無垢の歌 大江健三郎と子供たちの物語 / 野崎歓

大江健三郎の文学において、子供はときに危機にさらされ、不条理な世界を一身に受けとめる存在として描かれる。なぜ物語の少年少女たちは、かくも鮮烈な印象を残し、ひときわ輝きをはなつのか。大人が失ってしまったものと、“チャイルドライク”な作家の本質にせまる、まったく新しい大江健三郎論。

鳥は歌い、鯨は叫ぶ

share!

ギミー・シェルター

 『洪水はわが魂に及び』(1973年)は、大江健三郎という作家の巨大さを如実に伝える驚くべき長編小説だ。いま読み返しても、ひしひしと身に迫る感覚があるのは、ぼくにとってこれが1970年代前半の記憶に直結する小説だからだろう。小学校高学年から中学校にかけての日々、異様なニュースが次々に報道された印象が消えがたく残っている。実際に『洪水はわが魂に及び』を読んだのは、それよりあとになってからだったけれど、「あのころ」に漂っていた一種得体の知れない雰囲気が、ここにはみごとにとらえられていると感じる。

 「あのころ」には何があったのか。三島由紀夫自決の現場写真を新聞の第一面に見たのが1970年晩秋のこと。「人類の進歩と調和」を謳った大阪万博のお祭り気分を一掃するような冷たい風が吹いてきた。東京オリンピック以来続いてきた高揚感が一変した時期だったと思う。1972年2月、あさま山荘に立てこもった連合赤軍と警察・機動隊との、寒々とした雪景色のなかの攻防、鉄球による山荘の破壊の実況中継を、ぼくらはみな延々と見つめ続けた。1973年は終末ブームの年である。井上ひさしや野坂昭如、小松左京といった面々を結集して創刊された隔月刊誌は「終末から」と題されていた。小松左京の『日本沈没』がベストセラーになり、11月には五島勉の『ノストラダムスの大予言』が刊行された。「一九九九年の七の月」に「恐怖の大王」が降臨して人類が滅ぶという予言が、小中学生たちの心胆を寒からしめたのである(ちなみに五島は「恐怖の大王」による災厄を「超汚染と核戦争」と解釈していた)。文明の終焉を一つのテーマとする大江の『洪水はわが魂に及び』(はこ入り上下2巻)が刊行されたのは、同じく1973年の秋のことだった。

 この小説に登場する「自由航海団」なるグループの若者たちは、「いま新聞がしきりに予言している大地震」のことを気にかけたり、それに続いて「火災とペスト」が荒れくるうのではないかと考えたりしている。「自分ぐるみこの世界が滅びてしまう」と思いつめている者もいる。幼い息子と二人、民間用の「核避難所シェルター」に隠棲している主人公・大木は、それらの若者たちと最初は敵対しつつも次第に相互理解を深め、ついには彼らとともに機動隊を相手どって籠城する。彼もまた、人間による自然破壊に絶望し、終末の予感にさいなまれる人間だったからこそ、そんな共闘関係がなりたったのだ。

 この時期、一方では、水俣病やイタイイタイ病や光化学スモッグなど日本全国で公害問題がいっせいに噴出し、環境悪化の深刻さが明らかになっていた。他方、アメリカやソ連、フランスを始めとする列国の核開発競争には歯止めがかからず、その波は中国やインドにも広がりつつあった。カタストロフの想像力による呪縛は――それは一種の魅惑をも及ぼしていたのだが――、脅威に満ちた現実のさなかに発するものだった。むろん、中学生のぼくがそんな大問題に取り組んでいたわけではない。ひたすら、ラジオから流れてくるロックミュージックに夢中になっていただけだった。だが今になって考えてみると、大江の巨編は当時のロックともみごとに共振していたではないか。

