声の地層 〈語れなさ〉をめぐる物語 / 瀬尾夏美

伝えたいのに言葉にできないことがある。それでも、ふいに「語り」が立ち上がり、だれかに届く瞬間があるとしたら……。 土地の人々の言葉と風景を記録してきたアーティストが、喪失、孤独、記憶をめぐる旅をかさねた。 語る人がいて、聞く人がいる。ただそのことから生まれる物語と、著者の視点による「あと語り」がおりなす、ひそやかな〈記録〉。

やまのおおじゃくぬけ

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むがす
山に囲まれたちいさな村に、ヘビの話、いくつもあったんだと

太郎という気のやさしい少年、その村を流れる川のそばに
おじいさんとふたりで暮らしていたんだと
雨が降るたび、おじいさんが雨戸のふし穴を覗きながら
やっぱりヘビの通る道っつのがあるんだべなあ
というので、太郎は首をかしげて聞いていたんだと
ヘビっつのは、お天気と関係があるのがいん
ある日、太郎がそうたずねてみると、おじいさんは
そうなんだべなあ、とうなずいて
ヘビの話、たくさんしてくれたんだと
それが沼にいる大蛇だの、人に化けるヘビだの
不思議な話ばかりだったんだと
太郎は、おじいさんはおかしな話ばかりするなあ
とケタケタ笑っていたと
するとおじいさん
ほんとうにヘビが出たときには、みんなを守ってやれよ
といったんだと
太郎はそれ聞いて、はい、とうなずいたんだと

それからうんと時間が経って
おじいさんはもう亡くなっていたんだが
太郎はりっぱな大人になって、百姓仕事に精を出していたんだと
そして、村の年寄りたちとなかよく暮らしておったんだと
そろそろ山が赤くなる季節だったか
太郎は村のみんながつくった野菜を担いで
となり村まで歩いて売りにいったんだと
その日は持っていったもの、お昼までにすっかり売れてしまったんで
太郎は上機嫌で、家に帰ろうと軽い足取りで歩いておったんだと
そこへおっきな荷物を背負った、ちゃっこいわらし、現れたんだと
どうれ、おれが持ってけっから
太郎がそういって
そのわらしの荷物をひょいと持ち上げて自分のカゴに入れると
わらしは頭ぺこっと下げて
山のうえさ、先へ先へと上がっていくんだと
太郎はあわてて追いかけたんだが
スルスルスルって見る間に登っていっちまったんだと

太郎がようやく山のてっぺんにつくと
そこにはちいさな沼があったんだと
わらし、その沼のそばにちょこんと座って、ニコニコってしながら
あんちゃん、この水は特別うまいから飲んでみで
といって、沼の水ば指さしたんだと
太郎はのどが渇いていたもんだから
そのすきとおったきれいな水、がぶりと飲んだんだと
それがたいへん、あまくてうまい水だったんだと
こいづはうまい水だ、と太郎が言うと
わらしは、だから、おれ、だいじに守ってるんだ、と笑っていったと

そうして、あまい水ばクイクイと飲んでいい気分になった太郎は
いつのまにかぐうぐう眠ってしまったと
どれくらいの時間が経ったか
ぽつぽつと降ってきた雨がほほに当たるので
太郎は目を覚ましたんだと
そしたら、沼をぐるーっと囲むようにして
大きな大きなヘビがおったんだと

太郎は息を飲んでとびおきて
あのわらしをどこにやったんだ! と大蛇にたずねたんだと
すると大蛇
わたしがあのわらしなんだや
だけんと、雨が降るとこの姿になってしまうんだ
といってわんわん泣きはじめたんだと
大きいからだで、ばったばったとのたうちまわるもんだから
山全体がもう、ぐうらぐうらとゆれるようだったと
そして、その涙がたいそう大粒で、ぽろりぽろり
ひと粒落ちるたびに太い木が一本折れてしまうほどだったんだと
それがしだいに川みたいになって
山をどんどこすべり落ちていくんだと

このままいくと下の川に合流して、おれの村も水浸しになっちまう!
そう思った太郎は、背負っていたカゴばするするっとほどいて
笠をこさえてやったんだと
ほして、大蛇の頭にかぶせてやったんだと
すると大蛇、見る間にちいさくなって
さっきのわらしのすがたに戻ったんだと
あんちゃん、ありがとう、ありがとう!
わらしは、その笠たいそう気に入ったようすで
雨の中をうれしそうに跳ねまわっておったんだと

