シジュウカツ! フリーライター藤谷さん40歳の『〇〇活』記 / 藤谷千明

「婚活」、「就活」、「朝活」、「涙活」……。世の中に存在するさまざまな活動を40歳になったフリーライターが自ら体験し考察する。最近始めた活動や幼いころから今に至るまで続けていること。それらすべてを通して、新しく見えてきたものとは……? ジャンルや枠組みに囚われず、日々を活発的に過ごす著者がおくる実体験型エッセイ。

筆活(執筆活動)

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私の優しくない連載

 ぜんぜんわからない……、雰囲気でライターをやっている。

 唐突にネットミーム1を使ってしまいました。以前、ライター志望の方から、「どうやってライターになったんですか、どうやって仕事の営業をしているんですか? 」という質問をいただいた時、その場にいた同業他者の友人も「なんか…なんとなく(仕事が)来るようになった…」と、回答していたので、なんとなく「右に同じ」となったので、よくあることなのかもしれません。それこそ、先日「大人がなりたい職業アンケート」みたいな記事で、ライターが1位になっていたことを受けて、「そんな甘いもんじゃない」と、色々なライターの方が色々なライター論を語っていたのですが、皆さんの言ってることが結構バラバラで「一概に言えない」ものなのだと思います。まあどんな職業でもそんなもんか。

 溯ること十数年前、なんとなく流行りに乗ってブログを書いていたら、なんとなく編集者の方から声をかけられて、なんとなく快諾し、なんとなく商業メディアに記事を書くようになり、なんとなくフリーランスの専業ライターになったわけです。やっぱり曖昧すぎる。そんなに曖昧でいいのか。

 もう少し具体的に思い出してみると、私がブログを書いていた2000年代半ばは、いわゆるブログブーム期で、あのブログが華々しく書籍化! のような派手なデビューの仕方ではなくても、盛り上がっている世界から書き手を探してこよう、といった空気がなんとなくあったように感じます。現に、私のブログは全く有名ではなく、たまたま人気漫画のレビュー記事を見た編集者の方が「この辺のジャンルのマンガに詳しい人が少ないから」と声をかけてくれたのがきっかけです。どう考えてもバクチやろ。メディアの世界も今より余裕があったからこそのチャンスだったのだと思います。

 その後、なんとなく「ブロガー・ライター友達」みたいな人間関係が少しづつ産まれていって、「そういえば藤谷さんヴィジュアル系好きだったよね(mixiコミュ一覧がヴィジュアル系だらけだったので)。この雑誌でヴィジュアル系得意な人募集してるから、紹介してもいい?」とか、なんとなくブログやSNS経由の友人だった人が5年後10年後にメディアに就職して、仕事の依頼が来たとかいうことが何度かあります。

 ここまでで、出てきた「なんとなく」は10個でしょうか。やっぱり何もわからない……おれたちは雰囲気でライターをやっている……。


 「なんとなく」で「曖昧」な姿勢の人間にしては恵まれていると思います。ライターのなかでも自分名義の本を出せる人はそんなに多くない(とはいえ、めっちゃ少ないわけではないと思うけど)、こうしてウェブのエッセイ連載もいただいているのですから。

 ……でもやっぱり、この連載も折り返し地点にきたところで「何もわからない」んですよ。

 最初の打ち合わせで、一昨年出したオタクのルームシェアエッセイ本『オタク女子が、4人で暮らしてみたら。』を読んだという担当編集のK氏に、「ルームシェア生活の話は他の本でやるので、そんなにネタがあるわけではないです」と伝えたところ、K氏は「好きなことを書いてください」とおっしゃっていました。シェフの気まぐれサラダをご所望でありました。……やっぱりわからん。基本的に、ライターという職業は、発注されたものを書くわけです。例えば、漫画について書いてください、ヴィジュアル系について書いてください、という感じで。好きなものだったら楽しいし(好きすぎて筆が重くなることも多々ありますが)、必要に応じて未知のジャンルを勉強することの楽しさもあります。つまり、私のようなライターにとっては「なんでもいい」と言われることはそうそう無いわけです。そう言われるのが嬉しいタイプの書き手の人もいると思うんですが、私は多分そうじゃない。ただ、エッセイというのは「私自身」から出てくるコンテンツなので、先方も「まず出してもらわらんとわからん」という話かもしれません。


