自由と不自由のあいだ 拘束をめぐる身体論 / 逆卷しとね

自由、自立、自己決定。「個人」という言葉にはそんなイメージがつきまとう。だが、私たちはむしろ、様々な物事との関係に拘束されながら生きているのではないか? だとすれば、思い通りにならない〈生〉をデフォルトととらえることで、おもいがけない世界が見えてくるかもしれない。在野の研究者による、人間観と身体観を問い直す哲学的試み。  

わたしたちは散歩する

share!

BABU散歩

 「散歩いこ?」
 あれは確か3月末のこと、BABUがふと発した誘い文句に応じた僕は、うららかな春の日差しと若干の花粉の乱舞を浴びながら、散歩に出ることになった。目的はない。目的地もない。てきとーである。公園をまばらに囲む桜の下でしばし花見をしたり、近所のおいしいラーメン屋の話をしたりしながら歩いていく。
 「バス? 電車?」と不意にBABUは訊いてくる。「まあ電車かな」となんとなく答える。
 切符を買って最寄り駅の改札を抜け、階段を降りてホームに達すると、鹿児島本線の停車駅を一覧表示している、今や絶滅危惧種となった掲示板の前で、BABUは駅名をひとつひとつ指さしていく。
 「博多かな」
 17 : 00スタートの散歩は博多に向かうのか、という僕のささやかな危惧が伝わったのか、博多から折り返して駅の名前を再度読み上げたあと、BABUは「まあ小倉かな」と穏当な結論を出した。BABUは電子決済なので目的地がどこになろうと問題はない。けれども券売機にヤマカンでお金を投じて乗車券を購入するしもべはそうではない。今回はたまたま当たりだった。僕の財布には小倉行きの切符が入っていたから。
 もちろん、正解ではなかった。小倉駅のひとつ前の駅に電車が停車すると、おもむろにBABUは下車した。まあ一等賞ではないにしても、二等賞ぐらいは引き当てたのでよしとしよう。僕はただ後をついていく。
 駅を出て道路を直進、横断歩道を渡り、商業的に失敗した大型商業施設に入って、吹き抜けの天井のもとグラウンドレベルを走る通路をまっすぐ突っ切って外に出ると、ほどなく石垣が見えてくる。往時の姿を伝える史料もなく、残された石垣に想像上の本丸を追加した城の周囲には、たくさんの桜の木が植っている。花見用の動線沿いに仮設された屋台とそこに殺到する花見客は避ける。人のいない端っこのほう、ゴミ捨て場の脇で満開を謳歌している一本の桜をしばし眺める。
 「きれいだね」
 「きれいよね」
 しばらく観賞したあと、また歩き始める。遊歩道を直角に横切って、川のほとりに進み、河岸に沿って続くコンクリート製の堰に腰掛け、タバコを吸う。ふと橋を見上げる。
 「あれBABUかな?」
 BABUが沈黙を破る。
 「かもね」
 橋のボディに青いステッカーのようなものが貼られていて、その上に線が描いてあるのが微かに見える。度数の強烈なメガネをかけてもなお、僕は目がいいとは言い難いので、はっきりとはわからない。写真を撮って、スマホの画面上でピンチアウトしてみた。画素数が少ない安物のスマホではあるものの、BABU特有のラインが認められる。10数年前の、もしかしたら20年ぐらい前にBABUが描いたグラフィティだ。橋の欄干を跨ぎ越えて描いたのだろう。

とある橋の土手っ腹に描かれたライン

 益体なく紫煙を大気中に吐き切って、「行こ」とBABUが立ち上がる。イヌの話やらなんやらたわいのないことを話しながら橋を渡り、対岸にある川沿いの遊歩道を歩いていく。どこに行くのか僕は知らない。イヌの散歩というのはこんな感じなのだろうか。予め散歩コースが決められていないのなら、イヌのリードの緊張と弛緩から飼い主は行き先の候補を察知する。リードされる飼い主はイヌの動きに飼われている。僕はBABUのあとをついていく。

