死ぬまで生きる日記 / 土門蘭

日常生活はほとんど支障なく送れる。「楽しい」や「嬉しい」、「おもしろい」といった感情もちゃんと味わえる。それなのに、ほぼ毎日「死にたい」と思うのはなぜだろう? カウンセラーや周囲との対話を通して不可思議な自己を見つめた1年間の記録。

「私はずっと、日本人になりたかったんです」

share!

 「変わろうとし続けてきたのがRさんなのだとしたら、変わるのをやめるのってとても大きな変化だと思いますが、どうですか?」

 以前のカウンセリングで本田さんにそのように言われてから、気づいたことがある。

 そう言えば私は「休む」ことができない。休日をゴロゴロして過ごしたり、特別なことを何もしないでいることができない。常に何かやるべきことを探しては、それにせっせと勤しんでいる。
 あるいはお正月や年度始まりなどに、目標を立てずにはいられない。昨年よりも良い自分になっていないといけない、と思うのだ。そして3か月に1度とか半年に1度、その目標を見直し、達成できているかどうかを確認する。達成できていなかったら、どのようにしたら達成できるのかを細かいtodoリストにして手帳に書き落としていく。そんな習性がある。誰に頼まれているわけでもないのに。

 こう書くと、まるで向上心のある働き者のように見える。友達や家族にもそう言われてきた。
 「蘭ちゃんは頑張り屋さんだね」「しっかりしているね」「すごいね」「えらいね」
 以前はそれでいいのだと思っていた。みんなが褒めてくれる、認めてくれるから、これでいい。

 でもカウンセリングを受け続けるうちに、少しずつそんな自分に違和感を覚え始めた。
 「なんか私、ずっと頑張ってない?」
 そのことにようやく気づいたのだ。

 私が頑張る時に感じているのは、やる気ややりがいももちろんあるが、一番は恐怖だと思う。「休んでもいいよ」と言われても、怖くて休めない。今どこに向かっているのかがわからないと、怖くてじっとしていられない。
 だから積極的にゴールを設定する。この日までにこんなことを成し遂げよう、と。そして、そこに辿り着くためのやることリストを作っていく。私の「今」は、そのように未来から逆算して埋め尽くされる。休む時間なんてないほどに。

 本田さんの言葉を聞いてから、自分がずっと変わろうとしている、成長しようとしていることに気がついた。それは一見いいことかもしれない。でも逆から見れば、「今の自分」をずっと否定しているとも取れる。「このままでいい」とは全然思えないのだ。このままでいてはいけない。変わり続け、成長し続けないといけない。そう思い込み続けている。

 本田さんは、幸せを恐れている私のことを、
 「自責を超えて自罰的とも取れます」
 と表現した。確かにそうかもな、と思う。だって常に「今の自分」を許すことができないのだから。

 自分が設定したゴールを達成しないと、自分を認めることができない。しかも、認めたとしてもまたすぐに違うゴールが設定される。私はまた、それに向かって走り出す。いつまで続くんだろうと思いながら。どうして私はこんなに頑張っているんだろう、こんなにしんどいのは何故なんだろう、それなのに大した人間にもなれないで、そうまでして生きる意味ってなんなんだろうと思いながら。

 まるで、両手で水を汲んできて、穴の空いた壺にずーっと注ぎ続けているみたいだ。一瞬水は溜まるがすぐに漏れてしまう。私はそれがなくならないうちに、走ってまた水を両手で汲んでくる。その様子を、自分がずっと厳しい目で見ている。サボらないように。

 虚しいな、と思う。何のために頑張っているんだろうと。
 虚しい、辛い、しんどい、疲れた。
 これが生きることならば、死んだ方がずっとマシ。

 いつも心の中で、ぼんやりそんな考えがたゆたっている。それが馬鹿げた考えであることも、ちゃんとわかってはいるのだ。それなら頑張るのをやめればいい。だって、それを強いているのは紛れもない自分なのだから。


