スノードーム / 香山哲

ある雑貨店の片隅に、古いスノードームが佇んでいる。 その中に住む者たちは、不安に駆られ、終末についての噂を交わしていた。 天空に、ある不穏な兆しがあらわれたのだ。 果たして「その時」は本当にやってくるのか? それはどんな風にやってくるのか?  小さな小さな世界の中で、静かに近づいてくる終末の記録。

記憶のイメージ

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 その日の閉店後、傘の学生と店主のやりとりについて、みんなで話した。何か印象的なことが店で起こった時、こういう夜になることは多い。


 まず、カルラやシフトが言ったのは、店主が話しかける相手についてだった。今日、店主はコピー機の説明書を学生に貸そうと提案した。そういう些細なことですら、この店主が客に対して積極的に接することは珍しい。そして、店主が珍しく提案や行動をするというのは、なんとなく法則性があるんじゃないか。それが、カルラとシフトの立てた仮説だ。毎回必ずではないが、忙しそうでなく、かつ、個人的な用事で困っている客が多いような気がするらしい。


 たとえば店主は、配達業者や運転手が勤務時間中に店に寄った時などは、雑談をしたとしても一言で終わることが明らかに多い。相手の忙しさや勤務中である緊張感を感じ取って、それに合わせているような感じだ。別の店で買ったものを抱えている人や、小さな子を連れている人に対してもそういう風になりがちだと思う。複数の店を回っている人は次の予定があるかもしれないし、乳幼児を連れている人には特別な注意や行動が必要だったりする。


 しかし他方で、趣味や遊びで買い物を楽しんでいるような人にも、店主はあまり干渉しようとしないんじゃないかと、カルラとシフトは言った。それはたとえば、「すぐに何かに必要ではないけど、気に入ったものが見つかったら買っていこう」という感じでふらっと店に来て、服やかばんや本を見て回るような客。店主はそういう客とたまに雑談することはあっても、何かを提案することはほとんど無かった。なんとなくそれは、相手の好みに口出ししたくないような態度にも思える。とにかく、多くの場合において、店主は客に干渉しようとしないのが基本だった。


 では、どんな客に、店主は積極的な提案のようなことをしただろうか。シフトが色々思い出したことを話した。何年も前のことを、断片的に次々と話す。自分は感心しながら聞いていたが、どの客についても、ぼんやりとしか思い出せない。そんな客がいたような気もするし、いなかったような気もする。


 どうやらマーズも記憶に自信がないのか、たびたび「そんなことあったっけ?」とか「それはまた別の人じゃなかった?」などとシフトに尋ねた。そう言われるとシフトも自信が揺らいで、「あれ? 違ったかな」といった感じになる。


 自分はその会話を聞きながら、だんだん、ぼぉーっとしてきた。自分たちは、たくさんの出来事を体験しながら生きている。それらの記憶が長い時間とともに曖昧になって、互いに混ざったりしてしまいつつ、何だかよくわからないまとまりになる。記憶って一体何なんだろう。記憶や、記憶の風化について思い浮かべていた。どんどん堆積していく、正体不明なまとまり。想像が広がっていって、ぼんやりしてきて、いつの間にか自分は、石油のことを考えていた。


 石油は、自分たちの体を作っている原料でもあり、化石燃料のひとつだ。化石燃料は、化石のようなものから生まれる。大昔に死んだたくさんの動植物が積み重なって、長い時間が経ったものを使って作られる。詳しい理屈は知らないけど、どれだけ砂や水が集まっても、どれだけ長い時間が経っても、待っているだけでは化石のようなものにはならない。そして、生命たちは石油になると、元々はどこからどこまでが誰の体だったかもわからない、すごく煮込んだスープのような一体となる。それがなんとなく、記憶のイメージと重なった。