通行人のデッドスペース

 BABU散歩を経験するなかで湧き上がってきた疑問がある。「散歩する」という動詞はどういうふうに働いているのだろうか。
 知っている範囲のごく平凡なところでは、散歩は知識人の孤独な思索と結びついてきた。ミシェル・ド・モンテーニュが『エセー』のなかで語る、社交界から逃避する手段としての散歩、あるいはジャン・ジャック・ルソー『孤独な散歩者の夢想』の系譜に連なる、孤独を条件とした哲学的思索としての散歩は、その代表例だろう。アリストテレスの学が逍遙しょうよう学派として引き継がれ、哲学者・西田幾多郎の散歩コースが「哲学の道」として残っているように、散歩はそれ自体、思考のメタファーでもある。そんな散歩も、思考の伴侶というより、今では精神的・身体的健康を維持するための習慣のひとつとして自治体から推奨されるエクササイズになっている。都市圏の大きな公園にはランニングとウォーキングのコースが設置され、住宅街の歩道にはアスファルトとは異なる彩色でマーキングされた、やんごとなき散歩コースが整備されている。常識を外れる哲学者の思索という隠喩的余韻を失った散歩は、数あるエクササイズの常道のひとつとして市民権を得るに至った。「運動何かしてる?」「毎朝散歩してる」。
 散歩という行為に哲学的意味や意義を敢えて深読みし直すのもいくらかはおもしろいのかもしれないが、僕には、エクササイズの延長線上で散歩を再考した方が、BABU散歩の隣を歩くには適しているように思える。脳梗塞によってままならなくなった半身を引きずっていく、もう半身の体力づくりも兼ねたBABU散歩が運動であることに間違いはないし、何より思索ではない実践としての散歩は誰でもできるからだ。
 エクササイズのお供として、例えば、概念として抽象化された都市ではなく、歩行の実践のなかで展開する都市について論じた、文化批評家ミシェル・ド・セルトー『日常的実践のポイエティーク』はどうだろう。


 
 まず、見晴らし見通す目によって設計され建設される都市は、「実践を忘れ無視してはじめてできあがる一幅の絵」としてある。1歩行の場となる都市は、最初に概念としてつくられるということだ。都市計画を立案し都市にイメージを付与するデザイナーや建築家のみならず、僕も博多区天神をデパートが立ち並ぶ買い物の街としてイメージするし、東京の新橋にはビジネスパーソンが闊歩するオフィス街のイメージを漠然と抱いている。そのようにある都市は、他の都市とは明確に異なる名前を持つ、ひとつのまとまった全体として想像される。ただし、どれだけ都市の概念が根強いものであろうとも、「実際の都市生活は、都市計画的企図が排除してきたものをしだいに再浮上させてきている」。2ド・セルトーは、都市の概念とは別に、歩行の実践が浮かび上がらせる都市の姿について論じている。

人びとの足どりは、どんなに一望監視的に組織された空間だろうと、その空間に細工をくわえ、その空間を相手に戯れている。その身ぶりは、そうして組織化された空間に縁遠いエトランジェものでもないし(どこかよそを通ってゆくのではないから)、といってそこに順応する身ぶりでもない(その空間によってアイデンティティをあたえられるのではないから)。歩行の身ぶりはその空間に、なにかの影と両義性をうみだしてゆく。自分だけのいろいろな参照や引用をそこにさしはさむのだ(社会的モデル、文化的慣用、個人的係数、など)。その足どりは、それじたい、次々とふりかかってくる出会いやチャンスのうみだす結果なのであり、そうした出会いやチャンスはたえず歩きかたに変化をあたえ、その足どりを他者の刻銘に変えてしまう。いいかえればその足どりは、歩いてゆく道筋に不意に立ちはだかったり、横切ったり、ついつい足を向けさせたりするものを伝えあらわしているのである。こうしたさまざまな様相があいまって、ひとつのレトリックを創出する。いや、そのレトリックを規定しさえするのである。3