 初めて「死にたい」と思った日のことは、割と鮮明に覚えている。

 小学4年生の算数の授業の時だ。授業では、「ヘクタール」と「アール」の箇所を取り扱っていた。黒板には、チョークで書かれた四角い図形。一辺の長さがいくらだから、面積はいくらでしょう? クラスメイトたちがノートに数字を書き込んだり、手を挙げて答えを言おうとする。

 その前の数日間、私は風邪をひいて学校を休んでいた。学校に来ていない間に授業が進んでいて、教科書が数ページ飛んでいる。その数ページ分を経験したクラスメイトは、みんな私とは違う空気をまとっているように見えた。「あ、この感じ知っている」と思った。私はずっと、この感じを味わってきたんだよなと。

 ヘクタールとアールの公式はすぐに理解できた。でも、その公式がいつ何のために使われるのか、どのくらいの広さで何に適した広さなのか、私には一切わからなかった。ただ数字と公式だけが目の前にある。私はそれを、必死で解いていく。間違わないように。

 いつもそうだ、と私は思う。いつもいつもそう。暗記はできるのに、感覚が掴めない。
 夏休みの自由研究の仕方、アスレチックの登り方、うさぎ小屋の世話の仕方、シャボン玉の飛ばし方、絵の描き方、歌の歌い方、服や小物の選び方、友達や先生との接し方……みんなが自然にできていることが、私には自然にできない。わからない、と思う。どうすればいいのかわからない。だからいつも真似ごとだ。クラスメイトのやり方を見て、ああそのように振る舞えばいいのか、と思う。そしてやっと、それらしく動くことができる。

 ノートに鉛筆で式を書きながら、私は泣きそうになっていた。なんで自分は、いつもこうなんだろう。
 私は何もわからない、私は何も知らない。それなのに知っているふりをして、赤丸をもらっている。その度に何か見落としているような、誤魔化しているような、悪いことをしているような気持ちになる。公式を忘れてしまったら、私には何も残らない。

 その時私を襲ったのは、強い不安感と恐怖、そして罪悪感だった。
 いつもそうだ。いつもいつも。私はずっと、怖くてたまらない。

 「ここから飛び降りたい」
 そう強く思ったのを覚えている。
 椅子から立ち上がり、クラスメイトの机の合間を縫って走り、窓から飛び降りて、頭を強く打ったなら、もうこんなこと感じなくって済むのかな。

 立ち上がろうとする自分と、押し留めようとする自分、その両方が、静かな教室の中でせめぎ合う。何かの拍子で椅子から立ち上がりそうだった。私は必死にそんな自分を押さえながら、立ち上がる代わりに算数のノートに文字を書き殴った。数字ではなく、文章を。椅子から立ち上がり、クラスメイトの机の合間を縫って走り、窓から大きく飛び降りて、頭を強く打つまでの自分のことを。その女の子は私ではない。物語の中の、私とは違う女の子のことだ。

 気がつくと、チャイムが鳴っていた。私は慌てて算数のノートを閉じる。
 「起立、礼!」
 日直の当番の子が高らかに言い、その子の言う通りに従った。頭を下げて自分の薄汚れたシューズの先を見ながら「死ななくて済んだ」と思った。私は、文章を書いていたから死ななくて済んだんだ。

 それから私は、文章を書くようになった。
 この地球になかなか馴染めない自分は実は火星人で、地球の様子をレポートする使命を授かり、ここにやってきた存在なのだと思い込んで。でも、もちろんそんなことありえないのはわかっていた。そのレポートが誰にも読まれないことも、火星には誰もいないこともちゃんとわかっていた。

 ただ、書く時だけは安らかな気持ちになれた。そこには公式なんてない。正解も間違いもない。私が書きたいことを、ただ書けばいい。誰かに伝えたかったことを、ここに代わりに書けばいい。
 感情が昂ったり落ち込んだりするたびに、私はノートを広げた。ノートは私の投げる言葉を、黙って受け止め続けてくれた。誰にも読まれない言葉たちが、何冊も何冊も積み重なった。