太郎がほっとして、いがったなあと笑っておったら
わらしはくるりとふりかえって
あんちゃんの村はどこなのや、とたずねるんだと
太郎が、あの赤い鳥居のどごさ、と指さすと
わらしは
わがった、おれはあんちゃんの村には行がねえように気をつけっからな
といって、大きくうなずいたんだと
そして
そうはいっても、おれみでなヘビの子ども
ここらの村にはたっくさんいるんだなやあ
と肩を落とすんだったんだと
太郎は
そいなの、おれ、ぜんぜん気づかなかった、大変だなやあ
といって、ヘビの子どもたちのこと、不憫に思ったんだと
するとわらし、さっきの大きな荷物から
くるくると丸めらった紙ば取り出して
まず、嵐の日が来たら、これを見でみて
といって、太郎によこしたんだと
太郎はそれが何かはわからなかったが
だいじに着物の胸元さ、しまっておいたんだと

太郎のようすを見たわらしは、うれしそうに笑ったあと
今度はかなしそうな顔になって
おら、ヘビの姿は誰にも見せてはなんねんだ
だからあんちゃんにも忘れてもらわねばしゃあねえのや、というんだと
それで、太郎に沼の水ばたんまりのませて
ふらふらにして、山から追い返したんだと
すると、太郎はわらしのこと、すっかり忘れてしまったんだと

それから、やっとのことで太郎が村に戻ると
今度はとんでもない風、吹きはじめたんだね
そして、ゴンゴンゴンゴンとたいへんな雨になったんだと
太郎の家のうしろの川
いつもはおだやかで、水かさも足首くらいのものなんだが
たちまち水はまっ茶色
流れはとんでもないはやさになって
その水はいまにもあふれだしそうになっていたんだと

いよいよというとき、ドンドンドンと戸を叩いて
お向かいのおばあさんが太郎の家さ入ってきたんだと
そして
あっちこっち水びたしで、年寄りたち動かんなくなっているど!
と叫びながら、寝ていた太郎を叩き起こしたんだと
太郎は跳ね起きて
まだぐるんぐるんするあたまのまんま、外さ飛び出したんだと
そして、ざんざか降る雨も、あふれそうな川もかまわねえで
ひょいひょいと村じゅうの家さまわって
足のわるいお年寄りばみな背負って
川向こうの小屋に集めてしまったんだと
酔っ払いの太郎には、怖いもの、なかったんだね

村の人たち、ありがてえ、ありがてえと言いながら
それにしても、太郎はなじょしてこんなに酔っ払っているんだべ
と呆れておったんだと
そうしてるうちに太郎
小屋の真ん中で、またぐうぐう寝はじまったんだと
村の人たち
まず、太郎にはいつも世話になってるからなあ
といって、布ばかけてやろうとしたんだと
すると、太郎の胸元から、あのわらしにもらった紙っこ
ぽとりと落ちてきたんだね

お向かいのおばあさん、そいつを取り出して広げてみると
ここいらの地図だったんだと
ほして、よく見てみると、村中のあっちこっちに黒い点、書いてあるんだどや
それで村の人たち
なんなんだべ、この地図は
こりゃあ不吉な感じがするなあ
と口々にいって、騒ぎだしたんだと
太郎、その声でむくりと起きだして、その地図見ったんだと
そして突然
なんだい! その地図、あちこちヘビが這っているんだなやあ!
と叫んだんだと
寝ぼけまなこの太郎には
地図に描かれた黒い点がもやもやとつながって
ヘビがうごいてるみでえに見えてたんだって

そうして太郎、その黒い線が
太郎たちのいる、この小屋のところにも重なっているのを見つけて
大蛇来るど! ここさも大蛇来るど!
と大騒ぎしたんだと
ほしてるうちに、雨の音に混じってとおくの方から
ゴローンゴローンと、大岩の転がる音がひびいてくるんだと
みんなもこりゃまずいとなって丘の上の屋敷まで上がったんだと
まだまだ空がぶん抜けたように雨は降るし
日も暮れてきて、目の前もぜんぜん見えなくなった
その瞬間、ビカビカってとんでもなく大きなイナズマが光って
黒い大蛇、村じゅう一気に通り抜けたんだと
それ、みんなで見ったんだどや