 歩行は、計画された都市空間の外部で行われているわけでもなければ、計画に逐一従って行われているわけでもない。歩行する人々は、都市のネットワークのなかにいながら、偶然の「出会いやチャンス」によって、都市計画の企図に収まることのないウェブを形成していく。そうして「組織化された空間」にはもともと意図されていなかった「影と両義性」が歩行によって重ね書きされる。ここでの歩行は、文法や辞書に載っている単語の定義といった言語規範ラングの対蹠にある、発話行為パロールに喩えられる。正しいとされる文法や統語法、定義がすでにあっても、発話に際しては未来形を過去形のように使うことも、猫を「ポチ」と名づけることも、ジェンダー化された三人称「彼/彼女」の代わりに「きゃつ」を使うこともできる。歩行は、レトリック(修辞)を創出し規定する発話行為に似ている。このように、都市の概念とは別の位相で実践されている足跡の積み重ねは、それ独自のレトリカルな街を形成する。
 設計者の理念を体現した静的な都市と歩行が実践する動的な都市という、ド・セルトーによる都市の二重性の考察は、「場所」と「空間」の対比へと引き継がれる。場所は、ふたつのものが同じ位置で重なることなく、整然と隣接しあう地理的関係を示す。それぞれの区画は道路の幅や塀によって区切られ、餅屋は餅屋の、磯野家は磯野家の、それぞれ固有の意味を帯びている。換言するなら、地図に載っているのが場所である。これに対し、空間は常に時間の経過とともに変動する。地図のなかで定位置を占めている遊園地とは違って、歩行をする前に空間は存在しない。空間は「それを方向づけ、情況づけ、時間化する操作がうみだすもの」だからだ。4
 地図に載っている場所を実際に歩くとき、方向や情況、時間化する操作を伴う「順路」が生まれる。Googleマップを引き合いに出してもいいかもしれない。目的地を入力すると、場所と場所のあいだを結ぶいくつかの経路が提案される。出発地から目的地に方向づけられた経路には、所要時間がつく。だからこの経路を即座に順路としてしまいたい誘惑に駆られるかもしれない。ただし順路を形成する要素のひとつである「情況」はアプリ上には存在しない。すれ違う他の歩行者たちの混雑や突発的に生じた交通事故といった、刻々と変化する情況は、歩行をアプリの提案とは異なる道へと方向づけることになるだろうし、所要時間も延びるかもしれない。急いでいるか、時間に余裕があるか、という歩行者が歩行する前から絡めとられている情況もあるだろう。あるいは、美味しそうなスイーツがつい目に入ってしまい、途中で店に立ち寄ることもあるかもしれない。そのときは、アプリが示す所要時間では測れない、時間の質の差異を経験することにもなるだろう。順路はGoogleマップが提案する経路ではない。歩行者自身が、アプリ推奨の経路を参照しつつも、実際の情況に応じて順路をつくり上げる。5


 
 以上の考察を真に受けると、地図は歩行の帰趨を決定する因子にはならないのだから、「他者の刻銘」を街路に残し、自分なりの順路をつくる実践には創造的な力がある、ということになるのかもしれない。けれども、高度消費社会の到来したパリを無目的に彷徨いながら、事物を商品とは異なるものとして幻視し、それらに陶酔する技術を備えているとされる、ヴァルター・ベンヤミンの遊歩者フラヌールと同様、ド・セルトーの歩行者も21世紀の実践として援用するにはやや心許ない。6 果たして現代の都市において歩行をするだけで、なにかが生成していると言えるだろうか。というのも、かつては「出会いとチャンス」が入り乱れ「影と両義性」を轍として残していった歩行の実践は、歩行を滞りなく行わせることに躍起になっている現在の都市のなかでは、交通や商売を妨げないなめらかな移動へと単線化され、規格化されているようにも見えるからだ。7
 例えば、社会学者リチャード・セネットは、個人単位の関係を基礎とする親密な空間が台頭する時代に際し、非個人的な関係の展開する公共領域が縮減していくことへの危機感を表明した、『公共人の堕落(The Fall of Public Man)』(原著初版1977年)において、広場の役割が集まる場から通過する経路になるという変容を、第二次大戦後ニューヨークのパーク・アヴェニューに建てられたリーバハウスに読みとる。

