2009)などを参照されたい。
  6. もともとは私娼の取り締まりという文脈から登場した対策が、男女共学の実施に伴って「純潔教育」に変化したという経緯がある。この点について詳細は、小山(2014)を参照。
  7. これらの青春ドラマは必ずしも恋愛を主題としたものではないが、それも含む悶々とした感情をスポーツで発散し解決することを志向するという点で、青春と恋愛の関係に対する一つの定型的回答であるとはいえる。そして、やはりここでも青春は「男のもの」としてある。
  8. 「非モテ」と男性ジェンダーの関係については、西井(2021)などを参照。
  9. 「編集者の手前みそ 宮川彩子(扶桑社書籍編集部)」(『ダ・ヴィンチ』2013年3月号)のリード文「31歳、未だ処女! 非モテをこじらせた青春の記録」や、「著者に直撃! 白鳥久美子さん(たんぽぽ)」(『週刊女性』2013年3月12日号)のリード文「非モテをこじらせまくった青春を綴った初エッセー『処女芸人』が話題」など。なお、白鳥はその後2018年に結婚し、2021年には第一子を出産している。
  10. 「草食男子」はコラムニストの深澤真紀が2006年に使用したのが始まりとされている。その後も、哲学者の森岡正博が『草食系男子の恋愛学』(2008年)を、ライターの牛窪恵が『草食系男子「お嬢マン」が日本を変える』(2008年)を刊行するなどして、全国紙やテレビで取り上げられるまで人口に膾炙する言葉となった。その結果、2009年には新語・流行語大賞のトップテンを獲得している。なお、深澤は「草食男子」に肯定的な意味合いを込めていたのに、世間に流通するうちに「無気力な若者」という否定的なニュアンスに変わっていったことを、のちに嘆いている。
  11. 若者(中・高・大学生)の性行動に関し最も信頼できる調査は、日本性教育協会が1974年から継続的に実施している「青少年の性行動全国調査報告」である。その第8回調査結果(日本性教育協会編2019)によれば、性への関心・性に対する肯定的イメージ・性交経験率のいずれも、2000年代半ばまでは上昇あるいは変化なしという傾向であったものが、2000年代後半以降は減少傾向にある。また、内閣府が実施した「平成26年度 結婚・家族形成に関する意識調査」では、未婚で交際相手のいない20代のうち4割が「恋人が欲しくない」と回答しており、これが「若者の恋愛離れ」を示す結果として話題となった。  
  12. 中西愛子(映画ライター)・千浦僚(映画系文筆)・モルモット吉田(映画評論家)による座談会。