「あいつはフツウと違うから」 切り離しのマジョリティ論 / 西井開

注意深く周りを見渡すと、男性が別の男性を「ふつうの人」と「ふつうじゃない人」に振り分けようとするシーンがそこかしこに存在する。同じ男性なのに、他人を「自分と無関係な者」と位置づけてしまう時、私たちの中で何が起こっているのか? 男性問題や加害者臨床に取り組む著者が、日常的な他者との関わりからこの問題にせまる。マジョリティ性をもつすべての人におくる、今読むべき男性論。

ホモフォビアを吸い込む

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2010年代のこと

 大学生の頃、本当に意味のない飲み会ばかりしていた。サークルの仲間たちと夜を徹して安い酒を飲んで、くだらない話をした。それはそれで楽しかったのかもしれない。しかし今振り返ると頭を抱えたくなるような発言やふるまいをしていたことは、どうあがいても肯定することができない。

 宅飲みで男しか集まらなかった時には、「なんや、むさくるしいメンバーやな」と軽口を叩いた。同級生や後輩たちに彼女はできたのか、最近浮いた話はないのか、と繰り返し聞いていた。青春モノの邦画によく出てくる、うざったい先輩キャラみたいだった。

 同性愛の当事者は見えていなかった。言葉としては知っていたが、別の世界の存在のようだった。その場にもゲイというアイデンティティを持つ人はいたのかもしれない。しかし、こんなコミュニケーションをとっている人間に誰がカミングアウトをするんだろうか。私が同性愛の当事者と出会わなかったのは偶然ではない。

 いつのまにあんな異性愛主義にまみれたコミュニケーションを身につけてきたのかと振り返って思う。私はこれまでの人生において、どこで何を吸い込んできたのだろうか?

2000年代のこと

 中学生の頃、『ポケットモンスター』の新作が友人たちの間で流行っていた。部活が休みの日は誰かの家に集まって、皆で一緒に遊んでいた。遊び場所の候補がいくつかあって、『ドラゴンボール』や『ONE PIECE』、『幽☆遊☆白書』など少年漫画を多く集めていた私の部屋もその一つだった。多い時は6人くらいの男子が6畳の部屋に集まり、ゲームボーイアドバンスをするか、漫画を読んでいた。

 男同士でしか遊ばなかった。小学校までクラスメイトの女子とも遊ぶこともあったが、その関係性はいつのまにか消え去っていた。女子と話していたらクラスメイトに「お前ら付き合ってんのか」とからかわれたことが大きかったのかもしれない。仲の良い女子と小学校までは何気なくやりとりしていたはずが、中学生になると同じ相手に対して異様なほど緊張感を持って話さないといけなくなった。

 複数の小学校から進学した子どもたちが集う中学校の巨大さに比べれば、小学校は箱庭のようなものだ。全員が顔見知りで、誰がどこの家に暮らしているのか、どんなことが好きでどんな食べ物が嫌いなのか、なんとなく把握できていた。誰かと気まずくなっても教師たちがそれなりに面倒を見てくれて、安全に箱庭に包摂されている感覚があった。

 1学年6クラスもある中学校ではそうはいかない。全く知らない他者が存在する冷たい空間の中で、誰にどのように見られているのか、常に意識しなければならなかった。

 とりわけ女子と話すということは神経を使う作業だったように思う。声がうわずって、背中に汗をかくくらいのプレッシャーを感じていた。相手も同じような感覚にさらされていたのか、いつのまにか会話をしなくなり、1年もすれば別の世界の存在のようになっていった。

 学校で女子と話しているのはヤンキーたちがほとんどで、グループ内で誰と誰がヤッたかという話で盛り上がっていた。休み時間、騒いでいると思ったら彼らが急に教室の端の方でしゃべっている私たちに関心を示すことがあった。

 私はメガネをかけていたからか「のび太くん」とあだ名を付けられていて、大声でいじられたことがあった。「ぎゃはっ!きもっ」とヤンキーたちが嗤う。「もう、やめたげて」と、そのグループの女子が嗤いながら声をかける。

 隣で見ていた友達はうつむいて何も言わなかった。おそらく私が彼の立場でもそうしただろうなと思った。私はからかわれてへらへらと笑っていた。笑いながら、締めつけられるような屈辱感に襲われていた。自分の身体がみすぼらしいように思えた。このままの自分では嫌だと強く思った。