リーバハウスの一階は露天の広場になっている。その中庭の北側にはそびえたつタワーが面しており、グラウンドレベルの一階層上にある低層の構造体が残りの三方を囲んでいる。ところが、ストリート側からやってくる人はこの蹄鉄型をした低層構造の真下をくぐって中庭へと一目散に突っ切っていく。つまり、構造体のストリートレベル自体は、デッドスペースなのだ。一階には動きの多様性は一切ない。つまり一階は、建物内に入る通行手段のひとつに過ぎない。この国際様式派タイプの超高層ビルの形式は、その機能と対立している。というのも、新たに命を吹き込まれた小型の公共広場が建築形式上は前面に出ているというのに、その機能は人々と多様な動きを混ぜあわせる、公共広場の性質を壊しているからだ。8

Beyond My Ken, “Lever House 390 Park Avenue.jpg,” CC BY-SA 4.0. https://en.wikipedia.org/wiki/File:Lever_House_390_Park_Avenue.jpg

 伝統的に公共広場には、さまざまなところから人々がやってきてそこで戯れ、あるいは休息し、また三々五々去っていく「動きの多様性」が期待されていた。しかしリーバハウスの機能はその理念を裏切っている。広場を含む二階建ての構造体のグラウンドレベルが、ただの通路としてしか機能しないようになっているからだ。バドミントンに興じる、口角泡を飛ばして演説に臨む、ゴザを広げて寝っ転がる、ベンチで読書に耽る、茂みに隠れる、サンドイッチを頬張るなどの動詞が戯れる余地はない。露天の広場を含むリーバハウスの一階に入ってくる人々は一様に通過するだけだ。
 セネットの指摘は、内部が公に晒されているように演出する、全面ガラス張りの「透過性の壁」の存在にも及ぶ。9 この壁は、ストリートレベルで生じる動きの戯れを排除し、その機能を通路に一元化することによって、建物をある種の非公共的な空間として孤立させる。つまりそれは、誰もが通行することができるという意味で私的な空間ではないのだが、通行することしか許されていないという意味では非公共的な空間だということだ。このように「通行する」という動詞に一元化された公共空間を、セネットは「デッドスペース」と呼ぶ。リーバハウスだけではない。ロンドンのブルンズウィック・センターやパリのラ・デファンス地区でもデッドスペースは顕在化している。例えば、ラ・デファンスの地上部分は、ビジネス街の高層ビルという「垂直的な全体のために交通の流れを支援する集合体」としてあり、「公共空間は移動の派生物になっている」。10 通路を進む人々の群れによって重ね書きされるデッドスペースに「出会いやチャンス」が入り込む余地はないだろう。