 私がこれまで生きてこられたのは、そのノートがあったからだ。今もそんなふうに思っている。


 「Rさんのその不安感は、どこから来ているのでしょうね」

 昔を振り返ってみましょう、という話から始まったカウンセリングで、私が初めて死にたいと思った時のことを打ち明けると、本田さんはそう言った。

 「『みんなが自然にできていることが、私には自然にできない』というのは、うまくできなかったということでしょうか? そういう経験が実際にあったのですか?」
 そう聞かれると、よくわからない。勉強の成績は良い方だったし、友達もちゃんといた。クラスでも活発で、先生からも気に入られ、割と目立つ方だったと思う。それなのにずっと、自分はだめだと思っていた。みんなを騙している、と。

 「みんなを騙している?」
 「はい。ずっと嘘をついているような……いつかバレてしまうとビクビクしていたように思います」
 「何がバレてしまうと?」
 「……何でしょうね。みんなとおんなじような人間だって、嘘をついていることをかな」

 みんなとおんなじような人間。本田さんは小さな声で繰り返した。

 「もう少し詳しくお聞きして良いですか? Rさんは、地球人と火星人という言葉も使われることがありますが、それとは何か繋がりがあるのでしょうか」

 私は少しの間押し黙った。言葉を選びながら、話を始める。

 「みんなとは違う、という感覚が、昔からずっとあるんです。それは別に自分が特別だと言いたいわけではなく、単純にカテゴリが違うということです。私は韓国と日本のミックスですが、周りにそんな子は一人もいませんでした。みんな普通の日本人……自分が日本人であることを疑う必要がなかった人たちです。私も国籍は日本だけど『私は日本人です』とはハッキリ言えない。言ってはいけないのだという気がする。そういう意味で、違うということです」

 これはあまり言いたくないことだった。だって、国の名前でアイデンティティが決まるだなんて馬鹿げている。そんなのは自信を持てない言い訳であって、軟弱者の言うことだ。そう何度も自分に言い聞かせてきたからだ。

 母親が韓国人であることで、幼い頃から小さな差別を何度も受けてきた。どれもからかい程度のものだったが、笑って流しつつも深く傷ついていた。私は、自分がミックスだからではなく、弱いから差別を受けるのだと思った。
 「だったら強くなればいい」次第にそう思うようになった。母の国籍で差別されるよりも、自分のせいで差別される方がましだ。だって、母の国籍は変えられないし、国籍で差別されること自体間違っている。母が悪いわけじゃない。自分が理由だったら、いくらでも変えられるもの。

 同時に、韓国を訪れた時にも小さな差別を感じていた。韓国人の母を持つのに、韓国語を学ぼうともしない子供を、大人たちが「傲慢だ」と感じているのがわかった。「韓国語も勉強しないと」と言われるたび、人の気も知らないで、と私は思った。日本で母を守って生きていくために、私がどれだけ努力をしているか知らないくせに、と。でも、それが正しいことなのか、自分でもよくわからなかった。

 私は日本人の父を持つのに、日本人が怖かった。韓国人の母を持つのに、韓国人が怖かった。家では夫婦仲の悪い彼らに挟まれ、外に出れば疎外感を覚え、安心できる居場所なんてないと思っていた。だから自分は根無草だと思おうとした。だから自分は火星人だと思おうとした。そうすれば、全部うまく説明できると思って。

 「私は日本人じゃないし、韓国人でもない」

 そんな自分の声を聞きながら、ひどく惨めな気持ちになった。こんなこと言いたくなかったのに、どうして認めてしまったんだろう。これまで跳ね除けてきた小さな差別に、自分が屈してしまったような感覚だった。なんで屈しなくちゃいけないんだ。私は絶対に負けたくないのに。国籍なんて問題にならないくらい、自分が強く魅力的になればいい。ずっとそう思って、努力をしてきたのに。


