無垢の歌 大江健三郎と子供たちの物語 / 野崎歓

大江健三郎の文学において、子供はときに危機にさらされ、不条理な世界を一身に受けとめる存在として描かれる。なぜ物語の少年少女たちは、かくも鮮烈な印象を残し、ひときわ輝きをはなつのか。大人が失ってしまったものと、“チャイルドライク”な作家の本質にせまる、まったく新しい大江健三郎論。

逆転また逆転

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子供たちの行進

 大江作品を初出時に文芸誌で読んだのは、『ピンチランナー調書』(1976年)が初めてだった。その冒頭場面こそは、わが大江文学の原光景としての意味をもつのである。正午近く、学校のグラウンドの隅に佇んで、二人の父親が言葉を交わしている。グラウンドでは生徒たちが野球をしている。しかしそれは彼らの子供たちではない。「体育の授業など真の授業とみなしていない、エリート志願の小秀才たち」である。しばらくして、「われわれの子供ら・・・・・・・・」が姿を現す。

 「一列になったわれわれの子供ら・・・・・・・・は、まことにゆっくりと進んでくる。われわれの子供らとはちがう子供ら・・・・・・・・・・・・・・・・が野球をつづけるグラウンドの端をたどりつつ、頭部をまもる両手をかざしてやってくる。それは幼い投降者たちのようだ。もともと頭部をまもるためのその動作は、ともに、頭蓋骨ずがいこつの欠損をプラスチックでおおっている僕の子供と、いましがた僕と話したもと・・技師の子供と二人のために教師が指示したのである。ところがそれはダウン症や脳性小児麻痺まひの子供たちにもまた、必要な指示と受けとめられた。両手を不揃ふぞろいにかざしつつ、われわれの子供ら・・・・・・・・はなおもゆっくりとやってくる。」

 これに似た光景を、自分もまたグラウンドで目の当たりにした――初めてこの小説を読んだとき、ひやりとするような実感とともにそう思ったのを覚えている。ぼくの学んだ地方大学付属の小中一貫校には、グラウンドの北側に、この「ゆっくりと進んでくる」子供らのような生徒たちのための学級が設置されていた。当時のいわゆる「特殊学級」である。「北校舎」と呼びならわされているその別棟の生徒たちとぼくらのあいだには、交流はほとんどなかった。「北校舎」の生徒たちがグラウンドで元気よくスポーツに興じるという姿はまったく見られなかった。そしてぼくら(のおそらく多く)は、彼らを自分たちとはちがう子供ら・・・・・・・・・・・・であると考えていた。「北校舎」で学ぶ子供たちに対して、自分がいかに理解がなかったかを、『ピンチランナー調書』は一気に暴き出した。「北校舎」の生徒の親たちの気持ちを想像し、おもんぱかったこともなかったが、この小説は彼らの「魂の深奥しんおう」を描き出しているのだった。

 しかも父親たちの想像裡には「リー、リー、リーの大喚声」が響きわたっている。彼らは余計な音声を発さずプレイする「小秀才」たちのクールな試合ぶりを眺めながら、自分たちのころはピンチランナーとして塁に送り出されたとき、「リー、リー、リーという叫び声のシャワー」を浴びせられたものだ、あれほどつらく切ない気分にさせるものはなかったと語りあう。これもまた、何とも身に迫るディテールだった。どうやらぼくも彼らと同じく「戦後草野球の黄金時代」を知る一人なのか。子供のころ、弟たちや近所の友だちと野球に興じるとき、味方のランナーに「リー、リー、リー」と声援を送るのみならず、ランナー自身が執拗にそう叫んで相手のピッチャーに圧力をかけたものだ。「リー」が「リード」の略だということはなぜか幼いころから知っていた。盗塁への野望をむき出しにして、塁からじわじわ離れつつこの掛け声を発するのだ。

 『ピンチランナー調書』においては、「リー、リー、リー」は代走に起用された選手を一方的に鞭打つベンチからの督促の声であり、非力なランナーをまさにピンチに追い込むものとして回想されている。その焦燥や恐怖と、「投降者」のごときわが子の様子を目の当たりにするつらさが入り混じった、苦い想いが小説の出発点である。『洪水はわが魂に及び』の精霊のような幼児は、「特殊学級」に入れられて、すっかり力を奪われてしまったかのようだ。「ちがう・・・」者たちを冷ややかに切り離し、マージナルな位置に追いやる構図がいかんともしがたく固定されている。切り離された側には、どんな対抗策があるというのか?