あくる日は、すっかり晴れたんだと
村はどっぷり水に浸かっちまって
最初にみんなが集まっていた下の小屋も土砂でいっぱいになっちまったんだが
太郎たちがいた丘の上だけは、なんともなかったんだと
村の人たちは
まず、命だけでも助かっていがったなあ
太郎のおかげだなや、と涙流していったんだと
しかし太郎は昨晩のこと、ぜんぜん覚えてなかったんだと
それで太郎は
おれ、家も田畑も壊れちまったけど
怖い思いのひとつもしねがったから、運がいがったなあ
というので、みんなして笑っておったんだと

ほして、村の片付けも落ち着いたころ
太郎はまた、あの地図を広げてみたんだって
すると、あちこちの山に大きな黒いバツ印がついてて
そこから下るようにほそい線
ちょこちょことひっぱってあるんだと
太郎は、これは大蛇の巣穴を記した地図だったんだべなあ
ヘビが巣穴から巣穴へ移動するときに
水があふれんのがもしんねえ、と思ったんだと
その地図には、太郎が子どものころにおじいさんから聞いた
ヘビの話にまつわる場所、みな記してあったんだね

ほして、たくさんの黒いバツ印のなかにひとつだけ
赤い丸印で囲われたところがあったんだと
そこがとなり村の山だっつうんで、太郎は次の日、行ってみることにしたんだと
どんどんどんどん登っていくと、とっても見晴らしがよくて
太郎の村の赤い鳥居もよっく見えたんだと
これはすごい、いいところに来たないん
と太郎ははしゃいでいたんだが
ふと、反対側を見ったれば、ずうっと下の方まで斜面がガラーっと崩れていたんだと
太郎は、ああこりゃあおっがねえなあ
といって思わず手を合わせたんだと

太郎はまったく覚えていなかったんだが
そこは、太郎が荷物を運んでやったわらしがいた
あの沼があった場所だったんだって
だけど、沼は崩れてしまっていて、もう見るかげもなかったんだって

それから村では、ヘビの巣穴を書いたその地図ばだいじにして
大蛇が雨の日に通る道のこと
じゃくぬけって呼ぶようになったんだと

こんどのヘビはこっちゃ通る
つぎのヘビはあっちゃ通る
ヘビが出かけりゃ水あふれ
ヘビが抜けると山くずれ
じゃっくじゃっくと音がなる
じゃっくじゃっくと音がなる

おおきなへび
©Natsumi Seo

 この春、宮城県伊具郡丸森町という福島県境の山間のまちに家を借りた。

 もともと2017年に民話の記録の手伝いで訪れて、その後、民話の語り手である秀夫さん、せつ子さんに戦時下の記憶についてお聞きし、その語りを中心にして、物語を書いたり展覧会を作ったりしたことがあった。しかし、2019年10月12日に日本列島を大きな台風が襲い、秀夫さんの暮らしていた集落は、川の上流から押し寄せてきた土石流によって埋まってしまった。集落の人びとが暮らしの中で親しみ、つくりあげてきた風景は一変し、秀夫さんが86年間暮らしてきた家は全壊した。のちに令和元年東日本台風と呼ばれるこの台風は、関東から東北の各地に大変な被害をもたらした。

 台風の後、わたしは復旧ボランティアと記録のために丸森にちょこちょこと通っていたけれど、数ヶ月後には新型コロナの感染拡大が始まってしまい、訪れることができなくなった。そして、慣れない生活に戸惑っている間に、震災から10年の節目も越えて、2021年の春になってしまった。

 つねに気になりつつも、丸森の情報をしっかりとは得られないままで、コロナ禍もあって、まちの人びとの暮らしはどうなっているのか状況がわからなかった。陸前高田の復興の断片を記録してきた者としては、災後間もないうちに聞かなければならないこと、記録しなければならないことはたくさんあるような気がしている。状況的に都市間の行き来はまだ難しいけれど、いっそ丸森に住んでしまえば、すこしはできることがあるのではないか。いつも共同制作している映像作家の小森はるかさんとそんなことを話し合い、えいやっとふたりで引っ越してみたというわけだ。

 ところで、あの台風の当日のことを、みなさんはどのように記憶しているだろうか。わたしは宮城県仙台市の自宅にいて、案じていたのはむしろ東京のゼロメートル地帯にある実家の家族だった。伊勢湾台風に匹敵する巨大台風がやってくる。関東地方で、まずは大きな被害が出るかもしれない。もしかすれば首都東京の機能が止まってしまうのではないか。報道もSNSもそんな話題で持ちきりで、わたしもそれを予感して、東京に暮らす家族と友人たちに連絡を取っていた。とくに両親は呑気な様子で、うちの前は水が溜まっていないから大丈夫だよ、といった返信が来るものだから、どのようにして遠方から避難を促したらいいものかとヤキモキしていた。ところがそんな心配は無用で、家族や友人が暮らすエリアでは、とくに大きな被害が出ることはなく、東京の風雨のピークは過ぎていった。その夜、今度は仙台が暴風雨圏内に入る。SNSを見てみると仙台駅前が冠水しており、かなりの非常事態という感じである。もしかして東北の方が危険なのだろうか。そう感じながらも、徐々に弱まっていく雨脚に安堵しながらその日は眠った。

