自由と不自由のあいだ 拘束をめぐる身体論 / 逆卷しとね

自由、自立、自己決定。「個人」という言葉にはそんなイメージがつきまとう。だが、私たちはむしろ、様々な物事との関係に拘束されながら生きているのではないか? だとすれば、思い通りにならない〈生〉をデフォルトととらえることで、おもいがけない世界が見えてくるかもしれない。在野の研究者による、人間観と身体観を問い直す哲学的試み。  

わたしたちを食べる(2)

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バイオホラー『マタンゴ』

 飢餓をめぐるバイオホラーがある。東宝変身人間シリーズの番外編として制作された本多猪四郎監督の映画『マタンゴ』(1963年)である。1 都会の喧騒を離れヨットでクルージングに出かけた男女7人が、嵐の襲来に遭い難破・漂流する羽目になり、たまさか漂着した赤道近傍に位置すると思しき南洋の無人島を舞台にサバイバル生活を試みる、というのがその基本的な設定だ。食糧の確保に苦心する彼らは、仲間割れを始め、互いに傷つけあう。やがて、みなのあいだで食べることを禁じていたマタンゴと呼ばれる謎の菌類に手を出す者まで現れる。ひとたび子実体を口にすると食べるのをやめることができず、そのうちキノコの鱗片に全身を覆われ、人間的知性を喪失し、マタンゴの生活環に組みこまれていく。孤島の生態系に身をゆだね人間ならざる存在として生きのびることを拒否するのであれば、人間の世界に向けて命がけの脱出を試みるしかない。しかし奇跡的に救出されて唯一東京に戻ることができた青年さえ無事ではない。精神病院の隔離病棟のなかに囚われの身となった青年が、鱗片状の腫瘍に覆われた顔貌を曝し映画は終幕を迎える。

 『マタンゴ』の物語を駆動させるのは、「食べられるもの」を発見する能力である。食糧になりうるものを発見し確保する能力のないクルーは、都会でどれだけ地位があろうと、どれほど有能であろうと、絶海の孤島では無能呼ばわりされる。飲み水、難破船のなかに残っていた缶詰、ウミガメの卵、海藻、タロイモのような根菜を遭難者たちは必死にかき集めてくる。当初こそ人間らしい助けあいをしていたものの、やがて食糧を盗む者、自分の分の食糧をこっそり備蓄する者、挙句の果てには人知れず手に入れた食糧を他に売り現金に換える者まで現れる。その他にも半壊したヨットで脱出を図って遭難する者、性的欲求に駆られて女性メンバーに手を出す者、取っ組みあいの最中射殺される者などが続出し、さまざまな混乱が生じる。それらの騒動は最終的にはマタンゴを食べるか否かという理性と欲求の角逐、そしてマタンゴを食べるよう勧められてもそれを拒否する者とすわ救済とばかりにこれを嬉々として受け入れる者との悶着へと糾合する。

『マタンゴ』ポスター(東宝)

 飢餓をめぐる本作の検討に入る前に、食べられるものがほとんど自生していない無人島における、飢える者たちの紛争に関するフィクションにまずは《個人》のホラーとしてのリアルな切迫性を籠めるべく、日本と南洋の歴史、それから飢餓と原水爆実験に関する南洋史と南洋表象について、補助線を引いておく。

南洋と野蛮の表象

 南洋が日本の近代化と骨絡みになった地域であることはよく知られている。明治期以降、東南アジア地域には、「娘子軍じょうしぐん」と呼ばれる私娼を囲う娼楼、そしてそれに寄生するかたちで「呉服屋、日常雑貨商、旅館業、医者、そして写真屋、洗濯屋、鼈甲べっこう細工店など」が進出していった。2 並行して日本本土では、満州・中国・ロシアへの進出を企図する北進論に対して、志賀重昂や竹越與三郎を嚆矢とする、東南アジア方面への進出を奨励する南進論が登場する。欧米列強ではなく、日本こそが南洋の開発を任ずるに適役であるとする南進論は、「海軍増強、造船力強化、航路延長、貿易振興、移住の自由などの政策提言」を伴いつつ、南方への関与による日本国内の社会的・経済的問題の解決を楽天的に謳う。3 当初は、軍事的意味あいは薄く、商業的・経済的な活動に重心があった南進論は、大正初期の一大ブームを経て廃れる。しかし軍事的緊張が高まるにつれ、南洋の支配を正当化する言説として南進論は装いも新たに再登場する。軍事的南進論の礎となったのは、第一次大戦開戦後の1914年10月にドイツ海軍を相手にほぼ無血にて攻略し占領したのち、1919年6月ヴェルサイユ講和条約によって国際連盟から指名を受けて委任統治することになった「南洋諸島」(現在の北マリアナ諸島・パラオ・マーシャル諸島・ミクロネシア連邦)だった。1921年7月には軍政から民政に移行し、1922年4月1日、南洋庁が発足する。4 実質的には植民地と化したかの島嶼は、1933年3月大日本帝国の国際連盟脱退後には軍事的要衝としての性格を強めることになった。さらに1940年9月第二次近衛内閣の四相会議で決定した「日独伊枢軸強化ニ関スル件」において、南洋は大東亜共栄圏構想に組みこまれる。5 1941年12月8日の真珠湾攻撃をもって火ぶたを切った太平洋戦争開戦以降、ミッドウェー海戦を始めとする南洋での海戦・陸戦の数々が日本の敗戦を決定づけたその顛末については常識の範疇であり、贅言は控える。6

1921年当時の委任統治の境界線『ナショナルジオグラフィック』1921年12月号より

 戦前・戦中の人口に膾炙していた南洋イメージは、植民地化の言説そのものだった。たとえば文芸評論家・川村湊は、1933年から39年まで連載された島田啓三のマンガ『冒険ダン吉』に日本の植民地言説の典型を見出している。

 外部としての<野蛮人>を発見することにより、内部の<文明>が見出される。つまり、日本という国家は、南洋群島という“野蛮”な植民地を獲得することによって(自らの版図の中に“未開”な蛮人、蛮島を抱え込むことによって)、初めて自分が<文明国家>であり、一等国であることを自覚するようになったといってよいのである。7