 ロンドンを襲った暴風雨のさなかで書かれたという、ローリング・ストーンズの「ギミー・シェルター」。シェルターがなければおれはくたばるだろうとミック・ジャガーが歌う、炎と洪水の終末的イメージに彩られたあの曲は、大江作品のテーマソングにしたっていいところだ。さらに、大江が同時代のブリティッシュロックに心を動かされた形跡は皆無であることは承知の上で、「ボオイ」にも触れておこう。「自由航海団」のメンバー中、もっとも稚なくひ弱で、仲間のリンチにさらされるいたいけな少年が「ボオイ」である。「ボーイ」としないその大江ならではの表記が、ぼくの心のなかではどうしたって「ボウイ」と響き合う。デヴィッド・ボウイが人類滅亡と宇宙人降臨というコンセプトのもと、「スターマン」や「ロックンロールの自殺者」で中学生の心を奪ったのと同じころに『洪水はわが魂に及び』は書き下ろされたのだ。

「善きもの」と「魂」

 「ボオイ」、そして「自由航海団」の紅一点である伊奈子の二人について、団の創立者である喬木は「『ボオイ』も伊奈子もまるで赤ちゃんだからね」と、その精神の幼さを強調する。メンバーで最年長と思われるのは「縮む男」なる奇人だ。ところが全身が縮んでいく謎の病に侵された「縮む男」は、まさにその異常な症状によって子供へと逆向きに成長しつつある。この集団全体が子供的なもの、幼稚なものを抱え込み、根拠ともしていることがそこに示されている。

 主人公の中年男・大木にもまた、「自由航海団」の面々に決してひけを取らない、驚くべき純真さが備わっている。その点に小説にとって決定的な性格付けがある。かつて民間用の「核避難所シェルター」の販売に携わった主人公は、どうせ役に立たないとわかっているものを売りつける商売に鬱々となったのち(そもそもまったく売れなかった)、息子と二人でシェルターで暮らしている。はたから見るとなかなか異様なミッションを、自ら背負い込んで。

 「その際かれは、この世界でもっとも善きもの、すなわち鯨と樹木のための代理人を自認したのである。かれは名前も、その代理人としての本質を示威すべく、大木勇魚おおきいさなと変えていた。

 かれは瞑想して樹木・鯨と交感しながら、「樹木の魂」「鯨の魂」に呼びかけるようにして、はじめて確実に考えることができた。鯨の様ざまな生態の写真を眺め、録音されたその声を聞き、核避難所の銃眼から、7×50、73°のプリズム双眼鏡で、戸外の樹木を観察することが、かれの仕事だった。」

 勇魚は『万葉集』以来のクジラの古名だから、「大木鯨」と名乗るのと同じことである。使命をそのままストレートに表した名前なわけだが、樹木および鯨の「代理人」とは何を意味するのか、そしてその活動とは具体的には何なのか? そう問われたなら、「代理人」の立場のもろさはたちまちあらわになってしまう。鯨や樹木がいま存亡の危機にさらされている、だから彼らの権利を守るために「代理人」となったというのだが、彼が鯨や樹木にそう頼まれたはずもなく、その役割を「自認」しているにすぎない。独り合点して頓狂な行動に出たといわれても仕方がない。「樹木・鯨と交感しながら」とあるが、あちらが彼の存在を感じている保証は何もない。現実にできるのは、せいぜいこちらから「呼びかける」ことくらい。鯨の写真を眺め、声の録音を聞き、双眼鏡で樹木を眺めるだけで、本当に「仕事」といえるのかとケチをつけたくもなる。

 だが「この世界でもっとも善きもの」という一言が、強いきらめきを放つ。それによって作品全体を一閃いっせんのもとに照らし出すとさえ思える。鯨と樹木こそは最上級の「善」なのだ。その唐突な価値判断によって、世界はにわかに意味のあるものとなる。善と悪の対決の様相を帯びるという以上に、善へのひたすらな帰依と祈りが求められる。大木は作中で「サトザクラ」や「ヤマモモ」に向けて訴えかけたり、「ケヤキ」に感謝したりと、シェルター周囲の樹木に注意深くまなざしを注いでは、そこに想いを集中し、祈念を捧げる。「prayというのは、自分全体でなにかに集中することだろう?」と「ボオイ」は、大木を教師役に英訳で『カラマーゾフの兄弟』の抜粋を読みながら、独自の解釈を提案する。それはまさに大木の暮らしを支える祈りの流儀であり、倫理だった。