空飛ぶ円盤と立体スクリーン

 対抗のための戦術を、小説はさまざまな仕掛けをこらし、じつに気宇壮大なスケールで繰り広げてみせる。このころ大江は、『小説の方法』(1978年)に結実するような理論的考察に取り組んでいた。人文諸学の知見を貪欲に吸収し、それを自らの創作に役立てようとしたのだ。実際、『ピンチランナー調書』は作家による学びの調書という一面をもつほど知的な意匠満載の力作である。

 なかでも驚くべき活用のされ方をしているのがC・G・ユングだ。1973年に翻訳の出た『ユング自伝』には、ユングが1958年に見たという空飛ぶ円盤の夢が記されている。夢に出てきた円盤はレンズのようなもので、それが金属製の箱――「魔法の幻灯」――につながっていた。接近してきた円盤は「六、七〇メートルの距離に静止して、真直ぐ私に向かっていた」。ユングは驚きの念とともに目覚める。

 「半分夢の中で、考えが頭にひらめいた。すなわち、『われわれは空とぶ円盤がわれわれの投影であるといつも考えている。しかし、今や、われわれが彼らの投影となったのだ。私は魔法の幻灯から、C・G・ユングとして投影されている。しかし、誰がその器械を操作しているのか』と。」(『ユング自伝2 思い出・夢・思想』河合隼雄、藤縄昭、出井淑子訳)

 『ピンチランナー調書』は元原発の技師だった「森・父」が、頭に障害をもつ息子「森」とコンビを組んで繰り広げる冒険を描いた小説だ(小説家であり「光」の父である「僕」は、もっぱら森・父の言葉を書き写す役割に甘んじる)。冒険の根幹にこのユングの「魔法の幻灯」がある。38歳の森・父と8歳の森の二人は、ある日目覚めるとそれぞれ、18歳の若者と28歳の青年になっていた。父と子の年齢差が逆転するという「転換」が生じたのである。突然の異変を森・父はこう説明する。

 「おれは『転換』を自覚した直後から、ひとつの固定観念を獲得していてね。それはこんなヴィジョンなのさ。宇宙的な超越者がUFOでやってきて、地球上の一地点に幻燈機を向けている。ひとつの光源が、ふたつの影を立体スクリーンに映し出す。そのような構造が設定される時、A投影図とB投影図に二十年ずつあいおぎなう『転換』をさせることは、幻燈機の箱の操作としてどうして困難だろう?」

 これが「転換」の説明として十分かどうかといえば、もちろん疑問は残るし、実際のところ理屈としてもよくわからない。しかし大江にとってユングによる示唆の何が最も大切だったかは理解できる。それは父と息子が同じ「光源」に由来するという考え方だ。

 父と子は同一の光源から投射・投影された結果なのだから、「幻燈機」を調節すれば両者の年齢も役割も逆転できるというのである。父子は一心同体とされ、二人の絆は絶対視されている。それに加えて、3D映画を先取りするような一種の立体映画がイメージされているらしい。そもそもこの小説、「映画作家」を志す左翼シンパの女優が登場したり、右翼の「大物A氏」との対決では場面が「コマ落し喜劇映画」と化し、「チャップリン」や「マルクス兄弟」が登場したりと、映画的要素が満載である。「夢のニュース・カメラがズーム・アップする」という描写もある。いっさいは巨大なスクリーン上に投影された映像なのだとさえいえる。

 そうならばすべては単なるイメージであり、実体のない戯れにすぎないのかというと、それどころか、とんでもなくヘヴィな現実上の問題がこれでもかと盛り込まれているのだからいよいよ驚かされる。

 森・父は原子力発電所のもと職員であり、十年前、核物質を積んだトラックが極左グループに襲撃された際に被曝した過去をもつ。そこから原発や原爆をめぐる、危険がいっぱいの筋立てが紡ぎ出されていく。対立しあう極左の二派が核爆弾開発をめざしていることを森・父は知る。その二派に資金を提供し、密かに操っていたのは政財界の黒幕「大物A氏」だった。森・父はそんな陰謀があったとはつゆ知らず、「大物A氏」に原子力に関する情報を提供して報酬を得ていたのである。

 そこにはさらに剣呑な話が絡んでいた。「大物A氏」がたくらむのは、過激派が東京での核開発に成功したそのとき、「天皇ファミリィ」を皇居から移転させたのち過激派に対し「王政復古戦争」を仕掛け、彼らを一気に叩き潰す。そうやって東京を救助し、「天皇ファミリィ」を帰還させた暁には自らが表舞台に出て、「自衛隊叛乱軍」を率い人心支配を完成させるという、途方もないプロジェクトだった。「転換」直後から森・父が感じていた「使命」とは、そんな「大物A氏」の野望を打ち砕くことだったのである。

 かくして転換「二人組」の行くところ、日本国の命運を左右するほどの深刻かつ重大な局面が「立体スクリーン」上に巻き起こる!