 『ポケットモンスター』をやっていた友人たちとのつながりは、寒々とした檻のような校舎から逃れることのできるシェルターのようだった。誰かの部屋に集まって皆で何を話していたのか、ほとんど覚えていない。勉強の話も、進路の話も、恋愛の話も特にしなかった。部活の顧問の悪口を言い合っていた記憶だけはおぼろげに残っている。私たちはゲームをやり、漫画を読み、それにも飽きたら公園でバドミントンをやった。それが「遊ぶ」ということだったし、ただ楽しかった。が、どこか物足りない気持ちもあった。

 ある日、友人の家で遊んでいると、彼のお母さんが買い物に行くから、と声をかけに部屋に入ってきた。お母さんは「いらっしゃい」と私たちに話しかけ、同時に「あんたら男ばっかりでむさくるしいなあ」と冗談を言った。確かにそうだ、と思った。華やかではなかった。男たちからしみ出た汗臭くねっとりとした空気の塊が、狭い部屋の中に充満しているようなイメージが思い浮かんだ。


 高校に上がると男子ソフトテニス部に入った。クラスで目立つというわけではないが、それなりに交友関係がある、そんな似たような雰囲気の部員たちが集まっていた。自然とウマがあった。

 放課後、硬式テニス部がコートを使っている間、私たちは外で準備体操とランニングをして、それが終わるとコートで2時間ほど練習をした。そこそこ練習していたつもりだったが、いっこうに強くならなかった。コーチとして来ていたOBの大学生はその成長幅の低さにイライラしているようだったが、私たちは特に気にしていなかった。のんびりテニスを楽しめたら良かったのだ。

 半年に1回公式試合があって、だいたい1回戦か2回戦で全員負けていた。コーチが箸にも棒にもかからないような講評をして解散した後、私たちは皆で映画館に寄って、アクション映画やSF映画を観て帰った。大会よりもそっちのほうが私にとって意義深い時間だった。誰かの家に集まってお菓子を作ったり、『桃鉄』を100年やったり、おもむろにじゃれ合ったりすることもあった。充実したクラブだったと思う。

 部活とはまた別の力学が教室にははたらいていた。進学校だったのでヤンキーのような生徒はいなかったが、うっすらとクラスの中でヒエラルキーがあった。同性で固まるグループが当たり前で、ほとんど皆どこかに所属していた。

 高校3年の私は髪にワックスをつけることのできる男子集団の中に入っていた。中学の頃とは違って女子とも話すようになったが、それでもやはりそのグループで群れることが多かった。

 そのうちの1人で声の大きなクラスメイトが、ある時期から同じグループの男子たちを「ガチ」と言って馬鹿にして嗤う遊びを始めた。私も嗤われたが、一体なんのことか全くわからなかった。誰かの話し言葉が柔らかくなった時や、男子2人だけで楽しそうに話している時に彼が嗤っていることに気づき、ようやくそれが「ガチホモ」の略で、同性愛的なふるまいとしていじっていることがわかった。

 2000年代後半、LGBTや性の多様性という言葉は広まっていなかったが、「ホモ」や「オカマ」という言葉が蔑称で、なんとなく使ってはいけないということを私たちは知っていた。おそらくそれで彼は同性愛をほのめかしてからかうという手段に行き着いたのだろう。直接的な表現ではないので、それが同性愛を中傷するものだと認識してはいるものの、誰もそれを言葉にすることはなかったし、彼に注意もしなかった。

 いつ、何をきっかけにいじられるかわからないので気を抜けなかった。突然「お前ガチか!」と言葉が飛んできた。その度私はへらへら笑いながら「なんでやねん! そんなはずないやろ」と全力で否定した。

 何も面白くはなかった。周りもそんなに面白がってるようには思えなかった。でも皆が乾いたように私を見て嗤っていた。これが「面白い」ということなんだと理解していった。

 ある日の放課後、更衣室で運動服に着替えてテニスコートに向かっていると、部活の後輩たちが前を歩いているのが見えた。いつも2人で仲良さそうにしていた。小走りで追いかけて後ろから声をかける。

 「おつかれ」
 「おつかれさまです!」
 「お前らほんまいつも一緒やな。もしかしてデキてんのか」
 「何言ってんですか!」と後輩の一人が笑って返事をした。乾いた笑い声をあげながら、私たちはテニスコートに入った。

ホモフォビア(同性愛嫌悪)とは

 2023年2月、元総理大臣秘書官が「(同性愛者を)見るのも嫌だ。隣に住んでいたら嫌だ」と発言したことに対して批判が殺到した。性の多様性にかんする啓発がかなり進んできた現代において、むき出しのヘイトが、しかも権力の中枢から出てきたのは由々しきことだ。しかし問題を彼の無知だけに求めてしまうのは、ホモフォビアの全体像を覆い隠してしまう。