 「――おれはこういう穏やかな夕暮には、自分のまわりにある樹木に支援されて、もっともいいかたちに行動するというか、ふるまうというか、そうすることができると思うことがあるよ。それをおれは『樹木の魂』に援助されて、と考えるんだがな……」

 喬木と気持ちを通わせ合いながら、大木はそう述懐する(大江・大木・喬木の苗字の連続性は彼らの絆を明示する)。ここでも問題は「いいかたち」、つまり「善」なのである。その善とは人間社会にとっての規範ではなく、人間の尺度の外にあって、地球の生命それ自体と結びついたものと考えられている。樹木も鯨も、文明によって攻撃され脅かされていることで、いっそうその「善」としての価値と純度を高める。

 興味ぶかいのは、「代理人」を自認する大木が、別段、樹木保護運動や反捕鯨活動に身を投じるわけではないことだ。過激な直接行動によって名をとどろかせることになる「グリーンピース」が設立されたのは1971年。同時期に書かれ、やはり過激な暴力的直接行動をクライマックスで描きながらも、この作品にはグリーンピース的正義の主張はない。それは「自由航海団」が新左翼のセクトや、あさま山荘事件の連合赤軍を想起させながらも、政治的な信条や主張をまったくもたないこととパラレルだ。自分たちは極右でも極左でもないし、革命をめざしてもいない、政治とは関係がないと喬木も伊奈子も強調する。

 そうした非政治性は、いわゆるスピリチュアリティの希求に結びつくように思える。表題は聖書を発想源としているし、鯨はヨナの挿話を連想させる。だが作中に既存の宗教とのつながりは認められない。そのかわり重みをもつのが「魂」の一語だ。


 現代の日本人作家で、「魂」という言葉を自らにとって最重要なものとして用いる作家は、大江ただ一人ではないだろうか。樹木や鯨の「魂」というとき、どうやら大江ははるかに時代をさかのぼり、古代的な「たま」の考え方を自分なりによみがえらせ、作り直しているのである。大野晋の『古典基礎語辞典』(のちに大江の愛読することになる一冊)によれば、「魂」は「動植物、器物などに宿る精霊」であり、その精霊が「人間を見守り助け」「精神的な活動をつかさどる」と考えられていた。この小説で「樹木の魂」「鯨の魂」にはそうした意味合いが与えられている。

 しかも大江は「魂」と「善」のあいだに根源的な結びつきを想定している。大木勇魚は「自分の魂の平安のため」に、シェルター地下壕内、濡れた土を露出させた床に「裸の足うら」をのせて瞑想する。あるいは「ザトウ鯨の歌」を録音したテープに耳を傾ける。彼はそうやって、懸命に自らの魂を善きもので満たそうとする。樹木や鯨の精霊によって導かれ、浄化されることに「自分全体」を集中させる。それが彼が「生き延びつづける」者となるため、自らを救済するために掴んだ唯一の方策なのである。

樹木は鯨となる

 では、なぜ樹木であり、鯨であるのか。手がかりになることとしては次のような事柄が述べられている。原爆投下後、「広島でも長崎でも、樹木はまっさきに再生したんだ」、そしてまた、核戦争が起こったとき哺乳類で唯一生きのびるのは海底深く潜れる鯨なのだ……。つまり樹木と鯨は生きのび続ける純粋な命そのものであり、迫害されながらも攻撃的になることなく「平安」を具現し続けている点に主人公は魅されている。そして樹木と鯨は両者が重ね合わされることで、彼の想像力を強く鼓舞する。そこに成り立つのが「鯨の木」のイメージだ。