 南洋の人々を未開人・野蛮人・「土人」として表象することを通じて、日本にはない自然美や豊饒さにいくぶん憧憬や好奇心を覚えつつも、これを馴致・教化する文明国としての役割を自任する。このような他者を介した自己確認アイデンティフィケーションの表象のメカニズムは、欧米列強が初期近代以降「新世界」に対して繰り広げた侵略と支配の構造をなぞったものに過ぎない。典型と言っていい。


 だが、野蛮は支配するためだけに存在しているわけではない。日本の特撮映画界にも大きな影響を与えた『キングコング』(1933年)に登場する南洋の髑髏どくろ島(Skull Island)は、スペクタクル化された野蛮表象の最たるものだろう。8 未開の民族が巨大なコングを神として崇めるこの島には、恐竜を始めとするすでに絶滅したはずの生物たちが棲息している。そこはまさに文明から隔絶した「土人」の世界である。しかし見世物の目玉とする目的で興行師たちがコングをニューヨークに連れ帰るこの映画において、「土人」の世界は必ずしも文明による征服の対象になるわけではない。アメリカ文学/文化研究者・宮本陽一郎が指摘しているように、『キングコング』が体現する美学においては、野蛮なプレモダンは洗練されたモダンによって体内化される。

 プリミティヴィズムの美学は、植民地世界を文明の彼岸として排除するのではなく、メトロポリスの文化の一部として飲み込んでいく。この美学的なコードが、白い巨塔エンパイア・ステート・ビルを屹立させた「帝国」と、暗黒世界からやってきた黒い巨獣の咆哮とのあいだに、ありえない一体感を生みだす。9

 成熟した文明は野蛮征服のレトリックを全面に押し出すことはしない。むしろ成熟してしまったがゆえに行き詰まり黄昏に染まった文明は、野蛮なものをとり込むことによって新たな夜明けを夢に見る。たとえば、失われつつある白人文明の純粋な道徳がアフリカの自然のなかに残っていることを示すカール・エイクリーの彫刻。あるいは、暗黒大陸の白亜の頂に失われた純潔性を幻視するアーネスト・ヘミングウェイの「キリマンジャロの雪」。果ては、オーソン・ウェルズがハイチのヴードゥー文化を奪用しつつ演出した白人プリミティヴィズムのなかに、観客であるハーレムのモダンなアフリカ系アメリカ人たちが失われた民族意識を見つけてしまう『ヴードゥー・マクベス』の上演とその顛末。10 欧米モダニズムの中核を担ったプリミティヴィズムの美学とは、文明の理想を野蛮のなかから摘出し、文明と接続することによって文明の飽和を克服しようとする、表象を通じた美学的賦活の枠組みであると言えるだろうか。

 日本も例外ではない。敗戦後物資に不自由しながらも朝鮮戦争の特需で好景気に沸きたち、再び文明国の矜持に目覚めた戦後日本において、戦後の南洋イメージを決定的なものにした『モスラ』(1961年)もまた、『キングコング』と同様の機能を果たしたと言うこともできるかもしれない。ニューアークシティを蹂躙するモスラの役回りは、エンパイア・ステート・ビルディングによじ登るキングコングによく似ているし、モスラに巫女として仕えている常識では考えられないほど小さな小美人と彼らが所属する部族は、同じく南洋に位置する髑髏島でキングコングを崇拝する「未開の原住民」を想起させるだろう。文芸評論家・小野俊太郎によれば、監督の本多猪四郎は『モスラ』制作の際に『キングコング』を意識はしなかった、と述べている。11 しかし、『キングコング』を綿密に研究した経験のある本多の経歴を思えば、日本近代の南方への特殊な関心に貫かれていた作品であるとはいえ『モスラ』の制作に先行作品がまったく影響しなかったとは考え難い。現に小野が、南洋諸島と日本列島に向ける日本人の島国意識は「『南洋』への共感と、戦争や支配の歴史を免罪する意識を生む要因」になっているのではないかと推測するように、『モスラ』の「土人」は、敗戦国であり60年新安保体制下で米国の属国としての地歩を固めた日本の表象と地続きになるよう配されている。12 米国による政治的・文化的統治下に置かれた戦後日本の南洋を舞台にした映画産業に、文明と野蛮を一体化させるプリミティヴィズムの美学の表象が浸透していた、ということになるだろうか。

飢えと戦争の表象

 飢餓のバイオホラー『マタンゴ』(1963年)は、日本における南洋表象を確立させた特撮怪獣映画『モスラ』(1961年)の影響下にある。端的に言えば、カロリン群島での台風発生、第二玄洋丸の難破、インファント島への上陸という『モスラ』劈頭の一連の流れは、嵐によって難破したあほうどり号の無人島への逢着を物語る『マタンゴ』の冒頭シーンと酷似している。これに両方の特撮映画で監督の本多猪四郎と特技監督の円谷英二がコンビを組んでいるという事実をつけ足せば、南洋をめぐる薫陶の系譜の信ぴょう性はいや増すだろうか。13 だが、怪獣に文明が襲われる『キングコング』の系譜を『モスラ』が継いでいるのに対し、『マタンゴ』の焦点は食べられるものをめぐる人間どうしの諍いにある。というのも、『キングコング』から『モスラ』が引き継いだプリミティヴィズムの美学には還元できない、第二次大戦の記憶を『マタンゴ』は主題化するからだ。

 『マタンゴ』の制作の中心にいた中国に従軍経験のある本多猪四郎、そして戦中に日独合作映画『新しき土』(1937年)を始めとする国威発揚映画を撮影し1948年には公職追放の憂き目に遭った円谷英二の両人は、戦後も戦争の残影を引きずるキャリアを送った。ふたりが共有していたのは次節で論じる核兵器の問題にはとどまらない。ふたりが初めてコンビを組んだ作品が連合艦隊司令長官・山本五十六の半生を描いた『太平洋の鷲』(1953年)だったというのは象徴的な逸話だろうか。言うまでもなく真珠湾攻撃から海軍甲事件に至るまでの山本の戦跡は、ことごとく南洋をたどる。このコンビは、日本軍の南洋戦線における拠点であったパプアニューギニア東ニューブリテンの州都ラバウルの陥落を主題にした『さらばラバウル』(54年)まで制作している。両者共に、南洋と戦争にゆかりの深い映画人だったと言えよう。