オノマトペの嵐

 1970年代半ば、『仮面ライダー』や『秘密戦隊ゴレンジャー』など特撮テレビ番組では、原発が悪の集団に狙われるという設定がしばしば見られたという(山本昭宏『大江健三郎とその時代』)。大江の小説には同時代の話題に即している部分が大いにあったのだろう。柄谷行人は新聞の文芸時評で『ピンチランナー調書』について「週刊誌的な『期待の地平』にそっているばかりでなく、それをこえていない」(『反文学論』)とにべもなく評している。 

 だが週刊誌的というよりもはるかに、ここには作家の個人的な、熱烈な希求があり、それを拡大投影して異次元を押し開こうとする果敢な挑戦がある。この小説ののち、映画では長谷川和彦監督による『太陽を盗んだ男』(1979年)が作られている。皇居前でゲリラ的に撮影したり、核爆弾の作り方を延々と写したりと、怖いもの知らずの内容でカルトムーヴィー化した一本だ。しかし共通する題材を扱いながら、比べてみると大江作品の問いかけの重さは際立つ。世界の構造を根底から引っくり返すことはできないかという問いが、大江の小説を狂おしく駆り立てている。

 そこには大江による理論武装のもう一つの重要ポイント、道化=トリックスター論が関わっている。山口昌男やバフチンの著作から大江が得た大きな励ましは、社会において下位に位置づけられ周縁に置かれた存在にこそ、中心・上位にあるものに対してダイナミックな動きを巻き起こす力が備わっているという考え方だった。「中心指向性、単一化の傾向の文化を、根柢から組みかえる構想」(『小説の方法』)を、大江はそこから育んだ。「特殊学級」に通う「われわれの子供ら・・・・・・・・」こそは、中心・上位を揺るがす道化=トリックスターでありうるのではないか? 森・父はその点を次のように直截に論じている。

 「そのように肉体的な障害をそなえていること自体、並の人間の側から見れば、基準の格下げ・引き落しでもあるからね、道化の条件をたしてるじゃないか?」

 ここでいわれる道化とは、世界の意味をまるごと更新してしまうような力を秘めた存在という意味である。他方、この小説では「大きい風穴は天皇ファミリィにむけてドンと抜けてる」と危惧されるような、あらゆる革命勢力、民衆勢力をなぎ倒して中心・上位に直結する動きが想定されている。その動きを食い止めることができるのは道化=トリックスターをおいてほかにいない。彼らこそは価値の転換、逆転を一身に担うべき者たちだからだ。

 でも、どうやってそんな反転がなしとげられるのだろうか? 現実レベルに引き戻して考えれば、もちろんそれは大変難しいことだ。

 高山久子の「小児麻痺患者も人間です」(『婦人公論』1956年7月号)という一文が思い出される。障害者運動史上、貴重な意義をもつものとして、荒井裕樹によって掘り起こされ、再評価された手記である。そこにはこんな一節があった。

 「私達に光をあたえて下さい。私達に社会の一部をさいて下さい。たとえ道化役者の肢体を持っていても、思い出して下さい。痙攣性小児麻痺患者もまた一個の人間であることを。」(荒井裕樹『障害者差別を問いなおす』の引用による)

 荒井はこの一節に「ひどく痛ましい叫び」を聞き取るとともに、以後、「高度成長の恩恵から排除され、取り残されているという憤懣」をばねとして、障害者たち自身による運動が組織されていったことを跡づけている。一方、大江は障害児の父として、自らの文学を「道化役者」を解き放つ場にしようとしたのである。

 その際、彼が選び取ったのは笑いだった。荒唐無稽な設定に現実の重大問題を盛り込んで、すべてを笑いのめす語り口が採用されている。「ha、ha」という笑い声がいたるところで響きわたる。

 「さておれはジャンプして起きあがり、強靭きょうじんにかつみずみずしくも勃起ぼっきしている、十八歳のペニスを下腹にうちつけた、ha、ha。」

 「これは決して完成されぬのかもしれぬ、幻の映画のテーマじゃないか? ha、ha。」

 といった調子で、森・父はha、haを連発するのだ。いわば「リー、リー、リー」と「ha、ha」が対抗し合うなか、小説は全編をとおして擬音語、擬態語が飛び交う展開となる。