 大木勇魚は喬木の育った地方に「鯨の木」という言い伝えがあったと聞き、夢見心地を誘われる。

 「そのまま勇魚は、かれの前方に現に見えているのとはちがう、もうひとつの空間を見出していたのである。それは、見渡すかぎりの草原にむかって立つ者に、あるいは海にむかって立つ者にのみ経験しうるような広大な空間であって、都市に定住して以来かれはそれを見うしなってきたのであったが、幻として再現したその空間をいっぱいに埋めて、ただひとかぶの樹木による巨きい森が、『鯨の木』があらわれた。稲さながら分蘖ぶんけつして群がり伸びた太い樹幹の上に、こまかな葉の密集した厖大なひろがりがあって、それは湧きたちつつ盛りあがり、海上におどるシロナガスクジラの全容をあらわした。しかも小さく黒い賢そうな眼が、葉のむらがりのつくりだす頭部から、無邪気に微笑してよこした。その『鯨の木』の全体は端的に懐かしいものだ……」

 ここに、大江にとっての「祈り」の内実を見て取ることができる。それは既存の宗教に収斂することはないし、いわゆるスピリチュアリティやニューエイジに接近しながらそこに合流することもない。なぜならそれは徹底して、言葉と文体によるヴィジョンの問題であり、一個人が切り拓く文学的体験だからだ。新しく友人になった相手の唇から「鯨の木」の一語がもれた瞬間、勇魚の前には「もうひとつの空間」が広がり出す。文学の空間である。そこでは一本の木がすなわち巨大な森となり、さらには鯨に変容する。樹木はうちに秘めていた変身の能力を解き放ち、「湧きたちつつ盛りあがり」、何か壮麗な祝祭をことほぐかのように身を躍らせる。「こまかな葉」をむらがらせたまま「シロナガスクジラ」でもあるという、合体の不思議さが胸を打つ。そのさまが全体として「懐かしい」とは、単に「都市に定住」する以前の主人公が自然豊かな田舎にいたことを推察させるのみではない。ここでもまた「懐かしい」は、単にノスタルジアを示すに留まらず、古語における「近寄り、密着して、親しむ」という意味を取り戻している。しかもどうやら「鯨の木」自身、こちらを懐かしく思っているらしいのは、その無邪気な微笑が示すとおりだ。

 勇魚と「鯨の木」との「交感」が、確かに起こっている。もちろん、それは勇魚の「祈り」がもたらした想像上の出来事だ。そうした「祈り」の全体を言葉によって支え、描くことが小説の仕事なのである。

 先の描写に「稲さながら分蘖ぶんけつして」とあったのは、ケヤキを思い浮かべてのことだ。ケヤキは古語「けやけし」(=特別である)に由来する名をもつ、「もっともケヤケキところの木」なのだと勇魚は信じている。この小説を真剣に読んだなら、道を歩いていて一本のケヤキに出会ったとき、それを見上げる気持ちに何か特別なものが加わっているのを感じるだろう。それはぼくらも小説の「祈り」に少しばかり動かされたということなのだ。


 一方、鯨への熱烈な思いは、おそらくスコット・マクベイとの交流が刺激となっている。海洋生物学者にして詩人でもあるマクベイは、1967年、ロジャー・ペインと共同で、ザトウクジラが6オクターヴの音階をもつ「歌」を歌っているという研究成果を発表し、世界的反響を呼んだ。1970年に発表されたエッセイ「死滅する鯨とともに――わが‘70年」によれば、大江はこの年来日したマクベイと会った。マクベイが持参した鯨の「歌」のテープを一緒に聞き、「それが鯨の世界の黙示録のようであると語りあった」(『鯨の死滅する日』1972年所収)。「歌」を大江は「叫び」として受け取めている。「かれの残していった鯨の叫び声を深夜ひそかに聞きながら」、その叫び声を「ひとり模倣している自分を見出すこともあった。」大江は三島の自決や赤軍派ハイジャック事件を想起しながら、それらの「自己破壊の情念」にあらがう根拠を鯨の叫びに求めた。

