スノードーム / 香山哲

ある雑貨店の片隅に、古いスノードームが佇んでいる。 その中に住む者たちは、不安に駆られ、終末についての噂を交わしていた。 天空に、ある不穏な兆しがあらわれたのだ。 果たして「その時」は本当にやってくるのか? それはどんな風にやってくるのか?  小さな小さな世界の中で、静かに近づいてくる終末の記録。

説明書

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 傘の学生は、店主に質問してもよいのだと判断した。「原寸でコピーしているんですが、どう試しても余白がコピー元と同じ感じにならないんです」と聞いた。店主は短く返事をして、コピー機に近寄り、何枚かの失敗作とコピー元を見比べた。


「うーん……コピー元の原稿を置く位置をすこしずつ変えて調整しようとしたけど、うまくいかなかったってことかな」と店主が確認した。学生は「そんな感じです」と答えた。


 店主は、いくつかボタンを押したり、原稿をセットする部分を開けてみたりしたが、手掛かりはなかった。それから、機械のうしろにある棚から1冊の本を取り出した。「ちょっとすぐには分からないな。もし調べたかったら、説明書見る?」と、本をコピー機の横に置いた。「もうちょっと試してみるなら、10枚ぐらいまではお金いらないから」と店主は言った。


 傘の学生は「わかりました、見てみます。ありがとうございます」と言って、説明書を開いた。直面している問題に関係ありそうな項目を探すために、説明書の色んなページを適当に見ていった。説明書は、そこそこ分厚いものだった。


 学生はコピー機の上に説明書を開き、立ったままページをめくっていた。あるページをしばらく読んでいるかと思えば、別のページに移った。新しいページに移ると、ページの中の色んな箇所に注目し、それらしい情報が無いか探す。そして見切りをつけて、また別のページを適当に開く……。そんなふうにして、5分ぐらいの時間が経った。進展がなさそうだったし、試しの印刷もしていなかったので、とても長く感じた。


 もしかしたら学生は、すでに試せることは全部、説明書を読む前にやってしまっていたのかもしれない。いくらコピー機の操作に機種固有の癖があって複雑だったとしても、めちゃくちゃなものではないはずだ。学生は、印刷余白について困っていると言っていたので、解決したい問題も限定的だった。説明書の色んなページを見て、「これもやったけど違った」というふうに思っていたのかもしれない。もし、まだ試していない設定や画面を説明書の中に見つけることができていたなら、コピー機の液晶画面と紙面を見比べたり、ボタンを押してみたりするだろう、と思った。しかし実際には、学生は画面やボタンに触れたりすることはなかった。


 結局学生は数分後、何も試さないまま説明書を閉じた。そして原稿や、印刷した紙などを片付けた。「ありがとうございました」と店主に説明書を返して、会計を済ませようとした。店主はカウンターの中の、すこしコピー機側からは距離のある場所で座っていた。


 店主は立ち上がって学生の方に歩きながら「もし、これからもコピーで何か作ったりするんだったら……説明書を借りていってもいいよ」と話しかけた。学生は、すぐ支払いができるように右手で小銭入れを持ち、そこから硬貨を出すために左手を小銭入れの口付近に構えていて、そのままの姿勢で考えた。


 ガラスの中の自分からは、学生の心は分からない。何を思ってコピーに苦戦し、どういう判断で店主に話しかけたのか、そして説明書に向かったのか。全てが自分には分からなくて、行動を見たり言葉を聞いて受け取ったり、その背景を想像するしかない。

 


 傘の学生は、「ありがとうございます、もうすこし見てみます」と答えた。そしてお金を払い、説明書をかばんに入れて、店を出た。