 しかし、翌朝のニュースで飛び込んできたのは、真っ茶色の巨大な湖のようになった丸森町の航空映像だった。そのほかにも、福島県や長野県で大きな被害が出ているという。わたしは一気に青ざめて、テレビとSNSに釘付けになる。お昼には友人から連絡があり、秀夫さんの家は水に浸かったけれど、ヘリコプターで救助されたとのこと。無事の知らせにホッとするものの、命の危険にさらされていたことを知り、また背筋が凍る。

 それからおよそ一週間後、わたしは仙台の友人たちと丸森に行った。そして、ボランティアセンター内の整備のお手伝いをした帰り、小学校の体育館に開設された避難所に寝泊まりしているという秀夫さんを訪ねた。

 ダンボールで出来たベッドに腰掛けた秀夫さんが手を振ってくれる。秀夫さんは、沿岸の被災地のようになってしまったなあ、と苦笑したあと、でもここはお弁当ももらえるし、暖かい場所で眠れるんだからありがたいねえ、と言った。

 そして、この被災は人間の仕業だとおれは思うよ、と語り始める。戦後しばらく、林業に携わっていた秀夫さんは、山のことをよく知っている。とんでもない量の雨が降ったのは事実として、そこで山の保水力が落ちていたことが今回の土砂災害の要因だという。もとは人の手で木を伐り、運び出していたのに、機械化が進み、急峻な峰まで大規模に伐採するようになった。トラックや大型の林業機械を通すために道を太く直線的にする必要があり、それを山のあちこちにつくれば斜面が崩れやすくなる。そうしているうちに、安価な海外材が入るようになって国内の林業自体が衰退し、山の維持がおざなりになるケースが増えた。実際に、秀夫さん自身も賃金等の問題で60年代の終わりには工場に転職している。その後も地域活動の一環で山の整備は続けていたが、年をとって身体を壊してからはそれも続けられなくなったという。

 家と財産を失い、暮らし慣れた集落を破壊されてしまった秀夫さんが、自分の人生史と、これまでに得てきた経験や知識と重ね合わせながら、起きてしまったことをたんたんと解説してくれる。失ったものに対する悲しみや悔しさ、負った傷の痛みはもちろんあるはずだけど、そこには被害者的な恨み言はなかった。出来事からまだ間もないのに、語りがとても落ち着いていることに驚いた。

宮城県伊具郡丸森町
©Natsumi Seo

 わたしたちは避難所を後にし、すでに薄暗くはなってはいたけれど、丸森町内を車で巡ってみることにした。土砂や倒木であちこちの道路が寸断されており、いくつかの集落では、建物の屋根近くまで土砂が堆積している。やはり、東日本大震災直後の被災地域の風景と重なった。被災した範囲の大きさで比較すれば、今回の台風の方が、ずっと規模の小さい災害といえるだろうけれど、局地的に見れば、震災と同等程度の大被害なのだと実感した。

 ふと、震災復旧の護岸工事のために、丸森町の山々から石や土を運び出していたことが、多少なりとも今回の台風被災に影響があるのではないか、と秀夫さんや集落の人びとが話していたことを思い出す。これまで陸前高田で復興工事を見てきたわたしは、その規模の巨大さやあまりの無機質さに違和感を持ちながらも、これはこれでやるより仕方がないのだろうと思い込んできた。けれど、その背後で行われていた作業によって、二次的な被災を受ける地域が出るなんて。しかも、インフラが木っ端微塵に破壊されてしまった秀夫さんたちの集落は、現時点ですでに予算の都合上、現地再建は難しく、それぞれ転居せざるを得なさそうだということだった。東日本大震災の時は、「ふるさとに戻る」というスローガンのもと、山を伐り、広範囲に土を盛る無謀ともいえる嵩上げ工事を施してでも、各地で現地再建を目指していたことを思い返すと、丸森の復旧に対する行政の意欲は低いのだろうと感じられた。2018年の豪雨で被災した岡山県真備町の方から聞いた「東日本大震災よりも規模が小さいから、国の予算が回ってこなくてもしかたない」という言葉も思い出される。つまり、東日本大震災以降の中規模災害においては、被災した集落に復旧工事を施して現地再建をするケースは多くはないのだ。