 ホモフォビアを維持するものとして、当然ながら社会制度の問題がある。世界各国で同性婚が認められたのはここ20年のことであり、日本に至っては未だ制度化されていない。結婚によってもたらされる権利が同性愛の当事者たちには適用されず、様々なサポートから締め出されてしまう状況が続いている。また、制度を整備しないということは、未だ国がマジョリティ側だけを優遇する形で社会を維持し続けようとしていることの証明でもある。性愛関係において生殖をともなう異性愛だけが「正当」なもので、同性愛は劣ったものであるという差別的な意識が、この制度の未整備を通して漏れ出している…。そんな現状がある。

 では制度的に同性愛当事者の権利が向上すればいいのかと言えば、それだけでは十分とは言えない。私たちは、ヘイト発言や当事者の権利侵害とはまた別に(あるいはその基礎にあるものとして)、もっと根本的な問題を見る必要がある。それは、社会の中で薄く広く漂っている、同性同士で親密に関わり合う行動を嫌悪したり忌避したりする文化的傾向だ。

 例えばアメリカにおける同性愛に対する意識調査を分析したドアンたち(2014)の研究によれば、多くのアメリカ人が、同性カップルの結婚やパートナーシップ関係に対する権利保証など、当事者の公的な権利を支持している一方、プライベートな権利(例えば公の場でハグやキスをすることなど)に対してはそれほど支持していないことを明らかにしている。つまり、権利運動としては反ホモフォビアが掲げられているにもかかわらず、同性愛の本質であるはずの同性同士の親密さや欲望そのものについては十分に認められてないという二律背反が、現代的な現象として生じている。制度が変わることは確かに重要だろう。しかし、同性愛的なふるまいを嫌悪する文化が残ったままでは、どこまでも同性愛は抑圧され続ける。

 当事者に対するヘイトなど直接的でわかりやすく行動化されたホモフォビア、制度の中に埋め込まれた権利侵害としてのホモフォビアだけでなく、同性愛的関係そのものを嫌悪する文化的傾向性としてのホモフォビア。この3番目のホモフォビアがどのように形成されていくのか、考えてみたい。

 その力学はとりわけ男性の内部で表出されると主張する研究がある。アメリカ郊外の高校をフィールドに、若年層の男性たちをとりまくホモフォビアを調査したパスコー(2005)は、「fag」というホモセクシュアルに対する蔑称(日本における「ホモ」に近い)に着目して、それがどのような場面で使われているか分析した。

 パスコーによれば、女子生徒に向けてこの言葉が使われることはなく、ほとんどが男子から男子に対して向けられていた。ただし男子生徒たちは、ゲイとカミングアウトしている当事者に「fag」を使うことはない。同性愛の権利運動の結果、ゲイというアイデンティティが正当なものであることを彼らはわかっているからだ。

 カミングアウトしているゲイ男性が攻撃されないという状況は、一見同性愛への理解が高まり、差別に抵抗する機運が進んでいるように見える。しかし、ゲイを自認していない男子同士が、互いに序列をつけ合うための悪口として同性愛者を意味する「fag」という言葉を用いる状況を鑑みれば、それは仮初めのものでしかないことがわかる。なぜなら、表面的に当事者への「理解」を示しているだけで、結局同性愛を劣位に位置づける文化そのものは変化していないからだ。

 アメリカと同様に日本でも、性的マイノリティに対する偏見が特に若い世代で減少しているというデータがある。そして私の経験を振り返ると、パスコーが調査したような男性間の力学も発生していると感じられる。男性同士で仲良さそうに群れていること、身体的に触れ合っていること、一対一でおしゃべりをしていること。こうした男性同士の友愛的な関係性を否定的に扱うホモフォビアの空気が蔓延しているのではないか。

切り離しとしてのホモフォビア

 「ホモソーシャル」という概念を精緻化したセジウィック(1985)によれば、ホモフォビアとは同性愛の当事者に対する抑圧としてはたらくだけではなく、異性愛の男性のふるまいを縛るものとしても機能するという。

 異性愛男性的なふるまいができずに「ゲイ」と貶められることは、その男性にとってアイデンティティを揺るがす大きな脅威になるということが、様々な研究で明らかになっている。この異性愛男性の恐怖を「ホモセクシュアル・パニック」という。

 ホモセクシュアル・パニックが生じる背景には、同性愛と異性愛を分割する境界線の曖昧さがある。メディアなどでは当事者と非当事者を簡単に分けているが、そもそも客観的に誰が同性愛者で誰が異性愛者かを判断することは不可能だ。2人の男性がじゃれあっていたとして、それが性的な意味合いでなされているのか、友情でなされているのか、外側から判断することはできない。

