スノードーム / 香山哲

ある雑貨店の片隅に、古いスノードームが佇んでいる。 その中に住む者たちは、不安に駆られ、終末についての噂を交わしていた。 天空に、ある不穏な兆しがあらわれたのだ。 果たして「その時」は本当にやってくるのか? それはどんな風にやってくるのか?  小さな小さな世界の中で、静かに近づいてくる終末の記録。

準備中

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 数日経って、やはりシフトは傷が育ってきているように見えると話した。自分は、そうは思えないと言った。ユニコーンのマーズは、どちらとも確信できないと言う。これはたしかに難しい問題で、肉眼によって観察できないようなゆっくりしたスピードで傷が育っているかどうかは誰にも確信が持てない。そこでカルラは、どうにかして目印を決めよう、と提案した。傷を見た時に、その背後に重なって見えるドームの外の景色などとの位置関係を覚えておけば、長期的な観察がしやすい。今から1か月とか、4か月とか、2年とか、まとまった時間が流れた後に確認すれば、どんなにゆっくりとした変化でも判明するだろう。皆それぞれの視点からの景色と傷との位置を覚えようとした。



 ドームの外に広がっているのは、雑貨店の景色だ。雑貨店の全体は、まっすぐ隣接した3つの部屋のような空間に区切られていて、中央の部屋に建物の出入り口や店主のいるカウンターがある。向こう側の部屋には服や本、こちら側の部屋には食器や雑多な生活用品が並んでいる。店の売り物はほとんどが中古品だった。こちら側の部屋にはロープで区切られたエリアがあり、そこに自分たちは置かれている。ロープには札がついていて、「準備中」と書かれているようだ。自分たちからは札の裏側しか見えないけれど、客がよく「準備中か」と言ったりするので知っている。なので、ロープからこちらに客が入ってくることはない。「準備中」のエリアには大きめの棚が2つ置かれている。そのうちの1つ、5段ある棚の上から2段目に自分たちのスノードームは置かれている。ここから向かいに見える棚の背面には窓があって、店の外が見える。





 雑貨店の外にあるのは、自動車も走れるような通りと、それに沿って並ぶ建物や空き地だ。どの建物も1階建てか2階建てで、密に並んでいるわけでもない。それでもこの店がある地域は周囲の土地よりも栄えているようで、「街」と呼ばれている。



 ドームの殻にあらわれた傷というのは、自分たちの真上、天の方向にある。マーズ、シフト、カルラ、自分、誰から見ても上の方向であり、傷の向こうには、ドームの殻のガラス越しに雑貨店の天井が見える。天井にも木目とか、仕切り材とか、ネジ穴とか、そういう目印があるので、傷との位置関係を暗記した。たとえば、自分から見える様子だと、もし傷の長さがそのまま2割か3割伸びると、天井の仕切りにぶつかるように見えるんじゃないかと思う。何か月か後に確認してみたとき、もし傷が目印に達しているように見えたならば、日々ゆっくり傷が育っていた可能性がある、ということだ。各自がそれぞれの視点から見える背景を利用して、固有の位置関係を暗記した。



 1か月が過ぎ去った。今のところ、誰からも傷が大きくなっているという報告はなかった。この事態に関して、最も強く不安を抱えていたシフトも、傷を観察することでだいぶ落ち着きを取り戻すことに成功していた。この1か月の間にも、今までどおり雑貨店には様々な人が訪れ、自分たちもスノードームの中でいろいろな話をした。



 たとえば、「滅亡が来るとして、どんな滅亡だと嫌か」といった話題だ。シフトはそのテーマに対して、「長く続く滅亡は嫌だ」と答えた。一瞬ですべてが爆発して消し飛ぶような、1が突然0になるような終わりが、つらくなくて良いという。たしかにそれはみんな共感を示した。いっぽう、シフトの逆側にいるマーズは、「滅亡の理由や過程について、すこしも知らないまま滅びに巻き込まれるのは嫌だ」と言った。隕石の衝突とか、大洪水とか、何が起きてどう巻き込まれて終わるのか、何でもいいから知りたいらしい。これはあまり賛同を得られなかったが、理解はされた。



 カルラは、「シフトやマーズがつらい思いをするような滅亡が嫌だけど、どんな滅亡が来ても仕方ないと思えるだろう」と言った。それに対して自分は「偶然、ほとんど同じように思っていた」と言った。自分やカルラは比較的、何が起こってもあまり嫌だとか思わない性格なのかもしれない。シフトやマーズは普段から何に関しても喜怒哀楽を強く持っている気がする。



 他にもこんな話題があった。「もし1年以内にスノードームが滅亡してしまうとしたら、やり残したことはないか」。みんなでこれについて話し始めると、自然と会話が、ある方向へ向かった。それは「自分たちのスノードームが誰かに購入されるかどうか」ということについてだった。



 自分たちが置かれている雑貨店の売り場は「準備中」だけど、その状態は既に何年も続いている。しかしそれでも、いつか何かのきっかけで棚の整理作業が始まったりするかもしれない。それでどうにか客が購入できる状態になれば、自分たちも誰かの家のどこかに置かれることになったり、さらに別の誰かに贈られたりするかもしれない。それがこれから1年以内に起こるかどうかというのは、とても盛り上がる話題だったし、滅亡の気配がある今、さらに真剣に話せるテーマとなっていた。



 この世でスノードームという物は、おもちゃとして作られる。名所や施設のおみやげ品だったり、何かの記念品や企業のノベルティだったり、意味合いは様々あるが、基本的には全て、置物である。どこかに飾り、眺めたり振ったりして遊ぶおもちゃだ。今、自分たちが何年もここに置かれて「準備中」でいることは、自分たちにとって特別落ち込むことでもなかったが、それでもなんとなく「本道ではない」というようなことを感じていた。それは漠然としていて弱い感覚だったが、ずっと常に自分たちの気持ちの中にうっすらとあったのだろう。そうでなければ「これから1年以内に購入されるかどうか」という話題では盛り上がらないだろうと、みんなと話しながら自分は思った。