プロローグ、あるいは「エッセイ」とはなにか
ボサッとしてたら40歳になっていました。
「生きのびるブックス」でエッセイ連載の依頼をいただいたのは春先のこと。サイトに載っている錚々たる執筆陣を見て「“場違い”通り越して、もはや“異世界”じゃねーか」とおののいたものの、せっかくの機会だしがんばってみようと、編集のK氏とZoom打ち合わせを繰り返し企画をモニャモニャ揉みしだいた結果、「“40歳と○○活”というテーマでいきましょう」ということになりました。なぜモニャモニャ揉みしだいた結果の“○○活”なのか。第1回のテーマ、「生活」の話を交えながらお話したいと思います。
私は約3年前に、当時のパートナーと別れたり、階段から落下して肩を壊したりして、心と身体の痛みで夜泣きを繰り返した結果、同性とのルームシェアを思いつき、オタク趣味を通してSNSでゆるくつながっていたアラフォー女性3人に声をかけ、今は都内で一軒家を借りて暮らしています。いわゆるルームシェアですね。ワンルーム程度の家賃で、追い焚きのできるお風呂や3口コンロのキッチン、趣味のアイテムを置ける共有部屋、広いリビングに43型の4Kテレビを置ける生活は思いのほか快適で、とりたてて大きな事件が起こることもなく、毎日粛々とぬくぬく暮らしています。
自室は趣味と実益を兼ねたヴィジュアル系の雑誌やCDばかりで、実家にいた高校時代までと室内のアイテム編成が変わっていません。つまり親元から離れた子供部屋おばさん(矛盾)だと思ってください。この家は定期借家1ではあるものの、家主さんがいうことには、むこう3年くらいはこの家に戻ることはないそうなので、しばらくはこの安穏とした生活のままでいられそうです。
そして私の職業は、フリーランスのライターです。せっかくなのでその暮らしざまをエッセイ本『オタク女子が、4人で暮らしてみたら。』として発表したところ、大ヒットとは言えませんが思っていた以上に反響が届きました。大好きなヴィジュアル系に関する仕事をする機会も多く、それなりに仕事も生活もほどよく回っている状況です。
……この状況で書くべき「エッセイ」とはなんなのか?
こういうことは、まず市場調査だと近所の書店に足を運びました。そこにはエッセイコーナーはなく、ジャンル的に一番近そうな「女性・読み物」コーナーには(なお「男性・読み物」コーナーはなかったです)、有名な小説家やお笑い芸人、あるいはインフルエンサーの本、節約や片づけといった暮らし系ハウツー本、根強い人気の占い、恋愛本などが並んでいました。大きな書店のエッセイコーナーに足を運ぶと、もう少しバリエーションがあり、片付け、節約、恋愛、ダイエット以外にも、フェミニズムや社会について、外国や田舎で暮らす人の日常などなど……。「エッセイ」のくくり、広すぎやしないか? そして「女性のエッセイ」、多すぎやしないか? 正直これまでフリーライターとして「ライバルの少なそうなジャンル」を狙って生き延びてきたので、このレッドオーシャンのなかでどうやって泳いでいくべきか正直わかりませんな。
ただ、この巨大な一群をざっくり2種類にわけると「自己啓発と生きづらさ」になるのではないでしょうか。わかりやすいのが恋愛エッセイです。「これがメスの力! ○○が教える恋愛テクニック」というイケイケでメリメリな本と、反対に「きっとこの恋愛が最後と思いたいけどメンのヘラりでどうのこうのなんだよ(手書き風書体の長いタイトル、あと本文の文字が大きい)」的にめこめこした本。つまり憧れと共感、成功したい人と、現状を肯定して欲しい人の本。節約や片付けの本も、「最初はこんなにダメダメだった私が節約(片付け)できました」的な、生きづらさと自己啓発のセット販売ですよね。これはおそらくコインの裏表で、そもそも生きづらいと感じていない人は自己啓発には手を出さない。どちらも人間の一面であることは間違いないのですが、じゃあ自分にあてはめると、他者に啓発するほどにものすごい成功をおさめたわけでもなく、ひどく生きづらいわけもなく、せいぜい「夜泣き」レベル。なんとも中途半端です。
たとえば「女同士ルームシェアで人生がすべてうまくいく!」だとか、あるいは私は過去に自衛隊に所属していたことがあるのですが、その経験を「自衛隊の男社会で4年過ごして超つらかった私」みたいに極端なことは言えないわけです。
自分自身の書いていることに対して、読者の方に「楽しそうな生活だな」だとか「自分にもできるかもしれない」と感じてもらえたら嬉しいですけど、あくまでそれはひとつの結果論、実例でしかない。なにか極端なスローガンをブチ上げるわけにはいかないと思ってしまうのです。わたしの性格上。
果たしてあの棚に収まるべき、求められるべき内容を生み出せるのであろうか?