 「ぼくは、滅びようとしている鯨の、言葉としては奇妙なことながら、あの人間的な歌のほうを、いかなるかたちの未来社会に志をたくした自己中心的な粗暴な叫喚よりも(それがたとえKAKUMEI BANZAI!であったとしても、またTENNO HEIKA BANZAI!であったとしても)尊敬します」(同書)

 大江にとって鯨の叫びは、同時代の日本に表れ出た極端な方向性に対する解毒作用を秘めていたのである。ロジャー・ペインによって製作されたLPアルバム『ザトウクジラの歌』は当時、10万枚以上を売り上げた。そのデジタルリマスター版はいまも入手可能で、何かを雄弁に訴えかける鯨のたくましい声を、30数分間にわたり耳にすることができる。

精霊としての幼児

 しかしそれ以上に具体的に、日常生活の中で大江に救いを与えたのは長男・光であり、鳥の歌を聴き分ける光の特異な能力だった。

 5歳になった夏、それまでほとんど自発的に言葉を発することがなかった光は、北軽井沢の森を歩いていて突然、静かな声で「ヨタカです」といった。翌日には「ツグミです」「オナガです」と次々にいい、「ホーホケキョ」と鳴く声には「ウグイスです」といった。光は鳥の声のレコードがとても好きで、大江は家で繰りかえし聞かせていた。そのアナウンサーの声に学んで、いつしか光は何十種類もの鳥の鳴き声を聴き分ける力を身につけていたのだ。

 これは実際、驚くべきことだろう。たいがいの人間は「ヨタカです」といわれても当たっているのかどうか自体、わからないのではないか。大江自身もそうで、ウグイスまで至ってようやく「これはまさしく鳥の声を指摘しているのだということに気がついた」と述懐している(『核の大火と「人間」の声』1982年)。

 鳥の鳴き声を研究している学者ですら、野外でさえずる小鳥のことを尋ねられてもほとんどわからないと告白しているくらいだ(岡ノ谷一夫『さえずり言語起源論』)。光が突如示した能力は大変なものである。

 おそらく光は、大人にはまねができないほど一途に、注意ぶかく耳を澄ませていたのだろう。その彼の耳朶に染み入ってくるとき、鳥の声は一つ一つがくっきりと特徴を備えた音節をなす。あとは自らがアナウンサーとなり、落ち着いて鳥の名を名指せばいい。彼にとっては苦もなくできたのだろうそんな離れ業は、彼と鳥のあいだのたぐいまれなつながりを示すものと感じられる。いわば光は鳥の言葉を解するのである。

 このエピソードは大江の講演やエッセイで豊かなヴァリエーションを加えながら何度も語られて、「イーヨー物語」の重要な部分を形作っている。それが小説の根幹にかかわる要素として活かされたのが『洪水はわが魂に及び』なのだ。

 シェルターの内部ではつねに鳥の歌のテープが流れている。幼児「ジン」にとって鳥の声を聴くのは「食欲とならぶ快楽」であり、目を覚ませばすぐそれに反応する。

 「幼児はきわめて自然に眼ざめ、見ひらいた眼の、視力の稀薄なほうにももう片方とおなじく、父親を認めるゆるやかなよろこびの表情を、もの・・そのもののように浮べていた。それから眼のまわりの生毛うぶげ牡蠣かきのような真珠光沢をはなっているあたりに、大人びた微笑をきらめかせると、
 ――センダイムシクイ、ですよ、とテープの声のことをいって、香りのよい小さな欠伸あくびをした。
 勇魚の躰のなかを数知れぬ気泡をたてて喜びが動いた。」

