無垢の歌 大江健三郎と子供たちの物語 / 野崎歓

大江健三郎の文学において、子供はときに危機にさらされ、不条理な世界を一身に受けとめる存在として描かれる。なぜ物語の少年少女たちは、かくも鮮烈な印象を残し、ひときわ輝きをはなつのか。大人が失ってしまったものと、“チャイルドライク”な作家の本質にせまる、まったく新しい大江健三郎論。

1969年のパーコーメン

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ホメーロスのごとくに

 世界文学の淵源を辿ると、ホメーロスに行き着く。その雄渾ゆうこんな詩行に触れたことのある人は、『イーリアス』や『オデュッセイア』に定型的な表現が頻出することをご存知だろう。神々や英雄が、一定の形容辞を冠のようにかぶって登場するのである。

 「かぶとをきらめかすヘクトール」や「俊足のアキレウス」。「薔薇の指もつ暁の女神エオス」や「微笑を好むアプロディーテー」など。こうした表現の繰り返しは、ホメーロス作品の口誦こうしょう叙事詩としての成り立ちと結びついている。「当時の聴衆にとっては、神話や伝説と同様に、幾世代となく耳にし聞きなれた、語り言葉として理解されていた」(久保正彰『西洋古典学入門』)と推測されるのだ。

 大江作品を読んでいると、ホメーロス的といいたくなるような定型表現を冠されて登場する人物がいることに気づく。長男・ひかりをモデルとする人物である。

 その嚆矢をなすのはやはり『個人的な体験』(1964年)だろう。

 「脳ヘルニアです、頭蓋骨ずかいこつ欠損ディフェクトから、脳の内容がはみだしてしまったんですな」。

 そんな医師の診断は長く尾を引き、光をモデルとする人物の描写には「欠損=ディフェクト」の語がつきまとうことになる。『ピンチランナー調書』(1976年)での「頭蓋骨ずがいこつの欠損をプラスチックでおおっている僕の子供」、『新しい人よ眼ざめよ』(1983年)での「頭蓋骨に小さな欠損ディフェクトがあり」を経て、『水死』(2009年)での「頭蓋骨にディフェクトを持つ長男」に至るまで、何十年にもわたり類例が見られる。

 他方、『「雨の木レイン・ツリー」を聴く女たち』(1982年)では「知能の発育に障害のある息子」、『河馬に嚙まれる』(1985年)や『懐かしい年への手紙』(1987年)ではより簡素に「障害のある息子」という表現になっている。そして『取り替え子チェンジリング』(2000年)以降、現在のところの最新作である『晩年様式集イン・レイト・スタイル』(2013年)まで、もはやそれらの定型句は用いられておらず、長男は単に「アカリ」と呼ばれるようになる。

 といった変遷はあるにせよ、それらの人物が現実の光に対応していることは読者のほとんどが理解して読むはずだ。講演やエッセーでのたびたびの言及も含めると、そこにはきわめて大きなコーパスが形成されている。「神話や伝説と同様に」「耳にし聞きなれた」ものとして、われわれは大江の長男の物語に親しむ。その際、繰りかえし冠される「欠損」や「障害」の語句により、長男がハンディキャップを負っている事実が読者の記憶に刻まれるだけではない。「欠損」や「障害」はそれを踏まえて大江文学が成立する前提としての意味を帯びる。「兜をきらめかす」とか「俊足の」といったホメーロス的美称の対極にあるように思えるがゆえに、読者としてはいっそう、それをはねかえす展開を待ち望みながら作品を読むことになる。その期待はやがて、しばしば、満たされるのである。

 形容辞に加えて長男の呼び名自体、何通りかヴァリエーションがあるが、とりわけ印象深い「イーヨー」を採用するなら、大江作品の大きな柱は「イーヨー物語」だともいえる。その物語は個々の作品の枠組みをはみ出し、光の成長とともに育まれた一つの伝承、伝説としての性格を帯びる。各作品は、その伝承に奉仕するものとさえ思えてくる。