 戦時下の南洋は、「餓島」というガダルカナル島の異名に刻印されているように、壮絶な飢餓体験の場でもあった。14 日本近代史研究者・藤原彰は、先の大戦における日本軍の死者の内訳を概算している。「今までに各地域別に推計した病死者、戦地栄養失調症による広い意味での餓死者は、合計で一二七万六二四〇名に達し、全体の戦没者二一二万一〇〇〇名の六〇%強という割合になる。これを七七年以降の戦没軍人軍属二三〇万という総数にたいして換算すると、そのうちの一四〇万前後が戦病死者、すなわちそのほとんどが餓死者ということになる」という。15 アジア太平洋戦争全体を見渡せば、日本軍部による兵站の軽視と極端な精神主義が災いして、餓死やそれに起因する病死に至った兵士の数は夥しい。そのなかでも南洋は、とりわけ餓死者の割合の高い戦場だった。

 それだけではない。物資補給や救援がやってくる見込みの薄い、南洋の孤島における飢餓という『マタンゴ』の主題は、戦時中の南洋諸島の孤立とも強い相関がある。16 制海権・制空権を掌握した米軍が本土に向かって侵攻し、日本軍がアジアの前線から退却を繰り返していた終戦直前、南洋諸島には孤立した守備隊が大勢取り残されていた。「この地域の島の多くは、狭小な珊瑚礁の島で、平坦な砂礫地で地味は悪く、農耕に適していない。中にはポナペ島やトラック島のような若干の山地がある島もあるが、ポナペ島以外は日本軍の大部隊を養うほどの農産物ができるわけはなかった。持っていった食糧が尽きれば、後は餓死する以外の道はなかったのである」。17 1945年4月14日の記録では南洋に残された日本兵は3万6470名であり、最終的にそのうちの60~70%が病死・餓死を遂げた、と藤原は推計している。18 食糧になりそうな動植物がほとんど自生しておらず、海鳥すら寄りつかない『マタンゴ』の無人島の設定には、伝聞や経験談に基づく南洋の地理環境と食事情の記憶が少なからず反映されていると見ることもできるだろう。

 『マタンゴ』における食糧をめぐる不和も、史実と重なるものがある。たとえばもっとも飢餓がひどかった地域のひとつ、メレヨン島(現・ウォレアイ環礁)では食べものをめぐる事件が絶えなかった。

⑧軍紀、風紀
極メテ不良
各隊ニテ行ハレ居ル精神教育モ食糧ノ不足、飢餓空腹ノ前ニハ如何トモナラズ。糧食庫又ハ耕作地ニ盗難事件頻発。二、三人以上又ハ七、八人組ヲナシテ(下士官引率)ノ事件等モアリ、コレニ対シ実弾ヲ番兵ニ持タセアルモ毎夜二発程度ノ銃声ヲ聞キ、又私刑ガ極メテ多ク、絶食、吊シ首、絞リ殺シ等ガ平然ト行ハレ居ル憂ウベキ状態ナリ。19

 容易に想像がつくことではあるが、食糧が著しく不足すれば飢えた者たちは暴発する。食糧を盗む者が現れる。超法規的措置に訴えこれを罰する者も現れる。飢えた者は集団の規律を無視して私欲を暴走させ、秩序を重んじる者は個人を犠牲にしてでも集団を維持しようと「私刑」をもって正義感を暴走させる。飢餓は既存の秩序を乱し、別の秩序を呼び込む。

 メレヨン島の事例と同様、『マタンゴ』における「風紀」の不良も、平時の社会的地位やカネに由来する秩序のリセットと無縁ではない。権力勾配の変化は、漁師の小山仙造が大学助教授の村井研二を食糧の調達能力で圧倒するシーン、青年実業家の笠井雅文がウミガメの卵を20万円で買うシーン、それから歌手であり笠井の恋人である関口麻美が食糧を占有する新進作家・吉田悦郎のほうになびくシーンに顕著だ。権力を掌握するのは食べものを所有する個人であり、弱い立場に立つのは食べものを所有していない個人である。だからこそ、城東大学心理学研究室の助教授である村井研二が体現する、理性や人間らしさ、そして彼が説く助けあいの道徳は、飢餓の前では無力であるばかりか、飢える者にとっては暴力として働きさえする。このように飢餓は、欲求に忠実な個人の集まりと、助けあいによって集団の秩序を維持しようとする個人の集まりを分断し、《個人》の闘争を呼ぶ。

原水爆実験の表象

 「食べられるもの」をめぐる問題を再考するためには、マタンゴが放射線の影響を受けた突然変異種である可能性についても触れておかなければならない。始まりは、名もなき孤島にたどり着いた男女7人が仮の棲み処として求めた、海岸に座礁していた放射能調査船の残骸だ。船内にはホルマリン漬けになったさまざまな生きものの標本が並んでいる。とりわけ「マタンゴ」と名づけられたキノコは異彩を放つ。他の標本は、放射線を浴びて異常をきたしている可能性はあるとはいえ、いずれも既存の在来種として認められている。しかし「マタンゴキノコの一種 この島で初めて発見された新種」とだけ記されているこのキノコは、未知の種であるばかりか、放射線に汚染された他の標本と並置されることによって原水爆実験の影響を受け変異した新種である可能性を強く匂わせている。このように『マタンゴ』に重ねられているのは飢餓の記憶だけではない。米国が水爆実験「キャッスル作戦」の一環として1954年3月1日にビキニ環礁で極秘に行った水素爆弾「ブラボー」の実験とマグロ専用漁船・第五福竜丸の被爆という南洋を舞台にした同時代的事象もこの映像作品には重ねられている。20

