未整理な人類 どうにもとまらない私たち / インベカヲリ★

人間は不可解な生き物だ。理屈にあわないことに、御しがたい衝動をおぼえることがある。逸脱、過剰、不合理……。私たちの本質は、わりきれなさにあるのではないか? 気鋭の写真家・ノンフィクション作家が、〈理性の空白〉に広がる心象風景をつづるエッセイ。

破壊に吸い寄せられる

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 「パソコンのデータ消去会」というのが、東京の中野区で開催されるらしい。チラシには「会場内で破壊消去します」と書いてある。区が主催するということは、よほどデータを消去したくて困っている住民が多いのだろう。

 私も以前、ハードディスクを捨てようと思って調べたとき、水没させてもデータは復旧できると書いてあって震え上がったことがある。そのときは仕方なく、トンカチで傷をつけてから破棄した。パソコンのデータを完全消去することは意外と難しいのだ。

 ということは、この会では、流出したら困る情報や隠したいなにかを持った市民がゾロゾロとやってきて、みんなで一斉にハンマーでカチ割ったりするということなのだろうか。近所の公園で開催されるというので、いっちょ、やましい情報を抱えた中野区民の顔でも拝みに行くかと出かけていくことにした。

 もっとも、中野区のやることだ。どうせ特殊な機械を使って、ボタンひとつでピッと終わらせるようなものだろう。そう思いながらもわざわざ足を運ぶのは、早くもこの連載のネタが尽きてきたからである。どんなつまらなそうなものにも首を突っ込まなければならない。

 その日は大雨だった。公園に併設された屋内会場スペースに行くと、大きなバッグにノートパソコンを入れた市民が次々に現れ、10人ほどが列を作っていた。意外だったのは参加者の約8割が50~60代と思しき女性だったことだ。男性は少なく、若者は1人もいない。個人情報流出に過敏な層が、中高年女性に集中しているということだろうか。

 現場には、「破壊」という言葉にはおよそ似つかわしくない、作業服を着た柔和な男性2人が座っていた。持ち込まれたノートパソコンの裏側をパカッと開けると、ハードディスクに電気ドリルのようなもので穴をあけている。意外にも原始的な手法だ。手際よく終えると「はい、今日はこれで終わりです。お気をつけてお帰りください」と、まるで歯医者のようである。ひょっとすると若者や男性の場合は、こうした破壊行為を自分で出来てしまうからやってこないのかもしれない。


 
 某カメラメーカーには、カメラを破壊する部署があるという。私はその話を、その会社に勤めている社員から聞いた。「破壊してるところを見に行きたい」と言ってみたが無理だった。なぜ破壊するのかは忘れてしまったが、おそらく在庫を抱えていると資産になって税金を取られるからだろう。横流しを防ぐために、古くなった機種は破壊してから破棄するしかないのだと思われる。

 出版社でも、何年も経って売れる見込みのない本は断裁されることがある。それも想像すると悲しいが、カメラとなると絵面の壮絶さが違う。せっかく開発した一眼レフカメラやレンズをハンマーで叩き壊すのだ。カメラが大好きで入社したのに、破壊する部署に回された社員の心情たるや計り知れない。


 
 破壊と言えば、霊のもつ破壊欲求もなかなかのものだ。あるとき、コップにお茶を注いで冷蔵庫の上に置いていたら、何もしていないのに突然ピキッと音を立てて真っ二つに割れてしまった。そんな割れ方ははじめて見たので驚いた。とはいえ、お気に入りのコップを割らないでほしい。心霊現象ほど迷惑なものはない。お茶も飲めなくなったし、呆れて塩を撒く気にもなれなかった。