切除と不在

 「イーヨー物語」に強い愛着を覚える読者にとって、困惑を禁じえない長編が『万延元年のフットボール』(1967年)である。60年安保闘争の余燼よじんをくすぶらせながら、四国の森の村における「暴動」のてんまつを描く。共同体の命運のかかった、社会性、政治性をもつ主題に、100年以上も昔にさかのぼる歴史的なパースペクティヴをも与えることで、この作品は大江の代表作の一つとされ、多くの批評家の称賛を集めてきた。だが、『個人的な体験』で生きのびた赤んぼうの姿を追う読者にとっては、割り切れない感じの残る力作なのである。

 なにしろ赤んぼうは完全にストーリーの外に追いやられてしまっている。語り手は、『個人的な体験』の「僕」と同じ27歳の「僕」こと、根所ねどころ蜜三郎だ。チャイルドライク(それともチャイルディッシュ?)な創造性の噴出した凄い名前である。冒頭、彼は庭に掘られた浄化槽のための穴ぼこにパジャマのまま入りこみ、たまり水で尻を濡らしている。彼の唯一の友は過日、「朱色の塗料で頭と顔をぬりつぶし、素裸で肛門に胡瓜きゅうりをさしこみ、縊死いしした」。彼の妻は夫もそのあとを追うのではないかと怯えつつ、ウイスキーを瓶の口からじかに呷っている。荒んだ状況のなか、「僕」の弟・鷹四――兄弟にこんな名前をつけた親はどういう親だったのか――がアメリカから戻ってくる。そして一連の事情を知り、兄に訴えかける。

 「『新生活をはじめなければならないよ、』と鷹四は加速度的に説得性をつよめてくりかえした。」

 弟の言葉に押し切られて「僕」と妻は、鷹四、および彼に心酔する若い男女とともに故郷の谷間の村に戻る。そこで鷹四はフットボール・チームを結成して若者たちを束ねる。別に試合のあてがあるわけでもない。むしろチームは地元を牛耳る「スーパー・マーケットの天皇」に敵対する組織としての性格を帯びている。だが弟は村の「肉体派の小娘」を相手に予期せぬおぞましい罪を犯し、自滅していく。

 陰惨な出来事が次々に起こるなか、赤んぼうにまったく出番はない。「重症の障害児」だったので「養護施設にあずけ」られているからだ。あずけてから5週間たって夫婦が会いに行くと「かれはすっかり変わって、もう僕にも妻にも、それが自分たちの息子だと見わけられない状態」になっていた。「死んでしまったよりも、もっと徹底的な断絶が完了した感じ」というから酷い。「新生活」のメンバーに数えられることもなく、父母から切り離され、一人「養護施設」に放擲ほうてきされているのだ。

 こうして赤んぼう側から見ると、状況は『個人的な体験』からほとんど変わっていないことが判明する。いや、ここでは母親もまた父親ともども、赤んぼう放棄に加わっているぶん、いっそうつらい。驚かされるのは、母親が赤んぼうのことを夫との会話で「赤んぼう」と呼び、決してその名を口にしないことだ(名前は最後までわからない)。『個人的な体験』と類似しつつも、事態はいよいよ深刻ではないか。克明に描かれるのは、赤んぼうの頭の異物を切除する手術の暴力的な印象だ。十数時間もかかった手術ののち、赤んぼうは「いかなる人間的反応も示さない存在」となってしまった。手術の際、「僕」は「僕自身が肉体的ななにものかを切除されていることにひとしいという認識」を得る。しかし若い父母には、自分たちを息子と結びつけ、気持ちを通わせるための手立てがない。親子は切り離され、双方ともに「ある神経群の切除をうけて」「底知れぬ鈍さ」のうちに沈みこんでしまったかのようなのだ。

頭部への打撃

 故郷に戻りはしたが人々の反応は冷たく、根所蜜三郎は自分が「孤立無援」だと感じている。深刻な鬱状態にとらえられて、彼はもはや顔を洗おうとさえしない。

 「もっとも今や僕は顔を洗わないことに痛痒つうようを感じない。歯に到っては数箇月もみがかないので獣の歯さながら真黄色だ。そしてこの性格改造は、僕がそれを意識しておこなったのではない。死んだ友人や養護施設に入った赤んぼうが別れ際に、僕にのこしていったのだ。」

 やがて妻を鷹四に寝取られることになるのも無理からぬことと思える、異臭さえ漂うような不潔さである。それを友人や赤んぼうのせいにしている点にも蜜三郎の落ち込んだ無気力の深みがうかがえる。友人は自殺したにせよ、赤んぼうはまだ生きているのだが。