 「転換」直前、森・父と森・母の壮絶な夫婦げんかの場面を見よう。東京駅で迷子になった森を家に連れ帰ったのち、森・父は無抵抗な森を「教育のため」に殴り始める。森・母は夫のふるまいに激怒して、剃刀まで持ち出し「おまえを殺す!」と跳びかかる。森・父がそれを突き飛ばすと、森・母は鼻血を出し「プープーいう音」をたて、他方、森・父は剃刀で頬を切り裂かれて「ウーウー」呻き、そんな修羅場を目にして森は「ムームー唸りつづけている」。森・父は森・母の「プープー」も自分の「ウーウー」も、森の「ムームー」に呼応しての「調和」のしるしであったと強弁するのだが。

 以後、随所でオノマトペが(しばしばゴチック体で強調されて)狂騒的に響きわたる。「ザザ、ザ、ザ、ザ、ガーン!」というのもあれば、「ドンガン、ドンガン、グルルルグルルル」というのもある。前者は森と森・父が新左翼の集会で「大物A氏」の陰謀を訴える演説をしたとき、それを「アホくさ!」と一蹴した学生たちが親子を排除しようと身構えるさまの擬態語。後者は道路工事の騒音を示す擬音語だ。

 そんな大江特製の言葉に加えて、より一般的なオノマトペも頻出する。だれかが叫ぶときは「ギャッと」叫び、呻くときは「ウム!」と呻き、どよめきは「ドッ」と起こる。「大物A氏」の入院した病院前に「道化集団」が集結するクライマックスにおいて、オノマトペの連鎖はいよいよ顕著になっていく。「転換」後、森は以前よりもいっそう寡黙になっているが、決戦を前にして「ハーンハーン」と頼もしく笑う。鬼の面をかぶった道化集団の一員は、携帯用燃料タンクを「ボテボテ、ボテボテ」と叩いて騒ぎまわる。「大物A氏」の病室では、介護役の大物実業家が「ブルルル」と鼻を鳴らし、そして「大物A氏」は対決しにやってきた「転換」二人組を前に――いかにも定番という響きだが――「ファッ、ファッ、ファッ」とくりかえし嘲笑するのだ。

 オノマトペは何よりも、幼児が愛するものである。幼い子に向かってわれわれは「ごみを捨てて」と言わずに「ポイってして」というふうに頼む。理屈をつけるなら、それは単に幼稚な言い方を選ぶというわけではなく、抽象的な動詞よりも感覚的なオノマトペのほうが言語形成期において有効だからということになる(今井むつみ『ことばの発達の謎を解く』)。森・父は18歳に「転換」し、クライマックスでは「カンガルー大の赤んぼう」に変身する。そうした幼児化、幼稚化の進行にオノマトペは呼応する。それはまた、「マンガ化」の進行でもある。純文学的言語の「格下げ・引き落し」による活力の創造だ。

 オノマトペの最古の例は古事記に見出されるというが(小野正弘『感じることば オノマトペ』)、戦後のマンガブームにおいて新たなオノマトペが盛大に生み出されたことは確かだろう。「すべての道化集団のメムバーがシーンとして」と書くとき、大江はマンガの生んだ最も有名な擬態語の一つを用いているのだ。とりわけ、70年代に才能を炸裂させていた赤塚不二夫のギャグマンガとの類縁性が感じられる。そもそも物語冒頭で、森・父は「漫画化して話すほかはないんだがな」と述懐していたではないか。

 『ピンチランナー調書』、それは大江健三郎による3D映画版一大ギャグマンガの試みである。初版刊行時の帯の背中には「読者を大笑いさせる純文学!」と謳われていた。

走れ、われわれの子供ら・・・・・・・・

 とはいえ、実際のところ読者としてはそれほど笑えないのである。大人が子供になり、子供が大人になり、道化が主役になり、大物がいたぶられ、小物が大活躍する。父子関係に絞ってみても、子供が父親を制して一人、巨悪に斬り込んだり、無二の絆で結ばれていたはずの父子に齟齬が生じたり(「『転換』二人組、相争う」というのが最終章の題名)、逆転また逆転のなりゆきは、活劇的な賑やかさに満ちている。しかしそれを支える森・父の語り自体にはどこか暗い蔭りがつきまとう。何よりも、語尾に付される「ha、ha」が、読者の哄笑を誘うというよりも、むしろ自嘲や皮肉が印象づけられて、笑いが喉につかえる思いにさせるのだ。「父よ、あなたはどこへ行くのか?」(初出1968年、『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』1969年所収)で、深夜「豚足を辛子味噌で食い、ウィスキーのもっとも悪質なやつを飲みながら」語る肥った男は、「はっは、はっは」と高笑いしてみせていた。同様のやけくそ気味の響きが「ha、ha」にはある。