 
 以前、自転車をこいでいたら、向かいからウーバーイーツの配達員が携帯を見ながら自転車で近づいてきたことがある。本来なら、お互いが端によってすれ違うはずが、相手は携帯を見ながら走っているのでまったくこちらに気づいていない。自転車用道路だったため道幅が狭く、真ん中を走られると避けようがない。結局ギリギリのところで、私がギャーと叫びながら街路樹に突っ込んだ。相手はそのときになって初めて気づいたらしく、キョトンとした顔でまっすぐに走り去っていった。避けたほうがバカみたいだ。だから、今度同じシチュエーションでウーバーイーツが走ってきたら、ちゃんと真正面からぶつかろうと思っている。タイヤとタイヤがピタリと正面衝突したら、少なくとも構えている私のほうは怪我をしないで済むだろう。少しでもズレたら大惨事だが、そこは全神経を集中させようと思う。自転車が破壊したってかまわない。

 そう言うと、「ベルを鳴らせばいいじゃん」と正論を述べる人もいるかもしれないが、そんなことができるのは、ごく一部の俊敏な人だけだ。たいていの人は「あっ!」と思った瞬間には、もうぶつかっている。だから、どうぶつかるかが問題なのだ。


 
 突然、警察官が訪ねてきたことがある。「この建物内で、玄関にいたずらされたという通報がありまして。何かご存じないですか」と言う。私も被害に遭ったら怖いので、「どこの部屋ですか?」と聞いたら、「それは教えられません」などと言う。まるで私が容疑者あつかいだ。「この建物の住人で、怪しい人はご存じないですか?」などと聞いてくるので、「ここに住んでる人は全員怪しいですよ!」と、私は答えた。

 私が仕事場として借りている部屋は、家賃48000円の安アパートだ。一階に住んでいる自称管理人の老人は、勝手に階段のペンキを塗り替えたりするので汚れて困っている。二階の住人は、決して姿を現さないが、定期的にドアノブに食料を入れたビニール袋がぶら下がっており、一人暮らしをしながら引きこもっているようだ。隣の住人は、基本的に静かだが、たまに思いだしたようにプログレみたいな音楽を聴いているので、私は窓を開けて森高千里で対抗したりしている。

 そもそも離れた場所に住んでいる大家からしてとんでもない人で、電気工事の作業員を連れてきて、いきなり建物全体の電源を落としたことがある。パソコン作業をしていた私は愕然とし、怒り心頭で苦情を言いに行ったが、「あら~、ごめんなさい」といった感じでとりつくしまもない。

 ついでに向かいの建物に住む老夫婦は、よく威圧的な声で喋っており、ある日、「今日は6時からなかのZEROホールで集会だからな!」という声が聞こえてきたので、隣の老夫婦は何をしに行くのだろうと思ってすぐに検索をかけたら新興宗教の集会だった。

 だから、「怪しい人は住んでいますか?」などと聞くのは愚の骨頂。平穏な生活のなかにも、破壊的な人間はたくさん潜んでいるのだ。


 
 世の中には、幸せを掴むと破壊したくなるという人がいるらしい。人生最高の瞬間に、ムラムラと怒りが湧いてきて、全部ぶっ壊したくなるのだそうだ。そういう話は何人かから聞いたことがあるので、そう珍しくもない心理なのだろう。幸い、私にはそこまでの倒錯はない。

 ただ、いずれ壊れるとわかっているものを、いつかいつかと待っているのが嫌で、自分から破壊することはある。例えばカナブン。随分昔の話だ。

 ある夏の日、カナブンが部屋に飛んできたので捕まえようとしたら、逃げるように絨毯の下に入り込んでしまった。取ろうとすると、指からすり抜けるように奥へ奥へと入り込んでしまう。絨毯の上にはテーブルなどが置いてあり、それ以上奥へ進まれるといよいよ助け出せなくなってしまう。結局、私は救出を諦めた。だが、絨毯の下にカナブンがいることを知っているのは私だけだ。いずれカナブンは誰かに踏み潰されてしまうだろう。そのときをいつかいつかと待っているのは非常にストレスだった。なので、私は自分の足で踏み潰した。どうせ死ぬのなら、さっさと殺してしまったほうがいいだろうと思ったのだ。

