美活迷子の人生と意見
美しくなるための方法がわからない。
というか、世の中のいう「美」の基準の変化についていけないという言い方のほうが正確かもしれません。
私が若い頃は、「欧米(ざっくりしたイメージ)は、健康志向だから(ざっくりしたイメージ)太った人は採用面接などで“自己管理がなってない”と落とされるそうですよ、進んでますね~(ざっくりしたイメージ)」だったのが、今は「欧米(ざっくりしたイメージ)は、外見至上ではないから履歴書に写真は載せないそうですよ(ざっくりしたイメージ)、進んでますね~(ざっくりしたイメージ)」って感じじゃないですか? ざっくりしすぎですか?
地球規模の価値観の話ではなくて、自分の半径数メートルの中でも「見た目」についての評価は時期によって変化があったわけです。私は、158cmで40キロ代半ばをいったりきたりの、いわゆる「痩せ型」ですが、子供の頃はクラスで1、2番を争う「ガリ」でした。クソガキのコミュニティーの中では「ガリ」は人権がありません(個人の感想です)、小中学時代は体格のいい男子にすれ違い様にラリアットを食らうような生活を送っていました。まあこれに関しては体型以外の原因もありそうですが……。
それが10代後半以降になると「細いよね」と褒められることも増えました。ただ、凹凸のはっきりした身体ではないので、褒めてくれるのは女性ばかりで、男性からは「胸がない」というイジりもありましたが……。褒めるのもイジるのも、現代の感覚では全部「普通に失礼」だとは思いますが、人間関係の潤滑油みたいな部分もあるので全否定はできないな~とは思っています。自分も無意識にやっているでしょうし。
そして、昔からよく「童顔」と言われていました。妹と賃貸物件を借りにいったときも、妹のほうが「お姉さん」と呼びかけられてましたし、18歳で参加したオフ会では中学生と思われていました。自衛隊時代に、駐屯地の警備のために門の前に立っていたら、出入り業者のおっちゃんに「おもちゃの兵隊みたい」と言われたこともありました。「童顔アピール」という言葉もあるように、幼く見える=若いという解釈もできるので(ただ「美醜とは関係ないのでは?」とも思う)、褒め言葉として使われることもありますが、その一方で、童顔族に伝わる言葉があります。
「童顔は老けるのが早い」
これ、言われたことない童顔、いないんじゃないですかね(主語デカ発言)。一体どこから発生した俗説なんでしょうか。同じく童顔族の友人は「ネット掲示板からでは?」と言ってたけど、私はインターネットがそこまで世間に浸透していない10代の頃にも言われた記憶があるんですよ。もしご存知の方がいたら教えて下さい。
「急に老ける」は結構インパクトのある言葉なので、すごく気にしているわけではないものの、ちょっとひっかかるじゃないですか。この機会に「【検証】童顔は急に老けるのか」的に免許証の写真を年代別に並べてみましたけど、順調に老けていってるだけじゃないですかね。そもそも「急に老けた」が事実だったとしても、「だからなに?」という気がしてきました。
また、比較的小顔だと褒められることもあるのですが(ただ、やっぱり「美醜とは関係ないのでは?」とも思う)、国によっては「『小顔』=脳が小さい・頭が悪い=悪口」というイメージがあるそうな。顔の大きさそのものは努力でなんとかできるものじゃないんだから、ほっといてくれと思いますが……。本当にいろいろな基準がありますわね。
そしてアラフォーになった今、また「基準」の変化を感じています。「そんなに細いと見てるこっちが心配になっちゃうよ~」、「痩せすぎると貧相だよ~」的なコミュニケーションをとってくる方が、日々の生活にわずかながらに登場してきました。この20年くらい体重は変化していないものの、この年代になると、この身体によって「心配」や「不安」を誘発するというジャッジが発生するのだな~。あなたが思うより健康です(流行歌)1。
これは「顔色の悪さ」にも起因しているのでは? と思い至り、百貨店のコスメカウンターでビューティーアドバイザーことBAさんに相談してみたり、パーソナルカラー診断2を受けたりしてみました。私が診断してもらったパーソナルカラー診断サロンの方は、「この色は“得意”ですね〜〜!(パーソナルカラーの世界では“似合う”を“得意3”といいがち)」など、とにかく褒める、めちゃめちゃ褒めるタイプの人で、褒められているうちにいい気分になり「ちょっとメイクをしてみるか〜」と前向きな気分になれました。パーソナルカラー診断が科学的にどのような根拠があるのかはわかっていませんが、これは占いと近いジャンルなのかなと。なんとなく納得のいく理屈で、迷えるものを導いてくれるというか。赤の他人に自分をじっくり観察してもらった上で、客観的な意見をもらえるという体験はとても楽しかったです。ただ、Twitterで「イエベ秋でした!」とつぶやいたら、「藤谷さんはそうだと思ってました〜」とリプがつきました。それはそれで「素人の考えるイエベっぽい=肌が黄みがかっている」みたいな? と感じたりもして。難しいですね。
