どうしたわけか、子どものころに出会った本が思いだせない。土曜の暮れなずむ午後に、ワクワクしながら読んだ、たくさんの本が記憶のなかで行方不明になっている。わたしは狼狽している。トム・ソーヤーの冒険、ハックルベリイ・フィンの冒険、スイスのロビンソン、ドリトル先生航海記など、浮かぶのは冒険やら旅やらを抱いた本ばかり。読んだはずの本が頑なに浮かばない。
いまほど子ども向けの出版物があったわけではない。まだ貧しい時代だった。学園通りが舗装された。まもなく東京オリンピックがやって来た。給食は脱脂粉乳のなんだか生臭いミルクと、うすい食パンが数枚。しなびたランドセルに忍ばせたパンの切れ端を、わざわざ土まみれにして、競いあって食べた。学校帰りの、友だちの家の庭先での、小さなマツリ。冒険のかけら。奇妙な昂揚感だけが思いだされる。十歳の男の子の黄金期であったか。
そのころ読んでいた本が、冒険や旅の物語ばかりであったはずはないが、思いだせない。やはり、ロビンソン・クルーソーの影響は絶大であったということか。とはいえ、貧しく黒ずんだ小学校の図書室には、およそ華やぎというものがなかった。それでも、なにか厳粛な雰囲気はあって、好きな場所ではあったのだ。
記憶をまさぐるうちに、思春期にかかるころまでに読んだ本のリストがぼんやり浮かんでくる。二人の小説家の名前が楕円の焦点のように見えてくる。マーク・トウェインとジュール・ヴェルヌだ。『トム・ソーヤーの冒険』『ハックルベリイ・フィンの冒険』『王子と乞食』、そして、『十五少年漂流記』『八十日間世界一周』『海底二万里』『地底旅行』など。むろん、作者の名前などに興味はなかった、知らなかった。ただ、図書室で冒険や旅や漂流といった言葉を見つけると、借り出して読んだだけのことだ。
ここでは、『トム・ソーヤーの冒険』である。正直に書いておけば、この小説の細部はほとんど覚えていない。たったひとつ、トムが女の子と、どこかベンチに座ってファースト・キスを交わす場面があったはずだが……、と思う。読まずに思い出語りだけをしようかと考えていたが、記憶は大事にしながらも、やはり読んでみたほうがいいのかもしれない、と思いはじめている。
そこで、新潮文庫版の『トム・ソーヤーの冒険』を手に取った。驚いた。わたしが読んだのは完訳ではなく、子ども向けに編まれた簡約版であったはずだが、みごとに何ひとつ覚えていなかった。『ロビンソン・クルーソー』だって、じつのところ、覚えていたのはいくつかの場面にすぎない。いや、大人になってから読んだ本だって、儚いほどに細部の記憶などあいまい、かつ茫漠としたものばかりだ。本との出会いはまさしく一期一会であったのか。
ところで、たぶん六十年振りに読んだ『トム・ソーヤーの冒険』はおもしろかった。読書の快楽が詰まっている。そして、気づかされた。トムとハックの冒険の書はさまざまに影を曳いていたのだった。
接吻という言葉が教室でひそかにはやったことがある。小学校四年生、つまり十歳のあたりだ。はやらせた張本人がわたしだった。接吻って、なあに、という謎かけ。その意味を知る男の子はいなかった。すかさず国語辞典を見せて、ひとしきりはしゃいだ。いま試みに広辞苑を覗いてみる、「(幕末に作られた語)相手の唇・頬・手などに唇をつけ、愛情・尊敬を表すこと。くちづけ、くちすい、キス」と見える。どんな説明が、子ども向けの国語辞典には書かれてあったのか。なにしろ、大人たちがキスをする姿など一度だって見たことはなかった。念のために書いておくが、わたしはまるでませた少年ではなかった。性に目覚めるすこしだけ手前にいた。いつ、どこで接吻なる言葉と出会ったのか、ずっとわからずにいた。
新潮文庫版の『トム・ソーヤーの冒険』には、こんな場面があった。
やがて少女は、すこしずつ抵抗をゆるめて手をおろした。いまのやりとりで上気した顔を、上を向けてきて、そのままじっとしていた。トムは、その赤い唇に接吻した。
少女が顔を近づけて、「わたしは――あなたを――愛しているわ!」と囁いて、逃げていった、すこしあとに続く場面である。十歳のわたしが読んだ、その場面にも、きっとこの接吻という言葉があったのだ、と思う。ベンチではなかった、教室の隅っこだった。ファースト・キスでもなかった。ともあれ、わたしは接吻という言葉を、ほんの偶然によって仕入れたのだった。そうして、その魅惑的な言葉につかの間夢中になったのである。
ヒロシくんと二人で、あやしい男を追いかけまわしたのも、このころのことだ。残念ながら、あやしい男には追跡を振り切られたが、幸運なことに百円玉を拾った。喜び勇んで、交番へ届けた。半年か一年しても、持ち主が現われなければもらえたはずだが、たぶんすぐに忘れた。
鬱蒼とした森ではなかったが、武蔵野の雑木林のなかは、トムやハックが遊んだ河口の島みたいなものだった。探検の舞台になった。カブトやクワガタの捕れる蜜の出る樹があり、スズメバチとの戦いがおこなわれた。大きな貝の化石を見つけた。ヒロシくんと相談して、半分に割って、それぞれに大事に持ち帰った。冬眠から覚めた大きなガマガエルを、十数人の子どもらで石打ちの刑にした。奥へ、奥へと分け入ってゆくあやしい人影を追跡すると、エロ本が草葉の蔭に棄てられてあった。校区のはずれにある浅間山には、何度も洞窟探検に出かけた。それがまさしく、『トム・ソーヤーの冒険』の後追いであったことに、いまごろになって気づいた。鍾乳洞の垂れ下がる、迷路のような洞窟ではなかったが、戦時中に掘られた防空壕のなかでは、たしかに文様のような小粒の貝の化石を見つけたのだった。
幼いわたしは、トムとハックを導きにして、ささやかな冒険の日々を送っていたのだ、と思う。断言してもいい、まわりの大人たちは誰ひとりとして、そんなことは知らなかったはずだ。
十歳の男の子は本を携えて、冒険の旅に出る。どこに向かうとも知らずに。
*本連載は、初回と最新2回分のみ閲覧できます。