 子どもの頃、車で人を轢いてしまったときの場面をよく想像していた。もしも、息も絶え絶えに生きていたら、かわいそうだからもう一度轢いて、すぐに死なせてあげるほうがいいのではないかと考えていたのだ。

 大人になったある日、下半身だけを車に踏み潰されたカエルが、上半身をバタバタさせてアスファルトに張り付いている姿を見かけた。何度もシミュレーションしたあの光景だ。いずれ死ぬのだから、楽にさせてあげたほうがいいのではないかと思ったが、自分で殺すのは気分が悪いので何もせずに通り過ぎた。 


 
 ある季節になると、近所に迷い猫のチラシが増える。私はそのチラシを隅々まで見るのが好きだ。チラシの作りを見ただけで、どれだけ切実に探しているかがわかる。本当に大事な猫だと、毛色から尻尾の長さや性格までが事細かに書かれており、様々な角度から撮った写真が載せられている。そんななか、奇妙なチラシを見つけたことがあった。猫の写真一枚と電話番号だけが書いてあり、説明文は何もない。猫は長毛種で、路上にいたら目立ちそうだが、本当に探す気があるのか疑わしいチラシだ。一体、飼い主は何を考えているのだろうと思っていた。しばらくすると、さらに奇妙なことが起きた。数ある迷い猫のチラシの中で、その猫のチラシだけが何者かによってすべて破り捨てられていたのだ。紙片が路上に散らばっていることもあれば、電柱に張り付いたまま半分に切り裂かれていることもあった。どう考えても、誰かに恨まれている。もしも、これが人間の行方不明者だったら、間違いなく事件に巻き込まれてとっくに殺されているパターンだろう。よほど訳アリな猫なのか、今でも謎のままだ。


   
 和歌山県にある「白浜アドベンチャーワールド」では、今年1月、飼育していたライオンが新型コロナウイルスに集団感染したらしい。これにより、基礎疾患のある高齢ライオン2頭が死亡し、ほかのライオンも咳をしていたが、今は回復しているという。銀座三越に鎮座したライオン像は、コロナ禍以来、つい先日までマスクをしていたが、そんな微笑ましい光景も今のアドベンチャーワールドではシャレにならないだろう。

銀座三越のライオン像 ©インベカヲリ★

 なんでもその直前にコロナ感染した飼育員がいたらしく、おそらくそこから感染したと推測されているようだ。ライオンと濃厚接触しているくらいだから、飼育員としては立派だったに違いない。

 ところで、アドベンチャーワールドといえばパンダである。上野動物園のパンダよりはるかに多く飼育されており、今年2月には、永明、桜浜、桃浜の3頭が、繁殖などのために中国へ帰ったばかりだ。もしも感染していたのがライオンではなくパンダだったら、四川省で集団感染し、今頃「成都ジャイアントパンダ繁育研究基地」のパンダが全滅していたかもしれない。そうなったら外交問題である。それとも、コロナの発生源が武漢だという説が本当だとしたら、「これでお互いさまだ。わっはっは」と握手を交わしていたのだろうか。

 そもそも、コロナ感染でライオンが死んだのが1月で、そのことを発表したのが3月だ。2月にパンダが返還されたことを考えれば、いらぬ誤解を与えて騒ぎにならないよう発表を避けていたのかもしれない。責任者もさぞ肝を冷やしただろう。


 
 壊れてほしくないと思いつつ、すべて壊れてしまえと同時に願っているときがある。自分ひとりの生活が破綻するのは嫌だが、みんなが一斉に破綻する未来ならワクワクする。すべてが壊れてゼロになったら、ヒャッホイと小躍りする人は多いのではないだろうか。私はそうだ。人間から破壊願望をなくしたら、きっと人ではなくなってしまうだろう。

 

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