ほかに対処しているものは、癖の強い髪の毛でしょうか。左右非対称にうねうねするので、社会人になりある程度自由に使えるお金を手にしてからは、定期的に縮毛矯正をあてています。縮毛矯正費用、経費で計上できねえかな。これは「身だしなみ」的な意識が大きいかもしれません。さらに、強いていうなら目は左右の高さも数ミリ違うし、エラも張ってるからな~と感じるけれど、髪とちがって顔面の工事は結構な費用が必要になるので、リスクやコストとメリットを天秤にかけた結果、放置しています。つまりその程度の「気になる」です。
私には姉と妹がいます。彼女たちは学生時代からめちゃモテしていたので、地味オタク人間の私は「美人の妹と似ていない姉」という扱いを受けることはデフォルトで、学校内で後輩たちからすれ違い様に「全然似てないね」という声をかけられたこともありました。気にするかしないかというと、「する」けれど、「マンガみたいだな~マンガだったら“言われる側”がヒロインだったんだけどな~」と、やっぱり他人事のように捉えているフシもありました。「オタクだから」と逃げを打とうにも、妹からの私の所有しているややマイナーなマンガがきっかけで男子と盛り上がり交際に至ったというお礼の報告を聞き、逃げ道が塞がれたのもいい思い出です。
そんなこんなで、人並みのコンプレックスはあったものの、今となっては他者からの見た目に関する評価を気にして思い詰めるには、年を重ね過ぎているというか、「言われすぎて慣れた」感はあります。慣れるべきでないのかもしれませんが、慣れちゃったもんはしゃーないので諦めています。人生諦めも肝心です。
反対に、人の容姿に対してそこまで強いこだわりもなく、個人が個人をジャッジする1番の対象こと「交際相手」の身長や体型も年齢も、結構バラバラだったように自分では認識しています。「中身重視!」というわけでもなく、なんとなく「外見の好み」の幅は広い気がしています。ただ「ジャッジ」は確実にしていると思うので、結局外見でも人を選んでいる事実は変わらないはずですが。
はい、ここで「ヴィジュアル系バンドが好きなのに?」というご質問が来るかもしれないので、先に説明しておきますね。私の中で、ヴィジュアル系バンドは「単に美しい人間」というよりは、「表現の一貫としてのメイク、結果としての美をまとっている人間」なので、ステージの上にいない人に対して、「美」はそこまで求めていないんですよね……。ですが、「じゃあ僕もメイクすればいいの?」って人生で3回くらい聞かれたことがあるので、このへんが同一線上にある人も多いのでしょう。それぞれの価値観ですね。ただこの質問、されると結構「あらま~、説明めんど~」と思うので、個人的にはしないほうがいいと思います。逆に「メイクしたくらいでヴィジュアル系バンドマン同様の美しさになれるとでも?」と感じてしまう人からしてもマイナス判断になってしまうでしょうし。
見た目というものも、株式などと同じで市場の評価により変わるものなのでしょう。アレも実際の会社の業績とは関係なく、雰囲気で上がったり下がったりすることもあるじゃそうないですか。そういえば、経済学のことばに「美人投票4」というものがあるそうですね。オイオイそれは直接的すぎやしませんか?
そして私にも株というか、もはやあやしげな仮想通貨くらい数値が跳ね上がったな、と感じる出来事がありました。
春先に、人気テレビ番組のヴィジュアル系をテーマにした回に出演する機会がありました。このような形でテレビに出るのは初めてだったもので、不慣れな私に対してスタッフの方は丁寧にレクチャーしてくださり、本番も緊張しつつも出演者の方、スタッフの方というプロの力におんぶにだっこしつつも上手に振る舞えた(当社比)気がします。放送終了後、Twitterのトレンドに紹介されたバンド名がたくさん入っており好評のようでした(本当によかった)。自分のアカウントにもたくさんのメッセージが届きました。ほとんどが内容に関するものだったのですが、見た目に関するものも届きました。割合にすると数%ですが。
当日はメイクさんにバキバキのヴィジュアル系フルメイクをしてもらっての出演だったのですが、これも理由がありまして。以前ヴィジュアル系をテーマにしたラジオ番組に出演するために、ラジオ局に出向いたところ、MCの方が「格好はヴィジュアル系じゃないんですね」とおっしゃっていて、「ラジオなのに?」と思いつつも、「世間はそういう期待があるのかもしれない」と考え、それ以降はヴィジュアル系関連のトークイベントや撮影ありの記事で取材される場合は、なるべく「ヴィジュアル系っぽい格好」を意識するようにしていました。やっぱり「他者の目」ありきなんですよね。当然イヤイヤやっているわけではなく、普段の自分と違う顔になるのは楽しいな〜と思っています。