 「おまえの清らかな息吹で、私の罪を消しておくれ」と、父親がわが子に願う詩を書いたのはヴィクトル・ユゴーだ。「すると、私の心はきっとけがれない光に輝くだろうよ、/ちょうど夜ごと洗われるあの祭壇の敷石のように!」(「万人もろびとのための祈り」辻昶・稲垣直樹訳)。ここで勇魚はまさに、幼児の清らかな息吹にふれて身も心も洗われるような気持ちに浸っている。穏やかに微笑む幼児の表情のまとった輝きには、どこか神秘的な魅力がある。何よりも、鳥の声を完全に聴き分けるその力によって、幼児は自然界と人間とをふたたび結びつける可能性を垣間見せている。

 こうして幼児は、つねに鳥の声の響きに包まれて暮らしている。そのとき、おびただしい種類の鳥の声を宿すシェルターとは、取りも直さず一本の巨大な樹木だ。そして幼児は、樹木としてのシェルターに宿った一個の魂ではないか?

 しかも巨大な「銅鐸」が地面に突き刺さったような形状をもつシェルターは、海面を突き破って現れ出る鯨の姿を彷彿とさせる。勇魚はときに、息子が「仔鯨」のように迫害されるのではないかという恐怖に脅かされる。あるいは将来、自分が死んだのち、心は幼児のまま大男に育った息子が暴力を振るわれて、「鯨の叫び声」をあげる場面を悪夢で見る。幼児ジンの存在によって、樹木と鯨は結び合わされている。

 もしこの長編が英訳されるとしたら、ジンという名前はどう綴られるのだろう? いまだ英訳が(独訳も仏訳も)ないのは残念至極だが、ぜひJinnを採用していただきたいものだ。Jinnはアラブ古来の伝承における「精霊」であり、『コーラン』では人間と天使のあいだに位置するとされている。大江文学ではすでに『万延元年のフットボール』に「ジン」が登場していた。そちらは村の大食い女で、光をモデルとするジンとのあいだには食べることが大好きという以外に共通点はなさそうだが。

 『洪水はわが魂に及び』のジンは、端的にいって父を救う息子である。「ただひたすらジンを守護するために生きている者」と自覚する勇魚は、じつはジンによって生かされている。しかも「テレパシイ」でつながっているかのような両者の、一見外部に閉ざされた関係が、伊奈子や「自由航海団」の青年たちとのまじわりをとおしてほぐされていくところに、作品のもっともポジティヴな側面がある。伊奈子は「小頭症」の兄を亡くした経験をもつ。被爆者の子供の原爆小頭症は、この作品の6年前にようやく、国によって認定されたばかりだった。伊奈子にとってジンは、その兄に代わって生き続けるべき者としての意味をもつ。

 そして「ボウイ」をはじめとする自由航海団の面々も、ジンに魅かれ、「ジンがどんなに優しいか、忍耐心があるか、どんなに鳥の専門家か」に深い感銘を受けている。主張も目的も欠いた彼らの運動は、もともとが「コートームケイ」で「宙ぶらりん」な、「無」を抱え込んだものである。その「無」をつらぬいて激発する暴力のありさまは、本書の強烈な読みどころを形作る。だがクライマックス、機動隊を相手取った「コートームケイ」な戦いのさなかで、催涙ガス弾を打ち込まれながら一人のメンバーは叫ぶ。

 「ジンが(……)CSガスで傷つけられることになるなら、おれはジンを抱いてすぐにでも降伏するからな。『自由航海団』には、子供をCSガスで苦しめるほどの値打ちはないよ。」

 それ以上闘わずとも、ここで勝負あったというべきだろう。大江はあさま山荘事件のなまなましい記憶に対峙する物語を、渾身の力をこめて書き上げた。物語の根幹には、山荘のなかに一人の幼児がいたならばという想像上の問いがある。大江が求めたのは、容赦ない攻防のさなかにあって、その幼児の生命が無傷のまま守られることだった。あらゆる困難で苛烈な対立を含みながら、『洪水はわが魂に及び』が全体として、大きな微笑に包まれた小説であるように感じられるのはそのためなのだ。

 

 

*本連載は、初回と最新2回分のみ閲覧できます。