未整理な人類 どうにもとまらない私たち / インベカヲリ★

人間は不可解な生き物だ。理屈にあわないことに、御しがたい衝動をおぼえることがある。逸脱、過剰、不合理……。私たちの本質は、わりきれなさにあるのではないか? 気鋭の写真家・ノンフィクション作家が、〈理性の空白〉に広がる心象風景をつづるエッセイ。

「欲しいもの」を持っているのは誰か

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 表現行為というものは、芸術家だけがやるわけではない。生活の様々なところに、うっかり転がっているものだ。ひょんなところから「お、これは表現行為じゃないか」と気づくことは、私の日常にしばしばあるのだが、強烈なエピソードをひとつ紹介したい。

 アーティストに格安で部屋を提供し、創作活動に専念してもらう支援事業「アーティスト・イン・レジデンス」というものが全国にある。私の写真の被写体になってくれた小麦ちゃん(仮名)も、関東某所にある「アーティスト・イン・レジデンス」の入居者で、これは彼女から聞いた話だ。

 そのエリアは元々、戦後の青線地帯で、違法売春宿が並ぶ「ちょんの間」だった。わずか二畳ほどの狭い部屋で格安の売春が行われており、近年はもっぱらロシア人女性が出稼ぎで来ているケースが多かったという。その一帯を取り仕切っているのは、もちろん地元のヤクザだ。麻薬が行き交い、外国人娼婦とヤクザ以外にも、フラフラになったアルコール依存症や薬物依存症の男たちが街を徘徊していたらしい。市としては、そうした治安の悪い地区を野放しにしておくわけにはいかない。住民からの要望もあり、2005年には警察による「バイバイ作戦」が発動され、ちょんの間だったエリアは一夜にして機動隊の装甲車に取り囲まれ封鎖された。外国人娼婦たちは強制帰国させられたという。
 
 その後、一帯はアートの街として生まれ変わった。ちょんの間だった建物は内装がリフォームされ、今ではアーティストたちの住居や作業場として使われている。街は若者や子どもたちで賑わい、ちょっとした観光地だ。町おこしの成功例としても注目され、全国から視察が来るほどだという。

 が、当然地元ヤクザの怒りは買っている。
 「アート・イン・レジデンス」が誕生し、記念すべきアート・フェスティバルが開催され、市長や県知事、警察署長や地域住民の挨拶から始まり盛大なオープニングとなったその日、レジデンスの横を流れる河川から、土左衛門を模した人形がドンブラコと流れてきたという。その意味は、「調子に乗ると水死体にするぞ」だ。
 
 私はその話を聞いて、「ええっ!」と思った。まさにアートの街の門出にふさわしい表現行為ではないか。怒りの表現として、水死体人形を流す。伝統的な脅しの手法は、奇しくも極めてアーティスティックなパフォーマンスとなったのである。街の成り立ちと、怒りの表明が、アート表現としてシンクロする、こんな奇跡があるだろうか。
 
 と、ここで話が終わればどんなに良かったか。この原稿を書くにあたり、もうちょっと詳しく教えてもらおうと小麦ちゃんを通して関係者に聞いてもらったところ、当初「人形」として語り継がれていたその土座衛門は、実は本物の水死体だったらしい。
 私はドン引きした。笑い話から一転、物騒すぎる話である。とても原稿には書けない、と思ったが開き直って書いている。
 どの時点で水死体から人形に話がすり替わったのかは分からないが、関係者としてもあまり騒ぎにして、住民やアーティストをビビらせたくなかったのかもしれない。関係者の話によれば、その前年のアート・フェスティバル開催日にも水死体は流れてきたといい、もはや恒例となっているという。「死体のストックがどこかにある」ということだ。
 もっとも、実際に流れてくる水死体を目撃した人はいない。肝心の「アーティスト・イン・レジデンス」の代表すら、「怖がって逃げられたら困る」という理由で、数年経ってからでないと教えてもらえなかったという。話が曖昧で、途中で内容が変わっていることからも、実は都市伝説というオチなのかもしれない。むしろ、そうであることを願う。


 
 小麦ちゃんの話をしよう。彼女を撮影するのは二度目だった。その日、撮影を終えたあとの雑談で、私は最近考えていることとして「芸術と犯罪と症状は似ている」というような話をしていた。
 
 すると小麦ちゃんは、即答した。

 「本当にそうだと思う! 私がつくったストーカーソングの歌詞も警察に消されちゃったもん」

 一体どういうことなのか。話をさかのぼろう。

 小麦ちゃんはアーティストであるが、ストーカー加害者でもある。かれこれ5年以上、ひとりの男性に思いを寄せており、連続100回電話をかけたりメールを送り付けたりするなどの迷惑行為により、これまで何度か警察に通報されている。とはいえ、命にかかわるような危険な攻撃はなく、心理的に追い詰めてしまう行為が止められないというものだ。お相手の男性には、もう何年も直接は会っていない。これまでいくつかのストーカー専門病院に行って治療も受けたようだが、金銭的な余裕がなく継続した通院はあまりできていないという。小麦ちゃんの話は、拙著でもちょこちょこ書いているので、「あっ」と思う人もいるだろう。