 鬱は狂気に通じ、そこにはまた暴力の恐怖も巣食う。根所家と昔からのつながりがある村の女性(「大食病」に取りつかれた大女「ジン」)は、「赤んぼうの異常がをつうじての遺伝じゃないか」との意見を述べ、「蜜」を憤激させる。「蜜」が小学生のころ、学芸会の芝居で、登場人物の生首が転がる場面にショックを受け、引きつけを起こして気絶したことを根拠としての邪推だった。ただしその芝居の内容は、「蜜」の曽祖父が実の弟を殺害したとする伝承や、谷間の村に起こった一揆に取材していたのである。

 こうして、精神の異常と荒々しい暴力は、一族の「血」に根ざすものとしてとらえられる。

 「血のつながりは恐ろしいものですが!」

 という祖母の言葉が呪いのように響いてくる。ジンの言葉に医学的正当性などありえない。だが放擲されている赤んぼうは、「血のつながり」なる概念に実体を与える存在として「蜜」の意識をひそかに脅かしている。そしてまた赤んぼうの頭部異常は、一族に共通する宿命をあぶり出すかのようでもある。というのも、「蜜」を始め登場人物たちはさほど自覚していないようだが、彼らはなぜか皆、この小説中で頭部に傷を負うのだ。

 実家に戻ってまもなく、「蜜」は「きだしの構造材の硬い突端」に頭をぶつけて血を流す。兄弟の長兄はかつて頭を「打ちくだかれて」死んだ。「鷹」は物語中盤で「われとわが頭を潰す」危険に身をさらしたり、周囲の若者の頭を殴りつけたりする。そして最後、彼の頭は「柘榴ざくろ」が割かれたような状態を呈する。「蜜」の赤んぼうは、相次ぐ頭蓋への打撃を象徴し、生まれながらにして集約する存在である。

 小説はそうした解釈へとわれわれを誘う。取り返しのつかない愚行を犯した末に自らの命を絶とうとする鷹四は、「絶対に他者の理解を拒む手強い力」を体にみなぎらせ、黙々と猟銃に散弾を装填する。その姿に蜜三郎は奇怪にも、自分の赤んぼうの姿を重ね合わせる。

 「それは、ただ無表情な茶色の眼を見ひらいて横たわり、もの静かに存在するだけだったわれわれの赤んぼうが、あのまま外界とのコミュニケイションを断ち切った状況において成長し、いまここに、かれが犯したばかりの犯罪をその全身を汚している血によって表現しているのだという不思議な幻想をもたらした。」

 犯罪者となった弟と、赤んぼうとの共通点としては唯一、他者との「コミュニケイション」の断絶があるのみだ。じつはその一点こそが、この異様な長編、およびそれに続く諸篇の鍵を握る問題だったのではないか。

共感の源泉

 暴動騒ぎや頭部の強打の連続に加えて、『万延元年のフットボール』では強姦、殺人、自殺が語られ、さらには「蜜」「鷹」の妹がかつて自ら命を絶った事件の真相も明かされる。狂暴な嵐が吹き荒れているのだ。ほんの少女の年ごろに自殺した妹は(その経緯には触れずにおこう)「知恵遅れ」だったが、ピアノ曲に敏感に反応し、音の一つ一つをとらえる「独特」な耳をもっていた。大江光がのちに示す音楽への特性を連想させずにはいない。だが妹の無垢は、ドストエフスキー『悪霊』におけるスタヴローギンの所業に倣ったかのようなやり方で、むごたらしく踏みにじられた。

 「大江作品の魅力はその中二病的要素にあるという指摘は多くの人がしてきたが、それは昔風のいい方では反骨精神のことであり、また愚行の自由の行使も伴う」(島田雅彦「大江さんのこと」)。『万延元年のフットボール』は「中二病的」な愚行が拡大されていった先に広がる光景をつぶさに提示しているのか。もちろん、暴力の吹きすさぶさまを描くことは、それこそホメーロスやギリシア古典悲劇における死屍累々の光景以来、文学が取り組み続ける主題にちがいないのだが。

