スノードーム / 香山哲

ある雑貨店の片隅に、古いスノードームが佇んでいる。 その中に住む者たちは、不安に駆られ、終末についての噂を交わしていた。 天空に、ある不穏な兆しがあらわれたのだ。 果たして「その時」は本当にやってくるのか? それはどんな風にやってくるのか?  小さな小さな世界の中で、静かに近づいてくる終末の記録。

安定と変化

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 自然の中にある川のようなものにも、流れが常にある部分と、そうではない部分がある。水流のない部分や水たまりのような場所では、水は淀んで安定していて、特有の微生物が生息していたり、何者かの隠れ場所や産卵場所に適していたりする。だけどそこも、変化が全く起こらない「完全に安定した場所」なわけではない。魚や鳥などが沈殿した泥を一部混ぜ返したり、落ちてきた植物が腐って栄養になったり、刺激が外部から適度に加わることによって、わずかに変化が起こる。



 人間社会も自然の一部分なので、そういうことが日々色んな場所で起こっているんだろう。目まぐるしく忙しい場所や集団もあれば、ゆったりとして変化が少ないものもあるし、その中間程度のものも色々ある。会社、ゲームセンター、刑務所、大きい駅、小さい駅、診療所、救急病院……色んな人が色んな場所を訪れたり去ったり回遊していて、一方、ずっとどこかにとどまる人もいる。



 たとえば学生は、入学してから、休学したり進級したり留年することもありながら、卒業したり退学したりする。在学中の期間には、変化や終わりがあることが最初から想定されていて、あまり安定していない。朝起きて通学する1日単位のリズムは安定して反復されるが、たとえば3年制の学校なら、3年間全体を見ると「変化し続ける1つの流れ」になっている。同じ断片の繰り返しで構成される1つの長い音楽のようだ。



 それと違って、たとえば工場や農場では、決まった製品や作物を決まった期間で作り、作り終わったらまた最初から同じことを繰り返す、「変化しない反復」という形も少なくない。準備して、作って、出荷して、メンテナンスして、というのが2ヶ月続いたら、また次の2ヶ月で同じことをする、というような。



 ただ、自然や社会は複雑で、学生にとっての学校は「入学から卒業までが1つの楽曲のようになった、変化し続ける空間」かもしれないけど、用務員や教師など、そこで働く人にとっては違う。働く人にとっての学校は「新入生に卒業してもらうこと」を安定して繰り返していく場所だし、それを長年維持していくことが仕事だ。



 これは学校に限らず、いたるところで発見できる。大体のことは「何かにとってはこうでも、別の何かにとってはこうではない」という多面性や重層的な部分がある。工場でも、長年あまり仕事内容が変わらない人もいれば、忙しい時期の間だけ雇われて去っていく人もいる。季節ごとに色んな工場を移り渡ったり、「数年前には金属製品の工場によく呼ばれていたけど、だんだん食品工場に行くことが多くなってきた」というようなことも起こるだろう。安定と不安定が同じ工場の中で同時に進行し、工場全体としては安定している。自然や社会は複雑だ。



 そういう感じで、人間社会には異なるスピード感や変化量を持った人がいて、色んな役割を分担したり交代したりしながら生きているように見える。人間社会を1体の獣と捉えると、骨や肉などの変化しにくい比較的安定した部分もあれば、体中をかけめぐる血液みたいな部分もある。




 この雑貨店の店主は、店を毎日開店させ、閉店時間まで動かし、維持している。それを長い年月続けていて、それなりの労力を費やしている。目まぐるしく変化していくことよりも安定していることが重要だったりするし、実際、3年や5年では店内や外装の景色はそこまで変化しない。あまり変化しないことによって、客たちの「あの店にはああいうものがあるはず」というような期待に応えることにもなるし、そうやって色んな人の生活を支えたり彩ったりすることも店の役割の1つだ。店主の毎日の生活も、大きくは変化せず安定している。



 サバイバルクラブの2人の学生は逆だ。終わりがある学生生活を、変化とともに過ごしている。この店には半年ぐらい前に初めて来た。最初は不定期に来ていて、もしかしたら別の店のコピー機と併用していたのかもしれない。3ヶ月ぐらい前からはだんだん一定間隔で来るようになった。だけどそれもずっとは続かず、先日は帽子をかぶった学生のほうだけが1人で来た。学生たちは今、人間社会の中の、目まぐるしい部分にいる。