スノードーム / 香山哲

ある雑貨店の片隅に、古いスノードームが佇んでいる。 その中に住む者たちは、不安に駆られ、終末についての噂を交わしていた。 天空に、ある不穏な兆しがあらわれたのだ。 果たして「その時」は本当にやってくるのか? それはどんな風にやってくるのか?  小さな小さな世界の中で、静かに近づいてくる終末の記録。

記念

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 みんなの話は、結論もなく、段々と勢いがなくなって終わり、朝になった。その日は、昼も夜も特別なことが起こらなかった。


 さらに次の日、スノードームの外側でも内側でも変わったことは無い。みんなの様子はいつも通りで、ドームの天に現れた傷にも変化がなかった。もちろん、今でもみんな傷のことを気にしているし、傷については毎日話題になる。でも、これが見つかった頃ほどの恐怖や不安は無く、そもそもこれが傷や亀裂なのかも分からない。いくら見ていても何も起こらないので、気にしても仕方ない状況だった。


 店の外は、日ごとに寒くなっているみたいだ。しかしそれはサバイバルクラブの学生たちが考えている大寒波の影響ではなさそうで、毎年普通に起こる季節変化のようだった。店を訪れる客たちや、店内で流れるラジオは、冬が来ることを話題にしている。


 マーズがこう言った。「これからどんどん冬が近づいて、冬が来て、そのまま冬を通り越して、さらに寒くなっていったら、どの段階でみんな騒ぎ始めるだろう?」。それを聞いたみんなはしばらく、ぽかんとしていた。これまでに全然、そんなことが起こると思えるような情報や出来事はなく、唐突に感じられたからだ。


 すこし間を空けてシフトが「別に、そこまでのことが起こらなくても人間は、例年よりすこし天気が違うだけで大騒ぎしてるよね。平均1℃違うとか、雨が多いとか、毎日ラジオで話してる」と言った。マーズもすぐに「まあ、そうか」と納得した様子で相槌をうった。ただちょっと思いついて、くだらないと感じていても言ってみたい気持ちになったのかもしれない。それぐらい、退屈な日ではあった。


 この店で過ごしていると、何も起こらない退屈な日も多く、それらの退屈な日にも色々な種類がある。やけに店の前をたくさんのトラックが通る日もあるし、どこかを飛ぶヘリコプターの音が聞こえる日もある。ラジオで緊急の報道が流れる日もあるし、一日中ラジオの電波が悪い日もある。そして、そういうことすら起こらない、本当に何もない日もある。


 数日経って、退屈な日々の連続は途切れた。ある日の夕方、サバイバルクラブの学生たちが来た。傘の学生と、帽子の学生と、もう1人、傘も帽子もない学生もいた。全部で3人だった。


 サバイバルクラブの学生たちはそこまで大きな声でしゃべる人たちではなかったから、店の扉を開けて入ってくるまで、学生たちが来たことに自分たちは気づかなかった。ちょうどこのスノードームの位置からは、店の前に学生たちが自転車を停める様子も見えていなかった。



 傘の学生がかばんを開けながら、レジカウンターに向かった。カウンターの内側に座っていた店主に近づくとまず、傘の学生は「こんにちは」と挨拶した。店主は3人の顔を見て「いらっしゃい」と返した。帽子の学生ともう1人の学生は、うしろからゆっくり、傘の学生に追随していた。


「あの、これ。ありがとうございました」と言って、傘の学生は、借りていたコピー機の説明書を持って見せた。だが、説明書をカウンターに置いたり、店主に差し出したりはせず、両手で持ったままにしていた。店主が「役に立った?」と聞くと、傘の学生は「すみません、借りたんですけど、あまり読む気がしなくて、諦めて返すことにしました」と言った。


 店主はとりあえず素早く「ああ、うん、そうなんだね」と言った。そのあと店主は、何か続く言葉を探しているように見えたが、先に傘の学生が周りを見渡してから「それで……」と話し始めた。


「ちょっとお願いがあるんですが、お店の中で写真を撮ってもいいですか? コピー機の写真です」。傘の学生がそう言うと、店主は「え? 写真?」と言った。店主は特に何かを質問したいというわけではなく、単に意外なことを言われたのでそういう反応になったような感じだった。「えっと、カメラであれを撮るの?」と、今度は具体的な質問として店主が聞いた。するとうしろにいた帽子の学生が「はい。記念写真です」と言って、使い捨てカメラを取り出して見せた。


 店内には今、他の客はいなかった。店主は学生のカメラを見てから、コピー機のあたりを指さして「ああ、いいよ。このままでいいんだね?」と言った。傘の学生が「ありがとうございます、すぐ終わります」と言うと、店主はにこやかな表情を示しながら「ゆっくりでいいよ」と答えた。


 3人の学生は、目に見えて嬉しそうに動き始めた。店主に説明することの緊張感があったが、そこからの開放感もあったかもしれない。傘の学生が、コピー機の分厚い説明書を持ったままコピー機の前に歩いて近寄り、立ち止まった。コピー機の真正面ではなく、すこし左の位置だ。


 そのあと帽子の学生が、傘も帽子もない学生にカメラを渡して、コピー機に近づいた。帽子の学生は、傘の学生の右側に立った。もう1人の学生は2人の正面に立って、カメラのファインダーを覗いた。2人が写真に収まるようにすこしうしろに動いて、「撮るよ」と言った。


 傘の学生は、胸の前で説明書の表紙をカメラに向けて、真面目な顔をした。帽子の学生は、両手を腰に構えて、こちらも真面目な顔をした。準備ができた2人は「いいよ」と言った。もう1人の学生が、写真を撮った。硬くて軽いプラスチックの音がカメラから聞こえた。それなりの写真が手軽に撮影できるようになっているのだろう、いい音に聞こえた。


 3人はそれからすこし、念のためもう1枚撮ったり、コピー機だけの写真を撮ったりした。店主は、なんとなく一段落したのを察して、3人の写真も撮ってあげようかと提案した。3人は、そうしてもらうことにした。その写真も、念のために2回撮った。店主はそのあと、「クラブ活動の記録みたいなもの?」と聞きながら、カメラを返した。帽子の学生は「ありがとうございます」と受け取って、「いえ、なんていうか、記念です」と答えた。