と、いうわけで、現在の生活を通して何かハッキリとした主張があるかというとクビを傾げてしまうわけで。たとえば女同士でルームシェアをしているからと、「女同士の生活サイコ~! 家族制度はクソ!」というわけでもないですし。そりゃ賃貸契約において、戸籍でつながってない関係の集団は冷遇される傾向にあるので、それはもう少し改善されてほしいですが、それは別に家族制度を完全否定したり、破壊したいというわけでもないので……。ついでに「友人同士の生活サイコ~! 男や恋愛はもうコリゴリ!」とも言い切れないわけで。個人的には人生において恋愛の優先順位はさほど高くはないものの、幼少期からトレンディドラマを栄養に育ってきたので、いつも心に『ラブ・ストーリーは突然に』2というマインドも持っています。軽くのけぞった小田和正ともに。ジャカジャン!(イントロ)
とはいえ、現段階で結婚や出産に対して強い憧れや焦りがあるわけでもなく。いや~、これもたとえ話で恐縮なのですが、いわゆる結婚して子供がいて家を買って……的な模範的な(誰にとって?)ライフプランのことは、私の中でプレイステーションやニンテンドースイッチみたいな人気のゲーム機と同じフォルダに入っていて、「きっとやったら楽しいんだろうな~」と思うものの、行列に並んだり、プレミア価格で購入するなどの努力やコストを支払ってまで手に入れたいとは思わないというか。
そんなこんなでボサっとしてたら40歳、とはいえそこに後ろめたさを持っているわけでもないのです。私の場合「みんなもやってるから」ってはじめたことは全然続かなかったんですよね。たとえば進研ゼミとか。余談ですが、数年前、出入りしていた編集部で開催された忘年会のビンゴゲームで、うっかりプレイステーション4とVRセットをゲットしてしまったものの、据え置きゲームはあまりやらないのでプレイステーション4本体はNetflix再生機と化し、VRセットは酔いがひどくてまったく使いこなせず、結局欲しがっていた友人に譲ってしまいました。えっ、何の話だっけ? そうだ、家族だ。進研ゼミは退会できるし、ゲーム機は譲ることができるけど、家族はそうもいきませんからね。まあそのくらいカジュアルに家族構成を動かせる制度ができたら、ちょっと面白そうな気もしますが、今の社会とは大きく違う形になりそうですね。
先述のエッセイ本を作る際に、「この出版が10年前とかだったら、“負け犬たちのルームシェア”みたいな売り出し方になっていたかもね〜」と編集さんと話したことがありました。「負け犬」とはざっくり説明すると、2003年に刊行された酒井順子さんのエッセイ本『負け犬の遠吠え』3で提唱された、「いくら仕事やプライベートが充実していても、30代未婚の女性は世間からみたら“負け犬”である」という概念です。
このちょっとした自虐とユーモアのある概念は、その年の流行語大賞にもトップテン入りしたりドラマ化されるなど一斉を風靡し、その後も「自虐系未婚女性」、あるいは「未婚女性vs既婚女性」コンテンツの流行は10年以上続いたのではないでしょうか。しかしながら、最終的には知性もユーモアもなにもない、ただただ「女vs女」的な構図を下品に扱う扇情的なものになってしまったというか……。
その扇情的な「女vs女」バトルブームの影響は、自分自身とも無関係ではありませんでした。10年ちょっと前、私がライター業をはじめたばかりの頃に、「ヴィジュアル系ファン同士の泥沼マウンティングを書いてください」という依頼をもらうことが何度かありました。ヴィジュアル系のファンは女性が多く(バンギャルと呼ばれます)、つまりそういった依頼の裏には女同士の確執、あるいはチャラチャラした男にワーキャーいう愚かな女を外野から見下したいという差別的な欲望を感じ、シンプルにそこに加担はしたくないので、そういった仕事からはできるだけ逃げ回っていました。
しかしその手の依頼も今ではすっかりなくなり、インターネットを見渡しても一時期は雨後の筍のように湧いて出ていた女同士の確執、マウンティング系記事も最近ではあまり目につかなくなりました。世の中も少しずつですがいろんな生き方に優しくなっている実感はあります。
もちろん、人をとりまく環境はそれぞれなので、経済格差や地域差や世代差などで見える世界は違うと思いますが、少なくとも私の場合は周囲から40歳独身女性であることを咎められたり、世間と同じように生きることへの重圧をあまり感じることなく生きています。実際、ルームシェアのエッセイ本についての感想も「アラフォー独身なのに痛い」的な辛辣なものが来るのかと予想していましたが、そういった感想はほとんど見られませんでした。もしかしたら言われていても気づいていないだけかもしれませんが。そういえば、ひとの振る舞いや生き方に「痛い」とレッテルを貼るしぐさも、近年はあまり見かけませんね。