 ジャーナリスト・井上亮によれば、2000~3000ミリシーベルトの放射線を浴びた第五福竜丸が焼津に帰還した際水揚げされたマグロからは、高濃度の放射能が検出されたという。21 「原爆マグロ」「原子マグロ」と呼ばれた被爆したマグロは、日本全国に食の恐慌を引き起こした。当然、現場となった南洋はより深刻な状況にあった。死の灰は「爆心地から一八〇キロメートル東のロンゲラップ環礁の八二人、五〇〇キロ東のウトリック環礁の一五七人」にも降り注いだ。22 「ロンゲラップ環礁は一面雪景色のよう」な観を呈し、その他の地域の住民も致死量に近い放射線を浴びた。23 地域住民たちは漁に出ることができなくなり、放射性物質を濃縮する魚や動物を食べる習慣は廃れていった。24

 このような文脈を踏まえれば、飢餓に駆られた結果であるとはいえ、『マタンゴ』の登場人物たちが放射線に汚染されている可能性のあるキノコを食べることに対して、観客の覚えた忌避感は相当に強かっただろうことは想像に難くない。映像においても原水爆の表象とこれに対する嫌悪感ははっきりしている。外洋から孤島を遮断し遭難者救出を困難にする濃霧や放射能調査船の船長室内にびっしりとこびりついたカビや埃、画面内に靄のような遮蔽幕をつくるマタンゴの胞子の映像には、あの「雪景色」のような「死の灰」の影がよぎる。とりわけ終幕で腫瘍に顔を覆われ精神病院の隔離病棟に囚われている村井の姿は、原水爆実験に対する抗議と被爆者に向けられる世間の差別的なまなざしを強く反映している。


 第五福竜丸事件および原水爆実験に関する南洋表象のひとつの範例は『ゴジラ』(1954年)である。実際、電車内の乗客が「原爆マグロ」に言及する場面はあるし、そもそも深海に潜むゴジラを永劫の眠りから覚ましたのは原水爆実験だった。だが、『マタンゴ』の直接の先行作品である『モスラ』(1961年)は、インファント島という水爆実験の現場を描くという一点において『ゴジラ』とは少々趣が異なる。この『モスラ』と『マタンゴ』というふたつの南洋映画の類似性は、先にも述べた嵐による難破と無人島と思しき南海の島への漂着という導入の結構にはとどまらない。『モスラ』では(アメリカとロシアの合成語と思しき名を冠された)ロリシカ国が、原水爆実験のテストサイトであるインファント島を無人島だと誤認している(実際には原住民がいる)が、『マタンゴ』の舞台となるのも同じく水爆実験の影響を蒙った無人島である。また、インファント島の住人たちが放射線の影響を逃れるために飲んでいる「赤いジュース」が「カビの化け物のような植物」から抽出されている点も見逃せない。子実体をつくらない菌類であるカビと、子実体をつくるマタンゴという新種のキノコは、放射線と南洋というふたつのキーワードによってじめじめとした類縁関係を結んでいる。25 このように、脚本家や製作過程、演出意図の違いにもかかわらず、原水爆実験という同時代的生々しさと共にあった『モスラ』のインファント島の設定や原水爆に関するイメージを『マタンゴ』は図らずも揺曳ようえいしている。 26

 このように「死の灰」による食べものの汚染という同時代的現象が戦時中の日本軍の飢餓の記憶にオーバーレイされることによっていっそう強まる、「食べる」という行為の切実さを『マタンゴ』において無視することは難しい。問われるべきは、安全安心な限りある「食べもの」の奪いあいではない。飢餓に瀕した者たちは食べものよりも外延の広い「食べられるもの」を探す。予め食べられるかどうかわからないもの、食べものに見えるが汚染されていて食べられないかもしれないもの、食べてしまうとその生を同一のものとして保つことができなくなるかもしれない、未だ食べものではないものを食べる。そのとき、ヒトは《個人》の力ではまったく御すことのできない彼岸の手前にある閾に立つことになる。その閾には、これまで論じてきた名詞的な表象の構図を食い破る、食べるという動詞をめぐる生成のバイオホラーが蠢いている。

人類の敵という表象

【主要登場人物】
村井研二(城東大学心理学研究室の助教授): 理性ある人間性を体現する人物。
相馬明子(村井の教え子・婚約者): 村井に最後まで付き従う理解者。「箱入り娘」。
笠井雅文(笠井産業の社長): 働かないがプライドは高く金で解決を図る。
関口麻美(歌手、笠井の愛人): 状況に応じて有力な派閥を見定め媚びる。妖艶。
吉田悦郎(新進の推理作家): 単独行動が目立ち、食糧を隠し、助けあいに与しない。
作田直之(笠井産業の社員): 同窓だが笠井の部下。ヨットを修理し単独脱出を図る。
小山仙造(漁師): 食糧の調達に長ける。吉田に銃殺される。

 映画『マタンゴ』のなかで飢餓と放射線汚染の表象の合流する場となるのが、「第三の生物」という異名をもつマタンゴである。マタンゴは、人類にとって危険な存在として表象される。たとえば登場人物に先んじてこの孤島に上陸した船員たちのものと思しき、今や廃墟となっている海洋調査船に残されたマタンゴの先行研究は、このキノコの幻覚作用を強調している。

作田「食えそうなものは何でも集めるんだ。ただしキノコだけは触らないようにな」
麻実「毒キノコなの?」
村井「実験記録には麻薬みたいに神経がイカれてしまう物質を含んでいるって書いてあるんだ。食糧が残っているのに生存者がいない。死んだのなら死骸があるべきなのにそれがひとつも見つからない。これはどうもキノコが原因らしいんだ。まあこの記録は乗組員が2、3人ずつ船に帰ってこない日が続く、と書いてあるところで終わっている。腹が減ってついキノコに手を出して次々にやられてしまったんだと思う」
(30:00 以下、セリフに付したカッコ内数字は冒頭からのおおよその経過時間を示す)