そんなわけで、出演後に届いた見た目に関してのメッセージは、ほぼ「プラス」評価のものなのですが、これまでの人生においてそういう評価にさらされた経験がほぼなかったもので、ちょっと圧倒されました。私の見た目株、ストップ高! 圧倒されすぎてしばらくメンタルがぺったんこになり、体重が数キロくらい落ちてしまい、さすがに自分で思うより不健康になってしまいました。
で、本当に「プラス」のご意見ばかりのなか、一通だけ「若作りした痛いBBA」というメッセージが届いていました。連載第一回でも最近は「痛い」という言葉を聞かなくなった……と書きましたが、今でも使う人はいるもんですね。悪口のアップデートができてないな(する必要もないけれど……)、そもそも若作りのつもりもないしな……、逆にストレートな悪口は一通しかこちらに届いていないっていう事実が、世の中が優しい方向にアップデートされているのかもしれないなと思いました。
そういえば、派手な格好、たとえば人気ロリータファッションモデルの方も、「いい年齢してそんな格好して」的なメッセージをもらうことがあると、SNSでこぼしているのを見かけました。私にメッセージをくれた人も含めて「この年齢だとこうあるべき」的なルールを信じているある種の生真面目な方々なのでしょうけど、その真面目さは別のことに使ってほしいですね……。とはいえ、逆に「年齢にとらわれずに好きな格好を!」と呼びかけるつもりもありませんが。いや、派手な格好って「人の目」以前の話として、着用それ自体に体力が必要だったりするじゃないですか……。私も厚底ブーツでは、もう駅まで歩けないです。
近年はシニア世代のおしゃれなファッションを扱った本も多数出版されており、そういった本を眺めながら「素敵だなあ」と憧れる気持ちはあるものの、「こういう人は若い頃からおしゃれだったろうしな」という屈折した想いも頭をかすめます。できればいい感じの格好をしたゆかいなババアになりたいとは思うものの、そのための道程もあんまり想像つかないので、こういった小さなコンプレックスは一生ついてまわるのだろうなあ。
オタクだったらその手のジャッジとは関係ないわけでもなく、少し前に客を想定したフィットネスジムの経営者のインタビューがおバズりしており、そのなかでもとくに「推しに恥じない身体」というフレーズが「刺さっている」人が見受けられました。これは「推しに会うならベストコンディンションでいたい」という意味にもとれるし、「このグループ(役者・バンドなど)のファン、ブスばっかじゃん、と思われたくなくない」という意味にもとれる、これはどっちもあると思うんですよね。SNSでは「人はみな美しい」という考え方が支持される一方で、人気マンガやアニメのキャラクターに「痩せろデブ」と言わせる系のbotアカウントがいまだに多くのフォロワーを獲得していますし、色々な場所で色々な価値観が錯綜している世界です。
「他人受け」より「自分受け」、「私の身体は私のもの」。ですが「私」を見るのはいつも「他人」です。そんなこと気にしなければいいじゃないかという考え方もありますが、歯を食いしばって「何も見なかったことにする」ことは可能でも、本当に「自分受け」のみで生きることは私にはできないし、ひとつひとつ傷つくには経験を重ねすぎている、すべての評価を曖昧に受け止めて生きるしかないな……と思うのでした。
- 流行歌:Adoさんのヒット曲『うっせえわ』は今年の新語・流行語にもノミネートされていました。
- パーソナルカラー診断:肌の色や瞳の色によって「似合う色」をブルーベース(夏・冬)・イエローベース(春・秋)の4種(あるいは16種類)に分類する診断。「イエベ秋」というのは「イエローベース・秋」といいう「似合う色」のコスメや衣服をまとうことで相手に好印象を与えるそうです。ケネディ元大統領もパーソナルカラーを生かしたという説が(パーソナルカラー診断師さんがよく使う小話)。詳しく知りたい方はウィキペディアとか見てください。参考にするのはよいと思いますが、「私はイエベだからこの色は似合わない」みたいに自分を縛るものになってしまうとよくないので、占いレベルに思っておいたほうが無難かなと。そもそも「肌の色味」ってセンシティブな話ですしね……。
- 得意:パーソナルカラー診断師さんは「似合う」ではなく「得意」といいがち(個人の観測範囲内では)。これは「似合う」は診断師からのジャッジ感がありますが、「得意」はその人本来が持つ能力という意味合いが強めな印象を与えるからではないでしょうか……と推測してみましたが、正確な理由をご存知の方がいたら教えてください。
- 美人投票:投票者が100枚の写真の中から最も美しい6枚を選出し、その選択が投票者全体の平均的な好みと最も近い者に賞が与えられるという投票コンテストの場合、投票者は「自分の好み」で投票するのではなく「多くの人の好み」を予想して投票するんだとか。それを株式投資・株式市場に重ねた経済学者ケインズのお言葉だそうな。