 で、ストーカーソングである。この日、撮影が終わると、小麦ちゃんはおもむろにフォークギターを取り出し、「Z君(仮名)へのストーカーソングを作ったので、インベさんに聴いてほしい」と言って歌いはじめたのだった。これまでに作った歌は、全部で約20曲。その歌詞が凄い。

 「グーグルマップで調べた~、あなたが住んでるその街は~、私の住んでる街から歩いて8日(ようか)と2時間~ あなたの住んでるその街は~、もう二度と戻らないと決めた実家から車で30分~」

 被害を受けているZ君は、今は遠くに住んでいるが、小麦ちゃんはわりと最近まで匿名の手紙を毎日送りつけていたという。匿名である理由は、以前、名前を書いてレターパックを送ったところ、「受取拒否」という見たことのない押印をつけられて戻ってきたことがあったからだ。しかし、そうこうしているうちにZ君は引っ越してしまった。不動産情報サイトで物件を調べると、いつの間にか空き部屋になっていたらしい。
 その後、小麦ちゃんは、Z君の妹のSNSにあがっているキラキラ子育て日記の全ページに「イイネ!」を押して回ったり、Z君のプライバシーにかかわる情報をネットで暴露するなど、およそ嫌われる行動を一通り行った。これまで何度か迷惑行為で警察に通報され口頭注意を受けてきた小麦ちゃんだが、このときは、いきなり警察官3人が自宅に来たという。
 警察は部屋に上がり込むと、小麦ちゃんのノートパソコンやケータイに入っているZ君がらみのデータをすべて目の前で削除するよう要求した。このとき、ストーカーソングの歌詞も全て消去させられてしまったという。彼女の歌は、取り締まりの対象となったわけだ。

 「警察官の目の前で日記も消したんですが、『死にたい死にたい』って書いてあるのを見られて『病院は行ってますか?』って心配されました」

 まさに、「芸術と犯罪と症状は似ている」を体現しているのが小麦ちゃんである。
 この一件のあと、表現の幅が広がったのか、これまでインスタレーションを中心とした作品を発表をしていた小麦ちゃんは、精神科で処方された大量の精神安定剤を色水に溶かして肖像画を描くようになった。いわさきちひろのようなタッチだが、唇だけが鮮血のように赤く、牧歌的な緩さと、鉄のような冷たさが入り混じる不思議な引力を持った作品である。 
 
 ちなみに「アートの街として生まれ変わった」と言ったが、それはピンポイントなエリアを指すだけで、娼婦たちは川を挟んだ向こう側に移動し、今も立ちんぼとして活動している。アーティスティックなブックショップやカフェから眺める視線の先は、煌々と輝くラブホテルの看板である。レジデンス周辺には、ちょんの間時代に「警察が来るぞー」と叫んで回る仕事をしていたというお婆さんが今も住んでおり、アーティストたちと世間話をする仲だという。アートと裏社会が入り混じり、よりディープさが増したと言えなくもない。


 
 表現行為は性癖となり、ときに文学的である。

 むかし、とある風俗媒体で編集をしていた男性からこんな話を聞いた。取材した風俗嬢の女性に「変わったお客さんはいました?」と聞いたところ、出てきたエピソードだ。その男性客は、生きたアリをタッパーに入れて持ってきて、「部屋に放つから素足で踏みつぶしてほしい」と要求してきたという。プレイ時間中その客は、素足でアリを踏みつぶす女の子の姿を見るだけで興奮し、満足して帰っていったそうだ。
 その話を教えてくれた男性は、「文学的ですよね」と言った。私もそう思う。残念ながら又聞きなので、その女の子がどう感じたかも、その客にどんな背景があったのかもわからない。それだけに想像が膨らむ。アリといえども生きものだ。女性が素足で踏みつぶすことと性的興奮がどこでどうつながるのか。

 誰も欲しがっていないものを欲しがっている人を私は尊敬している。たいていは、その逆だからだ。ヴィトンのバッグが欲しい、村上春樹が読みたい、クリスマスはチキンが食べたい、などと思っているのは、他の誰かがそれを欲しがっているから欲しいだけで、真に心の奥底から出てきたオリジナルな欲望とは違う。世間的な価値観などまったく無視して、自分の欲望に忠実であろうとする人は稀ではないだろうか。そもそも、「本当に欲しいもの」など持っていない人がほとんどではないだろうか。だから、一般的に見て「よいですね」と言われるアイテムを手に入れて、手っ取り早く空虚さを満たそうとする。