 ともあれ、大江文学がこのとき何とも暗鬱な一季節を迎えていたことは確かだ。『万延元年のフットボール』以降に発表された中・短篇のすさんだ感触、たがのはずれたようなストーリーを思い出そう。「生け贄男は必要か」(初出1968年)には「善太郎」なる人物が登場する。彼は人肉食のおぞましい記憶を抱えつつ、餓えた子供のためならば自らの内臓だって提供しようと頓狂な決意を固めている。「子供を救え! ヴィエトナムの子供を救え、朝鮮の子供を救え! そして日本の子供を救え!」と彼は街頭で声を張り上げるのだが、有効な方策を欠いたまま子供たちに「善」をほどこそうとする意志の空転ぶりは、笑うに笑えない醜怪さだ。


 さらに呪術的、呪縛的とさえいいたい魅力を秘めた一篇が「狩猟で暮したわれらの先祖」(初出1968年)である。作家の住む田園調布とおぼしき住宅街に「流浪してきた一家」と、鬱屈の穴ぼこに落ち込んでいる作家との束の間の交流は、日常に亀裂を走らせてじつにスリリングだ。深夜の街に響く幼女の叫び声、舗道に横たわった瀕死の犬、そして「僕」の家のゴミ桶に何者かによって投げ入れられた「死んだ指」。冒頭からつるべ打ちにされるディテールを数え上げるだけで、いかに異様な物語であるかわかるだろう。

 そして「父よ、あなたはどこへ行くのか?」(初出1968年)、および「われらの狂気を生き延びる道を教えよ」(初出1969年)では、早逝した父、健在の母それぞれと自己の関係が、執拗な、ねじくれた語り口で問いただされる。亡父と昭和天皇を結びつけて異様な展開を示す「みずから我が涙をぬぐいたまう日」(初出1971年)での表現を借りるなら、「じつに奇怪な魅惑と恐怖の渦巻き」が語り手をとらえ、読者もまた窒息寸前、気息奄々きそくえんえんとなる。そこにイーヨーの姿がなかったとしたら、「生き延びる道」はなかったのではないかとさえいいたくなる。

 「狩猟で暮したわれらの先祖」では、幼い息子はまだ「**ちゃん」と名を伏されているが、彼が周囲のものに反応を示さない段階を脱し、旺盛な好奇心を発揮し始めている様子がうかがえる。冬でも庭の蛇口で水遊びに没頭し、近所でドブが浚われていればそこから出てくる「魅惑する汚物群ににじりよろうとして」父親に留められる(父に負けないグロテスク趣味だ)。「かれの畏怖と愛の最大の対象」は「トラック」である。そして犬の息づかいを真似して「シュウ、シュウいう音」を立てたり、「自動車のエンジンの音や、電気冷蔵庫のモーター音の模倣の声」を発したりするのが得意だ。それを「僕」の妻は、4歳になっても言葉の出ない「**ちゃん」が言葉を話そうとしているしるしととらえていたのだが、その希望的観測は正しかった。「父よ、あなたはどこへ行くのか?」では、「僕の愛する息子」は依然として父の呼びかけに無反応のままだった。しかし「われらの狂気を生き延びる道を教えよ」に到ってついに、息子は声を発する。

 これら一連の作品で唯一、「われらの狂気を生き延びる道を教えよ」で父親は「僕」ではなく、「ある異様に肥った男」と三人称で描かれている。それは父子の姿をよりくっきりと、客観的なショットで構図に収めておくためではなかったか。肥った男の4歳の息子もまた肥っている。それは父子の「共同生活」がカロリー的に充実しているためだ。

 「肥った男と息子は、比喩ひゆでなく本当に雨がふろうと嵐あらしが吹きあれようと、自転車に乗り中華料理店に出かけて、ペプシ・コーラと排骨湯麺はいこつたんめんを注文した。雨の日なら肥った男は消防士でも着そうな雨合羽あまがっぱをかぶり、自分の古いアノラックで息子をくるみこんだわけだ。まだ息子があまりに肥りすぎていなかった時分は、自転車のハンドルにとりつける軽金属の椅子いすに息子をのせて自転車をいだ。二人乗りはもとよりその器具のとりつけは法律で禁じられているのだ、と注意する警官にたいして幾たび白熱する口論をたたかわせねばならなかったことだろう。」