 で、初回(これはバックナンバーでも読めます)にも書いたように、「女性向けエッセイ」という名前のエヴァンゲリオンもびっくりの真っ赤な海にダイブするには、準備運動がぜんぜん足りてなくね? と不安になりつつも、打ち合わせ時に出たK氏の「行動力があるのだから」という言葉をフックに「◯◯活」について書く、という枠組みを思いつきました。

 しかし、思いつきで踏み切ったことが良くなかった。というか、私が「行動力があるのだから」の意味をあまり理解していなかった。

 とにかく原稿には「体験を書いてください」という赤が入りました。明らかに話の前後の流れを無視しているところにも「こないだTwitterで◯◯の話してましたよね? あれはどうですか?」という提案が入ることもある。「行動力がある」と「行動を書く」は別なのでは……と悩む日々が続きました。また、父親のおもしろムーブを書いたところにも「ジェンダー・家父長制度の問題でしょうか……」的なコメントが入っており、「そう」か「そうでないか」でいうと「前者」ではあるかもしれないけれど、「今、その文脈でそれ、必要?」と困惑しました。そう、文脈の認識がズレている。

 少し前に、YouTubeのおすすめ欄に、人気映画の「考察動画」があがっていたのでチェックしてみたところ、コメント欄に必ずと言っていいほど「ヒロインのネイルの色の変化は、気持ちの変化だ。盛り上がっているときは赤、冷めているときは青」のような書き込みがありました。個人的には作り手の遊び心としか思えなかったのですが、それが一番上に来ているということは、納得している人が多いということ。それがさも、物語に対して重大な伏線であるかのように。あるいは、作品を評価するときに「ジェンダー」「貧困」「ナショナリズム」などなど、それぞれの社会問題を「直接的に」描いているかどうか? という部分を断片的に拾っていく、チェックシート方式のような視点で作品を捉えるやり方、たまにSNSで見かけます。もちろん、私自身にもそういうところはありますし、そう感じるのもその人なりの理由があるとは思うので、そういった「読み」に対して否定はできないけれど、自分の「エッセイ」を最初に読む人がチェックシート方式だとさすがに困るぽよ。同業他者の方にも原稿についての色々相談をしたものの、それは結局私とK氏のコミュニケーションコストの問題を他の人に押し付けているだけなので、いつまでもそれではいかんなと編集部に出向いてK氏と編集長とお話をすることにしました。


 編集部の会議室で「不徳のいたすところで……」と謝罪するK氏。そもそも夏くらいに一度「仕事相手としてはコミュニケーションがフランクすぎる(仕事内容と関係ない内容が多い、口調が砕けすぎている)」と指摘して以降、K氏からは腫れ物扱いになっていた感があるのですが、さらに腫れ物度合いが倍増していました。申し訳ない。この場合私がハラスメントを行っている可能性もあるのですが、とはいえ友達口調で仕事とあまり関係ない話をするのは、あまり良くないと思うので……(氏なりに気を使ってくださった結果だとは思いますが)。

 「キャリアは浅いけど、本人は張りきっているのでよろしくお願いします」とフォローを入れる編集長。こういうときに部下を守るいい人だなと思いました。別に不徳ではないと思うし、がんばっているのは存じ上げておりますし、感謝もしておりますが、皆さんはこの連載をどういう風に捉えているのか、どういう読者層にアプローチしようと思っているのか、どういう方向に持っていきたいと思っているのかを伺いたかったんです。しかしやはりここでも「そういうことは気にせずに、好きなものを書いてください」とのことで、「夕食何がいい?」という質問に対して「なんでもいい」と返されたときの気持ちになりました。そして相手方は完全に「謝」モードになっており、「めんどくさい著者」対応というか、「まぁまぁ」な雰囲気になっていました。優秀な人たちを困らせている。それも申し訳ない。

 たとえば、初回のときにもエッセイについて考えを述べましたが、エッセイ本って「手元に置いておくお守り」のような意味合いもあるじゃないですか。ないですか? 私はあるんですけど。では、そういうものを私は書けているのか、これが本という物体になったときに、そうなれるのか。やっぱりちょっとわからない。