 乗組員が残していった食糧では救助が来るまで凌ぐには心もとない。漂着者たちは「食えそうなもの」が欲しい。しかしこのキノコだけは「食えそうなもの」から排除されている。マタンゴには人を死に至らしめるような毒性はない。しかしこれを食べたものは「神経がイカれてしまう」。おまけにそこからどうなるかは食べてみないとわからない。調査船の乗組員の死骸がどこにも存在しないという状況証拠が、「やられてしまった」あとでも彼らが生存している可能性を仄めかす。マタンゴをめぐる危険は個々人に訪れる人生の軌跡の終わりにはつながらないかもしれない。この終わりのなさは、第4回で確認した「生物都市」にも共通するバイオホラーの特徴である。

 バイオホラーとしての終わりのなさを仄めかしつつも、それでも物語は人間としてのアイデンティティ喪失をめぐる《個人》のホラーとして展開する。《個人》のホラーを発動させる引き金となるのが、マタンゴを食べた調査船の元乗組員と思しき生存者との遭遇である。

 銃を携えて食べものを探していた村井と笠井は、マタンゴの子実体が群生している場所に行き当たる。まだ飢餓の極致には達してはいない彼らの目には、そのキノコはさして魅力的なものには映らない。そのとき、藪の向こうになにやら不審な物体が動くのを笠井は認める。標的目がけて銃を撃つが命中はせず、不審な影は姿を消す。不審者の正体が明らかになるのはその夜のことだ。皆が寝静まった夜半に、男女7人がねぐらに定めた調査船の甲板の上を何者かが歩く音を耳にし、一同は騒然となる。姿を現したのは、まるで水爆の熱線を浴びたかのごとく、鱗片状の腫瘍に全身を覆われている不気味な怪人だった。この瞬間、先ほどの「先行研究」をめぐる村井の推理を受け入れた一同の胸中には、キノコを食べたあと行方の知れないあの調査船の乗組員はこの怪人なのではないか、という予断が去来する。

 マタンゴを食べても死ぬことはないが、ひとたびマタンゴを口にしたが最後、やがて全身を腫瘍に覆われ人間を襲う怪人になってしまうという予断の引力は強い。笠井が襲われるもなんとか怪人を無事に追い払うことに成功して胸をなでおろした登場人物たちは、マタンゴを食べると怪人になり人間を襲うようになるという推断を、ここで観客と共に固めることになる。

 いかにその危険性を知悉していても、食糧難に喘いでいる一行が贅沢に繁茂しているマタンゴに手を出し、人類の敵になってしまうのは時間の問題だろう、という観客の予感は的中する。怪人マタンゴへの道を最初に踏み出すのは、船内に残っていた食糧を盗み食いし消毒用アルコールの水割りで酩酊する、およそ集団行動が苦手な吉田だった。欲望の赴くまま行動をする吉田は村井たちに銃を向け、嘯く。「ああ。たらふく食った。キノコをな。〔中略〕マタンゴを食ったら人間じゃなくなるって言いてえんだろう? 人間でなくてけっこう。君たちを殺しても罪にならないからな」(61:40)。吉田は人間的な価値を積極的に放棄し、人間に危害を加える敵の側に立っている。一同は一瞬の隙を見て銃を奪い吉田を船長室に監禁することに成功するものの、食糧の不足による餓死の不安に加えて、元船員の怪人やいずれ怪人になる吉田によって全員が皆殺しにされる恐怖さえ抱くことになる。マタンゴという菌類がこの孤島で人間が人間として生存するうえで脅威となる、という共通理解は、実際にマタンゴを食べ人間の敵へと変貌する者の謀反を目の当たりにすることによって確立する。

 こうして人間としてのアイデンティティの喪失をめぐる《個人》のホラーは誰の目にも明らかなものになる。人間の敵として表象される怪人と人間性を喪失させる飢餓と対峙する絶望的な状況の下、「人間は環境によって極端に利己主義になる。動物的になる。そういう時にこそ理性的行動ができなければ人間の進歩は終わりだ。何とかみんなの気持ちをまとめなくっちゃ」と決意を固める村井の人間主義だけが、《個人》のホラーを克服する一条の光として残される(65:15)。


『別冊映画秘宝 東宝特撮女優大全集』より 洋泉社 2011年

 だが、食糧に乏しい絶海の孤島で「みんなの気持ちをまとめ」るのは難しい。ヨットの修理を一手に引き受けていた作田は、缶詰などの食糧を奪い、修理を終えたヨットでひとり脱出を図る(失敗に終わり、無人のヨットは再び沿岸付近に戻ってくる)。麻美を味方につけ女性陣の独占を狙う吉田は、村井の婚約者である明子まで懐柔しようと再び調査船を襲う。辛うじて明子を死守した村井だったが、もみ合いの最中に食糧採取に長けた漁師の小山は銃殺される。サバイバル能力の低い実業家の笠井は妖艶さを増した麻美に誘惑され、マタンゴを食べることになる。このように「動物的」な「利己主義」の前に村井が信奉する「理性的行動」は敗北を重ねる。助けあいの精神が衰微の一途を辿り、理性を刳り貫かれた「動物的」存在が多数を占める状況にあっては、「人間じゃなくな」った怪人マタンゴだけではなく、吉田や麻美、笠井までもが、村井と明子を襲って来る敵として立ち現れるようになる。マタンゴは、食においては人間性を奪い、怪人化したのちには人間の生存の脅威となる。村井を視点人物として採用するなら、このようなマタンゴを敵として表象し、人間主義によってアイデンティティを守ることに全力を注ぐ、《個人》のホラーの枠組みは揺るぎないように映る。