ただ、今度は女性同士で集団生活をしているせいか、「男社会に抵抗する女性の連帯を」的なリクエストをいただくことがわりと増えました。一昔前は「女社会の対立」という需要が、今は「男社会との軋轢」に変わっている感がありますね。たとえば「おじさん」という言葉ひとつとっても、10年前は『おじさん図鑑』4みたいに、かわいい感じに「愛でる」ものが一瞬流行っていたけれど、いまや「おじさん」といえば「おじさんLINE」でキモがられるなど、「悪しき男社会」の象徴的な概念になっています。ああ、また話がそれた。なんでも極端な話になってしまうな……いろんな概念が生まれて流行語が生まれて、それを繰り返していく……。
そんなこんなで、おかげさまでボサッとした生活を続け、今年の3月に40歳になりました。将来や老後はそれなりに不安だけれど、今の時代それはパートナーや家族がいる程度で四散してくれるものでもないでしょうし。長期的に考えるとうんざりすることもありますが(政治とか)、半径数メートル生活範囲内の環境は現状平和であります。そういう状態でなにか極端な主張をブチあげても、自分自身でも納得できる仕事にはならない。
なので打ち合わせの際に「ぶっちゃけ自分自身にはあんまり何もないんですよ〜」と、編集K氏に相談したところ、「藤谷さんは行動力ありますし、活動的じゃないですか」という言葉をもらい、そうだなあ、すべては結果論でしかないけれど、結局のところ自分は「概念」を突っつき回すよりは「やってきたこと」の話をするほうが性に合っているのかもしれない、と思い至りました。で、「うーん、じゃあ、なんらかの活動の話をするエッセイにします?」ということに。手を動かして、足を運んで経験した「活動」の話であれば、自分の中でも納得できるものが書けるような気がします。これが揉みしだいた結果のお話です。活といえば、「婚活」や「就活」……は今の自分とは縁遠いな、むしろ「終活」だよ興味があるのは。あるいは「ポイ活」とか「腸活」はやってはいるけど、本連載の1回分の規定文字数である5000文字も書けるのか? という疑問も。とりあえず編集のK氏からは「推し活」は期待されてたし、次回以降も様々な「活」について書いていこうと思います。がんばるぞ!
- 定期借家:通常の賃貸契約とは違い2年や3年など一定の期間で終了する契約。ただし、貸し主と借り主の双方が合意すれば再契約が可能。我がルームシェアハウスは来年の更新は可能と家主から言われてますが、次の更新はまだ不明。環境が気に入っているので、できればあと5年くらい住みたいよ〜。
- 『ラブ・ストーリーは突然に』:1991年、ドラマ『東京ラブストーリー』の主題歌としてドラマとともに大ヒット。ウィキペディアによると270万枚の売上だそうです。ちなみにドラマ『東京ラブストーリー』は昨年再ドラマ化され、そっちの主題歌はVaundyの『灯火』。
- 『負け犬の遠吠え』:今読むと偏見と言い切りがすごいので渋い顔になってしまうのだけど、こういう文章が望まれる時代だったというのは、なんとなく記憶しています。連載時は02年、単行本化は03年。あの頃20年前は今よりずっと様々な重圧があった時代なわけで、自虐で交わして笑うしかなかったのでしょうね……。ちなみに実はこれまで『負け犬の遠吠え』は未読で、本田透さんの『電波男』での引用(「いまや日本にはおたく君と負け犬しかいない」というくだりが出てきました)しか知らなかったので、当時は「女オタク、ガン無視!」と思いましたが、本文中で宝塚や歌舞伎鑑賞に勤しみつつなんかアレなオーラを出す女性、つまり女オタクは「アディクション」と呼ばれておりました。化粧品? なお、わたしのようなボンヤリして年食ったタイプは「感じない負け犬」だそうです。わんわんお!
- 『おじさん図鑑』:かわいいおじさん、すてきなおじさん、ちょっとイヤなおじさん……いろいろなところにいる様々なおじさんを愛のある目線で描いた、なかむらるみさんによるイラストエッセイ。今「おじさん」は悪しき社会構造の象徴として批判的に語られていますが、これは逆におじさんの「個」に迫っているわけです。ただ今だとこれはこれでおじさんを「消費」していると批判されるのかもしれない……。2011年に出版され、10万部を超えるヒットに。