 同性愛者であることを明確に定義する基準がないということはつまり、自分は異性愛者だと思っている男性でも、周りの人々から同性愛的だと見られる可能性がある。それゆえ、一部の男性は常に「ホモセクシュアルの側」に引きずり込まれるような不安感=ホモセクシュアル・パニックを抱えることになる。

 結果的に、その男性たちはホモセクシュアル・パニックから逃れるために、自分が異性愛男性であることを過剰に演出するようになっていく。男性同士で弱みを見せ合うような情緒的なコミュニケーションを止め、ハグをしたり握手をしたりじゃれ合ったりする身体的な接触を拒み、男性2人きりになることを避ける。それと反比例するように、女性との性愛関係に邁進し、異性愛を前提とした下ネタばかりを話すようになる。ホモフォビアによってそうするよう仕向けられていく。

 そして、自分がゲイだと見られないための別の戦略として、自分以外の男性を「ホモ」「オカマ」「fag」とラベリングしてからかう手段もとられる。相手がゲイでなくてもかまわない。いや、現代においては最早相手がゲイであってはならない。ゲイを「ホモ」だとなじれば、当事者を貶めた差別者としての烙印を押される危険があるからだ。だから同性愛の当事者は自分たちには関係のない「向こう側」の存在として他者化しておく。その上で、異性愛の男性同士で「ホモ」というレッテルを相手に貼り付けて優位な位置に立ち、自分が貶められることを回避するのである。ここにはからかいと恐怖の悪循環がある。異性愛男性たちは自分が「ホモ」とからかわれないために、他の男性を「ホモ」とからかうのだから。

 ホモセクシュアル・パニックをめぐる力学は、同性愛の当事者を他者化するだけでなく、異性愛男性内部での序列化を進め、そして男性たちのセクシュアリティの有り様をも規制する。

 高校時代、「ガチ」とからかい合ったクラスメイトの中にも、もしかしたら本人が気づいていないだけで、同性に惹かれる傾向を持つ男性がいたかもしれない。しかし、それを認めてしまってはグループの中で特殊な存在と見なされるので、自身の欲望はおくびにも出さないよう抑え込まなければならない。また私自身も、「ガチ」といじられて全力で否定した時、自分の性愛の可能性をいたずらに制限してしまっていたと言えるのではないか。

 もっと細かいことを言えば、男性たちは同性愛としてからかわれかねないふるまいや関係性の取り方も細かく調整する。完璧な異性愛男性として見られるために、上述したような男性同士の友愛的なコミュニケーションを自分の中から剥ぎ取っていく。

 つまりホモフォビアは自分と同性愛の当事者との関係性を切り離すだけでなく、自己の内部で、自己から同性愛的要素を切り離すという、2つの次元での切り離しを発生させるのである。

そして2020年代

 私は、セクシュアリティにかんするある論考を読んだこと、そして男性の語り合いグループの中でメンバーたちと長い時間、深い対話をすることを通して、男性同士で関わる喜びを少しずつ思い出していった。

 小学生の頃、男友達と一緒の布団で寝て楽しかった記憶や、皆でたむろっていたあの自室での時間、どこか恰幅の良い男性に惹かれる自分の傾向を、少しずつ身体の中に取り戻していった。男性同士の友愛的な関係性を否定する空気の中で、私はこれらの思い出を封印してしまっていたのかもしれない。ホモフォビアは記憶さえも奪っていく。

 ある日、グループで銭湯に行った時、メンバーの一人がおもむろにドライヤーで私の髪を乾かしてくれた。後で聞いたら特に深い意味はなかったらしいが、私は不思議な安心感に浸っていた。当時、失恋をしたばかりで気持ちが荒んでいたのだが、その瞬間すっと身体が軽くなったような気がした。そういえば人と触れ合うのって心地良かったんだ、と私は思わず笑った。


参考文献
Doan L, Loehr A and Miller LR, 2014, “Formal rights and informal privileges for same-sex couples”, American Sociological Review, 79(6): 1172–1195.
Pascoe CJ, 2005, “‘Dude, you’re a fag’: Adolescent masculinity and the fag discourse”, Sexualities, 8(3): 329–346.
Sedgwick, Eve Kosofsky, 1985, Between Men: English Literature and Male Homosocial Desire, New York: Columbia University Press.(上原早苗・亀澤美由紀共訳『男同士の絆』名古屋大学出版会、2001年)

*本連載は、初回と最新2回分のみ閲覧できます。