 母は、生粋の韓国人だった。日本に来たのは30歳を過ぎてから。日本語を一言も話せないのに、仕事を求めて来日した。

 当然のことながら、日本人とは常識や文化、考え方が違う。国なんて関係ないと言えども、土地や歴史が個人の中に醸成する価値観というのは確実にある。母には韓国のそれがあり、日本のそれは当然持ち合わせていなかった。そこに生まれたのが私だ。母自身、言葉も十分にわからない国で育児をするのは、さぞ大変だったろうと思う。

 ただ、そんな中で育てられる子供もまた、いろいろな意味で大変だった。母の価値観と世の中の価値観が微妙に違う。言葉がわからない、文字の読めない母は、常にどこか不安そうで、私はその不安の中で育った。父は仕事でずっといない。私は一番身近な母よりも、学校の先生や近所のおばちゃんなど、周りの日本人の大人を頼ることにした。わからないことはその人たちに聞いた。だって、お母さんに聞いても困らせるだけだし、きっと彼女は間違っているから。

 私は母を信用していなかった。頼りにしていなかった。日本人の大人が言うことを母にわかりやすく伝え、私たちはその通りに動こうと提案した。母はそんな私をどう思っていただろう。私は母を守るのに必死で、母がどう思っているかなんて考えたこともなかった。

 一方で、そんなふうに信用していた日本人の一部の人たちが、韓国を無意識に差別する瞬間も何度か見てきた。私は自分のルーツを隠したことはないが、それを知らない人たちが目の前で母の国を揶揄するようなことはよくあった。私はその度、「ああ、ここにもあったのか」と、まるで見えない穴に落ちたような衝撃を受け、傷ついた。
 でも、彼らには私や母に対する悪意はない。それもわかっていた。だから、目の前の人を嫌いになってはいけない。彼らは私のルーツを知らないだけなのだから。そして、自分が差別をしているということに気がついていないだけなのだから。
 ただ、これまで信用してきた人に、目の前で自分のルーツのひとつを否定されるのは、やっぱりとても辛いことだった。

 小学生の時、七夕の短冊に『お母さんが日本人になりますように』と書いたことがある。
 机の引き出しに入れたまま飾りはしなかったけれど、本気でそう願っていた。そう願うことが母を悲しませることだというのはもちろんわかりながらも、明日起きた時母が日本人になっていたらいいと思った。そうすれば、全部解決する。こんなのは良くないことだと思いつつも、幼い私にとってはそれが唯一の解決策だった。

 「私はずっと、日本人になりたかったんです」

 そう言った瞬間に涙があふれる。完全に屈服したな、と思った。でもそれは、意外と気持ちのいいことだった。そうかぁ、日本人になりたかったのか。私って、結構弱いんだな。そして愚かだ。本田さんは、黙って私が泣き止むのを待っている。


 「自分は日本人じゃないという気持ちが、Rさんの中にはずっとあったのですね」

 私が落ち着くのを待ってから、本田さんが話を整理をするために言った。

 「根無草という表現をされましたが、幼い頃の小さな差別の体験や、お母様の不安を感じることで、絶対的な安心感が不足していたのかもしれませんね。だからこそ、相対的な価値に重きを置かれるようになったのかもしれません」

 確かにそうだな、と思う。差別されるのも、母が不安を覚えるのも、全部自分が弱いからなのだと思っていた。それで素の自分を否定して、努力し続ける癖がついてしまった。悲しくない、辛くない、私はかわいそうじゃない。私はみんなとおんなじなんだと見せつけたかった。そして母には、かわいそうじゃない娘を持ってほしかった。そうすることで、彼女を守れると思っていたのだ。

 「だけど」と本田さんが言う。
 「Rさんは『日本人』にこだわられていますが、純粋な日本人なんてきっと一人もいないんですよ。日本人と言っても、みんな外国の血がたくさん混じっていると言いますし」

 きっと私を励まそうとしてくれたのだろう。そんなに国籍にこだわっても仕方ない、と言いたかったのかもしれない。でも、咄嗟に感じたのは「それは自分が日本人であることを疑う必要がなかった人の言うことだ」という失望だった。そうじゃない、物理的な血がどうのとかいう問題じゃない。これは生まれてから深く根付き続けた認識の問題なんだよ。