 事実、熱帯地域特有の驟雨が降り注ぎ湿度が上昇していく終盤にかけて、雨後の筍よろしく登場する数も頻度もますます増える怪人マタンゴのふるまいに、公開当時、観客の大半を占めていた子どもたちはある種の心的外傷を負ったようだ。村井役の俳優・久保明の回顧によれば、公開当時『マタンゴ』を観たあとにキノコが食べられなくなった子どもたちが続出したという。27 小松崎茂による怪人マタンゴのキノコ雲を思わせる造形に加え、南洋のマタンゴの姿を都会のネオンに重ね菌類の幻覚作用を表現するディゾルブによる画面転換も、子どもたちを異国の物語の傍観者にはとどめず、日本の食卓に並ぶキノコに対する忌避を彼らに植えつけるに十分なインパクトをもっていたのかもしれない。当然ながらそこには放射線汚染に対する怖れもあっただろう。28 いずれにしても、人間を襲う敵としての怪人マタンゴは、その非人間性に由来する生理的嫌悪感を観る者に植えつける、《個人》のホラーを代表するキャラクターとして当時の観客には映っていたし、今でもそのような表象文化論的な解釈は基本線としてあるだろう。

食べて生きのびる――表象から生成へ

 とはいえ、村井の視点に同一化するあまり、マタンゴを食べてはならないという禁忌を刷りこみ、「人間じゃなくな」る過程をただの悲劇として骨身に刻むのは、もったいない短絡である。たとえば、笠井にマタンゴを食べるよう勧めた麻美の「このキノコを食べてるといつかキノコになるのよ。あの船に鏡がない理由がわかったでしょ。でも一度食べたらやめられない」(74:37)という台詞とその笑顔には、個体の消滅や人間的な価値のはく奪に照準する、《個人》のホラーからはいくらか外れた享楽がある。マタンゴになることによって人間的なものを失う悲壮感に麻美が浸っている様子はなく、どちらかといえば(かっぱえびせんではないが)食べ始めるとやめられなくなるおいしいキノコを食べて悦びを得ているように見える。そう考えると疑念が頭をもたげる。閉鎖病棟の一室で一連のいきさつを証言する、語り手の村井はそれほど信頼できないのではないか。マタンゴの神経作用による人間性の変質はそれほど忌むべきことなのだろうか。マタンゴを食べる享楽と調査船の廃墟を襲ったあの怪人マタンゴの脅威とのあいだのギャップをどのように考えればよいのか。いや、そもそも怪人マタンゴは、《個人》のホラーの原則に従い人間を襲って殺戮する人類の敵として表象されるべきなのだろうか。そのような見識が示しているのは、先の大戦の残影を忍ばせる、敵/味方という戦争の枠組みに固執した価値判断の限界なのではないだろうか。

 こうした疑念のいくらかが晴れるのは映画も最終盤にさしかかる頃のことだ。未だキノコを食べず廃墟のなかで暮らしている村井とその婚約者である明子だが、いよいよ明子に限界が訪れる。明子にとってマタンゴへの生成は、村井が恐れている人間性のはく奪や喪失、つまり《個人》のホラーからは一線を画している。

明子「あのキノコ食べられるんでしょ」
村井「キノコを食ったらおしまいだよ」
明子「でも麻美さんだって笠井さんだって」
村井「バカッ! あいつら半分キノコだ」
明子「いいじゃない。この島で生きていくにはそれより他に道はないんのですもの」
〔村井、明子を平手で殴る〕
村井「僕が悪かった」
明子「先生立派よ。いつも理性で行動なさる。わたしはダメ。ダメなのよ。わたしもう死にたい」
村井「明子さん。君は僕にとってなくてはならない人だ」
明子「先生」(80:00)

 理性や助けあいの原則に従ってどこまでも人間的であろうとする「立派」な村井に対し、明子は人間のまま死ぬこととキノコになって生きることを天秤にかけている。死ぬのでなければ「この島で生きていくにはそれより他に道はない」のだから。村井はその明子の姿勢を「動物的」なものへの敗北として断じ、理性で行動するよう力ずくの説伏を図る。村井は明子のことを「僕にとってなくてはならない人」だと言う。だが「僕にとってなくてはならない人」であることを根拠に、婚約者に理性的であることを迫る行為それ自体に愛はあるのだろうか。「人間は環境によって極端に利己主義になる。動物的になる。そういう時にこそ理性的行動ができなければ人間の進歩は終わりだ」と村井は説いていた。むしろ村井の普遍的な人間愛は、この無人島という特殊な「環境」において、明子をコントロールしようという「利己主義」として発現してしまっているのではないだろうか。

 いみじくも、沿岸に戻ってきたヨットに飛び乗り、ひとり救出されて東京に戻ったあとの村井には、人間としての存在を抹消する《個人》のホラーに怯えつつも、特殊な孤島において普遍的な愛を守ることの限界がいくらか理解できていように見える。

村井「それから長いこと夜がきて、朝がきて、また夜がきて。救助された時の記憶はありません。でも僕は今、後悔してるんです。本当にあの人を愛しているなら僕もキノコを食い、キノコになり、二人あの島で暮らすべきでした。そうじゃありませんか。生きて帰って気違い〔ママ〕にされるぐらいなら。バカでした僕は。一切れも食べなかったんです。どんなに苦しくてもあの人を苦しめ、自分を苦しめ、最後までキノコを食べなかったんです。いったいなんのために」(87:45)

 村井の行動は結局、保身に過ぎなかった。にもかかわらず、自分自身の人間性のはく奪や人間としての死に抗して《個人》のホラーと戦った村井の顔には、マタンゴ化の兆候が見られる。これを人間の敵との戦争の結果として見るなら、村井の敗北だろう。だが、それよりも傾聴に値するのは、進歩や理性を後ろ盾とする普遍的な人間愛が通用しない場合があることを村井が認めている点である。村井の「理性的行動」や人間主義はあの孤島では「あの人を苦しめ、自分を苦しめ」る暴力だった。東京でならいざ知らず、あの孤島においては「キノコを食い、キノコになり、二人あの島で暮らす」ことを可能にするマタンゴの誘惑に屈するほうが愛と呼ぶにふさわしい。このように映画の終幕において、人類の敵というマタンゴの表象、あるいは表象に基づいた人間的な認識はいくぶんぐらついているように見える。