 「個人の無制限な移動を絶対的な権利として捉える」時代には、ド・セルトーのように歩行実践に創造的な力を見出すのは困難になる。11 互いに隣接している場所が流動的な空間として実践されている、というド・セルトーの語彙で敢えてこの事態を理解しようとするなら、そこで生じているのはもはや空間ではない。それは、移動できる個人の権利の再生産であり、無辜の足跡で幾重にも踏み固められた死んだ空間デッド・スペースである。移動の自由を体現する車や地下鉄、バス、そして歩道を利用する通行者は、信号や一方通行、渋滞、行列を障害と感じ、イライラしたり怒ったりしやすくなる。移動は個人の絶対的な権利だという共通認識が確立すると、都市をスムーズに移動できないことへの不満は募り、制約をできるだけ排除し潤滑な移動をしたいという欲望がますます喚起されるからだ。移動が《個人》の権利となる時代には、個人の歩行を滞りなく流してくれる「都市の概念」と歩行の実践が一致することを、誰もがどの都市にも期待するようになる。12
 デッドスペースの再生産は、個人の移動の自由の保障だけではなく、現在の日本では悪所浄化ジェントリフィケーションを、より正確にいうならば、悪所発生に備えた予防措置の浸透に拍車をかける。
 悪所とは、広義には風紀や秩序を紊乱びんらんする恐れのある地域を指す。狭義には、身分の階層を定めた律令制において最底辺に属する、遊女や芸者、役者、傾奇者たち漂白の民に割り当てられた、近世都市圏のなかに位置する官許のある遊郭と歌舞伎の小屋を「悪所」と呼ぶ。この悪所を核として、1910年代頃から、居酒屋やスナックなどが隣接する「盛り場」が全国に形成されていく。13
 このように元来悪所は、住宅街やビジネス街、文教地区から区別された歓楽街を指すゾーニングの用語であり、ド・セルトーの語彙を借りるなら場所や地図の系に連なる用語だ。しかし、ミシェル・フーコーやアントニオ・ネグリ&マイケル・ハートが指摘したように、事案発生後に対処する「防衛」ではなく、積極的に事案の発生を予防する「セキュリティ」のほうへと統治のテクノロジーが向かっている時代背景を考慮するなら、地図上ですでにゾーニングされている場所ではなく、商業や通行を妨げる「たむろする」、「たまる」、「いたずらする」といった動詞群が潜在的に居着く可能性のある空間を悪所として考えた方がよいだろう。14
 潜在的悪所には監視員や監視カメラ、注意書き、物理的な障害物が配置されている。前回論じたように、公園の球技禁止や河岸沿いの遊歩道でのスケボー禁止、長時間休むことのできないベンチ、立ち止まることを禁止する混雑時の人流誘導、動線を最優先にするためにソファも椅子もなく地べたに座ることさえ許されない美術館が街には溢れている。


 
 概して文化批評は、世界中の道を移動して様々な芸能をつくってきた漂白の民やユダヤ系・アフリカ系・ロマの民らディアスポラ、さまざまな移民・難民・亡命者の艱難辛苦に学びつつ、定住文化との軋轢の渦中にある「移動する」という動詞に対抗文化の形成を仮託してきた過去がある。その伝でいくと、ド・セルトーの順路生成の実践があたかも無条件に抵抗の尖兵となってくれるかのように錯覚してしまうかもしれない。ストリート文化の身軽さに、新たな対抗文化としての可能性を期待する傾向もある。しかし、ただ移動をロマン化するだけならば、公共性の後退を批判するセネットがその余白で指摘していた、戯れの余地を排する移動の滑らかさをより高度に実現する方向に進みかねない。 移動することそれ自体に実践(動詞)の多様化と多重化を呼び込む資質はない。問われるべきは移動に伴う動詞の質なのではないだろうか。
 歩行が通過行為へと幅員縮小させられている通路をただ歩いているだけでは、歩行者という交通法上のアイデンティティを裏書きするだけになる。散歩者や歩行者という現代都市のアイデンティティには収斂しない歩行や散歩は、澱みない通行のプロセスに継ぎ接ぎやデコボコを挟む。歩きながら時に立ち止まって、視線の角度を変え、あるいは居座って、通り道で遊び始める。

BABU散歩、再び

 「ほら、もったいない。まだ使えるよ」
 川沿いのゴミ捨て場にかけられた青色のカラス除けネットの下に、一脚の椅子が見える。背もたれと座席を繋ぐネジが外れてどこかに行ってしまったのだろう。
 壊れたものを自力で直すという発想がなければ、修理にかかる経費と代わりの椅子を購う代金とを天秤にかける。安物はたいてい修理した方が高くつくので、いったん壊れてしまえばゴミとして捨てられる。また買えばいい。人間としてのステージが高い、根気と技術があるDIYの徒なら、部品を手に入れて修理し、椅子として再利用するかもしれない。あるいは僕のように、気にせず壊れたまま使う人もいるかもしれない。ここまでがおそらく環境負荷やSDGsという語彙に馴染んだ庶民の「MOTTAINAI」感覚、あるいはただの怠惰に発する発想だろう。
 ただしここでBABUが言う「使える」は巷間に流布する国際感覚や怠惰とは全然違う。その「使える」は捨てられたモノを既存の循環経路に戻すリユース(reuse)やリサイクル(recycle)とは何の関係もない。前回論じたように、BABUがまだ「使える」と言うからには、椅子の構造を反転工学的に「ブンカイ」した上でまったく別の使用目的を賦与する(repurposing)余地がまだいくらか残っている、という含みがある。