 そのことが雰囲気で伝わったのだろう。本田さんは、
 「いや、そういう問題でもないですよね」
 と言った。
 「そうですね、頭ではわかっているのですが」
 少しだけ、微妙な空気が流れる。

 「ただ思ったのは」と本田さんが仕切り直した。
 「Rさんは、日本で生まれて日本で育ったのは間違いありませんよね。それでも自分は『日本人じゃない』と思う、と。お話をうかがいながら思ったのは、Rさんはお母様とご自身を同一視しているのではないかな、ということです」
 「同一視?」
 本田さんは頷く。
 「Rさんは、お母様とご自身を一緒にして見ているような気がします。お母様が味わってきた不安感を、自分のものにしている。だから、自分で何とかしようとし続けてきた」

 本田さんはさらに続ける。
 「ずっと辛い気持ちを表に出さず、『日本人になりたかった』と素直に言えなかったのも、お母様を否定したくなかったからではないでしょうか。もちろん、そのお気持ちは大切なものです。でも、そもそもお母様とRさんは異なる人間です。お母様とご自身を、別の人間として捉え直す必要があるように思います」

 でも、と思う。
 母は弱いから。母はひとりぼっちだから。離れてしまってはかわいそうだ。

 その時、母が昔よく私に言っていたことを思い出した。
 「蘭がいなかったら、私はここでずっと一人だ」
 「蘭がいなかったら、日本にいる意味がない」
 泣きながら母はそう言った。私はその度、いつか母は韓国に帰ってしまうのではないかと不安になった。私がそばにいないといけない。私が守ってあげないといけない。そうしないと、ここからいなくなってしまう。

 そのことを思い出して、はっとした。ああそうか、私は母と離れたくなかったんだ。弱い立場にある彼女を、私が守ることでずっと繋ぎ止めておきたかった。彼女の受けてきた差別も全部引き受け、私が強く賢くなることでそれを払い除けてあげたかった。彼女が日本にいる意味を、私が作ってあげたかったんだ。

 母に依存していたのは、私だったのかもしれない。
 本田さんと話していて、初めてその考えに辿り着いた。
 私はお母さんじゃなくて、私でしかない。韓国人でも日本人でもなく、ただの私でしかない。

 「そんなこと、初めて考えました」と私は言う。
 「自分が母を守っているのだと思っていたから、自分が母に依存していたなんて、思ってもみませんでした」
 はい、と本田さんが言う。そして私の言葉を待つ。

 「でも、確かにそうかもしれない……」

 そう言った瞬間、「日本人になりたい」と言った自分のことを許せるような気がした。短冊にあんな願いを書いた、小学生の自分のことも。

 「嘘がバレたくないのは、お母様に対してだったのかもしれないですね」
 本田さんが、微笑みながら言う。
 両目から涙がたくさん出て、私はしばらく何も話せなかった。

 

 

國分功一郎・熊谷晋一郎『<責任>の生成ー中動態と当事者研究』(新曜社 2020年)

お二人の研究を元にした対談がとてもおもしろく、無我夢中で読んだ。まるで自分のことが書かれているような快感から、どんどん読書への没頭度は増していったのだけど、立て続けに言葉がクリーンヒットしてしまい、ひどく体調が悪くなってしまった。そんな経験は初めてだったけれど、それでも読むのをやめられなかった、非常に強い本。

「誰もが大なり小なり傷ついた記憶を持っている。そんなわれわれ人間にとって、何もすることがなくて退屈なときが危険なのではないか。そんなときに限って、過去のトラウマ的記憶の蓋が開いてしまう。だから私たちは、その記憶を切断する、つまり記憶の蓋をもう一回閉めるために予測誤差の知覚を得ようとして、いわゆる『気晴らし』をするのではないだろうか、と」

*本連載は、初回と最新2回分のみ閲覧できます。