 語り手・村井の価値観では、マタンゴは人間性を奪う脅威であり、怪人マタンゴは人間の生存を脅かす敵として表象されている。《個人》のホラーの枠組みは揺るぎない。しかし冷静に映画全体を見渡してみれば、マタンゴを食べても誰も死なない。怪人マタンゴは誰も殺さず、誰も傷つけてすらいない。もちろん、明子が怪人マタンゴに連れていかれるシーンは、おどろおどろしい音楽的演出もあいまって拉致のようにしか見えないし、《個人》のホラーにふだんから浸りきった人間の目にはマタンゴは敵であるように映るだろう。しかし、はっきりと人類の敵と言えるのは、村井たちに銃を向け、「ああ。たらふく食った。キノコをな。〔中略〕マタンゴを食ったら人間じゃなくなるって言いてえんだろう? 人間でなくてけっこう。君たちを殺しても罪にならないからな」と言い放ち、我欲のために小山を銃殺する人類の一員、吉田だけだ。人間を殺さず、子実体が豊かに蝟集する森の奥へと人間を連れて行く怪人マタンゴにとって、人間は敵ではないのではないか。むしろヒトには生きることも脱出することも難しいこの島の生態系のなかに加わるよう、(怪人)マタンゴは自らを食べるよう誘惑しているのではないか。マタンゴの誘いに乗り、「食べる」に任せて生きのびることは、すぐに自己と他者とを離断し紛争を常態化させる人間とは生の質を違えた、動詞によって駆動する「わたしたちの具体化」の一例なのではないか。マタンゴたちの誘惑は、人間の理想を追い求めるあまり村井が欠いた、どのような生であれ生きのびる実践が帯びている蠱惑なのではないか。人間的な村井とその対蹠にいる反人間的な吉田のあいだで戦われる食糧をめぐる諍いを焦点とする《個人》のホラーを見限り、麻美や明子の姿に食べられるものを食べる力の憑依を認めるとき、表象の力学は瓦解し、『マタンゴ』はバイオホラーとしての相貌を覗かせる。

 笠井を誘惑した麻美と同様、キノコを口にしマタンゴ化の過程に入る明子は、「せんせー、せんせー」と甲高い声で村井を誘い、マタンゴを食べながら「キノコおいしいよ」と破顔しつつ勧める。「おいしい」の一言が発せられたこの瞬間、それまで吉田の行動からの類推で人類の脅威として認定されていた怪人マタンゴたちの敵対行動はすべて、意味をなさなくなる。マタンゴたちの行為は、人類への脅威どころか、「食べる」という動詞の力に蹂躙されヒトであることを放棄してもなお享楽しながら生きのびることへの誘惑へと生成する。《個人》のホラーを特徴づける自己と他者の区別や、アイデンティティ、表象といった人間的な認識は、ヒト‐マタンゴ共生系が湛えている生成の力に呑みこまれる。それでもなお「食べなかった」村井は飢餓を精神論で乗り越えようともがいた。《個人》として連帯しようとはしても、人間であることをやめてまで助けあう方途を模索しなかった。彼はあくまでも動詞「食べる」に対する主語=主体であろうとした。麻美と明子は、飢餓感の糸口を手繰り、食べられるものをふんだんに食べる。たとえ人間でなくなろうともマタンゴの生態系のなかで生きのびることを可能にする、動詞「食べる」が連れてくるおぞましい生成の力に浸る。「一度食べたらやめられない」「おいしい」《この生》の享楽に人間を誘惑する。彼らの誘惑に乗るとき、ヒトだった『マタンゴ』の鑑賞者は他者との距離感を保った表象を捨て、《この生》の生成へと没入する。

 味方/敵という戦争の構図を引きずり自分は何者であるのか アイデンティティにこだわる《個人》のホラーとは異なり、《この生》は行為アクションによって絶えず変容するトラブルを受け入れるところから始まる。人間の「理性的な」「進歩」を信じその自己同一性の維持に汲々とするのではなく、人間には所有できない動詞「食べる」の力と食べられるものに潜在するトラブルを麻美と明子のように受け入れるとき、マタンゴと共に生成する茨の道は開かれるだろう。陰気な島のなかにあっていつも陽気で不気味な笑い声を上げているヒト‐マタンゴの共生系は、個人間で醜く争うヒトの生よりも不気味ではあってもサイケデリックで多幸的に生きられている。 

 

 