運河にかかる橋に刻まれたBABU初期のタギング

 BABUはゼロから何かを創造したり、現代美術や批評で流行りの文脈に作品をかしづかせたりすることに関心はない。かといって、人々が無視する「打ち捨てられたゴミ」を素直に修理して再利用するわけでもない。BABUは、ゴミの形状や機能に反転工学的な捻りを加える。僕はその一連の工程を制作やリサイクルではなく「遊び」と呼んだ。もちろん、自他共に認める「オタク」であるBABUは、ストリート文化はおろか現代美術の動向をほとんど網羅的に把握しているので、その遊びは他人の手法のモノマネではない。目の前にある素材と身体を使って遊んでいるうちに、他の誰もやったことのない遊びの余地が発想として生まれる。「遊ぶ」のなかで、考えることと身体を使うことは同期している。それだけのことだ。


 遊びの技術を備えた者は、そうではない者と散歩の仕方がまるで違ってくるように僕は感じる。見えるもの、惹きつけられるものが違う。行動が違う。ビルの隙間、配電盤、放置された電飾、グラフィティ、ステッカー、生活排水が垂れ流されている河、路上生活者の家、橋台の根元の壁龕へきがん、プリクラ。これらを見るには、立ち止まったり、腰を曲げて屈んだり、柵を越えて手を伸ばしたり、地べたに座り込んだりしなければならない。体の向きや角度が変われば、見るもの、見えるものが変わる。その時、街の機序は少しずつブンカイされ、「見たい」と欲望が生じ、街の使用目的は少しずつ別のものへとずれているような感覚を受ける。思考と身体の動きが同期して、好奇心と鼓動の違いがわからなくなるとき、散歩は変わる。
 散歩の時に目に留まる景色は街の構造の制約を受けている。道の開け方に従って、通行人の目がもっとも快適に泳ぐ位置に店の看板は設置されている。信号の高さに視線は向かう。通行人は、往来の方向に応じて自然と左右に分かれる。行き先ができるだけ明瞭になるように、そして商売が効率的に行われるように、街は整備されている。商品のディスプレイや歩きやすさは、街の利益になるものを見せるために設えられている。動線から外れたところにあるのは、ゴミや主を失った部品、それから喫煙や立ち小便、ゴミの不法投棄といった厄介な行為を禁止する張り紙や看板だ。例外を事後的に取り締まる監視カメラの睨みも、同じく人目につきにくい場所で利いている。しかし、誰もが自分の見たいものだけを見ているようでいて、その実「見たい」という欲望自体は飼い慣らされ、手頃な強度に切り詰められている。通過の障害となるようなものによって妨げられないように、気を配る。通行しているとき、「見る」という動詞は、自由に移動する権利を持つ個人の通行を阻害する可能性のあるものを行く手から除外するため、主語に奉仕する。
 BABU散歩は、僕がひとりで歩いているときには気にも留めないはずの場所の前で立ち止まる。僕の目路に、打ち捨てられたモノと世間に一顧だにされない時空が現れる。通過を促す街に意図のない障害物はひとつもないが、僕が「見たい」と思って「見る」とき僕は障害として現れる。
 BABUが指差す先から、「見たい」という欲望に駆られた僕は、BABUの視線をなぞる。川の対岸の岸壁に背をもたれた、白いTシャツを着た誰かが見える。それを見ながら佇む僕の後ろには何もない。(見えるものと見えないものではなく)見たいものと自分の背後を分かつしきいがここに生まれる。「見たい」という欲望に拘束されたしもべの身体を僕はやり過ごすことができない。僕の視線の先を追って通行人のひとりが向こう岸を眺める。そして僕から少し離れたところに立つ。布石のように。他の通行人たちは、僕たちなどいないかのように通り過ぎていく。僕のままならない身体は通行人とは異なる新たな目的を得るリパーパスド