 “パパチャリ”を取り締まる警官の態度には驚かされるし、口論を白熱させる父の姿がいささか青臭くはある。だが1960年代末という、親の世代に反逆する若者たちの運動が世界的なうねりを生み出した時期に、こうやって息子の世話を焼く父親の姿は、それ自体、一つの問題提起としての意義をもったのではないか。大江は、自らの子を愛することの主張と実践を小説に刻んだ。それは息子との合体とさえいいたいような光景である。

 息子を病院に連れていく場面では、息子を「肩にのせ」て階段を昇っている。幼子キリストを担ぐ聖人クリストフォロスか、あるいは翼の生えた幼児を肩車するブレイクの有名な絵をほうふつとさせる光景だ。そうやって階段を昇りつつ、「この丸まる肥った息子にとって真実に必要な存在は母親でなく、父親の自分だと誇示しうることで勇気凛々ゆきりんりんたる昂揚こうようをおぼえ」たというあたりは、いかにも未成熟な父親ぶりだし、息子としてはきっと異論もあっただろう。だが中華料理店でともに麺に向かいあうとき、父子の気持ちはぴたりと合致していた。父は「時間をみはからって、息子と同時に麺を食べ終わった」。幼子と食事するとき、そうやってシンクロさせるのは意外にむずかしいことである。

 「そしてかれは、熱い湯麺に上気した顔を風にさらして自転車を漕ぎ帰りながら、
 ――イーヨー、排骨湯麺とペプシ・コーラおいしかったか? と繰りかえし問いかけ、
 ――イーヨー、排骨湯麺とペプシ・コーラおいしかった! と息子が答えると、自分たち親子のあいだにいま完全なコミュニケイションがおこなわれた、と考えて幸福になった。そしてしばしば今日の排骨湯麺こそは自分がこの世で食べたあらゆる食物のうちもっともおいしいものだ、と真面目に信じたのである。」

 この応答自体はもちろん、それほど内容豊かなやりとりとはいえない。のちの作品で使われる表現によれば、イーヨーの言葉はいまだ「オームがえし言語」(『ピンチランナー調書』)に留まっている。だが父の言葉にとにもかくにも反応してくれることの喜びは何よりも大きいのだ。赤んぼうが「外界とのコミュニケイションを断ち切った」まま育つのではないかという不安は、おそらくこの時期の諸作が伝えるダークネスの根源にあった。意思の疎通が欠けるとき、暴力と狂気の芽がいたるところで吹き出す。他人と関係が結べないとき人間はたやすく壊れる。だが逆に、幼児とのあいだにじつにささやかな会話がかわされるだけで、危機のうちにある男の胸中に光が射す。

 息子の脳手術の際、切除の苦痛をわかちあう気がしたと『万延元年のフットボール』には書かれていた。苦痛による紐帯は、ここでは温かい排骨湯麵、俗にいうパーコーメンをともに味わう喜びをとおしての結びつきに転じている。この食事場面は親と子が共感しあうことの原光景だ。共感の源泉は子供時代にある。そして共感こそはわれわれの心身を潤す滋養なのである。

 それにしても、4歳の子にパーコーメン一杯はかなりのヴォリュームであり、イーヨーの食いしん坊ぶりがうかがえる。そして毎度ペプシ・コーラつきとは恐れ入る。大江光は1963年生まれ。その数年前に生まれ、昭和30年代から40年代にかけて子供時代を過ごした同世代の人間としては、毎日中華料理店に連れて行ってもらい、豪勢なラーメンを食べ、そのうえコーラまで飲むなどというのは、ほとんど想像を超える贅沢であるといいたい。そもそも当時、コーラは日常的とはいえない、子供にとっては憧れの飲料だった。イーヨーはずいぶん甘やかされている。

 だが子供がうまそうに食事をする様子ほど、親の気持ちを安らがせる情景はない。ダークな小説のなかに住まうイーヨーの父に、それくらいの安らぎがもたらされてもいいではないか。食べ物、飲み物への執着は命とのつながりであり、人生の肯定にほかならないことを、「排骨湯麵」から立ちのぼる湯気が教えてくれるのである。

 

 

*本連載は、初回と最新2回分のみ閲覧できます。