*本連載は、初回と最新2回分のみ閲覧できます。

  1. 本多猪四郎監督『マタンゴ』(東宝、公開1963年、DVD 2015年)。特技監督は円谷英二。原作は『S-Fマガジン』初代編集長の福島正実。原案の下敷きとなったのは、ウィリアム・H・ホジスン「夜の声」(原作1907年、翻訳『夜の声』所収、井辻朱美訳、東京創元社、1985年)。本作の制作と宣伝には福島を始めとする黎明期にあった日本のSF業界の人士が多数関与している。原案者として公式には星新一もクレジットされているが、実質的には名義貸しであり、原案作成には関与していない。飯沢耕太郎『フングス・マギクス 精選きのこ文学渉猟』(東洋書林、2012年)85頁を参照。
  2. 矢野暢『「南進」の系譜 日本の南洋史観』(千倉書房、2019年)35頁。矢野は民間主導で非軍事的な性質を持つものを南方関与と呼び、大東亜共栄圏構想以降の国策的な南進論とは分けている。本連載では南進論で統一する。
  3. 矢野44頁。
  4. 矢野254-57頁。1895年、日清戦争後の下関条約において日本統治下に入った台湾は、のちに軍事的南進論の拠点となり、南洋諸島と並んで重要な役割を担った。後藤乾一『近代日本の「南進」と沖縄』(岩波書店、2015年)は、琉球処分から始まる沖縄の支配に南方への帝国的膨張の先触れを見る。また、南洋諸島の開発に携わった移民の多くは沖縄出身だった。
  5. 矢野309頁。
  6. 南洋の歴史と先行研究に関しては、日本比較文学会第59回東京支部大会シンポジウム「再考——「南洋」への想像力」(2021年10月16日オンライン、司会・講師:エリス俊子/講師:私市保彦・小松史生子・須藤直人)から示唆を受けた。
  7. 川村湊『南洋・樺太の日本文学』(筑摩書房、1994年)26頁。
  8. 『キングコング対ゴジラ』 (1962年)のキングコングは、南太平洋メラネシアに位置するソロモン諸島のひとつ、ファロ島に伝わる「巨大なる魔神」になっている。
  9. 宮本陽一郎『モダンの黄昏 帝国主義の改体とポストモダニズムの生成』(研究社、2002年)5頁。
  10. 以上の事例については宮本を参照。
  11. 小野俊太郎『モスラの精神史』(講談社、2007年)70頁。
  12. 小野73頁。
  13. 監督・福田純と特技監督・円谷英二のコンビで製作された『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』(1966年)でも嵐によって難破したヨットがインファント島に上陸するという流れが踏襲されている。
  14. 『モスラ』のシナリオを書いた関沢新一は、南方戦線に従軍した経験がある。その経験は自身がかかわった映画の脚本に活かされている。小野74頁を参照。
  15. 藤原彰『餓死した英霊たち』第1章第8節「戦没軍人の死因」(筑摩書房、2018年、kindle)。ただし、藤原の論は、軍部による史料の処分の影響もあり、推定の域を出ない。近代史の領域では異論もある。一ノ瀬俊也の解説によれば、「軍事史研究者の秦郁彦は、2006年の論文『第二次世界大戦の日本人戦没者像 餓死・海没死をめぐって』(のち『旧日本陸海軍の生態学 組織・戦闘・事件』に再録)で藤原の提起した死没者数を再検討し、『南方戦域が六〇%(四八万人)、全戦場では三七%(六二万人)ぐらいが妥当』との見解を提起した」。
  16. 南洋(イメージ)と日本の特撮映画との関係については小野俊太郎の一連の仕事に詳しい。とりわけ『モスラの精神史』(講談社、2007年)、『ゴジラの精神史』(彩流社、2014年)、『太平洋の精神史 ガリヴァーから『パシフィック・リム』へ』(彩流社、2018年)を参照。
  17. 藤原 第1章第5節「孤島の置きざり部隊」。
  18. 藤原 第1章第8節「戦没軍人の死因」。
  19. メレヨン海軍会編『追悼 メレヨン海軍戦記』(メレヨン海軍会、1978年)。藤原 第1章第5節「孤島の置きざり部隊」より孫引き。
  20. マーシャル諸島ビキニ環礁で1954年3月1日から5月14日まで計6回行われた水爆実験後に同海域を通過した船舶は、センセーションの的となった第五福竜丸以外にも、第一三光栄丸を始めとする8隻がいた。これら8隻は米国原子力調査委員会による健康被害の追跡調査を受けていない。詳しくは、全国健康保険協会船員保険部「ビキニ環礁水爆実験による元被保険者の被ばく線量評価に関する報告書」(平成29年12月 https://www.kyoukaikenpo.or.jp/~/media/Files/senpo/new/g7/201712251/201712251.pdf)を参照。
  21. 井上亮『忘れられた島々 「南洋群島」の現代史』(平凡社、2015年)199頁。本筋から外れるため詳述はしないが、同書は、第一次大戦後の国際連盟体制のもと日本の委任統治領となった「南洋群島」の忘れられた歴史を紐解き、食い扶持を求めて移民していった大勢の沖縄の人々と彼らの戦後の帰還、ミクロネシアの民に対する差別、南洋戦線における日本軍と米豪連合軍との戦闘、戦後の米国の原水爆実験と現地民の苦境について概要を示している。
  22. 井上204頁。
  23. 井上204頁。水爆実験に先立つ1946年に、米軍はビキニ環礁の住民をロンゲリック環礁に移住させ、さらに2年後には同じ住民をキリ島に再移住させている。住民たちは強制移住の過程で、漁を始めとする技術を失い、食糧を得ることができなり、食生活や文化を失い、米国から提供されるジャンクフードを主食とするようになる。他の環礁の住民も同様の扱いを受けた。井上196, 205頁を参照。広島・長崎はかつて世界で唯一の「ヒバクシャ」の地として核廃絶運動の象徴を担っていたが、近年は同じく過酷な境遇に置かれた米国ネバダ州の実験場付近の住民たちによる抗議やマーシャル諸島の「ヒバクシャ」の窮状を伝えるドキュメンタリーや取材記事、フォトジャーナリズムが表に出るようになってきている。たとえば田井中雅人「『私たちはみなヒバクシャ』世界の健康被害、撮り続けた」(『朝日新聞デジタル』2020年8月9日 https://www.asahi.com/articles/ASN894K0ZN7VULOB00V.html)を参照。
  24. 井上205頁。
  25. 『マタンゴ』と『モスラ』の類縁関係は映像表現にも及び、キノコの幻覚作用を東京のキャバレーやネオンと重ねる表現は、『モスラ』の妖しく発光する植物のイメージにも近似している。
  26. 東宝の特撮シリーズに登場する南洋には必ず核兵器の問題がつきまとう。たとえば『モスラ対ゴジラ』(1964年)では、インファント島が原水爆実験で有名な南海の孤島であることは常識として語られているし、『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』(1966年)では、秘密組織「赤イ竹」が南海の孤島レッチ島にインファント島の住民を強制連行し、核融合炉を使った核兵器の製造を試みている。
  27. 『マタンゴ』DVD特典「オーディオ・コメンタリー」(コメント:久保明 聞き手:倉敷保雄。
  28. 本作が科学技術と人間の関係を意識した作品であることはさまざまなエピソードから窺える。たとえば終盤、驟雨のなかキノコが成長していく過程を撮影する際には、当時ナイロンをつくる過程で生じる産業廃棄物(のちの発泡スチロール)を利用しているし、キノコの傘にはさまざまなサイズの空き缶が再利用されている(『マタンゴ』 映像特典「『マタンゴ』の特殊技術について 中野昭慶インタビュー」)。