 BABU散歩は終わらない。ある時は、ダラダラと続く坂を登ってBABUの先祖が眠っている墓に参り、弁当を買って、水草が生い茂る川のほとりで食べる。またある時は、その昔BABUが街の片隅に描いたグラフィティを遠くから眺めたり、暴力団員が住んでいる家を一軒ずつ指差して回ったりする。先日は、僕には行先の見当が全然つかないバスに乗り込み、BABUに先導されるまま下車して、そこから少し歩いた先にある中古の二階建て住宅に上がり、拭き掃除をした。およそ半日かけて床や壁、窓ガラスにまとわりついた積年の埃とダンゴムシやムカデの死骸を拭いとった。なぜだかわからないが手伝った。次の日、名前のよくわからない筋肉があちこち痛んだ。そうして僕らの散歩は続いている。

BABU「TRASH IMPROV」展@Foam Contemporary(撮影: 円香)

 4月には、銀座シックスFoam Contemporaryで開催されたBABUの個展「TRASH IMPROV」にまで散歩に出かけた。16 プレイヤーの針の機構をブンカイして、レコードをかけても曲が進行せずずっと同じところでループし続けるように改造された、廃棄物製DJマシーン、学生が廃棄した絵に絵心を加えた作品、遊び方不明のスケボー、ラインが曲折するドローイング。散歩のついでに僕も、ラインのドローイングを一点買った。展示されていた作品は完売したらしい。めでたい。
 散歩とドローイングは似ている。東京の公園のテント村に居住しつつ作品を制作しているアーティストのいちむらみさこは、野宿旅行を重ねた経験からそう語っている。

街を歩くって、ドローイングみたいなところがあって。移動するごとにいろいろなところが見えてきて、絵を描く感じに似てるんですよ。ヨーゼフ・ボイスが「社会彫刻」と言ってましたが、街全体が大きな絵画というか。どういう風に眺めて、何を発見するか、自分で選べるじゃないですか。17

 ヨーゼフ・ボイスに興味はないし、僕の場合はちっとも「自分で選べる」わけではないのだが、ここには動詞の戯れを考えるヒントがあるように思う。僕は散歩に意味があるとは思わないし、それを言語で表象できるとはちっとも思わない。ドローイングも同じように言語では表象できない。ドローイングの描き手は、身体が走らせた線から「見たい」欲望を発見して、また身体でそれを追いかける。それの繰り返しだ。BABU散歩のように、ドローイングする身体も手グセの運指にヒューリスティックな思考を乗せて、次の課題を追う。いつまでも。塗り絵を要求する主語や主体の輪郭はなく、動詞が夕方の雲霞うんかのように身体を揺らす。絵具を持たない僕も、ドローイングの隣にちょこんと座り、動詞の雲霞にいつまでもたかられる。

 

 