 そう感じてしまうのも、結局のところ冒頭の「われわれの子供ら・・・・・・・・」の行進場面がまざまざとこちらの脳裏に刻まれてしまったせいだろうか。考えてみると、子供たちの屈辱的な行進というモチーフは、『芽むしり仔撃ち』(1958年)冒頭ですでに示されていた。大江が障害をもつ子の親となる以前に書いた、少年院の子供たちが村人たちのぶしつけな視線を浴びながら列を作って歩いていく場面は、そのまま『ピンチランナー調書』のグラウンドの情景に通じている。ただし、グラウンドの端をのろのろと進む「光」や「森」たちの姿は、反逆・反撃の兆しを少しも感じさせず、少年院の子供たちの姿よりもはるかに鈍重で希望がない。

 そしてまた、「転換」による逆転といっても、それはもっぱら父親の側のファンタジーである。単に年齢が逆転するばかりでなく、「知恵遅れ」の息子がそのハンディキャップを拭い去った「壮漢」になることが夢見られているのだから、息子の現状に対する深い悲嘆がそこに潜んでいるのはまちがいない。先に引いた荒井裕樹の著書では、1970年代において、障害者たち自身による運動を提唱した「青い芝の会」の画期的意義が論じられている。彼らは「障害者であることに割り切る」ことを主張し、「なぜ障害者が障害者のままで生きていてはいけないのか」と社会に問いかけた。「青い芝の会」のリーダーの一人は、「親を通して我々の上に覆いかぶさってくる常識化した差別意識」(横塚晃一『母よ!殺すな』1975年)を鋭く糾弾した。「転換」の夢の根底にはひょっとすると、そうした親の意識が横たわってはいないか?


 だがそんなふうに、重苦しく読まなくたっていい。小説をもっと楽しんでかまわないのだ。読み返すうちに、そういう思いがふつふつと湧いてきた。それはひとえに、小説中での息子・森の活躍が鮮やかで魅力的だからだ。「転換」後、障害から脱したとはいえほとんどしゃべることがないので、森の内面は大いなる謎である。森・父がひたすら饒舌に語り続ける――彼自身の言葉では「渾身こんしんの力でいいはり・・・・つづけ」る――中、息子の姿は不可思議さを保っている。森の顔に浮かぶ悠然とした微笑みは、『白痴』のムイシュキン侯爵や『戦争と平和』のピエール・ベズーホフにも比したくなるような奥行き深い人柄を印象づける。

 最後の最後で、彼は走り出し、決死の跳躍をみせる。その「颯爽たる」姿は「幼い投降者」のイメージに堂々拮抗し、森の大柄な体に秘められた可能性の豊かさを開示する。「道化=トリックスター的知性は、一つの現実のみに執着することの不毛さを知らせるはずである。」大江が『小説の方法』で引用している山口昌男の言葉だ。小説はまさしく、一つの現実のみにしばりつけようとする日常的精神から身を解き放って跳躍を試みるための場所となる。父と子が手を取り合ってそんな場所で逆転の冒険をともに生きる試みを、大江は笑いを目指しながら、ほとんど必死の真剣さで敢行してみせたのだ。

 ところで本書のカバーには(初版でも、現行の文庫版でも)、司修の版画があしらわれている。逆三角のあたまに丸い目のついた大小二人が並んだ絵だ。大江父子はこの絵が気に入った。文庫版に付された自作解説「『個人的な体験』から『ピンチランナー調書』まで」の記述によれば、大江は大きいほうが父、小さいほうが息子と見て取った。普通、そう思うところだろう。

 「ところが息子にとっては、大きい方がかれ自身、そのわきの小さいやつが、かれの父親なのであった。僕は笑ったが、『ピンチランナー二人組』の『転換』を考えると、むしろ息子に僕を笑う権利があった。」

『ピンチランナー調書』新潮文庫、装画:司修

 長編を読み終えた読者にとっては、興味津々のエピソードである。光のうちには父親の先入観を「転換」するだけの発想がちゃんと備わっていたのだ。父親が笑いながらも不意を突かれた様子なのを見て取って、光は愉快に思ったのではないか。転換や逆転は、小説家の想像力の飛翔の中でのみ起こるのではない。日々育っていく子供の心のうちにも、その萌芽はたっぷりと含まれているのである。

 

 

*本連載は、初回と最新2回分のみ閲覧できます。