 そのことを考えたときに、思い出す事件がある。

 2005年、神奈川県川崎市の路上で、通行人がつけているコンタクトレンズを脅し取ったとして、建築作業員の男(29歳)が逮捕された。起訴状によると、男は歩いていた飲食店従業員男性に「コンタクトレンズはつけていますか?」「眼鏡は持っていますか?」などと質問。コンタクトレンズをつけているとわかると「貸してくれ」とお願いしたが、断られたために顔面を殴りつけた。その後、男性を脅して住居に押し入り、男性に「コンタクトレンズを外して、俺につけろ」などと指示。使い捨てのコンタクトレンズを差し出されたが、それを拒否し、男性のつけていたコンタクトレンズ(1000円相当)を自分の両目に着用させ逃亡したという。
 同区内では、前年から、若い男性がメガネをひったくられたり、コンタクトレンズを盗まれる被害が14件起きており、男の自宅からは、メガネ124点とコンタクトレンズ30組が見つかったという。
 調べに対し男は、「中学のときに友人からメガネを貸してもらい、よく見えるようになったことが快感になり、盗むようになった」と供述しているという。

 私が感動したことは言うまでもない。
 だが、この話には残念なところがある。彼は恐喝と傷害のほかに覚せい剤取締法違反の罪にも問われており、覚せい剤の陽性反応が出ていたからだ。
 私は覚せい剤をやったことがないので、このことがどう欲望に影響したのかは分からない。けれど、たいていの人は「なんだ、覚せい剤が原因か」と思うのではないだろうか。ドーピングによって得体のしれない欲望を引き出したというなら、これはまったく別の話になる。それとも、ドーピングにより真の欲望を引き出した、ということにもなりえるのだろうか。覚せい剤をやめたら、彼は若い男性がつけているコンタクトレンズを欲しいとは思わなくなるのだろうか。

 もっとも、倫理的に考えれば、人を傷つけなければ成立しない欲望を肯定するわけにはいかない。アリを素足で踏む女性に興奮する男の話から、抒情詩的な感動を得られるのは、それが他者にとって極めて安全な行為だからだ。
 この原稿を書いている現在、ネットニュースを見ていたら、葬儀場の職員だった男が、安置されていた少女の遺体をまさぐり、スマートフォンで撮影していたという事件が流れてきてビックリした。小学校教諭にペドフィリアが多いというのはよく聞く話だが、葬儀場の職員にネクロフィリアがいるとは考えたこともなかった。彼には妻子もいるといい、生きた人間と遺体の違いは何なのか聞きたくなる。


 
 とある農業高校では、動物愛護センターで殺処分された犬猫の骨を粉砕して土と混ぜ、花を育てるプロジェクトを行っているという。ことの始まりは、施設見学で殺処分された動物の話を聞きに行ったときのこと。動物たちの骨がゴミとして捨てられていることを知った生徒たちはショックを受けた。死んでもなお土に還ることすらできない、そんな不遇な犬猫たちを、せめて花として蘇らせてあげようという優しい気持ちからはじまったという。その動機には心打たれる。
 が、実際に私がこのニュースを最初に見たときは、ギョッとした。殺処分した犬猫の骨で花を育てるという事実だけをピックアップすると、まるでホラー映画のようだ。咲いた花から「ワン」とか「ニャー」とか聞こえてきそうである。
 もちろん、そもそも殺処分が良くないわけで、捨てられる犬猫がいなければ花をつくる必要はない。犬猫は今日も殺され続けるという前提が変えられないからこそ、せめてもの思いで活動を続けている彼らの想いは間違っていない。それはわかる。だが、宇宙人がこのことを知ったら、理解が追い付かなくて困惑するのではないだろうか。


 花といえば、新宿西口方面にその昔、私が「ゲシュタルト崩壊の花壇」と名付けた花壇があった。写真の場所がそれである。

©インベカヲリ★

 商業施設などのトイレの注意書きでは、「トイレは綺麗に使いましょう」と書くより、「いつも綺麗に使っていただきありがとうございます」と書いたほうが、人々が綺麗に使うという心理効果があるらしい。この花壇もきっと、そういう意味が込められていたのだろう。しかし主語がないので、なにが「ありがとう」なのかさっぱりわからない。その上、この無駄な数。花より、文字のほうが目立つというありさまだ。
 何かを真剣に考えて行動しているつもりが、ふと我に返るとなんだかよくわからないことになっている、というのはありがちな話である。
 私はそうしたものが嫌いじゃない。

【参考文献】
2005年7月29日、8月17日、18日、10月18日 読売新聞 東京朝刊
2005年7月29日 毎日新聞 東京朝刊
2005年7月29日 中日新聞 朝刊
2018年7月15日 猫の本専門出版/ねこねっこ WEBサイト
2023年1月20日 日テレNEWS

 

 

*本連載は、初回と最新2回分のみ閲覧できます。

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