左右上下から右左下上へ、言葉たちがすばやく飛び交っている。すばやい。とはいえ、生まれて初めて体験するような滅茶苦茶でもなく、一応すべての言葉を追うことができる。
自分の左側でしゃべっているのは、ペガサスのシフトだ。反対の右側で話すのはユニコーンのマーズ。それから、自分の後ろでまっすぐ上方に伸びている木のカルラ。ふだんは静かな面々が、今はお互いに意見を言い合っていて騒がしい。今までにも、もしかしたら数回はこんなことがあったかもしれないが、すくなくともここ数年はずっと無かった。それで自分は、あまりそこに割り込む気になれなくて、ただ聞いているのだった。
もしかしたらこの騒ぎは今、「話し合う」という形にはなっていないかもしれない。それぞれがそれぞれの意見を出し、誰かの反応を得たり得なかったりして、お互いの差異を確認しているような雰囲気だ。自分も、それらの1つ1つの言葉を聞いて、「そうだな」とか「そうかな?」とか、思考で反応している。自分以外の3人は今、「この世の滅亡」について話している。けれども話はその時々で自由に脱線しつつ、「滅亡して何か問題があるだろうか」とか「何のために生きていけばいいのか」とか「滅亡が予感できているような状態で、まともに生きていけるのだろうか」とか、長時間じっくり話せるような大きなテーマがせっかちに飛び交っている。
自分は岩の姿をしていて、このスノードームのほぼ中心にいる。ペガサスのシフトは羽の生えた馬で、後脚を浮かせて、前脚で立っている。ユニコーンのマーズは額に角が2本生えている馬で、まっすぐ前を向いている。2本の角のうち、1本は目に見えない。木のカルラは背が高く、スノードームの天井近くまで伸びているが、カルラの声は根のほうから聞こえてくる。「スノードームの鑑賞者から見れば」、自分の左にマーズがいて、右にシフトがいることになる。ややこしいかもしれないが、そういうことになる。みんなスノードームに固定されたオブジェクトで、身動きすることはできない。そういう意味では、全員岩みたいなものだ。しかしそれも真実ではなく、実際には全員、樹脂でできている。
全員がいっせいに「滅亡」について話し始めたのには理由があった。3週間ほど前からスノードームの半球のガラスに確認された傷が「古くからの言い伝え」の内容を連想させる…というのが、根本的な理由だった。
言い伝えは、以下のように滅びの過程を説明している。「青い空の上方、遠くにある白い空域、その白い空に1点の小さな穴が生じ、それが次第に走っていくように育ち、亀裂となり、世界がどんどん切り裂けてしまう。そして世界は滅ぶ」。古くからの解釈によれば、世界そのものが無くなるわけではなく、大きく世界の環境が変化してほとんどの生物が滅びるのだという。
この言い伝えを自分たちが知っているのは、生まれ故郷の工場で、他の部品などから聞いたからだった。工場の部品たちはおそらく全てスノードームに使われる何かであり、いずれ完成品として出荷されたり、エラー品として処分されたりしていた。大小いろいろな部品たちがいて、製造工程でまぜこぜになったり分類されたりしながら、無事に出荷された後の一生についての不安を日々抱えていた。工場の外の世界には怖いイメージがあった。そういった状況の中で互いに語られる話題の中の1つが、この言い伝えだった。
傷ができて、傷が大きくなり、滅ぶ。言い伝えにある、そういったできごとが、世界中にあるたくさんのスノードーム全てに起こることなのか、どれか特定の1スノードームに起こることなのか、すでに起こったことなのか、それらはあまりよく分からない。その言い伝えを工場で聞いた時に自分は、「とにかく傷には気を付けましょう」ぐらいの話として大きく気にしていなかった。だけど今、このスノードームの天に傷が現れて、みんな急に言い伝えを思い出したのだった。
傷は以前から存在して曖昧に見えていたのかもしれないが、いつの間にかしっかりと明確になっていて、3週間前には全員が認識できるものになっていた。何かがぶつかったりするような原因や心当たりが誰にもなく、いつの間にか傷として認識できるようになった。だからみんな一層不気味に感じ、言い伝えを連想しているのだろう。また、このスノードームはかなり古いものではあるから、細かい傷や曇ったような部分がたくさんある。だけどここまで輪郭がはっきりとした傷は他にない。そのことも不安を増幅させていた。
不安が大きくなり、自然と話題がエスカレートして言葉を投げあっているのが今の状況だ。
ペガサスのシフトは慌てて、この数日で傷が大きくなっている気がすると主張した。同じように思った者は他にいなかった。だけど傷が大きくなっていないという証拠もなかった。ただ、傷が倍の長さになったりはしておらず、大きくなっていたとしても数パーセントだろう。とにかくまず、傷についてよく観察することにしようと木のカルラは言った。憶測や予想をいたずらに重ねるよりも、実際にここにある傷について、確かな情報を増やすべきだということだ。自分は賛成した。そこでいったんは騒ぎも落ち着いた。