*本連載は、初回と最新2回分のみ閲覧できます。

  1. ミシェル・ド・セルトー『日常的実践のポイエティーク』(山田登世子訳、筑摩書房、2021年)235頁。
  2. ド・セルトー 240頁。
  3. ド・セルトー 252-53頁。
  4. ド・セルトー 284頁。ド・セルトーの歩行論を、都市計画(者)に対する意識的かつ意図的な抵抗の実践として短絡する傾向はある。しかし夢や物語の次元についても書かれているように、歩行には無意識的な側面もあるし、歩行には偶然の「出会いとチャンス」がつきものだ。抵抗への意志を固めた歩行には、実践の揺らぎは訪れないだろう。僕はド・セルトーの論における歩行に、権力への抵抗というありふれた物語を読むことはできない。
  5. ド・セルトー 287-94頁を参照。
  6. ベンヤミンの遊歩者に関する概説として、小田直史「ボードレールと「モード」:ベンヤミンによる批判を手がかりにして」(『文明構造論』vol. 5 2009: 29-52頁)を参照。近森高明『ベンヤミンの迷宮都市 都市のモダニティと陶酔経験』(世界思想社、2007年)は、群衆から距離をとって街を観察する認識論的な「主体」としての遊歩者に、群衆のなかに没入し都市の迷宮的次元を夢見る存在論的な「陶酔者」としての遊歩者をつけ加える。近森が提示する遊歩者は観察と陶酔の間で揺れるが、いずれも近代や資本主義に一定の抵抗をなす。近森は、ド・セルトーの歩行者にも意識的な主体としての側面だけではなく、夢のなかに入り込む無意識的な側面もあると指摘している。しかし、能動/受動や認識/存在、従属/抵抗のいかんにかかわらず、歩行というアクションが通過や通行に還元される時代には、彼らが提示する歩行実践では都市にいかなる摩擦も生じない。
  7. 歩行の実践以前に、歩くことができないケースもある。「わたしが妊娠した身体で都市を歩いたとき、ふだんのようには賭けに出られない自分に気付かされた。都市計画というシステムの用意した歩きやすい道をただ愚直に進むわたしの歩行は、ありきたりの散文のようで、象徴に彩られたレトリックを創出することはない。システムの隙をつくことなど不可能で、よくてシステムに則った状態、悪い場合にはシステムに拒絶されただただ行き場を失ったわたしに、セルトーの言うような、秩序の裏をかく戦術を繰り出すことはできなかった」。青田麻未「ミシェル・ド・セルトー『日常的実践のポイエティーク』」(『ART RESERCH ONLINE JOURNAL』8、2021年5月、https://www.artresearchonline.com/issue-8a)を参照。
  8. Richard Sennett, Chapter 1: The Public Domain, Section “Dead Public Space,” The Fall of Public Man, Penguin, 2017, kindleより拙訳。リチャード・セネット『公共性の喪失』(北川克彦+高階悟訳、晶文社、1995年)28頁を参照した。以下、引用は邦訳の頁数のみ示すが、訳文はすべて原書からの拙訳である。
  9. セネット 29頁。
  10. セネット 30頁。
  11. セネット 31頁。
  12. セネット 31頁を参照。
  13. 沖浦和光『「悪所」の民俗誌 色町・芝居町のトポロジー』(文藝春秋、2006年)を参照。
  14. 以上の議論は、ローレンス・レッシグ『CODE インターネットの合法・違法・プライバシー』(山形浩生+柏木亮二訳、翔泳社、2001年)や『ゲンロン』の前身にあたる『思想地図』によって広く共有されるようになった、オンライン・オフライン問わず使用者の行動を誘導し管理する「アーキテクチャ」という統治に関する問題系とも重複する。あるいはより肯定的な意味で使われている、消費者のよりよい行動を促す行動経済学のナッジ理論とも繋がりはあるかもしれない。しかし本連載での関心は、ミシェル・フーコー以後に進展する管理・統治の権力の働き方を示したり、既定路線となっている正しい理念に既存の社会を誘導したりする、主体や個人、コミュニティの理論を上書きすることにはない。むしろ僕の関心は、主体=主語に囚われた理論が等閑にしてきた、数多の動詞が創発に向かう実践の片棒を担ぐことにある。
  15. 移動のロマン化については、カレン・カプラン『移動の時代 旅からディアスポラへ』(村山淳彦訳、未来社、2003年)を参照。
  16. 「【銀座 蔦屋書店】北九州を拠点にストリートカルチャーを独自のスタイルで表現。現代美術家BABUによる個展「TRASH IMPROV」を4月8日(土)より開催」(『PRTIMES』、2023年4月3日、https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000531.000058854.html)。
  17. いちむらみさこ「管理のスキマを表現の場にする」(高橋瑞木・フィルムアート社編『じぶんを切りひらくアート 違和感がかたちになるとき』、フィルムアート社、2010年、7-35頁)17頁。