 自然災害で被災した地域にとって、どのような復旧・復興が理想的であるのかは一度措いておくけれど、結局のところ、震災を被災地域の問題としてしか捉えてこなかった自分の視野の狭さに気付かされたのはショックだった。しかしこのことが、“東日本大震災の被災地域”対“今回の台風被災地域”という対立の構図になるのは違うし、もちろん、秀夫さんたちもそんな風には話していなかった。けれど、被災、復旧、都市開発、発展……という連続する出来事の中で、遠隔地同士が影響しあう“よくない連鎖”というものがたしかにあり、そのことについても考えなければいけないのだと、わたしはやっと気づいた。

 一方で、たった一週間ほど前に同じ台風で大騒ぎをしていたはずなのに、何事もなかったかのように日常を送る首都圏の人たちに対しては苛立ちを覚えた。あの大きな台風が来ても、そちらで大被害が出なかった理由には、地方と比較して、インフラ整備にかなりの投資が為されていたという事実もあるだろう。都市と地方、関東と東北。長年の蓄積で開いた格差があるからこそ、必然的にそちらは無事だったのだ、とも言えるのではないか。もちろん、無事であったことはいいことだけれど、せめてその前提を念頭に置いて、すこしはこちらで起きていることにも関心を持ってもらいたい、とわたしは思った。そして、そのためにできることを見つけなければと。

 ここまでが2019年末くらいまでに感じていたことだ。しかし冒頭にも書いたように、それからすぐにコロナ禍に入ってしまい、さらにその後も、各地でいくつもの地震や豪雨・台風被害が起きつづけている。


 今回書いた物語は、台風から丸2年が経つ10月に丸森の人たちと一緒に企画した、丸森の台風を語り継ぐための場「台風に名前をつける会」で、丸森の人たちが中心となって話し合った内容をもとにして書いたものだ。

 なぜ「台風に名前をつける会」にしたのかというと、歴史的に水害が少なくはなかった丸森町でとくに語られる明治3年の「サトージ嵐」を知ったからだ。サトージとは、当時世間を騒がせた大泥棒の名前で、重ねた罪のために捕まって処刑される直前に、「お前らを恨んでやるからな」と言い残した。そして、そのちょうど一年後に嵐が来て、大被害になった。おそらく唯一、この土地ならではの名前を持ったこの水害については、このような伝説的な物語とともに、地元住民に広く認知されているという。

 2021年の丸森を歩くなかで、すでに町内でさえも被災の記憶が薄らぎつつあるという声を多数聞いた。それなら意図的にでも、今度の台風を語り伝えるための対話の場を持ちたいと思い、そのお題として、台風に名前をつけてみてはどうかと考えた。丸森で出会った人たちが、こんな突飛な発想を面白がってくれて、たしかにそういう場は必要だね、と言ってこの場に参加してくれたのはうれしかった(その場で話されたこともすばらしかったのでまたいつか書きたいと思うのだけど、じつは、現在東京都写真美術館で開催されている展覧会にそのドキュメント映像が展示されているので、もし関心を持ってくださった方はぜひ足を運んでいただきたい)。

 かなりの無茶ぶりの場と思われた「台風に名前をつける会」だったけれど、最終的には、「大じゃくぬけ台風」「丸森の大じゃくぬけ」と言ったアイディアが出てきて、みなで納得しあい、喜んだ。「じゃくぬけ」はもともと丸森で使われていた崖崩れのことを表す古い言葉で、その場に参加していた秀夫さんがふとした拍子に教えてくれたのだ。調べてみると、関東地方にも崖崩れを表す「蛇崩(じゃくずれ)」という言葉があるという。そして民話の中ではよく、蛇は水の比喩として現れるから、「じゃくぬけ」の「じゃ」も蛇として捉えてみてはという話になった。おまけに、丸森で大蛇の伝説がある沼の跡地が、今回の台風で堤防が大破し、大量の水が流れ込む「おっぽり」が出来た場所と重なるという証言まで出てきたので驚いてしまった。

 台風から2年。地球環境が変わり、これからより災害が頻発するようになっていく。丸森で聞かせてもらった大切な語りと、このまちで生まれた物語を、今度は遠くに届けなければと思っている。

 

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