 という話を伝えたところで、やはり「好きなものを……」というお答えだったけれど、食い下がり倒した結果、「体験を書いてくれ」=「読者にわかるように、もっと私自身の背景を説明してほしい」という意味の認識だったと確認ができました。なるほどですね。師走の忙しい時期でしたし、あまり時間を割いてもらっても悪いので、「わかりました」と編集部を後にしました。最後にK氏は地元で採れたという昆布をジップロックに入れたものを、善意から「どうぞ!」と渡してくれたのですが、さすがにジップロック包装2の食品をいたただくのは……と辞退しました。

 小説家やライターなど、世の中のフリーランス文筆業の方の本やSNSでは、「編集者とこんなトラブルになった! ひどい!」という告発か、「数年前に編集者の方とこんなことがありました」という回想形式か、あるいは「編集者とのトラブルはネットに出してもいいことひとつもないよ、編集者のほうはめったに公では反論できないわけだし(ド正論)」という話はよく見かけるのですが、「トラブル未満、なんとなくすれ違っていると感じるときの対処法」は見つからない。そういった曖昧な話は目立たないだけなのかもしれませんが。


 世に求められる「体験を書く」とは。「多くの人が体験していることを、ものすごい解像度で言語化し、おもしろく描く」も「体験を書く」のひとつでしょう。いわゆる「あるあるネタ」というか。これができる人は一流だと思います。あるいは、壮絶な人生を送った人が「辛い境遇の人に生きる勇気や共感を与えたい」という『だからあなたも生き抜いて』3というか。エッセイ本やエッセイコミック、はたまたネット上のそれには、「赤裸々な体験」「体当たりな体験」の煽りは珍しくありません。「世の中の多くの人が体験していないこと」、あるいは「世の中の多くの人が体験しているけど、伏せていること」をセンセーショナルに書く、その方が「すごい」とされる価値観があるように思います。実際それが書きたい、書かないと生きていけないタイプの人もいるでしょうし、読みたい人も多いのでしょう(テキスト文化圏以外、You Tubeなどでもそういった動画は人気ですよね)。

 どうもそこに乗り切れない。私の簡単な紹介をすると、「高卒自衛隊上がりヴィジュアル系のファン40歳独身、ルームシェアしてます」。これだけ見ると、一貫性がないし、めちゃめちゃ中途半端じゃないですか。このカードを持って「だからあなたも」とは言えない。自衛隊だってルームシェアだって「興味があったらやってみたらいいのでは。いいところもあるが、責任はとれない」くらいのテンションです。エッセイって、つまり自分の体験を担保に、なにかを言い切るってことでもあるじゃないですか。エッセイ舐めてましたワ。やっぱり向いてないのかもしれません。「世の中を照らす」前に自分の書くものの先が真っ暗で見えないわけですよ。そして今回使った「なんとなく」は合計12回でした。やっぱり曖昧すぎる。

 

 

 

*本連載は、初回と最新2回分のみ閲覧できます。

  1. ネットミーム:『インベスターZ』(三田紀房)を題材にした「バカが考えた株の漫画」という記事が元ネタ。詳しくは こちらの記事を参照。
  2. ジップロック包装:「私の地元民の名誉?or日常的な行為 のために補足しますと、お渡ししようとした『真昆布』は1mを超えるものが多く、やむなくジップロックでした。とはいえ、ジップロックの包装ではなく、きちんとした梱包の方が適切ですね。。。失礼いたしました」とコメントいただきました。そうですね、さすがにジップロックはびっくりしました。
  3. 『だからあなたも生き抜いて』:いじめられっ子時代を経て非行に走り、「極道の妻」になり、その後更生し弁護士になった大平光代の半生を描いたノンフィクション書籍。2003年に刊行され話題を呼び、260万部の大ベストセラーに。このタイトルをみると、いつも「そう言われても……」と思ってしまう(当時ちゃんと読みましたよ!)。 2018年の「週刊現代」記事によると、現在はお子さんの養育のために弁護士活動は休業中だそうです。